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■ 村上知行訳  完訳 西遊記(下)  教養文庫

 唐のみやこの長安を出て14年目。ついに天竺、インドにたどり着く。三蔵一行はなんとか5048巻の経典を手にいれることができた。すぐさま長安に経典を持って帰るも、すぐにインドの雷音寺に逆戻り。そして三蔵、孫悟空、猪八戒、沙悟浄は如来から仏号を授けられた。孫悟空の頭にはめられていた緊箍児の輪もなくなった。訳者の村上知行は<これがこの物語の結末であろう。よしんば原作者は、そうだ、とも思うまいが!>と締めくくる。原作はどうなんであろうか。訳者のあとがきによれば、<世界文学史上に滅多にない奇想天外のものがたり>と言いながら、<よほどの閑人が、よほど辛抱して読むのでもないかぎり、全篇を通読することはできないだろう>なんてことをおっしゃている。もっと省きたかった、とも言う。確かに悟空も三蔵の弟子になるまでの方がエキサイティングだ。猪八戒、沙悟浄が揃ってからの数々の妖怪退治は少々ダレる(悟空、コネ使い過ぎ)。その辺りの裏話や原作者の呉承恩の話も面白かった。


■ 村上知行訳  完訳 西遊記(中)  教養文庫

 インドへの旅の最中、いろんな妖怪が登場し、三蔵を食おうとする。それらの妖怪に立ち向かう孫行者(孫悟空)は三蔵法師の弟子になる前は、「斉天大聖」と名乗り、天界で暴れまくっていた。猪八戒は、「天蓬元帥」と名乗り、天の川の管理を行っていた。沙悟浄は「捲簾大将」と名乗っていた。それぞれがブイブイ言わせていた訳だ。ということで、コイツらもかなりの実力の持ち主であるが、それに加えて、天界、地界、水界の神たちに顔がきくのが強い。特に孫行者は、その当時の暴れっぷりが凄く、あの時のアイツか!てな具合である。自分で太刀打ちできない時は、そのコネで応援を求める。なかなかのやり手だ。妖怪もコネを大切にしている。


■ 村上知行訳  完訳 西遊記(上)  教養文庫

 ご存じ、西遊記の完訳版。訳は村上知行。以前にこの人の訳で『水滸伝』を読んだが、読みやすかった覚えがある。今回の『西遊記』も読みやすい。三蔵法師に付き従う、孫悟空、猪八戒、沙悟浄。それぞれが暴れもので、「邪を改め、正に帰す」ってことで、この順番に三蔵の弟子になっていく。主役やはり孫悟空。花果山で石の卵から産まれた。黄金に輝く目を持ち、猿の中の王となり、「美猴王」と名のる。そして、須菩堤老師について修行をし、「孫悟空」の名を与えられる。「孫」は猿の俗名からとったもので、「悟空」とは、<「空を悟る」つまり宇宙と人生の根本原理を悟る、という意味なのじゃ>ってことである。その後、孫悟空は自ら「斉天大聖」と名のり、暴れ巻くっていたが、如来によって五行山に閉じ込められる。三蔵法師の弟子になったのはその後のことである。ところで、猪八戒だけが、名前に「悟」という字が入っていない。これは、元は「猪悟能」という名前だったが、精進を破ることがないようにと、「八戒」という号を三蔵から与えられた。それにしてもこの猪八戒、元は「天の川」の管理人だったとは驚く。


■ 村上春樹  色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年  文春文庫

  色彩を持たないというのはどういうことか。多崎つくるは、色彩を持った人たちに囲まれていた、ということだった。もっと言えば、個性やなんやではなく、名前に色が入っていたのだ。赤松、青梅、白根、黒埜というのが、高校時代の親友の名前だ。多崎は自分には個性がない、と解釈してしまう。その彼らに突然絶縁されてしまう。長年つらい思いをしていたが、現在の彼女に促され、その理由を確認する為に彼らに会いに行く。驚くような理由でもあり、彼らも実は多崎を悪く思っていないこともわかった。そして逆に?現在の彼女に新しい男の影が見える。最後まで答えは出ないが、進むべき道を心に決める。


■ 村上春樹  1Q84 BOOK3<10月−12月>前編、後編  新潮文庫

  タイトルに合わせて12月に読了しようと思っていたが、1月までかかってしまった。で、それで終わり?って感じもする。なんか普通に終わったけど。いろんなものを残したまま、純愛小説として完結した。1Q84年の不思議な世界、謎の宗教団体の行く末は?そして名脇役、しつこ〜いNHKの集金人はどうなったんだろう。読みどころはタマルと牛河の対決。


■ 村上春樹  1Q84 BOOK2<7月−9月>前編、後編  新潮文庫

  1984年ではない、1Q84年の世界。それはふかえりと天吾が描いた小説『空気さなぎ』の世界であった。殺し屋・青豆は宗教団体<さきがけ>のリーダーを殺し、自分を犠牲にして天吾を救おうとする。行方不明となったふかえりは、天吾に匿われる。リトルピープルが鹿の死体からゾロゾロ出てきて、空気さなぎをつくる。空には月が2つ。すっかり1Q84年の世界につつまれる。青豆と天吾は互いに強く求め、青豆は天吾を間近に発見するが天吾にはわからず、1Q84年からの脱出を試みるが失敗に終わる。気になるのは、青豆の依頼人である老婦人と用心棒のタマル、そして新しく登場した牛河の存在だ。


■ 村上春樹  1Q84 BOOK1<4月−6月>前編、後編  新潮文庫

 <青豆>という名前でもうすでに村上春樹の世界だ。小説家・天吾と殺し屋・青豆の物語が並行して進んでいく。小説家・天吾は、<小松>という編集者、<ふかえり>と呼ばれる少女と<空気さなぎ>という小説。青豆は謎の老婦人と警護の<タマル>、そして男あさり仲間の女性警察官と。そして徐々に彼らの共通項が明らかになってくる。それが<さきがけ>と呼ばれる宗教団体。その他、月が2つある世界とか、非日常の世界を描きながら得意な不思議世界に誘ってくれる。


■ 村上春樹  海辺のカフカ (上)(下)  新潮社

 あいかわらず疲れた心でも読める。これはやはり日常の雑多ことからトリップできるからだろうと思う。ジャンルで言えばSFなんやろうな。物語そのものが象徴っぽいので、「神話」ということになるのかもしれん。。象徴的には親殺しで、一人前の男になる。いや、世界一タフな15歳になろうとする田村カフカ君。並行して語られるナカタさんと星野君の物語がどういう意味をもつのかはよくわからない。文学と音楽とSEXがほどよく、お洒落に(あざとく)ミックスされているのはいつものことだ。(動物で言えばイルカだ)。


■ 村上春樹  うずまき猫のみつけかた  新潮文庫

 村上春樹、19993年〜1995年のケンブリッジ滞在記。読みやすい。外国である、ってことに気負いがないのがよい。まあ、本人も本書では気楽に書こう、てな感じで書いたらしいが。というかもともと村上春樹やし。「小確幸」を見い出すことの名人が語る「外国の日常」。村上陽子(春樹嫁)の写真(猫が多い)と安西水丸の絵付き。


■ 村上春樹  神の子どもたちはみな踊る  新潮社

 『地震のあとで』と題された6つの連作。それぞれの主人公があの神戸の地震の体験を持つ。地震の後、出て行った妻、『UFOが釧路に降りる』。神戸に妻子を残して来た男、『アイロンのある風景』。焚き火の火を自由にすることができる。神様のお使いのボランティアで神戸に行く母親、『神の子どもたちはみな踊る』。神戸の地震で男が死ぬことを願う女、『タイランド』。誰もいないプールで泳ぐのも気持ちよさそうだ。東京の地震を阻止しようとするかえるくん、『かえるくん、東京を救う』。地震のおじさんを恐がる子ども、『蜂密パイ』。淡く、苦く、静かに甘い。


■ 村上春樹  パン屋再襲撃  文春文庫

 『パン屋再襲撃』。パン屋が開いてなかったので、マクドナルドを襲撃する。『象の消滅』。飼育係の名前は渡部昇。『ファミリー・アフェア』。妹の恋人の名前が渡部昇。『双子と沈んだ大陸』。共同経営者の名前が渡部昇。なんか主人公以外の男はみんな渡部昇って感じだ。笠原メイも出てくるが、『ねじまき鳥…』とは別人のようだ。『ローマ帝国の崩壊・1881年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界』。タイトルが長い。『ねじまき鳥と火曜日の女たち』。これまた、『ねじまき鳥のクロニクル』の1部ではないか。やられた。


■ 村上春樹  スプートニクの恋人  講談社

 <ぼくは目を閉じ、耳を澄ませ、地球の引力を唯ひとつの絆として天空を通過しつづけているスプートニクの末裔たちのことを思った。彼らは孤独な金属の魂として、さえぎるものもない宇宙の暗黒の中でふとめぐり会い、すれ違い、そして永遠に別れていくのだ。かわす言葉もなく、結ぶ約束もなく>。ギリシャでミュウが遊園地の観覧車に閉じ込められ(こちら側の自分)、そこから自分のアパートを覗き、もう一人の自分自身(あちら側に自分)を見るシーンはなかなかいい。(そして翌日助けられた時には、髪の毛が真っ白になってしまっていた)。自分一人では、あまりにも孤独だ。他人と関わりたいのだが、関われない。唯一つ、あちら側の世界でしか関わることができなきないのか。関わることがいいのかどうか、そして何が正しいことなのかを模索しているようだ。


■ 村上春樹/河合隼雄  村上春樹、河合隼雄に会いにいく  新潮文庫

 日本におけるユング心理学の研究を確立した河合隼雄との対談。他人と関わること(コミットメント)について、癒しについて、小説家になって何故、日本を離れたか、そして小説家として今後やるべきことなどが語られる。河合隼雄は言う。<夫婦が相手を理解しようと思ったら、理性だけで話し合うのではなくて、「井戸」を掘らないとだめなのです>。あえて言えば、苦しむ為に結婚する、のだそうだ。逆に、こんな面白いものはないとも言うのであるが。『ねじまき鳥クロニクル』を書きおえた直後ぐらいに対談したもので、その解説書としても読める。


■ 村上春樹  蛍・納屋を焼く・その他の短編  新潮文庫

 『蛍』。これはもう『ノルウェイの森』の一部分。こっちを先に書いて、そのまま『ノルウェイの森』に使ったような。微妙に変えてるが。『納屋を焼く』は、納屋が焼かれたそうにしてるから焼くという話。『踊る小人』は、踊る小人が僕の体をのっとろうとする話。象をつくる工場というのが面白い。耳休暇もいい。『めくらやなぎと眠る女』の僕と耳の悪いいとこの関係がなんとなくいい。『三つのドイツ幻想』は、わけわからん。


■ 村上春樹  ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編  新潮文庫

 新しい登場人物。赤坂ナツメグ。シナモン。綿谷ノボルの秘書、牛河。そして、間宮中尉の満州での思い出に登場する、皮剥ぎボリス。満州の話の中では、羊が登場する。軍人の防寒用だ。この辺りは『羊をめぐる冒険』を思い出す。逃げ出した猫(ワタヤノボル)が帰って来た。そして、僕は妻のクミコを救出することに自分の存在理由を見つけたようだ。最後のクミコとの暗闇での再会も、何やら『羊…』の鼠との再会を彷彿させる。最初の暗闇での出会いの時はそれと気付かずに逃げた。その時に出来た痣は、今回クミコを連れ出そう、と戦ったおかげで消えた。そして、クミコ自身も決着をつける。遠くにいながら、僕のことを気にしてくれる、笠原メイが妙にいじらしい。


■ 村上春樹  ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編  新潮文庫

 僕=岡田享=ねじまき鳥は、近くの荒れはてた民家の井戸に入り、思索する。と思ったら、加納クレタも井戸に入る。と思ったら、笠原メイも井戸に入った。なんやかんや言いながら、みんな井戸に入ってみたいんやなあ。妻は出ていき、妻の兄の綿谷昇は選挙に出る。加納クレタは、クレタ島に行き、笠原メイは学校に戻る。僕はと言えば、現状から逃げ出せない、と悟り、クレタといっしょにギリシャに行くのは止めた。しかし、なんか笠原メイがさかんに言う「かわいそうな、ねじまき鳥さん」という言葉が印象に残る。。。さて、第3部へ突入だ。

■ 村上春樹  ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編  新潮文庫

 短編集『TVピープル』にも出てきた、水の研究家・加納マルタ、クレタ姉妹の再登場だ。それに近所に住む笠原メイ。妻の兄の綿谷ノボル。そして間宮中尉は、満州での井戸の思い出を語る。なにやら面白そうだ。第2部へ続く。。。


■ 村上春樹  国境の南、太陽の西  講談社文庫

 <僕という人間には、僕の人生には、何かがぽっかりと欠けているんだ。…そして、その部分はいつも飢えて、乾いているんだ。…それができるのは世界に君一人しかいないんだ>。女房がいて、子供がいて、何不自由ないと見える主人公のハジメは、少し足の悪い幼なじみの女性(島本さん)がいつまでも忘れられない。彼女と再会し、心から癒される。一度は全てを捨ててしまおうと思ったが、彼女は消えてしまう。そしてまたやり直そうとするが、こころにはぽっかりと空白が。。。まあ、あのままいってりゃ、火宅の人。そうはならんのが、村上春樹。外見は奇麗なままだ。しかし、みんな乾いているのか?


■ 村上春樹  ダンス・ダンス・ダンス(上)(下)  講談社文庫

 面白かった。『羊をめぐる冒険』の続編ともいうべきか。僕は再び「いるかホテル(ドルフィンホテル)」を訪れる。そこで待っていたのは、僕自身の部屋であった。そこでは皆が僕のために泣いていた。<あなたが泣けないもののために私たちは泣くの>と夢の中であの耳のモデルであったキキは言う。生きていく意味なんてものはない。しかし、僕は羊男に言われたようにダンス・ステップを踏み続けた。僕が現実に踏みとどまることができたのも、僕のかわりに泣いてくれる人が居て、激しく求められる人が居て、心からリラックスできたおかげであろう。春樹流こころの旅はつづくのか?


■ 村上春樹  ノルウェイの森(上)(下)  講談社文庫

 これも一種の続きものかな。『1973年のピンボール』にも青春時代の記憶の断片として出てきた直子。そしてその彼女はすでに死んだ、とあったが、その詳細ってことかな?僕(ワタナベ)と直子、そして緑、そしてレイコの物語である。友人(死んでしまう)の彼女であった直子を好きになるが、直子は精神的に弱く、ある施設のようなところに入る。年上のレイコはそこでの直子の精神的支えでもある。僕は直子に思いを寄せながらも、緑という活発な女の子にひかれる。けっこう3人の女性はすすんでて、大体において寛容な僕(ワタナベ)は3人の女性に振り回されっぱなしという感じがしないでもない。多くの女性が求める男性像なんかな?周りにこういうすすんだ女性が1人ぐらいいてもいいとは思うが、3人ともなると手紙を書くだけでも大変だ。赤と緑の単行本で出たときは、まさかこの本を買って読むとは思わなかった。


■ 村上春樹  1973年のピンボール  講談社文庫

 村上春樹の2作目。これまた青春時代の思い出。『風の歌を聴け』の最後では僕が29歳で、小説を書き続けている鼠が30歳になったのであるが、また過去に戻る。29の時には結婚していた僕は、ここでは翻訳の仕事をしながら、双子の姉妹と暮らす。鼠は大学をやめている。2人は700km離れて暮らしている。20代半ばのお話しである。鼠はジェイズ・バーに通っているから、関西で、僕は東京に住んでいるのかな。ジェイズ・バーで3フリッパーの「スペースシップ」というピンボールに出会い、その後僕はそのピンボールに夢中になる。1970年の頃である。1973年になり、僕はピンボールを思い出す。昔のゲームセンターはとうに壊されおり、ピンボールの行方を追うことになる。そしてついに、その「スペースシップ」を見つける。その頃鼠はジェイズ・バーのある街を出ていき、僕といえば双子と別れることになる。ピンボールのウンチクは面白かったが、どうもつかめん。次の『羊をめぐる冒険』で鼠が出てきたはずだ。う〜ん、やっぱり順番に読んでいけば良かったか?もう一度『羊…』を読んでみるかな。


■ 村上春樹  風の歌を聴け  講談社文庫

 1949年1月12日、芦屋市生まれ。神戸高校、早稲田大学文学部演劇学科卒業。と言うことは、今年で51歳。1979年、処女作『風の歌を聴け』で群像新人賞を受賞する。村上春樹30歳の時だ。村上春樹のルーツがここにあるかなと読んでみた。<正直に語ることはひどくむずかしい>。これはよくわかる。飛び降り自殺をしたハートフィールドなる作家に文章を学んだ、とある。彼は言う。<誰もが知っていることを小説に書いて、いったい何の意味がある?>。本を読まない鼠が小説を書くようになる。彼自身が鼠なのかもしれない。そして、誰も知らないことを書きたいのかもしれない。全然見えてこないが。。。2作目(『1979年のピンボール』)読めばわかってくるかな?Aはアメリカ、Bはブラジル、Cはチャイナ、Dはデンマーク。これは、なかなかいける。


■ 村上春樹  世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド  新潮社

 <「私の心をみつけて」しばらくあとで彼女はそう言った。>自らの影と切り離された壁の中の住民は、心を持たない。その世界は、憎しみもなければ、愛情もない。その世界とはいったいなんなのか?一見平和に見える不死の世界。私と私の引き裂かれた影は、その世界から脱出しようと試みる。『世界の終わり』と『ハードボイルド・ワンダーランド』という2つ章が交互に進んでいく。ソフトタッチの不条理であるが、じわっと恐ろしさがにじみでる。ありえない世界であるが、ありそうな世界。遊園地の中で迷子になった夢のような世界である。日常の細かい描写が現実的であるだけに、気づかぬうちにワンダーランドの中にいる。最後の方でようやく種明かし的になるが、私の選択した道については謎を残したまま終わる。さあもう一度ワンダーランドへ突入だ。


■ 村上春樹  羊をめぐる冒険(下)  講談社文庫

 13年前に買い、途中まで読んでほったらかしてあった、周辺が茶色く変色した、文庫本。やっと読んだ。羊が人に入り込み、その人間は羊的思念にあやつられる。羊がその人間を見限って、プイと出ていくと、その人は「羊抜け」と呼ばれる状態になり、羊的思念だけが残るが、羊なしでは、それを放出することができない。地獄の苦しみとなるそうである。この辺りをもうちょっと突っ込んでほしかった。羊的思念とはいかなるものかと期待したが、著者も羊ではないので、やはり無理か。最後に友人は、羊の策略(?)を断ち切る。暗闇での旧友との再会は確かに感動的ではあるけど。

 再読。やはり、この本を読む前には、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』を読んでおくほうがいい。本書『羊をめぐる冒険』を含めて青春3部作といっているらしいが、前の2冊は非常に断片的で物語にはなっていない。それに比べると本書は話に展開があり、時間的な前後がなく読み易い。主人公の僕、友人の鼠、そしてジェイズ・バーのマスターで中国人のジェイ。大学に入学した僕はジェイズ・バーに通うようになり、そこで鼠と出会う。鼠は大学を止め、僕はピンボールに夢中になったりする。鼠は小説を書き、僕は翻訳の仕事をする。その後、鼠は街を出て行き、僕は結婚をし、離婚する。そんな状況の中で、鼠から手紙が届く。本書『羊をめぐる冒険』の始まりだ。最後に鼠が街を出た理由が語られるが。。。<道徳的な弱さ、意識の弱さ、そして存在そのものの弱さ>。自分の存在理由のなさにまともにぶつかっていった鼠はすべての人間の中にいるようだ。(2000.5.11)


■ 村上春樹  羊をめぐる冒険(上)  講談社文庫

 上巻の途中まで読んでほったらかしにしてあったのだが、やっと読んだ。下巻からが面白いのだそうだ。そうならそうと早く言ってくれればいいのに。出だしはけっこういいが、伏線はりまくりで、ちょっとじれったい。扇風機を持った乳牛がやっとこをせびる夢、いわしと呼ばれる猫だのの面白い泡立ちはあるが、なかなか立ち上がろうとせん。最後でついに飛行機に乗って北海道へ。下巻に期待しよう。何故か、おもしろくなる予感が……。


■ 村上春樹  TVピープル  文芸春秋

 再読。この本はいつ買ったのか。1990年に出版されて、その年に買ったようだ。処女作『風の歌を聴け』が出てから11年目。短編集である。この辺りでは、村上ワールドなるものはできているようだ。なんかおかしい、不思議な世界。『TVピープル』は、TVピープルに自分の存在を無視される話。『飛行機』は、詩を朗読するようにひとりごとを言う話。『我らの時代のフォークロア』は、一見普通の秀才同士の恋物語。だが、目に見えない枠にしばられる2人。個人的にはこの話が一番好きだ。『加納クレタ』は、水の音を聴く姉と、体内の水の音に男が吸い寄せられる妹の話。『ゾンビ』は、夢が夢で終わらない話。『ねむり』は、眠れない話。


■ 村上龍  69 sixty nine  文春文庫

 村上龍が30代半で書いた1969年。彼が17才の頃の話だ。自分は村上龍よりも6才下で11才だった。ビートルズ、ローリングストーンズ、ベトナム戦争、チャート式数UB、旺文社豆単なんてワードが出てくる世界。進学校に通う主人公のヤザキ、友人アダマと岩瀬、英語劇部の天使・松井和子、ラッパズボンの城串裕二、妖婦・佐藤由美、他校の長山エミ、工業高校の番長、2人の体育教師カワサキとアイハラ、ササキ刑事、ジャズクラブオーナーのアダチ、ボーカルのフクちゃん、そしてプールの女子更衣室、バリケード封鎖、フェスティバル。あほで、スケベで、好奇心旺盛。青春ですね。自由で何でもできる時代。居ごごちのいい読書タイムだった。


■ 村上龍  ユーチューバー  幻冬舎

 YouTubeで、箕輪厚介らが村上龍のことを熱く語っており、改めて読んでみたくなった。近くの本屋では文庫本があまり置いてなく、最新刊の本書があったので購入した。内容は、70過ぎの作家・矢崎健介(著者自身と思われる)が、自称世界一もてない男と組んで、ユーチューバ―になり、過去の女性遍歴を語る、というもの。女性遍歴を語りたい、という気持ちは良くわかる。少し幸せな気分になる。また、それに対するコメントを見たくない気持ちもわかる。ほっといてくれ、って感じか。ほんならなんでユーチューブで?であるが。またどんなユーチューブを観ているかというところでは、グラフとマンドリコワのテニスの試合が美しいとあったので、実際に見ると2人とも足が長く、片手バックハンドの姿が美しかった。映画『にがい米』のシルヴァーナ・マンガーナも観ることができた。カテリーナ・ヴァレンテの歌も聞いてみよう。


■ 村上龍  オーディション  幻冬舎文庫

 物語の途中から、ガラリと変わる。いや、恐ろしい。そんな平気な顔で、そんなことをするなんて。。。足首痛い。トラウマ(心的外傷)を持った人間。しかし、緩慢なそのようなものは誰でも持っているのかもしれん。。。物語とは直接関係ないけども、元気がないときでもスパイシーなものは食える。というのはよくわかる。


■ 村上龍  コインロッカー・ベイビーズ(上)(下)  講談社文庫

 コインロッカーに捨てられた子供、キクとハシが主人公。近未来的で、メル・ギブソン主演の映画『マッドマックス』を思い出した。ここでは根本的な生の問題が示される。社会の中では、個人の生きる喜びは優先されず、誰しも既成服を着せられた状態になる。さらに生まれながらにして、社会から排除させられた人間は、既成服させえない。自分の生に対して、どう身きりをつけるのかが問題だ。社会そのものの破壊。そして個人の生の力が心臓の音だ。本当はこの続きがどうなるのかが知りたいところではある。


■ 村上龍  テニスボーイの憂鬱  幻冬社文庫

 福田和也が『作家の値うち』の中で、<豊かさの中で呆然自失する日本人の「憂鬱」を鋭く描いた、一世一代の傑作>と言った。だが、そこにあるのは徹底した俗だ。主人公は、俗的には理想的状態である。金持ちで、社会的地位もあり、テニスを趣味とし、物凄い美人の愛人がいる。主人公になって読んでいくと気分はいい。そして2人目の愛人に子供ができ、憂鬱となる。不幸だなんて言えない。どこにもやり場のない憂鬱だ。福田和也はこの解説の中で、<俗を深く抉った倫理性が新しい>という。<いつもキラキラしていろ、他人をわかろうとしたり、何かをしてあげようとしたり他人からわかって貰おうとしたり何かをしてもらおうしたりするな、自分がキラキラと輝いている時が何よりも大切なのだ。それさえわかっていれば、美しい女とおいしいビールは向こうからやってくる>。これを文字通り受け取れば、美しい女とおいしいビールが価値であることになる。これでは福田和也の言う、<俗の深遠な谷間から、俗の聖性を取り出して見せる事>までになっているとは思えない。処世術としてはいいかもしれないが。村上龍は半歩先に行って、それ以上行かない。流行作家としてはバッチリの位置だ。イヤな奴にはかわりはないが。


■ 村瀬雅宣  理想のゴルフ  幻冬舎

 ゴルフのショットのメカニズムを全く語らない、メンタルカウンセラーの本。球を打つ練習をしないで、スコアアップする方法を説いた本。ショットする前のルーティーンの大事さ、素振りの大事さ、パットも素振りが大事。パットは「入れる」のではなく「入る」と考える。ベストスコアを目指すのではなく、身の丈のスコア(最近の平均スコア)からのマイパーの設定する。コース攻略のシュミレーションとPDCAを回すこと。上半身は筋力よりも柔軟性、カートに乗らずに歩け等々。とりあえずできそうなのは、「パットは入る」と思うこと。マイパーももう少し身の丈に合わせるかな。


■ 村田沙耶香  コンビニ人間  文春文庫

 これもまた、ぐさっとくる一冊だ。コンビニの商品で生活する人の話かと思ったら、違った。コンビニ側の人間。コンビニで働く人間であった。人生をコンビニの為にささげる。コンビニに行くために食事を摂り(「特に味はいらない」と本人は言う)、コンビニで働く為に睡眠をとる。周囲から「普通の生活」というプレッシャーにもめげず、というか意に介せず、コンビニ店員であり続ける主人公・恵子。コンビニにアルバイトとしてきた男と偽装結婚のようなことをしてみたりするが、自分の生きる道ではないと感じる。<コンビニ店員という動物である私にとっては、あなたはまったく必要ないんです>と言い切った。人間的であるとかなんとか関係ない生き方。それがかえって人間的なような気もする。第155回芥川賞受賞作。


■ 群ようこ  肉体百科  文春文庫

 おもろいです。肉体の部分に関した題で103篇。ある時は著者自身の、またある時は友人や母上の、そしてまたある時は全然関係ないことにいったりする。期待して読んだお題のところでは、絶妙にかわされる。自分の肉体のコンプレックス(?)を笑いとばす。力みがなくて、自然な感じが実にいい。この視線というか、語り口がこの著者の人気の秘密なんであろう。女性からのお薦め本である。世の男性諸君よ、読みたまえ。




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