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■ モーガン・マルロ  ミュータント・メッセージ  角川文庫

 貴志祐介『クリムゾンの迷宮』でも舞台となったオーストリアのアウトバック(内陸部)をアメリカの白人女性が先住民族のアボリジニ部族とともに旅する。<真実の人>と呼ばれるアボリジニたちに触れて、目からウロコというお話。彼等はゴミを出さない。道中の獲物を無駄なく食う。人食いの部族もいるが、食べるだけしか殺さない。自身も死んだあと、土に帰るのを喜びとする。永遠の魂を信じる彼等には個人主義もなければ、恐怖心もない。なるほどと思ったのは、彼等は誕生日が来たからといって、祝うことがない。祝うのは自らが成長したと言えるときにだけ、その時を告げ、皆で祝う。確かに成長しとらんのに年がきたからめでたいってこともないな。ミュータントというのは、もちろん文明人のこと。


■ モーム・サマセット  月と六ペンス  新潮文庫

 タイトルの「月と六ペンス」はどこから名づけられたのかと思いつつ読んだが、よくわからなかった。しかし、とんでもなく面白く、胸にグサリときた。妻も子もある40過ぎの男が、突如として、絵描きになると言って家族を捨てる。世俗を捨てて、出家するようなもんか。彼の描いた絵は、大変高く評価され、天才と呼ばれるようになるが、本人はその才能をわかっていたのか。心の底から絵をかかなくちゃならない、というどうしようもない思いが湧き出たということが、その才能の証なのか。その執念のようなものが、素晴らしい絵として表現されたのか。最後は悲惨な死を迎えるが、見方によっては素晴らしい最後であったのかもしれない。やりたいことをやり切った人間、羨ましくもある。


■ 茂木健一郎  脳と仮想  新潮社

 結局、著者の言う「クオリア」とは、量ではなく、質のことである。となれば考えてしまうのが、量と質の関係である。本書のテーマからはチト外れるが、量が変われば、質も変わる、ということ。一定量を超えると質も変わるのだ。面の凹凸も大きければうねりとなるし、小さければザラザラとなる。もっと小さければ滑らかということになる。ということは、量と質の間には相関があって、感覚が鋭くなれば、少しの量の変化でも質の違いとして感じられる。そこには個人差があるにしても、共通に感じられると思われることがあるのが面白い。本書の仮想のテーマで言えば、実際に起こった過去を思うのと、実際に起こってはいないが、小説などを読んで体験するのは、<仮想>ということで同列に語られているのは面白い。そしてその体験したこと(フィクションも含めて)を思い、未来を思う<仮想>が現実の生活に潤いと力を与えるのだ。また、<思い出せない記憶>の考察も面白い。人には思い出せない記憶の方が多く存在する。生まれる前の記憶も含めて、なんらかの共通感覚がある理由は、記憶というよりもOSのイメージ近い。


■ 森慶太  乗れるクルマ 乗ってはいけないクルマ  王様文庫

 <クルマ選びの究極は買わないこと>と著者は言う。クルマに限らず、物が売れない理由の1つは、買いたいものがないからだ。著者が言う乗ってはいけないクルマは、ベースは同じで、見かけだけ流行を追ったもの。ワゴン車が流行れば、形だけワゴンにして、全体のバランスが崩れたもの。そういうメーカーのやっつけ仕事(共通部品化によるコストダウンともいう)色の強いものだ。そういうクルマは長く乗れない。バブルの頃ならまだしも、今の時代、気合いの入っていないものは売れない。市場調査に振り回され過ぎではないか。メーカーの人間が欲しくないものは、作るべからず。著者が若く(1966年生まれ)、いわゆる大御所ではなく(しがらみがない)、また走り屋っぽくない(スピード重視ではない)のもいい。


■ 森博嗣  冷たい密室と博士たち  講談社文庫

 そういや、こういう理科系の人間が主人公の小説ってのはあんまり読んだことがないなあ。まあ、それが新しいってことなんか。1作目の『すべてがFになる』ほどの面白さには欠けるが、それなりにおもしろい。前半が少々長い気がせんでもないが。犯罪者の論理的で理知的であることと、動機の感情的な部分のギャップが理系の人間らしい。言葉に出さない分だけ、どんな気持ちでいたのかがよけいに気になる。


■ 森博嗣  すべてがFになる  講談社文庫

 おもろかった。いわゆる密室殺人。飽きずに読ませてくれる。登場人物はけっこう飛んでるヤツが多い。天才プログラマの真賀田四季が言う。<そもそも、生きていることの方が異常なのです。…死んでいることが本来で、生きているというのは、そうですね…、機械が故障しているような状態。生命なんてバグですものね>に続いて、<…眠ることの心地良さって不思議です。何故私たちの意識は、意識を失うことを望むのでしょう?意識がなくなることが、正常だからではないですか?眠っているのを起こされるのって不快ではありませんか?…生まれてくる赤ちゃんって、みんな泣いているのですね。生まれたくなかったって…>。こいう考え方には引かれる。それとこの本を読んだおけげで、フォントの色、<999999>と<ffffff>の間の色の指定ができるようになった。これはうれしい。っつうか今まで知らんかった。9の次は a だったのか。。。(^^;。


■ 森見登美彦  竹林と美女  光文社文庫

 何が美女じゃ、何が竹林じゃ。あ〜バカバカしい。真面目に読んではいけない。竹林の何たるかを知ろうとしてはいけない。ましてや、美女との関係に期待してもいけない。えんえんと著者のグタグタと妄想が続く。それが面白くないかと言えばそうではない。このぐたぐたが好きか、好きでないかで大きく左右される。もちろん私は好きだ。が、ちょっとしつこいか。何やらあの哲学者、土屋賢二がダブってきた。


■ 森見登美彦  夜は短し歩けよ乙女  角川文庫

 コイツは面白い。さすが山本周五郎章受賞だ。さすが本屋大賞第2位だ。なんと言っても女子大生の主人公のキャラがいかす。学生生活でのいろんなオモチロイことに積極的に挑んでいく。それに思い世寄せるクラブの先輩のずっこけぶりもいい。想像以上にハチャメチャで、筒井康隆のSF小説を思い出す。女子大生・<黒髪の乙女>と、クラブの<先輩>の交互の語りで物語は進む。地に足をつかない生活をしたおかげで、空中浮遊を可能にした自称天狗の樋口くんのキャラもいい。どうでもいいが、一体彼らは何クラブの先輩・後輩なんだろうか。最後までよくわからんかった。必殺技<おともだちパンチ>も可愛い。


■ 森村誠一  老いる意味  中公新書ラクレ

 アプラのTSUTAYA書店がオープンした。目に留まったのが、森村誠一の本。ペラペラめくってみると、現在88歳とあった。ああ、元気でやってんだなあと思った。角川映画になった『人間の証明』、そして薬師丸ひろ子と高倉健の『野生の証明』が思い出される。『青春の証明』は映画になったんかな?『高層の死角』も面白かった。老人性うつ病にもなったようであるが、今は写真俳句などで人生を謳歌している。60代になったら人生の<続編や、エピローグのつもりではなく、「新章」にすればいい>というのはいいですね。


■ 諸星大二郎  暗黒神話  集英社文庫

 現代に甦るヤマトタケル伝説。神話の本当の姿はなんであったのか?【馬の首】暗黒星雲が引き起こしたものであったのか?古代神話を現代に再現させようとする武内宿禰は、タイムカプセルで1600年以上の時を超えて登場する。現代のヤマトタケル、武は56億7千万年後の地球に現われたのか。最初にでてくる手のもげたタケミナカタの怪物に驚かされ、タイムカプセルで蘇りそこなた弟橘姫にぞっとした。出雲神話から太陽の終わりまで、壮大な物語である。ところで、馬はという生き物は昔から世界中で神聖視されていたらしい。ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァ旅行記』で理想の国としたのも「馬の国」であったことを思い出した。


■ モンゴメリ  アンの青春  村岡花子訳 新潮文庫

 16歳のアンは小学校の教師となる。そこで出会う生徒たち、特にポール・アーヴィングは変わった子だった。その他、ダイアナはじめ、<山彦荘>のミス・ラベンダーとシャーロッタ4世、マリアが引き取った双子のこども、デイビーとドーラ、ジンジャーというオウムを飼っているハリソン氏などが登場する。アンの個性もいろんな人たちに認められていく。そしてアンはギルバートとともに大学に行くことにする。


■ モンゴメリー  赤毛のアン  村岡花子訳・文 少年少女世界の名作文学15 アメリカ‐6 小学館

 現在NHKの連続テレビ小説で『花子とアン』をやっている。訳者の村岡花子の生涯だ。この『赤毛のアン』を読んでいると、主人公アン・シャーリーと『花子とアン』の「はな」がダブってくる。アンがマリアとマシュウの家に引き取られたとき、道行く景色にいろいろ名前をつけたり、<「わたしをコルデリアと呼んでくださらない?」>と言ったり、果樹園の丘にいるダイアナ・バーリーを<腹心の友>と呼んだり、ライバルの男の子、ギルバートの頭で石盤を叩き割ったり、ワインをたらふく飲ませたり(ここはアンが飲むのではなく、いちごジュースと間違えてダイアナに飲ませてしまう)とか、アンと「はな」はほとんど一緒だ。空想好きで生意気なアンであるが、大人をそれなりに納得させてしまう。<努力のよろこび>をわかったアンは、大学入試の結果を待つ時も<いっしょうけんめいにやって勝つことのつぎにいいことは、いっしょうけんめいにやって落ちることなのよ>と言う。しかし、親代わりであったマシュウの死により、大学に行くことを止め、マリアと一緒に住むことを選ぶ。そして作者はこう結ぶ。<道がせばめられたとはいえ、アンは、しずかな幸福の花が、その道にずっと咲き乱れていることを知っていた。…なにものも、アンは生まれつきもっている空想と、夢の国をうばうことはできないのだった。そして、道には、つねにまがりかどがあるのだ。「神、天をしろしめし、世はすべてよし。」とアンはそっとささやいた。>。空想によって、どんなときも常に前向きに自己をコントロールできるアンの才能と覚悟は凄い。


■ 門馬忠雄  外国人レスラー最強列伝  文春新書

 ルー・テーズ、カール・ゴッチ、うれしいな。フレッド・ブラッシー、ボボ・ブラジル、フリッツ・フォン・エリック、うれしいな。ディック・ザ・ブルーザー、ジン・キニスキー、ブルーノ・サンマルチノ、ディック・マードック、ウィレム・ルスカ、ビル・ロビンソン、うれしいな。ジプシー・ジョー、微かな記憶。大木金太郎、うれしいな。みんな好きなレスラー達だ。著者は馬場派で、アンチ猪木。そしてテーズ派で、ゴッチ嫌いだそうだ。嫌いの理由が<幾何学的なゴッチのファイト>というのが面白い。白覆面の魔王、ザ・デストロイヤー、スピニング・トーホールドでジン・キニスキーを破り、NWA王者になったドリー・ファンク・ジュニア、千の顔を持つ男、ミル・マスカラスもあったらよかったのになあ。




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