雑感04年4月から

2004年04月02日

今日が58歳の誕生日です。新しい家族でお祝いをしてもらいました。58歳でこういう誕生日が準備されていたとは、数年前には夢想もしなかったことです。これ以上、特に欲しいモノはありません。今の様な気持ちで少しでも永く暮らせていけるならできるなら、これに勝る幸せはないと感じています。



2004年04月03日

午前中、第1土曜の古文書サークルに参加しました。昨日出来上がった「むこうまち歴史サークル」結成五周年記念誌を配り臨時に集金も担当することになりました。午後の古文書会を休会して「向日市域の歴史地図模型作り」に参加しました。向日町駅周辺の復元模型の制作工房とをいっしょに一般公開するというのでしたが見学者は一人もなく、のんびりと等高線つくりができました。



2004年04月04日

向日市文化資料館での「物集女城模型つくり工房」の第1回集会に参加しました。中世の城郭研究の専門家の講演と開田城発掘の報告になり、模型つくり以前のなかなか難解な話で時間が終わり、さて次はどうするか悩むところです。今日の話の結論は、専門家でもどういう城だったかまだまだ「分からないということが分かった」ということです。分からないものは作れないか、作るのは自由なのか難しいところです。



2004年04月05日

僕の誕生祝いとしてあらためて3人で外食しました。食後、木屋町と白川と祇園の夜桜を見物しました。先週見た岡崎疎水のしだれ桜の夜景もなかなか良かったのですが、これも又それぞれひと味違う咲きようで楽しめました。八坂神社のしだれ桜はここ数年になく花付きが良いように感じられました。



2004年04月07日

家族3人で、自転車で八幡市の背割堤の桜・花見に行きました。自宅から往復12キロメートルくらいでしょうか。桂川サイクリング・ロードをのんびりと走るつもりが、向かい風では汗が出てきます。背割堤は2キロメートルほどの桜並木です。今年は例年になく開花が早いようですが、それでもまだまだ花見を楽しめます。



2004年04月09日

嵐山・高雄ドライブウェイで一日遊んできました。30年も前に行ったことがあるような気がしてるだけで、余りにも近すぎてわざわざドライブという気分にはなれなかったところです。今回は、菜の花畑の宣伝につられて行きました。ミツバツツジがあちこちに咲いていて、桜も楽しめ、新緑の眺望も良くて、比較的人出も少なく、のんびりするのには丁度いい場所でした。紅葉シーズンも良さそうです。



2004年04月18日

毎日毎日いろんな事をしてます。野球も見なければサッカーも見ない生活になりました。それでも次々としたいことができてきて、やり残してしまっていることがいくつもあります。それは優先順位が低いと、せっぱ詰まらないと出来ない言い訳にしています。去年の日記を読み返してみるとこの1年での生活の変化の大きさをあらためて実感します。ようやく新生活にも慣れたと言えそうです。



2004年04月24日

むこうまち歴史サークルの6回目の総会を開催できました。向日市教育委員会教育長の祝辞と向日市文化資料館館長の挨拶をいただき、会長としての年間活動報告では責務を果たせたことを感謝することで締めくくることが出来ました。歴史サークル活動開始5周年誌を仕上げるという機会に会長の役が回ってきたことで、それなりの充実感を味わえたと満足しています。次はサークルの会計担当になり、この記念誌を完売するという役目を果たすことになります。



2004年04月25日

向日市教育委員会と向日市埋蔵文化財センター共催の市民考古学講座の第1回講座を受講しました。定員40名が満席という状態で長岡京研究の現状を知ろうという熱意を感じました。今回は「長岡京は副都であった。」という國下多美樹氏の結論から始まった講演でした。この説では何点か異論のあるところですが、考え方としては完全否定できないものを多く含む論でした。ただ、今回だけの講演でこの結論を納得させるのは無理があります。しかし反論するには、今まで当然と考えていた「正都であった」という論証をさらに明確にしないと國下説の反証になりません。



2004年04月30日

昨日は「アルパの響き in 美山」という演奏会を聞きに京都府美山町に行ってきました。南米パラグアイの興味深い話と日本の親しみやすい曲、パラグアイの楽しい曲のアルパ演奏を風の渡る部屋で聞く、というのんびりした午後のひとときを過ごしてきました。演奏の合間はホームメイドのハーブティーとクッキーなどでのティーパーティになりました。個人の別荘を利用してのクチコミの企画ですが、参加者は70名を超えたという盛況でした。これが第1回の演奏会ということで、次をまた楽しみにしたいと思います。楽しい時間を共有できたという満足感での散会となりました。スタッフのみなさんご苦労さんでした。



2004年05月09日

今日は年2回のヌード・クロッキー会でした。この前は確か11月ですから、これだけ期間があくと上達のしようもありません。まあその分新鮮な気持ちで取り組めますが。間違って引いた線でも気にしなくて描けばいいとは先輩の言葉ですが、根が小心者ではそこまで自由には描けずに消しゴムに頼ってしまいます。こんなことでもいつかは大胆に生きた線が引けるようになるのでしょうか。**ここの仲間たちが先週の「アルパの響き」コンサートの主催者とスタッフです。アルパは竪琴の一種です。インディアン・ハープという呼び名を昔に聞いた記憶がありますが広辞苑にはどちらも出ていません。これらはラテンアメリカで演奏されているもので細部に違いがあるようです。このアルパは36弦ということでした。



2004年05月10日

昨日の午後、茶摘みをしました。庭の茶の木で煎茶・新茶を作ろうということで図書館で「日本茶」関係の本を3冊借りてきて、本を読みながらの3人での茶摘みでした。茶葉を蒸して揉むという工程を何とかこなして出来上がった新茶を早速試飲してみました。正直なところ期待した程の新茶の味ではありませんが、お茶の味はしていますので、全く初めての素人の家庭製茶作業でここまでできればまずまず合格かなと思ってます。改善点はいくつもありそうで数年後には「鶏冠井町特産」という自慢の新茶ができるかもしれません。**表紙を更新しました。今回もフラクタル画を加工してみました。



2004年05月16日

売り上げ日本一というふれこみの家電量販店が近くにオープンしました。地元の既存店も対抗価格ということで大幅割引です。そういうわけで5台限りという破格品のフラットベッド・スキャナーを運良く手に入れました。数年前まで使っていたものより高性能なのに価格はその10分の1という驚きの内容です。35ミリのネガフィルムからもポジフィルムからも写真を取り込めます。少し工夫して6×6のフィルムもスキャンできて50年前の写真が再現できました。OCR(光学式文字認識)ソフトも付属していて、これまた格段の認識率の進歩を実感しました。これで印刷物からの文字入力は大幅な省力が出来ます。もちろんカラー再現能力もテストしてみました。上には上があることは承知の上でまずは満足できる結果でした。早速いろいろと活用できそうです。



2004年05月27日

金魚とメダカの話です。先日、金魚が死にました。5月の大型連休の前に金魚とメダカを5匹づつ買いました。メダカは以前からいる3匹といっしょの水槽で元気にしていますが、金魚はエサも食べなくなって次々に死んでしまいました。金魚を蓮を植えた鉢に入れたり、次には水槽に入れたら藻が発生したり、次は雨水に入れたりして水質が変わりすぎたのが原因かなと反省しています。ここに来て1ヶ月足らずの命でした。こんなことでも、いつも視野のなかで動いていた赤い色が消えるというのは寂しいものです。金魚のことに比べるとメダカが元気でいるのは当然のことのように思えるというのは不思議なことです。



2004年05月28日

ペチュニアのはなし。ベランダのコンクリートの床の割れ目から草が芽を出しました。これはよくあることですが、僕はその草の葉を見て、雑草ではなさそうだと気づきました。水も肥料もやらないのにそれは少しずつ大きくなり、とうとう蕾をつけ花が咲きました。その花はまぎれもなくペチュニアです。誰もペチュニアの種を蒔いていないので不思議なことです。去年から赤い花と白い花のサフィニアの鉢植えが近くに置いてあったのでその種が飛んだのかなとは想像はできますが、サフィニアは種が出来ないはずなので訳が分からなくなります。(サフィニアの種からペチュニアの花が咲くというのも僕の想像です)。その後も水も肥料もやらないのにどんどん大きくなり花も沢山咲き続けています。どうしてこうなのか理屈はよく分かりませんが、これが自然の力というものでしょう。



2004年06月14日

昨日は月に一度のデッサン会。モデルは参加者同士ということでお互いに描いてる姿をデッサンしました。モデルと言っても姿勢も変わるし視線も一定しないのでクロッキーのような気分です。なかなか難しいのですが、描いているとだんだんそれらしくなってきて楽しめました。知ってる人を描くというのは似ているとかどうとかの話で盛り上がって、またやりましょうと満足の時間でした。**午後は新しく手に入れたデジタルカメラのテストのつもりで、竹林公園に行きました。もう梅雨明けのような爽やかな青空と対比する緑とを満喫できます。なぜかもう萩が咲いていました。



2004年06月14日

デジカメのこと。**6月11日に30分ほど考えて新しいデジカメを衝動買いしました。台数限定の目の前のものを買うかどうか、約半時間の間で判断したと云うことです。ライカのレンズ、12倍ズーム、望遠端420ミリ、手ぶれ補正つきという魅力的な内容です。**テストのつもりですでに400枚ほど撮りましたが、現在のところの評価は75点くらいというところです。少し辛めな採点ですが、オリンパスで撮る花の写真とかサイバーショットのコンパクトさとかと比較してしまうので、この点数は予測通りです。ただ12倍ズームはさすがに強力です。これを生かした写真が目的です。



2004年06月23日

いよいよ宝菩提院湯屋遺構周辺の宅地造成工事が開始されました。6月21日から約半年間の工期で造成作業を行い、その後に土地分譲して20軒の戸建て住宅の建設という予定です。隣接の住宅の了解を得なくても開発計画の説明会をしたということで工事の許可は出るとは事前に聞いていたとうりの経過になりました。まず伸びた雑草と竹との伐採作業が始まりました。**今できることは、工事の進展で遺構が破壊されないように監視することですが、工事関係者以外は安全のために造成現場には立ち入り出来なくなるので、公的機関が立会いしてくれることになっています。



2004年07月08日

今日、向日市長、向日市教育長宛の湯屋遺構保存についての要望書を届けに行きました。各団体の代表7人が市役所の埋蔵文化財担当者に要望書を手渡しました。湯屋遺構を損傷無く地下保存して欲しいということと、宝菩提院廃寺周辺の発掘をして欲しいという2点が今回の主な要望内容です。市の担当者の説明では、宅地造成工事中は遺跡の専門家が立ち会うので未発掘の遺跡を損傷することはない。遺物が出てきたら工事は中断して調べる。後日の住宅建築申請の時点で調査発掘する。問題の湯屋遺構部分にはガス・上下水道管は埋設しないので遺構はそのまま道路地下に保存されることになる。**私たちの事前の理解では遺構は損傷される危険が大きいというものでしたが、今回工法の変更により要望は満たされることになりました。一連の保存運動はそれなりの成果を得たと思います。大幅な工法の変更により遺構が保存されることになったことは開発業者の誠意として評価したいと思います。



2004年07月09日

年金の話。実はまったく別の展開の文章をここに記しましたが、いつのまにかかなり政治的な内容になってしまい公開する前に削除しました。その場の気分で文字にしていくというのは誤解を含めて怖いものだなと反省しました。ネットの中ではいつの間にか善人面とか悪人面とかの別人格を装ってしまい勝ちです。**ここから年金の本題。「年金見込額のお知らせ」という通知を受け取りました。厚生年金と国民年金が受け取れるという内容のものです。もうそんな年になったのかという軽い驚きと身近で聞く定年に関する話題で実年齢の現実に引き戻されます。まだすぐに受給出来ると云うことではありませんが、その年齢に達すればなにがしかの年金が受け取れると分かったことで随分安心を感じます。年金制度は将来への不安を解消する役目もあります。未払い期間もなく責任も果たせていたと自覚できました。



2004年07月22日

自宅隣接地の造成工事が始まり1ヶ月が経過しました。連日の暑さの中の作業で表土は削られ景色は一変しました。その後も、よう壁造成工事と着々と進んでいます。自宅との境界での雑木も根にかなりの被害をうけて枯れるのは覚悟しています。玄関前には3.6Mのコンクリート壁が立ちはだかります。その地点が隣接地の地盤になりそこに2階建ての住宅が建ちます。その昔このあたりには由緒のある寺があり竹が風に揺れていた、というのは夢の又夢・思い出の中のことになってしまいました。



2004年07月30日

1965年発刊の中央公論社版「日本の歴史」全26巻を読み出しました。長岡京がなぜ短期間で平安京へ遷都したのかをここではどう解釈しているかという疑問から「平安時代」の巻から読みました。そこで気づいたことは平安京は桓武天皇の代で終わり次の平城天皇の時に別の所(奈良)に遷都していた可能性があったと云うことです。史実ではその次の嵯峨天皇のとき平城上皇は奈良への遷都を宣言しています。これは薬子の乱として平城上皇の敗北に終わり結果として平安京はその後も維持されたのです。つまり平安京は初期には十数年の短期間の都と考えられていたようです。その後、都が遷らなかったのは、天皇周辺にはもうそれだけの力・エネルギーがなく、その必要もなかったからです。時を経て実質の政治の中心は鎌倉とか江戸に遷っていくのです。



2004年08月15日

宝菩提院廃寺周辺遺跡を守る会のホームページを作って1年が経過しました。現在は更新は休止状態のままです。富士通とソニーとのパソコンで交互に入力していたデータがどこかで誤作動したようで表紙が更新できなくなり、そのままにしています。**湯屋遺構隣接の宅地造成現場では併行して遺跡調査も行われ、瓦類も採集されています。井戸跡と思われる石組みが見つかりました。重機で削られた壁の残りの断面なので素人目には説明されてやっと分かる残念な外観です。このような制限された状態での発掘では重要な遺構が日の目に出ないままで終わってしまいそうです。それにしても作業員の皆様、暑い中をごくろうさまです。



2004年09月01日

9月になりました。8月もいろんなことがありましたが、この調子では9月も毎日飽きずに目新しいことがありそうです。先日からデジカメに広角レンズアダプターを取り付けて遊んでいます。10年以上前のビデオカメラ用の広角レンズなのでおそらく28ミリレンズ相当くらいだと思います。遠近感が強調されて魚眼のようで楽しめましたが、見慣れるといろいろと不満が出てきて、とうとう28ミリレンズ付きのデジカメを買いました。マクロで1センチまで近づけるので大クローズアップもできます。花の写真もひと味違う仕上がりで楽しんでいます。



2004年10月10日

それなりに家庭の事情があり、更新を怠っているうちに10月も半ばになってしまいそうです。このあいだにもおもしろいこともいろいろとありました。ところで先日、光ファイバー接続の申し込みをしました。光の開通した時点でプロバイダーも変更することになります。そのときにはこのホームページも大幅に縮小して新しいアドレスに移行する予定です。初心に戻ってもっとこまめな更新をするつもりです。



2004年10月12日

カシオの10月1日新発売という電子辞書を6日に手に入れました。70冊の辞書を内蔵するという優れものです。早速いつも手元に置いて活用しています。いまはやりの楽天の店で買いました。送料・代引き料・税込みで破格の安値でした。次回買い物時に使える割引ポイントまで付いています。どういう仕組みでこんな価格設定が出来るのか理解できませんが、差し出しの店舗は鹿児島市にありました。ちなみにオークションでは旧型の電子辞書でもこれより高い価格で出品されています。



2004年11月02日

11月になりました。昨夜は「ふるさと向日町と西国街道の魅力を語る」というあつまりで、、ささやかな私の体験を厚かましくも話させてもらいました。都市計画の専門家、京都府地方振興の責任者、地方史研究の大学教授、埋蔵文化財発掘の専門家などなどの今後の町づくりを考える人たちの私的な会です。思いの半分も話せなかったのですが、このように考えて、ふるさと向日町を住み良くしようと行動している者がいるということを、少しは伝えられたのではないかと思います。設定された会場も古い民家の蔵のよさを生かして改造されたところで、なにかと今後の私自身の活動の参考に出来るところでした。ぜひこのような集まりが具体的な成果を上げる運動に発展するように、協力していくつもりです。



2004年11月10日

『向日・寺戸大塚古墳、大きさ一目で、石室底部模型、市民ら手作り、副葬品も出土位置に、実物大に臨場感』京都新聞洛西ワイド版11月10日。**向日市文化資料館で開催中の「向日丘陵の前期古墳」という開館20周年記念特別展で展示されている私たちボランティアグループ制作の新作模型が京都新聞に写真入りで紹介されました。寺戸大塚古墳の前方部から出土した粘土棺床を原寸大で模型にしたものです。約1ヶ月という短期間でできるだけ低コストでの制作ということでしたが、目的が古墳の大きさを実感できるようにしたいと明確でした。出来上がってみるとそれなりに臨場感があり、別室の今回初公開の副葬品の実物展示と併せて見てもらえるとよく分かるものになりました。12月12日まで展示されています。



2004年11月15日

先日、50年に一度という蔵王権現尊の開帳で、京都南区久世の蔵王堂にお参りに行きました。この蔵王堂の開山は1050年前ということです。信徒の人たちから丁寧な案内を受けました。次の開帳は50年後となるとこれが見納めということになりそうです。明暦3年・延宝8年・天和2年(1657年・1680年・1682年)などの年号のある絵馬が奉納されていますが1点のみ修復され他はかなり荒れています。狛犬は異国の風貌で見慣れない姿をしています。天台宗の僧、浄蔵貴所に由縁があるということです。「淀の津に浮かべる御鉢登りきてここに叫ぶや久世の御菩薩」というご詠歌がありこの蔵王堂の由来が読みこまれています。



2004年11月21日

案内をもらっていろいろな展覧会を見ています。私自身も展覧会で1点のアクリル画を何人かの人に見てもらう機会がありました。描くことの楽しさと、見て楽しむことと批評することとはかなり意味合いが違うようです。見て楽しい絵となるとこれはナイーブさがそのまま出ているクレーや熊谷守一に尽きると思います。子供の絵でも、高校生くらいになっで絵を描くという技術が妙に上手になると見ていて楽しいというところから離れていくようです。芸術表現として別の意見があるのは分かりますが、できることならこれからも心のなごむ楽しい絵を見ていたいものです。



2004年12月05日

小雨の中でしたが、向日市内にある古墳をめぐるという企画で7つの班を分けボランティア・ガイドをしました。朝のうちまでの強い雨でしたが、参加者は80名を越えるというまずまずの成果です。向日市文化資料館の特別展「向日丘陵の前期古墳」の関連事業としての古墳ウォークですから、講演会にも参加していて本格的な知識を持つ参加者もあって私には冷や汗の現地解説となりました。準備した説明文は見なくてアドリブで、これらの古墳はいかに貴重なものかということを重点に説明してみました。全壊して消滅している古墳、半壊して痛々しい古墳、なんとか現状保存されている古墳などと現地を見ることで貴重なものを残していこうという気持ちが少しは伝わったと思います。



2004年12月13日

昨日は京都文化博物館別館であった京都室内合唱団第9回定期演奏会・クリスマスコンサートを聴きに行きました。熱気あふれるなかなかいい演奏会でした。これで3回連続して聴いていますが私にとっては今回がベストでした。指揮者の真後ろという緊張の伝わる座席でしたが、その分、曲の中に入り込むことができました。特に第2ステージでの中村千栄子作詞大中恩作曲混声合唱曲「風のうた」は眼前に日本の四季が風と共に拡がっていくように感じ取れました。今までなんどか聞いた日本の合唱歌曲は私の好みに合わないところが多々あったように記憶していますが、今回の演奏はその思いを変えてしまいました。精進されて来年もいい演奏を、と期待しています。**このメンバーも出演する「みやこフィルハーモニックチャリティコンサート」が2005年1月16日に京都コンサートホールであります。





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