I S I Z E  への 43

孔子伝
白川静

発行:中公文庫


 宮本武蔵だけではない、孔子だって「バガボンド」なのだ。

 孔子は自らのことを「東西南北の人」と言った。一所不在で、故郷というものも持たず、常に放浪していたのだ。

 著者の白川静は漢字研究の第一人者である。この『孔子伝』を書くにあたっても、自ら古代中国の書物をひもといていくのだ。最古の孔子伝と言われている、司馬遷の『史記』の中の「孔子世家」については、一貫性を欠き、また選択と排次を失している、と言う。白川静はその読解力と推理によって、古典とされているものの間違いや粉飾を指摘し、事実に迫り、そしてその意味を解こうとした。

<哲人は、新しい思想の宣布者ではない。むしろ伝統のもつ意味を追究し、発見し、そこから今このようにあることの根拠を問う。探究者であり、求道者であることをその本質とする>
と白川静は言う。

 世界最古の思想家といわれる孔子も、周王朝の礼楽文化の伝統の回復を天命としたそうである。過去につくられた周王朝を夢に見、そしてそれを理想とした。

 孔子の前半生は明らかでなく、世にでてきたのも40才を過ぎてからであった。政治に関わるも国外追放になり、48才から51才まで亡命生活。また56才の時から69才まで、14年間の亡命生活を送り、魯に帰る。そして74才で没した。

 政治の世界では成功はおさめなかった。しかし、著者はそれでよかったのだ、と言う。下手に世俗的成功を収めず、放浪したおかげで理想を失わずに進めたのだと。孔子と対照的なのが、ライバルと見なされた陽虎だ。彼は一応の世俗的成功を収める(魯で専制を成就)。しかし、自身の思想が確立できたどうかは、はなはだ疑問である。

 やはり、社会の中で、ある地位を得てずっと居付くと、自身の理想が歪んだものになっていくのではないだろうか。その地位に満足したり、多くの雑事に追われ、妥協したり、癒着したり…。ようするに、刃こぼれがすると思う。常に自分を孤独に置き、自己研鑽をはかる。そして、その効果を試す為に、時たま社会に出てみる。しかし、長居は禁物だ。理想を極めようとする探究者は、基本的には孤独な放浪者であることだ。

(呉智英さんも本書、白川静の『孔子伝』を読んでいたく感動したと言っておられたが、多分その生活スタイルにあったにあったのではないだろうか。そして自分自身もそれに準えているのだと思う。白川静の『孔子伝』、それはまた、白川静自身でもあるのだ。自らの考えに合わなければ、安易な成功は拒否し、自ら荒野を目指すのだ)

 ここで、フト宮本武蔵が思い浮かんだ。武蔵にしろ、孔子にしろ、まともに仕官はしていないし、世俗の成功者ではなかった。自分との戦いを主とし、常に刃は研いでいたのだ。世俗において磨滅させず、思想の練磨があったからこそ、宮本武蔵は現在でも戦う者の理想とされ、孔子の思想は、2000年以上経った現代でも通用するものとなったのではないか。

 世界最古の思想家である孔子は、世界最古の「バガボンド」であったのだ。

       ※バガボンド=放浪性のある人(『新明解国語辞典』による)

おすすめ度:★★★★★

(2001.10.30)



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