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雑感・こんな話(6月まで)
2002年07月01日
6月29日の話です。「むこうまち歴史サークル」の仲間たち18人で大津の旧市街・「大津祭曳山展示館」・「大津市歴史博物館」などを解説付きで見学しました。その後三井寺の横から小関越えという旧道を山科・四ノ宮へ歩きました。ついでだからと山科駅まで足を伸ばしました。まだまだ余力を残していましたが雨が降りそうなので東山越えは次回のお楽しみでした。
2002年06月28日
DVD「ムーランルージュ」をもう5回見ました。字幕入り、日本語吹き替え版、オリジナルの字幕なし、再度字幕入りを100インチ大画面で。字幕入りで32インチワイドTVという数です。時は1900年、花のパリ・モンマルトルの「ムーランルージュ」を舞台にした何でもありのミュージカルです。簡単に言えばナット・キング・コールの「ネイチャー・ボーイ」を映画にしたらこうなったというものですが、何と言っても音と映像のカレースコープ度肝を抜かれます。ちゃんとトゥールーズ・ロートレックも登場したりと雑知識を確認できることが全編に織り込まれています。**この映画を見ることで今MP3で音楽を聞くことになったという変な取り合わせのきっかけのDVDです。
2002年06月25日
ソニーパソコンの液晶表示部の修理ができました。これでようやくHP更新も気分良くできます。修理伝票を見ると液晶パネル交換でした。以前より白の発色が良くなったようです。パソコンが新品になったような感じで使えます。デジカメ写真も微妙な色も感じ取れて大満足の一日です。昨夜は旧パソコンに外付けハードディスクとCD−Rレコーダーを取り付けてと苦心していたので、今日のバイオさんのお帰りはうれしさ一入です。(「一入」は「ひとしお」と読むのですね。広辞苑はえらい。)
2002年06月24日
昨夜のNHKTVで見た京都下鴨の「鴨脚(いちょう)」さんという姓に興味をひかれて調べてみました。番組での、鴨氏一族ということは鴨という文字からも分かります。幕末まで御所の井戸の管理をしていたということも今も御蔭祭(みかげまつり)の主要な役目をしている家ということも分かりますが「鴨脚」と書いて「いちょう」と呼ぶのが分かりません。広辞苑・ジャンルジャポニカによると明治時代に大槻文彦が「大言海」を編集したときに「鴨脚」(漢名)の宋音「やーちゃお」が「いちょう」のもとであることを確かめたー「ぎんなん」が銀杏の宋音「ぎんあん」の音便であることもそのときに発見したとありました。なるほど「鴨脚」のイチョウの方が本来のもので銀杏をイチョウと読むのは筋違いだったのか。銀杏紋は公家の飛鳥井家の系統が家紋としているともあります。今年の葵祭の勅使は飛鳥井さんでした。(これは偶然ですが)。飛鳥井を飛鳥の井戸と読むと「鴨脚」さんが古代からの水管理技術集団に属していたことからするとイチョウの紋で飛鳥と重なって見えてきます。飛鳥京で完成した水管理が平安京でも同じ集団で維持されていたとしてもおかしくないと思えます。
2002年06月23日
昨日は京都祇園祭山鉾の縣装品の織物について話を聞きました。知らないことがそれこそ山ほどあったのですが、今年は山鉾をじっくり見学しなくては痛感しました。その前段としての話で祇園社は全国に14000社もあるとは驚きました。一番多いのが八幡社で35000社、次いで稲荷社が30000社、天神社が28000社で祇園さんは4番目ということでした。ホンマカイナの数字です、誰が調べたか?祇園社の祭神は牛頭天王(ごずてんのう)ですがそんなに有名神ではないと思っていたのですが。やはり日本は神だらけの国のようです。
2002年06月21日
京都国立博物館の常設展示コーナーで「寺戸大塚古墳」の石室内部の写真パネルを見てきました。現在は再度埋められているのでこの写真でしか様子は知ることが出来ないものです。いつもの散歩コースの途中にある古墳なので、博物館でみると友人に会ったようでうれしくなります。
2002年06月20日
訪問カウンターが490を越えてきました。予想外の早い増加で「お宝プレゼント」の次の選択が間に合わなくなりそうです。いっそのこと500キリ番の人の希望を聞くという事にしましょうか。たとえば、庭にある木ならなんでも持っていってもらっていいですけど。フラクタル画集の希望のデータでカラープリントしてミニ額に入れてもいいです。誰がくるか、それからにしましょうか。
2002年06月17日
昨夜のFIFAワールドカップ。アイルランドは勝っていたゲームなのにPK戦でのスペインのGKの冷静な判断の前に敗退してしまった。ロスタイムで同点に追いつくという粘りをドイツとのゲームに続いて再現して、延長30分の間は一方的なアイルランドの攻撃だったのに。奇跡の駄目押し、ここで決めてほしかった。決められなかったというのがアイルランドを象徴しているようだ。守りには粘り強いが攻撃に出ると決定打が出せないという民族が、スペイン王国軍に対峙している姿に見えてきた。(対イングランド王国との敗北の連続という歴史と重なって)。アイルランドはもっと上に行く資格のある内容あるゲームをして実に立派だった。
2002年06月14日
ようやく「キリ番ゲット感謝プレゼントお宝」その1を決めました。僕の家に取りに来てくれるなら32インチTVでもプレゼントしてもいいのですが、郵送できるものを前提に小物にします。それぞれのものにお宝の経歴のあるものばかりです。
2002年06月11日
3年前に買ったグラフィックソフトの使い方がやっと分かったと思い、不要な他のソフトを削除したら領域設定がまた使えなくなった。共有部分があってそれが削除されてしまったよう。今度は簡単なフリーソフトを入れたら画像圧縮の細かい設定ができないのでまたまた不満。早く、早くバイオに帰ってきて欲しい。フラクタル・アルバムも不満な圧縮の結果です。
2002年06月10日
訪問カウンターが400を越えました。「キリ番を踏んだ方には粗品進呈」ということにします。今回は越えてからの提案なので「特別お宝提供」にしたいと思います。何が提供されるかはもう少しお待ちください。当然次は500キリ番ということになります。約3週間後の見こみですからそれまでに、提供お宝を発表します。希望も受けつけます。
2002年06月09日
今日、法事でこういう機会にしか会う事のない遠い親戚の人と話しました。去年の年回のときは体調が良くないというので会えなくて残念と思っていたのです。なんとそのころから6ヶ月間耳が聞こえなくて筆談でしか意思を伝えられなかったという事でした。大学病院で頭の中に電極を入れて人口鼓膜のようなものをつけての会話です。日本史とクラシック音楽に詳しい人でしたが今はTVの音も聞き取れないし流れるBGMは雑音にしか聞こえないと、TVは字幕を見て理解するとも。なるほど音楽が雑音に聞こえてしまう人、僕が目障りと思っていたTVでの字幕もそれを頼りにしている人がここにいてたのかと、思い上がりを反省しました。
2002年06月07日
3年前のパソコンも機嫌が良くなくて苦心してます。IE6をダウンロードしたりセキュリティセットをしたり、Windows Updateをしたりしているうちに、画面が消えて表示されなくなりました。機嫌が直っているときにちょこちょこと送信しておきます。HP更新の本格体制になるのはまだ当分先のようです。休み休みのんびり行きます。
2002年06月06日
このHPを作成したパソコンが故障したので予備機でデータ更新しますがなかなか理屈どおりには進みません。引退のつもりがリリーフが廻ってきてここはひとついいところを見せようとしても、さすがに時代の波は先に進んでいて旧機種の出番は荷が重そうです。
2002年06月05日
愛用パソコン・バイオLX80がまたしても故障でしばらく入院します。その期間中はNECのWINDOWS98でこのHPの更新をします。LANアダプターをPCIバスに取り付けてとかかなり面倒なことをしてNECからもADSLが利用できるようにしました。いつまでこんな分かりにくいことが必要なのでしょうか。パソコンが家電品になるのはまだ当分先のようです。それまで我慢?
2002年06月02日
きのうも何種類かの古文書を読んだのですがそのなかでも分かりやすい「生類憐れみの令」関連の文書について考えてみました。人々が日常生活で大迷惑を受けたと言う悪法ですが、1687年から1708年までの21年間にわたって何度もくりかえし発令されたということです。冗談ではなく、法を犯した人には島流しになった例もあるということですから、蝿や蚊も殺すなという令が出たときには誰も将軍・側近を諌めなかったかのと考えてしまいます。綱吉が遺言で硬く守るようにといったものの死後即刻廃止になったということは当然です。それにしても今の日本の姿は将来の笑い話にならないとは思えませんね。
2002年06月01日
なんだ気ぜわしい内に6月になりました。いろんなことが中途半端の気分です。もっとのんびり暮らすつもりがいつのまにかのペースアップで息切れしそうです。訪問カウンターの数字とか毎日更新とかウィークリーとか言ってるうちにそれに追いかけられている気がしてきました。こういう性格が痛風を起こしやすいということを思い出して苦笑いです。それでも張り合いの一つですから、まあ行ける所まで行こうというのが6月開始の感想です。トップページの画像を更新するのにひと苦労しました。1ヶ月前はどう操作したのか忘れてましたが、やっとできてほっとしました。
2002年05月29日
奈良国立博物館での「東大寺のすべて」展を見に行きました。月光菩薩立像と重源上人像はもうこれ以上のものはないというくらい完成されたすばらしいものと実感しました。菩薩と上人という違いとか製作時期の違いとかはありますがこの二つに共通してあるのは人智を超えたものだと思いました。他に国宝が10点ありましたが僕にはいまだその良さはよくわかりません。
2002年05月27日
風が吹いても痛いという、寝ているそばを誰かが通る程度で起きる風でも痛いという「痛風発作」から、もうそろそろ4ヶ月になります。医者の指示を守って食事療法で標準体重まで減らしました。薬も欠かさず飲んでいます。ところが期待した血液検査では尿酸値はわずか0.3ミリグラムしか減少していません。目標だった1ミリグラム減らすのはこれでは1年かかる計算です。長い間に蓄積した物はそう簡単には解消しないというので生活習慣病というのだと理解できました。もちろん目標の数値になってもそこで以前の生活に戻ればまた元の木阿弥になるのは理解しています。だから既に過去は過去、今は新生活をスタートしてこれからも続けるのです。
2002年05月25日
メール関連のウィルスについてもう一言付け加えておきます。メールを見ただけで感染するという話は厳密に言えばデマです。ケータイでワン切で10万円請求という話と同根です。普通のテキストメールを見るだけで感染するウィルスはありません。ウィルスは全て何らかのプログラムを作動させて拡大します。HTML自動実行に設定しているとそこでウィルス・プログラムが取り込まれるのです。透明人間の侵入はありません。出入り口は決まっています。対策をとれば大丈夫です。不審な人は家に入れないというのは常識のことです。ホームページを見るということはメールと全く違うことなので要注意です。いかがわしい家を訪問すれば当然危険が増します。
2002年05月23日
インターネット・セキュリティの大切さを実感しています。ここ数日Eメールに添付されたウィルスが数通ずつ送られてきています。添付ファイルを開いていないので今のところ感染していません。約11万個のファイルをチェックした結果感染ファイル0個で、とりあえず安心しました。しかしこのHPでアドレスを公開しているので危険性は大きいと今後も予防対策に注意します。皆様もメールのHTML自動実行の禁止と内容不明の添付ファイルは絶対に開かないようにご注意ください。感染したと分かったらすぐに駆除作業をしてウィルスが拡大しないように。
2002年05月21日
映画「ムーラン・ルージュ」を見ました。僕が今年見た60本ほどの中でベスト3に入ります。20世紀初頭のパリ・モンマルトル「ムーラン・ルージュ」を舞台にしたミュージカル大メロ・ドラマです。冒頭から「サウンドオブミュージック」をユアン・マクレガーが歌いだすのでびっくり。ビートルズ、マドンナ、エルトン・ジョン、スティング……インド・マサラ・ムービーまで出てきてもう大団円までびっくりしっぱなしです。映像が凄いというか素晴らしいというかもうここまでやるかとビックリ。これは最低3回(DTS音声・日本語吹き替え版・字幕なし)、まあ5回は見ないと細部まで目が届かないというこった作りです。DVD2枚目のボーナス・ディスクを見てる時間はなさそうです。
2002年05月20日
ポタリングのコーナーに新しい写真を載せました。こうして考えてみると実に不思議なことでした。オニヤンマが川原の草にとまっているというのが変です。オニヤンマは縄張りを持っていて夕方決まったコースを飛ぶのです。林がすこし開けたところがポイントで草原は普通のトンボが飛ぶところです。まあ、もう一度行ってももういないでしょうが。今、ジャンル・ジャポニカを見ると鬼蜻蛉と書いてもいいようです。馬大頭という表記もありました。道路や水路の上を往復して飛ぶともあります。ナルホド。広辞苑では虫偏に延という字でした。
2002年05月19日
向日市文化資料館で1993年に企画された「幕末京郊の文化サロンー向日里人物志」という特別展での「蓮月と秀雄」というコーナーで「歌人としての岡崎秀雄」が紹介されました。展示会という形式で「岡崎秀雄」という名前が知られれたことは、私にとっては喜ぶべきことでした。直系の子孫にあたる崗崎家では何代にも渡っての言い伝えで「岡崎秀雄」という人は若くして家業をしりぞき子供たちに迷惑をかけ長患いで亡くなったとされていました。秀雄の父親が家を盛り立て、秀雄が傾け、その子供が苦労の末ふたたび盛り返すことが出来た、という趣旨の碑が墓地に建てられてさえいます。秀雄という名前をつけられた私としては無視できない内容でした。
この展示会の後で「岡崎秀雄」に関するいろんな資料が集まり今少しずつ整理しています。まさに今年は死後140年、インターネットを通じて再評価の機会がまわってきました。文人・風流人として生きた「岡崎秀雄」の姿をたどることはこれからの生き方の何らかの参考になると思っています。
2002年05月18日
ニフティ・ホームページ作成君というお助けツールで密やかにHPを開設してはや1ヶ月が経過しました。ニコン・オンラインアルバム「庭の花たち」のような明確なテーマのないままのこのHPはアイディア先行になりそうです。それでも延べ200人近くの人が見てくれているということで、ここはもう一つガンバリマッショ。早く検索エンジンにこのHPが掲載されるようになりたいものです。ところで、「崗」で検索するとおもしろいのがかなり出てきます。「崗本天皇」とか「崗本邸」とか。
2002年05月17日
歌人「岡崎秀雄」資料室という名前で現在新しいページを工事中です。20日月曜日中には一期工事が終了予定です。読み下し文は将来のこととして、今わかっていることで構成するつもりです。ほぼ忘れられている人なので光を当てることは意味があると思います。
2002年05月16日
このHPで音が再生できるようになりました。これは音楽とはいえませんね、一晩考えて、ニフティのフォルダをチェックしてみるとサウンドが違うファイル名で保存されていました。なぜそうなったのかは不明ですが、正しいのを送信して間違っているのを削除しました。当然これは手動作業です。全くの初心者でもやればできるのですね。ちなみに昨日のHTML文を変更してループ再生を3にしてます。
2002年05月15日
今使っているホームページ作成ソフト「ホームページNINJA2002」は音声ファイルの転送項目がありません。いかにもさみしいので、オープニングの音をHTMLタグを作成して無理やりはめ込んで見ました。プレビュー画面では音が出たのですが初めてのことで自信がありません。あなたのパソコンではどうでしょうか。それにしてもこの無味乾燥の文字列はできることなら見たくありませんね。ちなみにこんな文字<BGSOUND SRC="4_66.wav" LOOP="2">
2002年05月14日
 「岡崎秀雄」について質問がありましたのでメール文を転記してさらに「訂正」しておきます。
岡崎秀雄は直系の先祖です。僕の親の親の親の親です。曽々祖父・ひいひいおじいさんということになります。僕はその名前を付けられたのです。崗崎の苗字は明治10年前後に改名したのです。だから岡崎が昔からの姓だから僕は「岡崎」と書かれても間違いとは感じていません。どちらでもいいのです。実は戸籍は「崗崎」ではなくワープロにない表記なのでそれを言えば郵便物は殆ど間違った宛名ということになってしまいます。「おかざきひでお」と認識してもらえればいいのです。「先祖の岡崎秀雄」についてはそのうちに専用コーナーを作りますのでそのときにもっと詳しく書きます。まだ調査・整理中です。
2002年05月13日
板倉星光さんについて質問があったので、メール文を転記しておきます。
昭和30年代には向日町大字寺戸小字中村垣内に住んでいました。僕の母方の祖母の弟という関係です。簡単な略歴は。
京都市上京区四条新町に、海産物問屋山城屋を営む4代板倉清兵衛の三男として明治28年に生まれる。京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校を卒業し菊地契月の門に入る。昭和4年の第10回帝展の特選、翌年の第11回帝展での特選と連続特選となり、昭和6年には帝展推薦になった。昭和12年新文展となって無鑑査に挙げられ、戦後は日展依嘱として出品をつづけた。昭和39年没。(国立近代美術館・1986年カタログより抜粋)
ネット検索すると何件か出てきます。東京目黒雅叙園美術館に「板倉星光の間」があるそうです。京都芸大にも「はなび線香」という作品が所蔵されているそうです。
2002年05月12日
このホームページは偶然訪れる人はいないという前提で作っています。僕と何かのつながりのある人が、わざわざ見に来てくれているということになります。だから誰かが(あなたが)まだ知らないかもしれないと思えることを載せていきます。僕が前から知っていたことはわずかしかありませんから、へーそうだったかと新しく知ったことが中心になります。「お宝」もそうかこれがお宝なんだと新発見のつもりでの紹介です。
2002年05月11日
ウィークリーという言葉の説明です。一般的には週報とか週刊誌とか毎週出る定期的なものを意味していますが、「崗崎秀雄ウィークリー」では少し違います。毎日更新するのは無理だろし不定期更新では分かりにくいので、まあ「1週間に最低一度は更新します」という位のニュアンスです。新着のものはページの初めのほうに載せていますので1週に一度くらいは来訪してもらえると無駄足にはならないはずです。
2002年05月10日
ホームページの内容が少し難解という声があったので用語の解説をしておきます。「カメラでポタリング」でのポタリングとは自転車散歩という意味です。自転車をのんびり乗るという意味くらいに使っています。健康のために自転車生活にしたのですが、そのついでにカメラでスナップしているということでこのタイトルにしました。「ウィークリー」の説明は明日します。
2002年05月09日
ようやくホームページを公開できました。最後の作業「ホームページをサーバに転送する」というところで、「自動で転送する」はずがやはりサーバにうまく接続されません。よく見たらFTP用のIDの入力ミスでした。「転送が終了しました」と出るとホッとします。レイアウトにわずかの不満は残りますがここまで出来たことに満足しています。なにしろインターネットを始めたのははるか昔の6年前、そのころからホームページ作成は夢でした。ここまでの道のりは遠かったです。できあがれば簡単といえますが、拒否反応をなくすのがポイントでした。「全自動」という言葉に騙されたのが結果としてよかったようです。これから手動で改良していくつもりです。
2002年05月08日
いろいろと修正するつもりがなかなか思うようには出来ません。さすがにくたびれました。全体をもう少しバランスよくレイアウトしたいのですが、紙に書くようにはできないのですね。少しずつ改善するつもりがどうも一気にやりたくなってしまいます。作っては削除してという繰り返しです。これではまだ公開できません。全自動とはいってもどこかにオリジナルを見せたいものです。
2002年05月07日
 誰でも簡単「作る全自動」というキャッチ・フレーズを信用してホームページ作成ソフトを買いました。作成ソフトはこれで3つめなのですが、このマニュアルを読んで、ようやくこれならなんとかスタートできそうな気持ちになりました。HTMLタグについては全く触れられていなくて、ドラッグ・アンド・ドロップでページ作成が出来ます。ホームページ・アレルギーからはこれで開放されそうです。
 全自動でホームページが出来てみるとすぐに欲が出てきます。もう少し変化を付けてみたくなります。レイアウトやわずかな小細工よりもホームページの命は何を見てもらうかという内容・コンテンツが肝心・要なのは分かっているつもりですが、他の人のホームページを見ると心安らかではありませんが、まあ初めてのホームページだからと自己満足の一日です。