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病気の人は、病気になりたいから病気になっている、場合があると言う。病気のほうがなにかと都合がいいので、無意識のうちに病気になろうとしていることがあるという。 <健康も病気も気にしないこと> が大事であるという。 ひょっとしたら気にすることによって、病気を育てているのかもしれん。病気に焦点を合わせてはいかん。病気はいい気になって住み着いてしまう。病気は無視してあげましょう。確かに知らんうちに(気にしなくなったら)病気が治っていたということがある。逆に病気であろうが、なかろうが、今をせいいっぱい生きることしかないのだ。 著者はゴルフが好きであるそうだが、このスポーツでこんなことがあると言う。この一発のパターを決めてしまえば優勝だという時に、必ずショートしてしまう。これは“成功を恐れているのだ”という。優勝したときにくるストレスを事前にキャッチし、それをさける為に自分自身で“サバイバル・モード”に逃げ込んでいるのだと。 病気が治った時にかまってもらえない恐怖から逃げ、自ら進んで病気のままでいることがある。病気が治ってしまうストレス?に勝たなければならない。 また、著者の時間についての考察も面白い。過去というものは過ぎ去ったもので、いつの時も、今から振り返ることができる過去でしかない。つまり過去の事実は消えないが、今振り返る過去というものの解釈は変えることができる。つまり過去も変えることができるという訳だ。過去を消すことだってできる。忘れてしまえばいいのだ。今、現在から見る過去も現在のものだ。ようは今しかないのだ。そして未来というのも、現在から想像する未来で、それはなにを隠そう現在なのだ。「過去、現在、未来」の全部が今ここにある。著者の言葉を借りれば、 <永遠とは、時間のない今を言う> ということになる。 例えば、1年先に死ぬことが決まっていようが、たった今を生きることしかできないではないか。あるいは、生まれつきの病があったとして、それは同じことなのである。病気のことでくやんでいる時間はもったいない。著者は最後にこう言う、 <生死同源。生も死も、人生は等しく命の発現。命が姿形を変えたものなので す> と。 おすすめ度:★★★★ |
(2000.7.27)