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哲学は学ぶものではなく批評するものでもない。哲学はするものだ。著者はまちがいなく「哲学をする人」であり、「考える人」である。
ほっておけば考えてしまう。宇宙とは?無限とは?私とは?存在とは?どこかからの借り物の言葉ではなく、自力で考える。その贅肉のない考えにはドキリする。多くの人たちも昔から考えてきた。プラトン、アリストテレス、カント、ヘーゲル等。彼等もまた考える人たちであった。 そういう彼等は遠い存在ではない。同じ考える仲間なのだと認識させられる。そして、その生き生きとした言葉は、彼等の人間的気質まで迫る。精力家ヘーゲルに対し、病弱胃弱のカント。そして変人ヴィトゲンシュタイン。同じ普遍的なことを考えているにちがいないのだが、その考えに気質の差が出てくるのが面白い。 著者はヘーゲルがお気に入りで、読むきっかけとなったのは、<メルロ=ポンティが、彼を語るときのその魅力的な語り口に食指を動かされた>のだそうだ。著者の語るヘーゲルもなかなか魅力的だ。難解と言われるヘーゲルだが、同じように考えたことがあるなら、必ず「わかる」。逆にヘーゲルが何故そのような(難解な)言葉を使わざるをえなかったのか。ヘーゲルだって苦労してることがわかる。。。らしい。 古典を読むコツは、学術用語にとらわれないで、物語を楽しむように読め。ヘーゲル、カントを知りたければ彼等自身の書いたものを読むべし。。。とも言う。訳の善し悪しを超えて、魂に訴えてくるものをつかむのだ。 <学術用語によらない日本語の哲学の文章、あるいは、学術用語から話し言葉への二重訳、本書はそんな試みである>と著者が言うように予備知識は不要である。 人にたよらず、自力で考えていこうとする人にお薦め。きっと、仲間を見つけた!という感動はあると思う。 そうでない人にとっても、格好の哲学入門書になるに違いない。 おすすめ度:★★★★★ |
(1999.8.28)