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■ 舞城王太郎  阿修羅ガール  新潮社

 いいですね。主人公アイコの切ない片思いの気持ちがヒシヒシと伝わる。ハチャメチャな語り口の中で、愛と人生を語る王太郎節が炸裂。なかなか奥深いぞ。個人的に非常におもろかったのは、崖文字のところ。アイコのイメージの中で片思いの陽治の叫びが崖に文字になって浮かんだり消えたりするんであるが、アイコが「それどうやってやってんの?」との問いかけに「え?人にたのんでやってもらってんだよ、うるせーな。…」と答えるところ。そりゃ、人に頼まにゃそんなことできまへん。。。ってことでもないが。何故か異常におもろかった。それとグルグル魔人の章。あのテンポ良さも凄いぞ。&第16回三島由紀夫賞受賞だって。これまた凄げえ。


■ 舞城王太郎  熊の場所  講談社

 標題作『熊の場所』と『バット男』、『ピコーン!』の3作が収められている。舞城王太郎の第一短編集だ。息をつかせない流れるような文体はあいかわらず。僕の父は昔熊に出会い、逃げ出した。しかし、二度と来ることができない場所ができるのが嫌で、心の決着をつけにもう一度熊の場所に行き、熊を叩きのめす。僕はそれを見習って友人の奇怪な行動をしっかりと見届けようとする。<恐怖から逃れたければ、できるだけ早く熊の場所に帰らなくてはならない>(『熊の場所』)。皆からいじめられる浮浪者、通称バット男。バットを持っていたが、それは威嚇用なのだ。そいつが死んだ。バットを残して。<人生ってのは大きな引き分け試合だ。でもそれぞれの局面において、勝ち負けはちゃんとある。って言うか勝ち負けしかない。でも負けたときしか、勝ち負けの判断はうまくできないのだ>(『バット男』)。フェラチオして欲しさに真面目に働きだした赤星哲也。車に撥ねられて死んでしまう。彼女であったチョコは、そこから立ち直っていく(『ピコーン!』)。3作とも人生の応援歌であるな。


■ 舞城王太郎  世界は密室でできている  講談社ノベルズ

 今回はあの奈津川家の人々の話ではない。しかし同じ西暁町のお話。主人公は坊主頭の西村友紀夫、15才。そして友達の番場潤二郎、通称ルンババ。このルンババは、14才のくせにかなりの名探偵で、次々と起こるユニークな殺人事件をユニークな思考で解決している。ルンババの姉、涼子は19才の時に家の屋根から飛び降りて自殺。ルンババは12才であった。それ以来ルンババは「ルンババ12(ツウェルブ)」と名乗る。そして、姉と同じように家に閉じ込められたルンババ。同じように屋根に登る。友紀夫はそこで考える。姉と同じ結果にしてはいけない、と。あいかわらずポップな語り口調ではあるが、青春の香りがプンプンする。王太郎自身が描いたイラストもなかなかイカス。ところで、ホッパーの絵は私も大好きです。


■ 舞城王太郎  暗闇の中で子供  講談社ノベルズ

 物語とはいったいなんなんであろうか。小説あるいは、虚構の物語。嘘の話を読んでいったい何になるのか。では反対に、本当の事とはいったいなんなんであろう。自分の身の回りに起こった本当のこと。それは本当に本当のことなんであろうか。自分にとっては本当だけれども、他人から見たら本当ではないことだってある。それは、自分で作った本当の物語。自分の中での本当。あるいは、そうあって欲しい思う気持ちが作り出した嘘。意識的ではないにせよ、自分で本当と思っているものは、けっこう怪しいのだ。現実も虚構も実は、自分で作った物語とも言えるのだ。舞城王太郎の第2弾。前回の『煙か土か食い物』の続編とも言える。奈津川家の物語。そこには4人の兄弟がいた。一郎、二郎、三郎、四郎。前回はERに勤める四郎が主人公だったが、今回は三文ミステリ作家の三郎が主人公だ。荒唐無稽なところはあるが、なかなかええセンいってると思う。おもしろい。トマス・ハリスも読みたくなった。


■ 舞城王太郎  煙か土か食い物  講談社ノベルズ

 <人間死んだらどうせ煙か土か食い物なんや。…燃やされて灰になるか、埋葬されて土になるか、下手したら動物に食われるんや>と言うのが四郎のおばあちゃん龍子の口ぐせだった。奈津川一郎、二郎、三郎、四郎の4兄弟。父丸雄は政治家。丸雄は二郎を虐待し、二郎は悪魔のように暴力をふるう男になった。町田康の書く探偵小説かな?と思ったら、そうではなかった。探偵小説の形をとっているが、それを超えたパワーがある。過剰な暴力とともにある家族愛。ふざけた文体とともにある強烈な生存欲。ラストの四郎の活躍は今までの小説では読んだことがなく、素敵だ。そこには暴力を超えたフォースがある。第19回メフィスト賞受賞作。


■ 牧野修  偏執の芳香  アスペクト

 <ヒトはすべてを言語化する。…そしてヒトは環境を言語化させ、その中で生きていく。宇宙に法則を見いだしたのではなく、宇宙に法則をつくりだしていく。それがヒトだ>。うん、なるほどそうやな。<私は新しい臭覚を得た。新しい知覚は新しい脳を生む。私は今言語化された世界の外にいる。…臭覚こそが次代の人間を生むのである>。う〜ん、なんじゃこりゃ。凄いテーマや。ソシュールも出てくるし。(言語学者ソシュールについては、【テーマ別お薦め本】の【探究する】のところにもあげている、丸山圭三郎氏が著した『ソシュールの思想』が大変わかりやすく、お薦めです)。着眼点は非常におもしろいと思うけど、イマイチ納得がいかんな。毒想念がつくりだす怪物同士の戦いなどは、ちょっと飛び過ぎかな。SFXを駆使した映画でならもっとおもしろい様な気がする。著者は1958年生まれ、大阪在住。


■ 万城目学  プリンセス・トヨトミ  文春文庫

  あのウルトラQのマンジョウメさんかなと思ったら、マキメさんだった。話はめちゃくちゃ面白い。大阪の人間なのでよけいにそうかもしれん。もっともグッときたのは浜寺公園駅。子供のころから慣れ親しんだ浜寺公園駅が小説に登場するとは。東京駅と同じ建築家・辰野金吾が設計したらしい。南海電車とともに過ごしてきた者にとっては大変うれしい。心配なのは、現在南海電車は高架工事が進んでいて、浜寺公園駅は北から南から挟み撃ちにあっている。あの駅舎は残してくれよ〜。。


■ 増田俊也  七帝柔道記  文春文庫

  北大柔道部のお話。この話が面白いのは、派手さはないが本当に強い寝技や絞め技の柔道をとことん追求しいているところ。そしてその寝技、絞め技が十分発揮できる七帝戦というのがあること。そして北大は連続最下位であることだ。北大、東北大、東大、名大、阪大、京大、九大で争うことを七帝戦という。彼らにとって、その七帝戦で優勝することが最大の名誉である。講道館柔道のルールとは違い、寝技で膠着状態となっても待ったはかからない。技をかけられてもすぐに参ったしないので、審判は絞め技で確実に落ちたかどうか、関節技で骨が折れたかどうかで判定をくだすという、めちゃめちゃハードだ。もう死んでもいい、と思うような日々の練習。七帝戦で勝つという1つの明確な目標に向かって学生時代の全てを捧げる。しかし、挫折に次ぐ挫折。全てをこの柔道に捧げたことの意味を問いかける。彼らの得たものは何か?人を見る時の<やさしい眼差し>がその答えの1つなんだろうな。


■ 又吉直樹  火花  文春文庫

 ご存じ、芥川賞受賞作。格調高い情景描写で、ちょっと読みにくいかなと思ったが、途中からはスイスイと読め、面白くて安心した。主人公の漫才の師匠というべき神谷さん、いいですね。純粋に面白いことに拘るが、世間というものを気にしなさ過ぎ。そういうところが破滅的。反面教師とも言えるが、魅力的な人物だ。中途な半端俺たちは、こういう人はいいなあ、と思う。しかしまあ、最後のオチというか、なんというか、そらやり過ぎやろ、と突っ込みをいれたい。


■ 町田康  きれぎれ  文芸春秋

 これですか、芥川賞をとったっちゅうヤツですね。たいした才能はないと思っていた友人の吉原が個展を開いた。これがなかなかいいので、俺(ランパブ好き)には、嫉妬心が。例によって、話はあっちゃ行ったり、こっちゃに来たりで、ドタバタだ。とにかく、ふりかえれば青空???。飛行機が飛ぶ。『きれぎれ』ともう一篇『人生の聖』という崇高な物語がのっている。これもなかなかよい。会社はまる焼けになるわ、脳みそは丸出しになるわ、食われるわ、自宅では変な老人に死なれるわで、かなり過激。「グランドリッチ定食」はちょいと気になる。


■ 町田康  耳そぎ饅頭  マガジンハウス

 <自分は歌手で、その収入は主に、CDの印税によって構成される。…自分の場合、その肝心のCDがちっとも売れぬのである>。コレは打破するために、自分の偏屈を治そうと試みる。まあ、いわば、世間並みのことをしようとするのであるが。。。結果はまあ、期待通り。偏屈の快楽から抜けることはなかなかできないのであった。つうか、混雑するところにわざわざ出かける世間さまこそ異常やと思うけどね。さあ、次は『きれぎれ』じゃ。


■ 町田康  屈辱ポンチ  文芸春秋

 町田康の最新作。(注1)内容に意味を求めてはいけない。(注2)一気に読み了えた方が良い。筒井康隆以来のドタバタ&不条理の世界である。ロックを聴くように読む。表題作「屈辱ポンチ」は友人に代わって、復讐をする?話。「けものがれ、俺らの猿と」は映画の脚本を書く為に取材をする?話。一応。


■ 町田康  くっすん大黒  文芸春秋

 ははは、こいつはアホや。おもろいなあ。おもろさが丁度心地良い。無意味でばかばかしいお話。久々に素直に笑える。誰や、町田康って。なにパンク歌手&小説家。パンク歌手が小説書いとんのかい。ええ根性しとるやないけー。タイトルも完全におちょくっとる。野間文芸新人賞受賞やと、笑わせんな。ドゥマゴ文学賞受賞、なんやそれ。最新作は『屈辱ポンチ』やとぅ。ほんまふざけやがって。買うぞ。著者は1962年、大阪市生まれ。


■ 松浦弥太郎  いつもの毎日。  集英社文庫

 松浦弥太郎は『暮らしの手帖』の編集長である。『暮らしの手帖』と言えば、現在NHKの連続テレビ小説で放映中の『とと姉ちゃん』だ。ということで、難波の丸善書店の特設コーナーで見つけた。毎日をシンプルだが質のいいもので暮らす、というコンセプトだ。ブルックスブラザーズの白いシャツが欲しい。雨の日が楽しくなる、ブリッグの傘が欲しい。


■ 松浦理英子  親指Pの修行時代(下)  河出書房新社

 足の親指がペニスになった一実。そして盲目の婚約者・春志。フラワーショーのメンバーの保と映子。春志との別れ、映子との恋愛、フラワーショーへの出演。一実と映子と保の三角関係。そして春志との再会。得意な体質を持つ保はペニスとヴァギナの結合に拘るが、それよりももっといい気持ちの通じ合うスキンシップによる快楽がある、というのが本書のテーマであると思う。通常でない身体的特徴をもつフラワーショーのメンバーがいたからこその結論であるのかもしれない。そうならざるをえないのかもしれないが。親指ペニスの危機一髪もあるが、エログロ感はそれほどではなく、アンダーグラウンドで屈折した彼らではあるが、温かく、ほのぼの感があって、面白く読めた。


■ 松浦理英子  親指Pの修行時代(上)  河出書房新社

 ある日起きると、足の親指がペニスになっていたという奇想天外なお話。昔ちょっと読みかけてほっておいた本。読み始めは?って感じだったが、読み進めるうちに面白くなってきた。設定は奇抜であるが、じわっと面白い。目の見えない彼氏は、男でも女でも仲よくする為のスキンシップにこだわりはない。体に特徴のある人たち<フラワーショー>のメンバーたちとの交流も一見ハードなものであるが、けっこういい感じで付き合っていく。


■ 松岡圭祐  催眠  小学館

 いや〜面白かった。「多重人格障害」がテーマになっている。他の人格になれば、以前の人格は忘れ去られている。著者自身も催眠療法のカウンセラーであったそうだ。読心術のやり方は、微妙な身体の動きから、察知することも具体的に書かれている。この本も著者の自己催眠によって書かれたのかも知れない。


■ 松岡正剛  多読術  ちくまプリマー新書

 なんと言っても読書の巾を広げてくれたのが、この松岡正剛だ。学生時代に出会った工作舎の前衛雑誌『遊』は強烈であった。この工作舎を作ったのが松岡正剛だ。『遊』のテーマが「読む」の時に「松岡正剛の365冊」が掲載され、それに従って本を読んでいった。本書では半生も語られるので、工作舎立ち上げ時の話などとても興味深く読めた。本の読み方にはいろいろあって、カジュアルに、フォーマルにと服を着るのと同じである。松岡正剛から薦められた本が、実は彼自身も他の人からのお薦めであったりすると、遠い存在であった著者が身近に感じられる。彼がやったように、自分なりの世界地図、年表を作るのは面白そうだ。読書とは、世界認識の旅だな。


■ 松岡正剛  誰も知らない世界と日本のまちがい  春秋社

 『17歳のための世界と日本の見方』の続編。『17歳…』が文明の始まりから近代までで。本書は近代・現代の世界と日本。エリザベス女王は織田信長の1歳上。近代では多くの点でイギリスが台頭してくる。国家と何か?列強に加わろうとした日本の運命は?ダーウィンの進化論は社会にも当てはまるのか?リスクが金儲けとなる現代、日本が進むべき道を示唆している。それは世界基準に安易に合わせるのことではない。日本流のやり方、その代表ととして「苗代」を上げている。いったん蒔いた種を「苗」にして、それをふたたび田植えで移し替える、というもの。ちょっと育ててから本格的に田んぼに移し替える。一気にいってしまわない。多様性を失わないよう、様子を見ながら大事に育てるのだ。


■ 松岡正剛  17歳のための世界と日本の見方  春秋社

 ご存知?松岡正剛による世界文化史概観だ。帝塚山学院大学での講義の内容で、語りの文体なのがわかりやすい。「17歳のための…」とあるが、17歳だけに読ませるにはもったいない。これだけ分かり易く書かれているのは、著者がよくわかっているからだと思う。この1冊で、人類が文明に目覚めて以降、近代までが一気にわかる。もちろん日本と世界を見比べながらだ。さすが、松岡正剛って感じで面白く読めた。


■ 松岡正剛  ちょっと本気な 千夜千冊 虎の巻  求龍堂

 読書とは何なんだろうか。松岡正剛は、本読むことが人生のベースにある。本のあらすじの覚えではなく、その読んだときの状況、環境、心の状態等、それらすべてをひっくるめて、その本を読んだことでの経験値となる。同じ本でもその場面の違いで経験値も変わる。読書により、救われることもあるが、狂うこともあるのだ。わが青春期のバイブルであった松岡正剛の『遊』の365冊を上回る本の紹介がある。何とチェックリストもついているのだ。まだまだ読まねばならぬ。先ずは松岡正剛が一番身につまされたという大原富枝の『婉という女』を読みたいと思う。


■ 松岡正剛  知の編集工学  朝日新聞社

 松岡正剛は昔から編集者であった。私が学生時代にかなり影響を受けた前衛雑誌『遊』の編集長で、自らエディトリアル・ディレクターと名のっていた。この本は、現在「編集工学研究所所長」の彼が明かす、情報術のマニュアル。「編集」ということにこだわった事件なども書かれていて、興味深く読めた。生命の起源から、世界言語、現在の人間とコンピューターの関係まで、「編集」という括りで言い表わすのはさすがに凄い。彼の情報についての3つの見方は、「情報は生きている」、「情報はひとりでいられない」、「情報は途方にくれている」ということ。この辺の気配をうかがわせる様な言い回しは健在であった。そして「編集」とは【関係の発見】をするということ。なるほどと思ったのは、<私は「オリジナリティ」という言葉にもほとんど信用をおいていない。…どこかに新しさを加えただけなのだ。それはオリジナリティではない。むしろ編集的な成果なのである>というところ。


■ 松岡正剛  存在から存在学へ  工作舎

 前衛雑誌『遊』の創刊者松岡正剛のプラネタリーブックスの第1巻。<存在はつねに重力である><存在とはスピンの回転数の代名詞にすぎない><ぼけた縁こそ存在だ>など。


■ 松崎洋  逆風(上)(下)  彩雲出版

 読み応えアリ。帯の文句が<史上最強のゴルフ小説>ってことで、ワクワクしながら読んだ。主人公はプロゴルファーの徳永哲男かなと思ったら、なんだか違う男たちの人生を語りだし、誰が主人公かわからんようになった。それくらい周囲の様々な人物の生い立ちが描かれる。後半では彼らの人生が絡み合ってきて、この物語の主人公らしき人物が浮かび上がってくる。徳永ではなかった。最初にヨレヨレっと出てきて、すっと去っていったのが主人公だった。徳永のコーチでもある、鳴海カントリー所属のプロゴルファー山内一也だ。颯爽と登場した主人公ではない。訳アリ主人公だ。その分いい味がでている。身体は大きくないが、柔らかく飛ばす。師匠が武道家に教わったという直伝の技が冴える。見えないスイングだ。ドひゃ〜っ。


■ 松田秀逸  茅渟宮の衣通姫  新家歴史研究会

 仁徳天皇の息子、允恭大王と彼の愛した衣通姫(そとおりひめ)のお話。その美しさ故、衣を通しても光輝くというのが名前の由来だ。允恭大王は、仁徳、履中、反生に続く天皇で、第19代となる。彼は兄弟の中でも出来が悪いと言われたが、逆に伸び伸びと育ったようだ。衣通姫と言えば、允恭大王の皇后・大中姫の妹であり、近江の里ですくすくと育った。允恭大王は衣通姫を気に入り、小さな別邸に住まわすが、皇后の激しい嫉妬に悩まされる。衣通姫との間に一男一女ができ、息子・木梨軽皇子は允恭大王の跡継ぎとされたが、皇后が反撃。兄妹は追われる身となり伊予の国に逃れたが、生活を満喫して夫婦愛以上のものになっていったという。その後の衣通姫の消息は定かではないが、<きっと肩書のない、ただのおばあさんとして、紀伊の村で畑を耕しながら老後を送っていたのではないでしょうか>と著者の松田さんは言っている。衣通姫が住んでいたという和泉の国、日根野の当時の様子がわかり興味深かった。中国大陸からの帰化人も多く、機織りや製鉄の技術が育っていったそうな。本書も当時の大阪を知る貴重な一冊だ。


■ 松田秀逸  伝承の姫君お菊  新家歴史研究会

 安土桃山時代、波有手(ぼうで)の里(現在の大阪府阪南市鳥取)、後藤六兵衛興善義に2人の娘がいた。姉をお梅、妹をお菊という。妹のお菊は、実は豊臣秀次と側室小督の局の間に生まれた娘であったのだ。秀次が高野山に追放された時、家来の益田将監がお菊を泉州の後藤家に預けたのだった。二十歳となったお菊は、紀州の山口兵内と結婚する。しかし輿入れ5日目で、夫・兵内は徳川に対抗すべく、大阪城へ行くことになり、その時に離縁状を渡される。お菊も黙ってはおられず、大阪城に密書を渡す役目を自ら引き受ける。道中自分の髪を切り、着物を脱ぎ、女であることを隠して進む。途中で、密書は一旦は味方に渡すことが出来たが、あっけなく徳川勢に襲われ、敵陣に渡ってしまう。国元に帰るも徳川勢に追ってきた。後藤の親は長女のお梅を差し出すが、お梅の子供の泣き声で、お菊がそれに気づく。そして自ら名乗りを上げ、助命の道を誘導されたが、お菊は殉死を選んだ。現在でもお菊は偲ばれ、黒髪を切って埋めたという山は、「お菊山」と言われているという。


■ 松本賢吾  謝り屋始末記 不動明王篇  双葉社

 「申し訳ありません」。殴られようが、蹴られようが、謝り抜く。とすると周りの人間も、まぁそこまでせんでもええやんけ、となる。謝り屋の勝ちである。これを商売にしている人間がいる。債務者となった会社から依頼がくるのだ。しかし、この謝り屋、かなりマゾっけがないと一流にはなれんみたいだ。主人公の北山慎治もかなりマゾだ。自分で言っているので間違いはない。背中に不動明王の入れ墨をするのであるが、これまたマゾの血が騒ぐ。自分を捨てて自己主張するという奴にはなかなか勝てん。


■ 松本清張  考える葉  角川文庫

 本書は角川文庫から2024年12月に刊行された、巨匠・清張復刻企画第1弾。戦後の動乱期に、軍が南方の占領国から奪い去ってきた貴重な金属を横取りし、それを金に換えて出世した男・板倉。その金を狙う政治家や元憲兵、そして自国の奪われた金属の調査にくる外国人。崎津という青年が、刑務所で井上という男に出会い、次々と起きる殺人事件に遭遇する。1960年に週刊誌に連載されたもので、昭和の匂いがプンプンする銀座で大暴れする井上に先ずは驚かされる。しかし、もっと驚くのが崎津の豹変ぶりだ。あんな人生やる気のない男が、先頭に立って真相究明に挑んでいく。『考える葉』の葉はこの崎津だ。物語の盛り上がりと意外性は流石。松本清張は本のタイトルについて、連載の場合予告ということで、書く前に決めるので、どんな内容になってもいいように抽象的なものにする、らしい。この復刻企画第2弾は『二重葉脈』、第3弾は『生けるパスカル』。どちらも既刊なので、続いて読んでみたい。


■ 松本清張  なぜ「星図」が開いていたか  新潮文庫

 令和4年に文庫本で発行された、松本清張の初期ミステリ傑作集。『顔』、『殺意』、『なぜ「星図」が開いていたか』、『反射』、『市長死す』、『張り込み』、『声』、『共犯者』の8つの短編集。本書の解説にもあるように、松本清張はそれまでの探偵小説にあったような荒唐無稽さを否定し、実際にどこにでもいるような人物、よくありそうな事件を描いた。そして、物語の中心もトリックとかではなく、犯人の動機に重きをおいた。それでこそ人間が描かれる、というのが清張本人の言葉でもある。今回の8編も登場人物に感情移入ができ、ドキドキ、ワクワクしながら読めて、あらためて、松本清張面白い、と思った。


■ 松本清張  Dの複合  新潮文庫

 天橋立から丹後半島を回り、木津温泉の『ゑびすや』という旅館に泊まった。そこはなんと松本清張が約2ヶ月滞在し、『Dの複合』を執筆した宿だという。清張の書斎と呼ばれる部屋があったり、旅館の雰囲気が古き日本の風情たっぷりでなかなかよかった。で、この『Dの複合』は、天橋立駅から始まる。そして主人公の作家・伊瀬忠隆と編集者・浜中三夫は木津温泉に行き、『ゑびすや』に宿泊する(本の中の宿名は『ゑびすや』ではないが)。そこで殺人事件に遭遇する。物語は浦島伝説などを織り込みながら、うまくというか強引に現代の事件にからませていく。このパワーは凄い。最後までまずまず面白かった。それにしても新潮文庫の活字、読みやすくなったと思う。


■ マルコム・ノーマン  ウィトゲンシュタイン  平凡社ライブラリー

 弟子のマルコムによる哲学者ウィトゲンシュタイン伝。<引きしまって日焼けした顔、横から見たところは鷲のようにするどく、すばらしい魅力がある>。これが弟子のマルコムが受けた第一印象である。しかしと言うか、やはり、気難しい人であったようだ。授業と言えば、ほとんどが対話形式で、自ら考え込み、沈黙が続くことも多かったそうだ。自分にも他人にもきびしかったようである。<人間は自分の才能に課された仕事に全精力全生涯を傾けるべきである>と考えるウィトゲンシュタインは、友人ムーアが病床に就いている時でさえ、議論をつづけるべきだ、とした。真理への情熱を持っていれば、例え死んでも学者冥利に尽きると考えた、という。人との接触を好まず、尊敬されたが恐れられた彼の生涯は、孤独であったような気もする。8人兄弟の末っ子の彼は、最初は工学研究を選び、姉の邸宅の設計もしていたとは驚きだ。


■ 丸山克俊  良いことに上限はないんだ  ダイヤモンド社

 東京理科大学ソフトボール部35年間の歴史。創部したのは丸山克俊教授。日本一を目指した丸山先生の格闘の歴史でもある。徹底的に強いたのは無遅刻、無欠勤、全力疾走だ。ここをしっかりやれるかどうかが大事だと言う。監督者として凄くエネルギーが要る仕事だ。同時に練習での工夫もいろいろしている。東京の神楽坂と千葉県の野田市に校舎があり、練習は野田市で行われる為、全員が揃っての練習は週2回としたり、その全体練習の呼び名も<義務練習>から<権利練習A>と変えたり、個人練習は<権利練習B、権利練習C>とし、日々の練習レポートを提出させる。また就職活動で困らないよう、部員全員に役職を持たせたりとか、人づくりに重きを置いた指導だ。その結果、理科系の大学でありながら、インカレでベスト8、関東ソフトボールリーグで全勝優勝を成し遂げた。<100年がかりでも「日本一」のチームをつくる>という丸山先生には「ロマン」という言葉が似合う。


■ 丸山圭三郎  ソシュールの思想  岩波書店

 <「犬」という語は、「狼」なる語が存在しない限り、「狼」をもさすであろう。…コトバ以前には、コトバが指さすべき事物も概念も存在しないのである。>ソシュールの『一般言語学講義』が、いままで誤訳のまま紹介されていたとする著者の、徹底したソシュールの見直しが原資料をもとにはかられる。ソシュールを飲み込もうとした著者の熱気が伝わってくる。


■ マン・トーマス  トニオ・グレーゲル/ヴェニスに死す  新潮文庫

 『トニオ・グレーゲル』、芸術家と普通の生活者の狭間にいるトニオ。『ヴェニスに死す』、「頑張ること」がモットーであったアシェンバッハ。年老いて美少年にひかれていく。どちらの主人公も一途なのであるが、「芸術家はかくあらねばならぬ」というように、自分で自分をしばり過ぎているような気がする。




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