I S I Z E  への 43

猫楠(南方熊楠の生涯)
水木しげる

発行:角川ソフィア文庫


 粘菌学の世界的権威、南方熊楠の生涯をあの妖怪博士・水木しげるが描いた。 水木しげるの言葉によると、
<南方熊楠の妖力の凄さを、漫画で甦らせようした>
らしい。ちなみに、妖力とは、水木理論によると
<妖力が高まると妖怪が見えてくる>
という。なんかそのまんまだ。

 この本によると、熊楠は猫語とか幽霊語とかをしゃべれるようだ。飼い猫の「猫楠」(この猫がこの話のナビゲーターとなっている)と話したり、死んだ両親とも会話している。そして那智の山に入るとすっ裸の美人の幽霊に道を案内してもらい、天狗の妖怪みたいなヤツらに出会う。そして、ようわからんが、ヤツらの屁のオーケストラを聞いたりしている。

 熊楠によれば、幽霊というのは、純粋な空間現象であり、我々が知覚できるかできないかは、全く【能力】しだい、なのだそうだ。この【能力】とは、
<我々の欲得とか下らぬことにわずらわされず、純粋な気持ちが高まったとき、即ち地球上の生命として純粋になったとき、それは高まる>
らしい。

 熊楠本人もかなり純粋な人物であったようだ。それゆえに怒りっぽく、子供っぽく、喜怒哀楽の激しい人であった。権蔵という男が自宅の庭の横に高い建物を育てはじめたことがあった。熊楠は育てていたパルモゲレアの菌床に太陽が当たらなくなることに怒り、子分どもと供に権蔵宅に押し入り、大乱闘となったりする。
 また、日本の神社合祀のゆきすぎに対してロンドン大学の総長に是正をしてもらおうと手紙を書いたことがあった。外人に自国の恥じをさらしたと激怒した東大の白井教授は、熊楠に絶交するとの手紙を送る。これに反省した熊楠は頭を丸め、南方法蚓(ミミズ)と号した。この時になんと5歳の倅熊弥にも法蟹(カニ)と号させ、頭を丸めさせた。(この時の絵がなんとも好きだ)

 東大予備門に通っていた熊楠は、体操がいやだ、数学はいやだ、試験はいやだと言って、和歌山に帰って押し入れに閉じこもり、アメリカに行かせてくれと両親に言う。無事、渡米したのち、ロンドンに渡り、大英博物館に勤めながら『ネイチャー』誌に寄稿する。そこであの孫文とも知り合いになる。そしてまた、和歌山に戻り、生涯粘菌の研究に勤しんだ。
 昭和天皇に粘菌標本110点を進献したり、南方研究所ができたり、民間学者として世界的権威であった。そんな熊楠の最大の不幸は愛息、熊弥の発狂であったようだ。75歳での死ぬ直前に、熊弥の名を叫びながら息絶えた。

 巻末の解題で、荒俣宏(この人物も相当怪しいが)は言う。
<飯の心配にわずらわうことなく、学に遊び、しかも人に敬愛の情を抱かずにおかぬ者。…もちろん、理と識の妖怪は世界の諸相を理解するのではない。はじめから知っている(リテレート)なのだ。これぞ【能力】(リテレート)と断じてよい>

 粘菌を通して生命の神秘を探ろうとした南方熊楠。稀に見る純な男であった。

おすすめ度:★★★★

(2000.4.9)



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