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ってことで、横森理香の『ぼぎちん』を読んでみた。 例によって、福田和也の『作家の値うち』の中で高得点をあげていたものだ。今まで読んだことがなかった作家なので、ワクワクしながら読んだ。 時はバブルの頃、投資顧問会社、兜町ジャーナルなる怪しげなところにバイトに行った女子大生の私(沙耶)は、ボギーのような中年のハードボイルド男?のぼぎちんに出会う。これぞ理想の男!と私は確信し、結婚する。ぼぎちんは、女房にはやりたいことをやらせ、いつも奇麗な格好をさせるのが男の甲斐性である、と考えている。私は女子大生から一挙に「裏社会の有閑マダム」になってしまった。 ぼぎちんは、ふとつぶやく。 <俺は親から社会の構造教わらなかったから、それが間違いだった。日本の社会は、いい大学を出ていい会社に入って、地味でもこつこつやっていけば、ゆくゆくはデッカイ金を動かせるようになんだ。任される金のケタが違う。自分がちょっとしか給料もらってなくても、仕事のやり甲斐が違うんだ。社会的立場もある。地味でも、誇らしさや名声があるんだ。それを知らなかったから、俺は途中でこんな世界に入っちゃった。だから、かつての俺の知り合いに対して惨めじゃないと感じられることがあるとすれば、やつらが一生かかっても掴めないくらいの金を、掴んでやることだけだ> この言葉はなかなか味わい深い。どちらにせよ、自分で使う為でない金をころがして、もうけを考えるなんてのは、ヤクザな商売でも、カタギの会社員でも同じ様なもんだ。ぼぎちんにとっても、百万、2百万なんてまとまった金は、何かを買って使ってしまうものではなく、何倍にも増やす為のものとなる。 けっこうコミカルタッチなんで、シビアなラストも暗くない。現代社会の俗の俗を描いたということで、福田和也が推すのもわかる。前回の『テニスボーイの憂鬱』とまあ、良く似たパターンだ。しかし、こっちの方がアッケラカンとして後味はいい。 おすすめ度:★★★ |
(2000.7.27)