タイトル:交響曲第6番と第7番の第1楽章 |
チャイコフスキーの死後、グラズノフはタネーエフの影響を受けて、古典派的な音楽へと傾斜するようになったようです(良くも悪くもアカデミックと呼ばれる)。 交響曲なら第6番と第7番、弦楽四重奏曲なら第4番と第5番でしょうか。 例えば古典派の交響曲では、「反復」というのは書かせない要素になっています。 グラズノフより後のラフマニノフですら、交響曲第2番の第1楽章において提示部の反復が要求されています。 グラズノフの第6番や第7番の第1楽章を聴いていて、あっさりし過ぎていると感じる事があります。古典派の交響曲(ハイドンやモーツアルトやベートーヴェン)のように、何らかの反復が必要だ、と考えるのは、私だけでしょうか? 特に第6番の第1楽章など、「チャイコフスキーやラフマニノフならここからもう一波乱あるのに」と思ってしまうことがあります。 何らかの反復があってもいいのではないか? などと考えたくもなります。