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今の日本で、「フーゾク」と言えば、性風俗の略で、「フーゾク」が好き、なんていうとかなりの好きもの、と言われかねない。本書の「風俗」は、本来の意味?である「衣・食・住」の社会風俗である。 バルザックというと、なんか贅沢三昧で、洒落者で、酒豪で、…なんていう濃いイメージがあった。そういうバルザックの「風俗研究」と聞くと、この時代はこんなのがカッコイイぜ、なんて言うのかと思いきや、なんのなんの、けっこう冷めていて、まるで坊さんの説教を聞いているようだ。勝手な言いようではあるが、まったくバルザックらしくない、というより芸術家らしくない。社会を観察し、そこから導きだされる格言や公理の数々は、けっこう奥深い。お洒落学の書であり、運動学の書であり、食物学の書でもある。まさに人間総合科学の書となっているのだ。 本書『風俗研究』は、「優雅な生活論」、「歩きかたの理論」、「近代興奮剤考」の3部構成となる。 ■優雅な生活論 服装、家具、住居、立ち居降るまいなどの生活スタイル全般について言及。やたら派手な服装や、服には金をかけているが住まいが貧しい、なんてバランスの悪いのを諌める。贅沢ではなく、優雅なのだ。清潔で、身の丈にあった(収入の応じた)スタイルをせよと説く。そして、何よりも、それをメンテナンスする為の出費は惜しむなとも言う。それで次の格言が生まれる。 〜贅沢より優雅の方がかえって高くつく〜 壊れれば、金をかけて修理する。カバーをかけたままにしたり、ケースに収めたままにしないで、十分に使い、楽しむのだ。それだけの余裕がなければ優雅な生活はできないのだ。 <優雅な生活の原理とは、秩序と調和を重んじて事物に詩情をもたせようという高尚な思想である> (しかし、挿絵のバルザック、馬鹿にしたダンディズムの氏とそっくりではないか) ■歩きかたの理論 動物の動きが優美なのは、めざす目的に必要なだけの力しか決して使わないからであり、邪念のある人間は歩き方もまずい。人間も次のように歩け、と言う。 <まず姿勢を真直ぐ正すことである。しかもしゃちこばらぬよう気をつけること。両足を同一線上に踏み出すように心がけ、身体の中心線が左右どちらにも偏りすぎないように注意する。全身をごく自然に全体の動きに合わせながら、軽く左右にゆらして歩行のバランスをとること。その規則的な動きが、心中の邪念を一掃してくれるはず> こんなこと言われたらよけいに力が入りそうだ。理にかなった自然な動きが一番むずかしいのだ。しかし、先天的にしろ、後天的にしろ、そういう歩き方をできる人は美しい。 <私が初めて見た骸骨は、二十二歳で亡くなった娘の骸骨だった。 「ほっそりとした体つきの、きっと魅力的な娘さんだったのでしょうね」 と、私は医者に言ったものだ。 医者は驚いたようだったが、肋骨の並び具合といい、骸骨全体の何ともいえぬ上品さといい、いかにも生前の歩きかたが偲ばれたのである> 美しく動く人は、中味も美しい。肋骨美人とでも言おうか。骨まで美しくあるために、次の格言を覚えておこう。 〜すべて過激な運動はこのうえない浪費である〜 付け加えて 〜過激な思慮も浪費である〜 と言ってるのも興味深い。体にしろ頭にしろ、使いすぎは弊害をもたらす。という訳だ。 (バルザック自身はかなりデブだ。運動しとったんか?) ■近代興奮剤考 「砂糖」がようやく大衆のものになった時代。ブランデー、砂糖、紅茶、コーヒー、タバコについて言及。効能についても論じているが、総じて否定的である。取りすぎは生殖能力が低下すると言う。で次の格言となる。 〜すべての不節制は粘膜を損ない、命を縮める〜 (バルザック自身はかなりのコーヒー党であった) 多くの格言、公理。どれもなるほど、と思う。そして、全然古びていない。ネタとしては、その時代特有のものの描写であるが、そこから導きだされるものは、時代を超えて通用する内容である。特に「優雅な生活論」は、バルザックの観察眼の鋭さがうかがえる。そして本書に書いてあるように節制できれば、長寿で、心豊かな人生を送れそうだ。 だが、バルザック自身は常日頃から摂生に努めた聖人君子ではない。小説を書くかたわら、出版業、印刷業、活字鋳造業などを始めるが、いずれも失敗。その後、新聞事業を狙うがこれも失敗。女性関係多数。自身の著作全体の体系化など、常にエネルギッシュであった。過労がたたったのか、51才でなくなっている。 不摂生は、自ら諌めたことであるが、人間、そう思うようにはいかない。ここで、自分のことを棚に上げて…、なんて考えてはいけない。大いに浪費したからこそ言える事はたくさんあるのだ。物事の本質をみる目を持っていたバルザックは、自らをも笑うしかなかったのかもしれない。そして自らも含めた人間に対する思い、それは「喜劇」ということなんであろう。 そして、バルザックが本書を著した理由は、人間を「喜劇」で終わらせたくなかったからだ。もっとまともな人間になってくれよ、と願いを込めたものであったに違いない。 おすすめ度:★★★★ |
(2001.9.24)