〓 | 話してもわからないことがある。という解説。少しわかる、よくわかるとは違い、全くわからないことがあるのだ。それを「バカの壁」と著者は呼んでいる。人を動かすのも相手がどれくらいバカかというのをわかってなけりゃならない。脳が大きくなったおかげで、入力されたことに対して出力するだけでなく、自分で入出力をし、余計なことを考えるようになった。そして、身体を忘れていった。仕事が専門的になって入出力が限定される。十分寝て、無意識の時間をしっかり取りなさい。人の事を考えて自分の壁を壊しなさい等々。常に「人間であればこうだろう?」というのが著者の言う普遍的な原理。これは納得。 |
〓 | あの「井桁崩しの原理」を発見した甲野善紀が、さらにその技に磨きをかけ、タメをつくって動くムチのような動きではなく、<群泳する魚が瞬時に方向転換するように一瞬でザっと変わる体の使い方の感覚が得られた>そうである。甲野氏によると、体を宙に浮かせて体のいろんなところを同時に動かすのだそうだ。支えのない状態なので逆にタメの動きはできない。これについて、養老氏は、それは目であるという。耳とかは<単線の時間軸上をトントンと進む>が、目は同時並行処理であるという(百聞は一見にしかず)。そこから視覚の話となり、網膜には自分の血管が映っているのだが、完全に静止しているので、見えないというということに感心した。そして、身体を通して、感情をコントロールする話やら、日本人独特の考えやらに広がっていく。2人とも組織が嫌いらしく、養老氏は東大を止め、甲野氏はその活動において、段位や役職を作らない。どちらも共同体との境界線にたたずんでいるようだ。一種の品格はそこら辺りから生まれるのか? |
〓 | 再読。昔の武術、名人・達人の技が言葉で伝わりにくので、精神性を重んじるようになり、観念的になり過ぎでしまったこと。武「道」になってしまい、人格形成が第1となったこと。スポーツ化され、危険な技の練習はしなくなり、根性論になったことなど、「身」を忘れて「心」が重視され過ぎたことへの警告が本書のテーマである。その他、甲野氏の発見した「井桁崩しの術理」の紹介もいいが、いろいろなエピソードも面白い。畳の大きさは、あの織田信長が決めたらしい。平時には敷いておいて、いざという時には持ち上げて盾にするんだそうだ。(2000.11.26) |
〓 | かつてソニーは「普通」でなかったと元社員の著者は言う。普通になった原因の1つが、入社したい企業の上位になったこと。これで一流大学の学生が入社するようになり、生意気な優等生が増え、異端児を赦さない普通の企業になった。またアメリカに迎合するような風潮にもなった。かつて大崎工場で物つくりをしていたソニーが、いつの間にか社外に委託するようになった。また製品作りにおいて、機能を詰め込むことを良しとする<機能価値>が優先され、<使用価値>がないがしろにされて来たことが、ソニーの製品が面白くなくなった原因だとも言う。かつては本気で超能力を研究していたエスパー研究所なるものがソニーにあったというのは驚いた。 |
〓 | 横溝正史のレアな家族小説。金田一シリーズの探偵小説を書く前に、1941年に新聞小説として発表された。しばらく単行本にはなってなく、2018年に単行本化され、2022年に文庫本化された。三上延の『ビブリア古書堂の事件手帖U』では、この本を題材にしたミステリとなっていて、それを読んで本書の存在を知った。文庫本になっているのはわかったが、本屋にもなかなか置いてなく、難波のジュンク堂書店でようやく見つけて買った。上諏訪の有力者の娘・有爲子は、婚礼直前で破談となった。母はすでに亡くなっており、父親が実の親ではないことがわかったのだ。やがて育ての父も亡くなり、実の父を探しに東京へ行く。その後、「おしん」のように度重なる不幸に見舞われていくので、どうなることかと読み進めてしまう。戦時中の小説で、馬まで出征していく様子や、画家の生活ぶりも面白い。 |
〓 | 横溝正史のジュブナイル小説の1冊。主人公は立花滋少年。金田一耕助の一番弟子。仲間の少年が2人。村上達哉と小杉公平。彼らが横溝流の少年探偵団だ。対するは金色の魔術師。次々と少年少女を生贄としてさらっていく。そして、頭の狂った赤星博士に謎の杉田画伯。立花少年の後ろ盾には等々力警部。師匠の金田一耕助も登場するぞ。数々のトリックも、本当にそれで?って感じはするが、微笑ましい。物語の展開も良く、少年物のワクワクドキドキ感は味わえる。トリックの説明の挿絵、金田一耕助が立花少年に送った手紙(自筆??)の挿絵も楽しい。 |
〓 | プロゴルファー横峯さくらは、小柄ながら独特なスイングでかっ飛ばす。日本で賞金王になり、現在アメリカツアーに参戦中だ。その横峯さくらが日本で絶頂の時、日曜日試合が終わると家に帰り、直行していたのが新宿2丁目だったとは驚きだ。有名になるにつれ注目されゴルフが嫌いになったようである。結婚を機に引退をしようとしていたらしい。ところが結婚をした後(結婚相手はメンタルトレーナー)、海外嫌いが主戦場を海外に移し、ゴルフが好きになり、積極的に自分を出すようになったという。リラックスできる相手であれば、1人の時間も必要なくなったそうだ。犬を飼ったことも生活にメリハリができたと言う。アメリカツアーはハードであるが、ずっと続けていつか優勝してほしいと思う。 |
〓 | 投資顧問会社という非常に怪しいところにアルバイトに行った女子大生の沙耶は、理想の中年男、ぼぎちんに出会う。そして、沙耶とぼぎちんとのバブルな生活が始まる。法律すれすれのことをしながら、金もうけをし、一喜一憂するぼぎちん。そしてその金で何不自由のない、退屈な日々を送る沙耶。沙耶はそんなド暇な生活が嫌になっていく。コミカルで軽いタッチがいい。福田和也は『作家の値うち』の中で、日本の文学史に残るものだと絶賛している。 |
〓 | NHKのテレビドラマでもやってましたね。波瑠主演で。台湾で日本の新幹線を走らせるというプロジェクトを描いた物語。車両は日本製だが、軌道・システムはドイツ・フランスの欧州連合、取りまとめは台湾高鉄が行った。最高時速300km/h、台湾の北から南まで90分で行ける。主人公多田春香が、学生時代に出会った台湾人。阪神大震災、台湾での震災、を経てお互いの進路が交わっていく。その他、仕事を進めていく上での几帳面な日本人とおおらかな台湾人のぶつかり合い、そして台湾で生まれた日本人も多くいた事など、面白く読めた。昔台湾に出張に行った時の台北の街は、野良犬のいる難波、って感じやったのが思い出される。行ったことないけど、田舎町もなかなか良さそうだ。何か懐かしい、そして活気があるのはこの本でも充分感じられた。「路〜台湾エクスプレス」の第2話、第3話、うまく録画できてるかな。 |
〓 | 看護婦で幽霊のガングロ娘。未来からやってきた変なヤツ。その名を「あじゃ」という。怪我をして109病室に入院した尚紀は、その「あじゃ」にあと30日の命と告げられる。死ぬ運命を変えたいと思うところであるが、最後は自ら進んでその運命に飛び込んでいく。これは、あじゃによって未来を見せられたことが、1要因ともなって、なんか複雑な心境になるが、それでよかったのかな、と思わせる。未来を知って絶望し、そのまた未来を知って運命を悟る。哀愁ただようホラー。テンポよく、読みやすくて、おもしろい。 |
〓 | iレディのi は、internetのi 、installedのi 、immoralのi である。つまり iレディとは、ネット上の、インストールされた(いわゆるプログラムであるということ)、ふしだらな淑女って訳だ。その名は松本リカ。中年の男が「ネットかま」となり、掲示板で男をたぶらかす。その中年の男も最初は意識的に松本リカになって楽しんでいたが、最後には知らないうちに、松本リカに変身してしまう。つまり脳に松本リカのプログラムをインストールされたって訳だ。脳にインストールされるのが、ワードやエクセル?、いやいや辞書ならかまわないが、松本リカとなると、単なる二重人格。それもいいかもしれんが、プログラムを起動させるのは自分自身の意志でやりたいものだ。 |
〓 | 読み始めてすぐにつぐみに魅せられてしまった。布団のなかですべてを知ってしまったつぐみ。とんがってるねえ。戦ってるねえ。かわいいねえ。からだがめちゃめちゃ弱く、いつも熱があって、ハイ状態にある。自分を掘り下げ過ぎて、あがくつぐみ。気力だけでどこまで突っ走れるのか。突き抜けたようなつぐみのたまにぽつりという言葉、こころにしみます。 |
〓 | この本の最後の解説で<…この本のなかにもう一つ「癒し」の法則がでてきます。それは「独り」を掘り下げるということです。これは究極の「癒し」です。…>というのがでてくる。また『とかげ』のなかで、精神科医の「わたし」は<患者を本当に助けたかったら、患者にシンクロしたり、共鳴したりしてはいけない。>とも言う。理解はするが、同情はしない。他人の踏み込めないところには、同情せず、理解することこそ大事。という法則を守りつつ、他人と関わりをもつのが理想と思う。孤独を認識しつつ、人と共鳴する。しかし、そういう状態は少ないと思う。変に感情をおしつける人はちょっとしんどい。 |
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<いつか死ぬ時がきたら、……私はおびえずにちゃんと見つめてたい>家族がどんどん死ぬと「死ぬ」ことを抜きには考えられない人生となる。「死ぬ」ことが前提にあっての人との関わりの持ち方。いつかはなくなるからこそ、今をせいいっぱい生きたい。若者らしい、いい小説だった。かつ丼を届けに行くところなんかが特によかった。<上下スウェットスーツという恐るべき民族衣装>には笑った。 『ムーンライト・シャドウ』これも<いつも死を感じて、生きていたい>吉本ばななだ。愛する人を失い、<しぼんだ心にはりを持たせる手段>としての、ジョギング、セーラー服。自分で自分を支える為の手段。自分の心に決着をつける。こういうのは女の子の方がうまいのかも。 |
〓 | サブタイトルは『日中「文明の衝突」一千年史』。のっけからぶっ飛ばされる。世界で一番進んでいるのが中国で、日本はこれから中国化していくのだという。グローバルでスタンダードな社会というのが、自由競争社会であるなら、それは既得権益のない開かれた社会であり、中国は今から1000年以上も前の「宋」の時代に貴族制を全廃し、自由競争の社会となった(ただし政治は皇帝独裁の一極支配)。日本が何故遅れているかというと、居心地のいい江戸時代に戻りたがっているから。不自由であるが、安定している。でもこれからは、江戸時代のように鎖国して日本の中だけで成り立っていける状態ではないので、そうもいかないよ、ということを警告している。なかなか刺激的な内容の本。 |
〓 | 著者の與那覇潤も『ニッポンのジレンマ』の出演メンバーだ。独特のトーンで冷静に語る。本書も冷静な分析によるシニカルなもんかなと思ったが、けっこう未来へ向かってのメッセージが読み取れた。元々の日本人とか、昔から日本のものであるということがいかに怪しいものあるかがわかる。日本人とは誰のことか。その定義は時代によって変化する。今後どのようなことが起こり、どのようにとらえるかによって変化していく。それは再帰的なものであるからと彼は言う。再帰的なものであるがゆえに、書き換えられていく。ということは、今後私たちがよりよく基準を作っていける、というのが著者のメッセージだ。タイトルにある、<日本人はなぜ存在するか>という問いの答えは?? |
〓 | この世に生まれるのが自分ではなく、別の人物であったら。世界はどのように変わったのだろうか。というパラレルワールドを題材にした小説。それが、自分の生きている世界よりもよりいいものであったら。家族はもっと幸せで、長生きしていたら。自分が存在することで、回りがと不幸になっている。ということは、自分がボトルネックになっている?ということを見せつけられる、イヤーな小説。ではあるが面白い。 |