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武術研究家・甲野善紀と解剖学者・養老猛司との対談。本書では、甲野氏の発言がおもしろい。養老さんは、受けに徹しているって感じだ。昔の剣豪たちの技を現代に再現させようとしている甲野氏は言う。 <現代の武道は、半分スポーツ化しておりまして、実際に、からだの使い方、動きの質といった面で、江戸期の武術とはまったくちがったものになっています> <「日常的なからだの動かし方、ないし、いわゆるスポーツ的なからだの使い方の延長線上にはけっして出てこないもの」である、ということです。私はこれを「質的に転換した動き」と呼んでおります> 本書で、この「質的に転換した動き」の例として出されているのが、日本人の歩き方。 <昔の日本人は歩くとき現代の日本人のように腕と足を互いちがいに振らなかったんです。だから走ることもできなかったわけです。ふつう腕自体も振らなかったようですが、振るにしても、右手と右足、左手と左足がいっしょに出る。いわゆる「ナンバ歩き」という歩き方ですけれども、> 普通の人が走れなかった、というのも面白い。走るのは、武士か忍者だけ。基本的に腕と足を互いちがいに振って歩く、あるいは走るというのは、西洋から学んだそうである。確かに空手の基本中の基本と言うべき「順突き」は、同じ方の手足を出す。昔の人はそういう動きを普段の生活の中でしていたのである。今、街で「ナンバ歩き」を見かけることはほとんどないが、見かけたら、その人は武術の達人かもしれないので、気をつけたほうがいいでしょう。単なる酔っ払いのおっちゃんかもしれませんが。。。 そんな甲野氏??であるが、彼の発見した「井桁崩しの術理」というのが面白い。今まで円運動が動きの基本として崇められ過ぎていたという。彼の発見したのは、平行四辺形の動きである。正確に言えば、平行四辺形がつぶれるような、いわばマジックハンドのような動きである。「多方向異速度同時進行」。この動きが、相手に悟られない動きであり、相手が頑張って反撃できない動きであるという。相手に及ぼされる力は、2つのベクトル和となり、違った方向からの力となるので、1つの力の方向に頑張ることができにくいらしい。前述の「ナンバ歩き」もなるほど、平行四辺形っぽい。この「井桁崩しの術理」については甲野氏の著書『甦る古伝武術の術理』(合気ニュース)に詳しく書いてある。 甲野氏の武術の稽古についての注意もまた、覚えておきたい。 <1人稽古というのは、だんだん自分がのってきたところでやめないと、翌日とか次の稽古までの間にずうっと情熱がつながっていかないんです。なまじっかな猛稽古が始末が悪いのは、やっぱりそれなりに強くなるということです。それなりに間に合うということは、次の世界にはますます行けなくなってしまうということなんですね> と言っている。のってきたとこで止める。明日への為に、ってことだ。 昔の武術、名人・達人の技が言葉で伝わりにくので、精神性を重んじるようになり、観念的になり過ぎでしまったこと。武「道」になってしまい、人格形成が第1となったこと。スポーツ化され、危険な技の練習はしなくなり、根性論になったことなど、「身」を忘れて「心」が重視され過ぎたことへの警告が本書のテーマである。あの「グレイシー柔術」も「柔術」のままであるからこそ、強いのかもしれない(高田道場の桜庭和志が、3人のグレイシーに完勝して大騒ぎであるが)。 その他いろいろ面白いエピソードが載っています。武術を身につけたい人も、そうでない人も、どうぞ。 おすすめ度:★★★★ |
(2000.11.28)