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■ パーカー・ロバート・B  初秋  ハヤカワ文庫

 これもいつかは読みたい、と思っていた本。父親も、母親もダメ人間で、離婚後も息子を取り合いしたり、押し付けあったりしている。本当に子供に関心はないのだ。そういう不幸な子供を両親から救うのが、主人公の探偵スペンサーである。スペンサーはその子供、ポールにいろんなことを教えていく。両親に頼らず、自分で生きていくために。教える内容はスペンサー独自のもので、偏りはあるようにも思う。しかし、それでいいのだ、と思った。偏りがあろうが、自分の得た知恵、体験を教えていく。それが、子供に伝わるのだ。ほのぼのとした光景もあり、また命がけの戦いもあった。ポールとスペンサーの最後の会話はいかす。<「ただし、ぼくは、なにも自分のものにすることができなかった」「できたよ」「なにを?」「人生だ」>。子供に本当に教えなければならないこと。それは自分で生きる、ということ。これぞハードボイルドかも。


■ ハイスミス・パトリシア  リプリーをまねた少年  河出文庫

   トム・リプリーシリーズ、第4弾。パリで悠々自適に過ごしていたトムのところに家出少年フランクが現れた。フランクは、父親を殺してしまったと言う。そしてトムの事を知り、トムに救いを求めてやってきた。フランクはアメリカの大富豪の息子で、その行方不明を捜索する探偵や、フランクを誘拐し、身代金を要求する犯人たちとの戦いにトムが体をはって挑む。その間のトムとフランクの濃密な生活は面白い。フランクはリプリーに憧れのようなものを持っていたようだが、日本語タイトルにある『リプリーをまねた…』ということでもない。そして結末は相当ショックな終わり方であった。何故作者はそれを選んだのだろうか。


■ ハイスミス・パトリシア  贋作  河出文庫

  『太陽がいっぱい』の続編。いつの間にか、大富豪の娘エロイーズを娶り、パリ近郊の立派な家に住んでいる。その経緯も気になるところであるが、今回のトムは既に死亡したダーワットという画家の贋作を作り、販売する一味だ。その贋作のアイデアを思いついたのはトムだ。そしてその贋作がバレそうになり、必死になってそれを防ごうとする。ある時はトム自身がダーワットに成りすましたり、ある時は殺人も犯す。詐欺師で殺人犯だ。妻のエロイーズもなんとなく犯罪者っぽい性格というのが、不謹慎だが面白い。こんな悪い奴だが、この小説を読んでいると思わず、頑張れ、と言いたくなる。すっかり犯罪者の目線に立場になってしまっている自分が怖い。というかハイスミスが怖い。


■ ハイスミス・パトリシア  太陽がいっぱい  河出文庫

 あれれっ、映画のラストとえらい違いますがな。映画のラストは衝撃であったが、原作のラストはじわっと恐ろしい。確かに、原題の『The Talented Mr.Ripley(才能あるリプリー氏)』という方が、原作のタイトルに似合う。次回作『贋作』への展開も出来るし。前回読んだ3作目『アメリカの友人』のような余裕は本作では見られない。やってることは大胆だが、いつ捕まるかを常に気にしながらの綱渡りだ。最後のグリーン・リーフからの手紙を読んだ時、<冗談だろうか?>と思ったほどだ。


■ ハイスミス・パトリシア  アメリカの友人  河出文庫

 トム・リプリーという男はなんて奴だ。いざとなったら殺人もいとわないが、かといってそんなに悪人というわけでもない。マフィアの暗殺をできる人間を仲間に推薦するが、自ら引き受けない。しかし、その人間(アメリカの友人)がやりとげられないと思うと、自ら乗り込み、手助けをする。善人ではないが、悪人でもない。不思議な魅力を持った男だ。トム・リプリーが登場する1作目が『太陽がいっぱい』、2作目が『贋作』。そして、3作目が本書『アメリカの友人』だ。、アラン・ドロン主演の映画『太陽がいっぱい』は見たが、原作も読んでみよう。『贋作』もだ。


■ ハイスミス・パトリシア  キャロル  河出文庫

 あの『太陽がいっぱい』の作者、パトリシア・ハイスミスの恋愛小説。『アメリカの友人』とどちらにしようかなと迷ったが、表紙の絵が大好きなホッパーの絵だったので、先に本書『キャロル』を買った。女同士のレズビアン小説。出版当初はハイスミスの名前ではなく、クレア・モーガン。ミステリ作家としての名を守る為であったそうだ。最後がハッピーエンドになるというのが、当時では珍しかったようで、かなり評判はよかったらしい。デパートに勤める主人公テレーズとキャロルの最初の出会いはこちらもドキッとさせられた。


■ ハイスミス・パトリシア  見知らぬ乗客  角川文庫

 ご存じ(?)ヒッチ・コックも映画化した、パトリシア・ハイスミスの処女長編。金持ちの息子ブルーノー vs 青年建築家ガイ・ヘインズ。見事な心理描写とラストの主人公の思惑と違う展開になるところが良い。「救いのない」とでも申しましょうか…。さすがにヒッチ・コックが目を付けただけのことはあると思いきや、映画ではかなり違う展開になっているらしい。早速チェックしてみよう。ちなみに太陽は15秒以上、直接見つめてはいけません。角膜が焼傷(火傷?)するから。1950年に発表された。あの『太陽がいっぱい』は彼女の第3作で、1955年の発表。


■ ハイブロー武蔵  読書力  総合法令

 読書礼賛。人生のすべては読書をしているか、していないかで決まる、てな感じの読書のすすめ本。平易な文章で、ストレートに熱く語っているので気持ちは良い。しかし、あまりにも読書する人=立派な人、読書しない人=ダメな人、みたいな感じである。もっとも例に出している本が、けっこう社会で成功する本みたいなのが多いので、読書=お勉強的になっている。よく見るとザブタイトルが、<成功する本の読み方>となっている。なるほど。実はもっと読書の楽しみはコソコソとしか読めない本にあったりするんやと思う。たまたまやけど総合法令というところから出ている本が続いた。(高石市立図書館)


■ ハインライン・A・ロバート  夏への扉  ハヤカワ文庫

 1956年に発表されたハインラインの代表作の1つ。物語は1970年、エンジニアの主人公ダニエル・デイヴィスは、友人マイルズと有能な女性ベルでロボットの会社を立ち上げるが、彼らに裏切られ、失意の中冷凍睡眠に入る。そして30年後の2000年に目覚める。マイルズとベルに復讐を考えるが、変わり果てたベルに会い、復讐の気持ちは失せる。1人信じていた女性フレデリカも結婚をしていた。その後、ダニエルはタイムマシンに乗って、1970年に戻り、フレデリカと堅い約束をし、ともに冷凍睡眠で2001年に行く。そしてフレデリカと結婚し、めでたしとなる。動きのある話で、愛猫ピートも要所要所で活躍する。ハインラインの考える2000年の未来の描写(今では22年も過去だが)が面白い。タイムマシンに乗るまでもドタバタしていて面白い。


■ ハインライン・A・ロバート  月は無慈悲な夜の女王  ハヤカワ文庫

 SFの巨匠ハインラインの代表作。時は2076年、月は流刑地であった。重力、空気、水等、環境の違いによる厳しさは、地球の比ではない。<無料の昼飯などというものはない>という意味の<タンスターフル>が合言葉である。主人公のプログラマーのマヌエル。コンピューター・マイクは自意識を持ち、自ら人間の顔と体の映像を作りだし、実在する人物のようである。まとめ役のデ・ラ・パス教授。女性活動家・ワイオミング・ノット。彼らを中心に月の独立戦争が始まる。月に住む支配者をやっつけ、命がけで地球に交渉に行くも、ついに月からの攻撃が開始される。射出機で岩石を地球に落下させるというものだ。百トンの岩石が地球に落下する時には、2キロトンの原爆に等しくなるという。地球からの反撃にもめげず、なるべく人のいない世界各地に落とし続け、岩石がつきる寸前でついに地球に負けを認めさせた。それを達成した時、老教授は死に、コンピューター・マイクの人格は消えてしまった。 月での家族形態、夫と妻は多対多だ。大家族だ。そして政府は、法律は、どうあるべきかという彼らの議論は深い。<常に人間というものは他の連中のやっていることを憎悪して、いつも駄目と言うものなんだ。“かれら自身のためになることだから”そんなことはやめさせろーそれを言い出す者自身がそのことで害を加えられるというんじゃないのにだ>


■ 萩尾望都  感謝知らずの男  小学館

 感謝知らずっていうか、おせっかいに一々感謝するのは疲れる。おまえの為やと言いながら、善意の押し売りをして、そんな自己満足野郎とは近づきたくない。アーチーというカメラマンは、ちょっとの世俗的な成功で、満足して失敗したいい例だ。基本はやはり、一匹オオカミってことかな。そういう意味で主人公のバレエダンサー、レヴィはいいヤツだ。


■ 萩尾望都  残酷な神が支配する 1〜17  小学館

 義理の父グレッグに犯される美少年ジェルミ。そこから逃れようするジェルミは義理の父を殺す(やったかな?)。そしてジェルミの義理の兄イアンがからむ。イアンは、ジェルミを助けようとする心、愛する心、憎む心に翻弄される。激しく愛し、激しく憎しむ。仲が良すぎて嫌になる、というのはまあわからんでもない。しかし、心に振り回され過ぎ、激しく、しつこいので少々疲れる。それが思春期というものか。忘れた。最近受けた心理学の講習で言っていた、「心は道具なのだ」ということは覚えておきたい。


■ 萩尾望都  ポーの一族 1〜3  小学館文庫

 ポーと聞いたら、何かエドガー・アラン・ポーと関係があるのかと思ったら、主人公の少年の名前がエドガーとアランであった。彼等はバンパネラで、時を超えて生きる。しかし、いっさい成長しない。何百年も生きているのに、ずっと14才のままだ。話は短編形式になっており、それぞれの時代が違うが、彼等はずっと同じ姿(14才のまま)で登場する。お爺さんや、ひい爺さんが会ったとか、古い書物に会ったことが書かれているとかで、すでに伝説上の人物(人間ではないが)なっている。永遠の生命を手に入れることの代償は、退屈と孤独である。だからこそ、愛する者も同じ仲間に引きずりこもうとする。変化や、成長もなく生きていくのはつらい。愛する者とともに成長し、そして年老いていくのがいい。


■ 萩尾望都  11人いる!  小学館文庫

 宇宙大学への受験の最終テスト。未だ男でもない、女でもないフロルは可愛い。そんな子が自分のことを「オレ」なんて言うのもまた可愛い。話もまとまっていて、ラストも奇麗に終わる。『続・11人いる!』はちょいと大人の世界。『スペース ストリート』は『小さな恋の物語』って感じか。


■ 萩尾望都  マージナル 1〜3  小学館文庫

 2300年、新種のD因子が不妊をひきおこした。2999年、地球。そこには、女はいない。美少年が女の代わりとなる。唯一子供を産むとされているマザも、美少年を選んで、人工的な女にしたものだ。もちろんマザが子供を産むわけではなく、実は、マザと契りを結んだものは精子と血液を提供する。そして、月の市民から卵子を買って、輸送し、人工子宮で育て、ナンバーをつけられて、契りを結んだ提供者に送られる。それが、カンパニーのマージナル(ギリギの、限界の)・プロジェクトやり方だ。遺伝子と文化とが相互に作用して起こる進化の奇跡を目指しているらしい。かたや、子宮と話をする科学者イワンは、原始の記憶のトラウマに左右されない胎児をつくろうとした。そして違法とされているエゼキュラ因子(遺伝子の突然変異を誘発する)を使って誕生したのがキラだ。しかし、キラは子供を産むことができるのか?カンパニーの考える、自然が女を必要とし、男だけの世界からもだんだん女に近いものが出てくる、という考えかたは面白いと思う。男同士で寝る場面も多いが、一方の外見はまるで女なので許せる、かな。


■ 萩尾望都  訪問者  小学館文庫

 『トーマの心臓』のオスカーの少年時代を描いた表題作の『訪問者』。家の中の子どもになりたかったというのは泣かせる。人間の外見と中味、本当のことを知るのはつらい、『城』。人殺しって、そんなにいけない?とラウルは言う、『エッグ・スタンド』。外人ばかりかと思っていたら日本人、しかも関西生まれの生物の先生が登場する『天使の擬態』。はまりそう。。。


■ 萩尾望都  トーマの心臓  小学館文庫

 トーマ・ヴェルナーの死で物語は始まる。何故ユリスモールは心を閉ざしているのか。そして、トーマは死をもって何をユリスモールに語ろうとしたのか。トーマの心臓の音は、ユリスモールに聞えたのであろうか。少年の愛の物語である。そこには献身的であり、宗教的でさえある。久々に泣ける話であった。トーマという少年がユリスモールに対して、本当にすべてを許していた、というのは少々ロマンチックな解釈であるとは思うが。


■ 莫言  続 赤い高粱  岩波現代文庫

 ノーベル賞を受賞した中国人作家・莫言の『赤い高粱一族』を2冊に分けた後半部分、第3章『犬の道』、第4章『高粱の葬礼』、第5章『犬の皮』が本書となる。中国大陸で行われた日本と中国の戦争の最中、赤い高粱畑を背景に語られる余一族の物語。語り手のわたしの登場場面は少なく、祖父、祖母、父、母、祖父の愛人、秘密結社(鉄板会)メンバー、元盗賊の祖父をトップとした抗日ゲリラ、国民党系抗日ゲリラ、共産党系抗日ゲリラの面々が主に登場する。日本人との戦いの他、中国人同士の抗日ゲリラ部隊との戦い、そして犬どもとの戦い。戦火の中、井戸に隠れ続ける母。死んでも叫び続ける愛人。5歳にならず死んだ子は埋葬されずに捨てられ、鳥のエサ。犬を食って、毛皮を着る。暴力的で自然とともにある、異世界の現実。講談師・莫言によってどんどん読まされる。


■ 莫言  赤い高粱  岩波現代文庫

 2012年のノーベル文学賞をとったのが、著者の莫言だ。その莫言の代表作が『赤い高粱一族』シリーズ。本書は、その第1章『赤い高粱』と第2章『高粱の酒』となる。ノーベル文学賞をとった小説ってどんなもんかと読んでみたが、これが非常に面白かった。わたしの祖父・余占鰲(ユィ・チャンアオ)と祖母・戴鳳蓮(タイ・フォンリエン)、この2人が中心となる。どちらも奔放で痛快な人物。けっこう血なまぐさい話もあり、日本人が敵だったりするが、実は濃い〜家族の物語だ。また高粱畑の描写がいろんな場面で描かれ、強烈な原色の映像が浮かぶ。そしてその自然の中で、人間の生々しさ、毒々しさが味わえる。


■ バークマン・オリバー  限りある時間の使い方  かんき出版

  原題が『FOUR THOUSAND WEEKS』となっており、人生を80年くらいと仮定すると、たった4000週間ほど、ということを言いたいらしい。週に直すとけっこう短く感じられる、というのがミソだ。お前は既に死んでいる状態である。短い人生なので大事なことをやろう、ということだ。効率よくいっぱいやろうではない。生産性を上げるとタスクが増えるだけなので、自分の人生においては意味がない、という。本当にやりたいことは今すぐやる。いろいろ周りを片づけて、整ってからやりたいことをやろうでは遅すぎる。いつまでたっても整うことはないのだ。準備期間は終わらないので、今すぐ始めろ。来ることもない未来の為に、今を犠牲にするな、と。目標を必要以上の高みに設定しないことや、仲間との共通体験を増やすことが大事。巻末には、自分の人生を豊かにする10のテクニックを付録として載せている。


■ バージェス・アントニイ  時計じかけのオレンジ  ハヤカワepi文庫

  不良少年のアレックスは仲間と暴力三昧の日々を送っていたが、やがて殺人の罪で警察に捕まり、新しい治療方法、<ルドビコ法>の実験台にさせられる。これによりアレックスはまったく暴力をふるえない人物になる。人をロボットみたいにする政府を糾弾する文学者アレキサンダー。彼の著書が『時計じかけのオレンジ』というわけだ。しかしアレキサンダーは、妻が死にいたった原因がアレックスの暴力によるものであると気付く。政府の役人はアレキサンダーはアレックスに殺意を持つ危険人物として投獄する。アレックスは元の暴力的な人格に戻るが、最終章では「オトナ」として、社会的な人物になろうとする。実はこの最終章がないものが以前は出版されていた。本書を読むキッカケとなった『ビブリア古書店の事件手帖2』でも詳しく語られている。<みなさまのつつましき語り手>である主人公・アレックスのロシア語まじりの語りが意外と面白く、ハラショーであった。


■ 橋本 治  宗教なんかこわくない!  ちくま文庫

 オウム真理教事件に関することをネタに宗教とは何か、そして著者の考えるこれからの進むべき方向を書いた本。非常にわかりやすく、納得できるところが多い。合理的なことを超えて非合理を信じてしまう。宗教はISMと同じであると著者は語る。オウム真理教も「会社社会」と同じ。宗教というものをとっぱらえば理解できると言う。仏教についての解説も明快だ。ゴータマ・ブッダは絶対的な考えである輪廻転生から離れて、「死ぬ」ことができた。いったん絶対基準というものを捨て、自分で納得できる合理的な考えに達することが解脱なのかもしれない。また著者は<個人の内面に語りかける宗教=別に生産を奨励しない宗教>のような反社会的な考えの危険性を説く。そして日本救済の道は、「工場制手工業の復活」と言う。まあその辺りは本書でうまく(合理的に?)説明している。確かに今は機械化、量産化でいらんもん作り過ぎやとは思う。会社、特にメーカーの生きる道は厳しいのだ。


■ 馳星周  不夜城  角川文庫

 日本がアジアになっていく。新宿歌舞伎町にはアジアの中の日本が色濃く出ている。いや、すでに歌舞伎町の闇の世界は、中国人が牛じっている。そこで生きていく日本人と台湾人の混血、劉健一が主人公だ。【生き残る】ことしか考えられない健一は、裏切りと根回しの世界で生きていく。もう1人の主人公夏美も、同じ世界の住民である。どこまでも、しつようにクールである。ここまでクールにならねばならぬのか?ただ生き残るために……。ほう、やってくれるねえと言う本。ハードで、悲しく、切なく、そしてむなしいのを読みたい人にはかなりお薦め。小蓮の最後の言葉は泣かせる。


■ 羽田圭介  スクラップ・アンド・ビルド  文藝春秋

 第153回芥川賞受賞作。要介護老人とその孫との物語。まさに現在の物語。祖父は要介護状態で、週に3日、デイサービスに通う。「死にたい」が口癖の祖父。孫の健斗は、どうしたら苦しまずに死ねるかを本気で考える。使わない機能は劣ってくるので、母は祖母にできるだけ自分で体を動かせようとするが、健斗は逆に日常生活をできるだけ補佐することによって機能を衰えさせようとする。一体どちらが苦しまずに死ねることができるんであろうか。どちらも真剣だ。健斗自身はと言えば、できるだけ苦しい思いをしながら体を鍛え始める。ある日風呂場で溺れかけた祖父を健斗が助ける。その時祖父は「死ぬとこだった」と健斗に感謝する。祖父は死にたいとは、全然思っていなかったことに気付く。難解な感じはなく、芥川賞らしくなく?読みやすい。体も心も怠けずに、今できることをやろうという気になる小説であった。


■ 服部真澄  ディール・メイカー  祥伝社

 日本人が書いた、アメリカを舞台にしたマネーゲームの小説。もちろん主人公もアメリカ人。しかも美人?。名前はシェリル・ハサウェイ。なんか『ER』の看護婦長みたいな名前やぞ(あれはキャロル・ハサウェイか。『ER』のなかでは1番好きなキャラや。ベントンも好きやけど。服部さんも『ER』見てたんかな?)。中味は『ディズニー』と『マイクロソフト』を彷彿とさせる企業同士の対決。情報合戦。ヒッチコックの名前もでてくるぞ。あやしい東洋人もでてくるぞ。なかなかよくできてるぞ。シィドニィ・シェルダン(の超訳)にも負けてない、と思う。作者は1961年、東京生まれ。ちなみに女性です。


■ 花津美子 with MADARA PROJEST  MADARA外伝 死海のギルガメッシュ  メディアワークス

 コミック。西方の大陸エデンでのお話。『MADARA』において、主人公マダラはミロクを追って消えて行った。マダラを真王と思う2人、カオスとユダヤ(聖神邪)は、時空を超えてマダラを追い続け、エデンで再会する。そこでのカオスはギルガメッシュと名乗り、狂っていた。ユダヤはカオスを救おうとする。彼等の名前は変わらないが、マダラは名前を変えて登場する。その地におけるマダラと呼べる存在がバル・コケバであるが、まだ覚醒していない。本書の出だしでカオスとユダヤは、青の戦士、赤の戦士としてマダラを守る運命にあるとキリンの母から告げられている。何故か作者・田島昭宇でなくなっている。


■ 花村萬月  ゴッド・ブレイス物語  集英社文庫

 <神の祝福ーゴッド・ブレス。リトアニア生まれの老修道女はゴット・ブレイスとなまって言った>。バンド名を「ゴッド・ブレイス」という。ボーカリストはこの物語の主人公の朝子だ。朝子の前では、その他の野郎どもはみんなガキである。その分朝子が恋人であり、母親役となる。朝子さんは大変だ。萬月の小説の骨格をなしいくような言葉も出てくる。<気持ちいいだけ、なんて嘘。いつだって痛みがいっしょで、だからあたしたちは一緒にいるんだ>。花村萬月のデビュー作。名作『ブルース』の原点がここにある。


■ 花村萬月  ブルース  角川文庫

 この小説は間違いなくブルースだ。ブルースは聴いたことがないが、きっとそうだ。<ブルースは、その音楽的構造はシンプルでも魂は複雑だ。哀しいから、哀しい曲調で歌うといったことをしない。詩はヘヴィでも、ウギだ、シャッフルだ、哀しいからこそ思いきり跳ねてみせる>。ブルースの中でもわざとらしい短音階のブルースはマイナー・ブルースといって、多くのブルースからは区別されているそうだ。そう、<涙は出尽くした>のだ。主人公の村上が飛び入りでセッションに加わり、ギターを弾くシーンは、ふるえがくる。また最後の格闘シーンのかっこ悪さ、これがまたいい。非常に完成度の高い小説だと思う。ジャズのように白人に迎合していない(これも萬月の言葉)ブルース、チャーリー・パットンの『スプーンフル』、マディ・ウオータースの『ガット・マイ・モージョ・ワーキン』、『ローリング・ストーン』聴いてみたい。小説に出てくる店の名前もモージョだ。魔法だ。ムーチョ・モージョだ。そういやランズデールの小説『ムーチョ・モージョ』にも黒人音楽のブルースが流れている。


■ 花村萬月  二進法の犬  カッパノベルズ

 花村萬月の描く小説の主人公たちは、車を運転する時、交差点では必ず一旦停止する。あとはどんなに飛ばそうとも、である。0、1の二進法のヤクザの世界に生きる組長の乾十郎。白か黒か、子分をあえて、犬のように扱う。人間だから灰色だ。なんていうおこがましいことはいっさいなし。涙を流す暇さえない。組長の娘の家庭教師兼、組長のパソコンの教師として雇われた鷲津兵輔は、おびえ、涙を流しながらも自分の弱さ、ズルサを見つめ、そして闘う。小説において新しい倫理をつくろうとする萬月は、管理する側からのその他大勢向け、確率的倫理を壊そうとする。人殺しについてもそうである。人を殺すことは無条件に悪いと言えるか、と問いかける。手本引き(数の当て合い)による勝負のやり方、やったらやり返すという白黒のつけ方、そして偏向した英才教育の勧め。参考文献の『義理回状の研究』(猪野健治著)も気になる。


■ 花村萬月  笑う萬月  双葉社

 エッセイ集。花村萬月の父親は小説家志望で、祖父は土建屋が本業であったが、某映画会社や、いまも続いている大新聞の社長を歴任してたそうな。小学校の低学年時には、父親から岩波や新潮の文庫本を読まされたそうな。その他、オートバイ、ギター(かなりの腕前だそうな)、ワープロの話題等。同い年の大沢在昌のところでは、おもわず『新宿鮫』を読みたくなった。著者の考える読書の本質についても、ちらっと言っている。


■ 花村萬月  ゲルマニウムの夜  文芸春秋

 花村萬月5冊目。芥川賞受賞作である。『ゲルマニウムの夜』、『王国の犬』、『舞踏会の夜』とあるが、続きものである。舞台は修道院。主人公は院長に手で奉仕することを条件に、修道院に戻って来た『朧』である。内臓を見、生きものの匂いを嗅ぐ。あいかわらずの萬月ぶりであった。有機的ドロドロ感に満ちている。著者は、<三つの小説は、宗教を描く長大な作品のごく一部として書かれました。すべてを書き終えたときに、私は、この作品群に『王国記』という表題を冠しようと考えています>という。非常に楽しみだ。<『物』語を志向する小説家としての私の挑戦>であるそうだ。しかし、無機物ではない、有機物としての人間の匂いがプンとしてくる。表紙のフランシス・ベーコンの絵がいい。


■ 花村萬月  笑う山崎  祥伝社ノン・ポシェット

 花村萬月4冊目。『笑う山崎』、笑えません。おもろいけど。国立大学中退で、イレズミなどせず、色白で、なで肩で、アルコールがまったくダメな優男。こいつが無表情の時が一番怖い。ヤクザからも怖れられる男。なんか織田信長のイメージと重なる。当然、規制の道徳なんて関係ない。こいつの行動原理は組と家族への「愛」である。人類愛ってとこまでは当然いかない。ますます、「つかこうへい」のイメージがつよくなる。しかし、本当の「愛」を感じるのが、極限状態にならんとわからんちゅうのも、たいへんじゃ。


■ 花村萬月  皆月  講談社

 先に読んだ2作『ぢん・ぢん・ぢん』、『鬱』などと違い、しっかりと物語になっている。サスペンス物としても面白い。涙あり、暴力あり、SEXありの萬月流味付けはしっかりされている。追い詰められた人間のこころからの涙、そして笑いは非常にいい。何故か「つかこうへい」を思い出す。『鬱』の解説には花村萬月自身の言葉として<いままではね、自分のやりたいことの20%くらいしかやってなかったけど、『鬱』では60%くらいできたって感じだね>というのが載せられている。ではこれで20%?読者に迎合したもの?確かに『ぢん・ぢん・ぢん』の奔放さ、『鬱』の凝縮さはないが、うまいと思う。吉川英治文学新人賞受賞作。


■ 花村萬月  鬱  双葉社

 冗長なところなく、非常に面白く読めた。『ぢん・ぢん・ぢん』よりけっこうマジである。ひとの神経を逆なでするようなことを書き、新しい倫理を探ろうとする。主人公は途中で酒、タバコ、もちろんコカインなどなしで考えをまとめようとする。孤独で、汚くて、エロくて、グロテスクであるがいたって真摯である。本の帯に<新生花村文学の誕生>とある。今後のものが非常に楽しみである。現代版『青春の門』。


■ 花村萬月  ぢん・ぢん・ぢん  祥伝社

 最高に面白かった。愛と暴力。あたらしい倫理をつくろうとするパワーにあふれている。エロ・グロを飲み込んだ人間探究の書である。舞台は新宿。主人公はヒモ道を突き進むイクオ。これほど性を徹底的に描いたものを読んだことはない。SEXと死。存在とはなにか。魂の叫び声が聞こえてきます。救いはないが、暗くもない。


■ 埴谷雄高  死霊V  講談社

 「黙せる覚者」であった矢場轍吾がしゃべり出した時の怒涛の饒舌も凄まじい(キリスト、釈迦なんぞをメッタ切り)が、やはり、津田安寿子の誕生祝いでの食卓の場面、第9章『《虚体》論ー大宇宙の夢』が圧巻。無自覚に子供を持つことを拒否し、<自己だけによる自己自身の創造>を目指し、存在以前の状態、存在の気配を持った<虚体>になろうとする三輪与志。その重力から、時間から、空間から開放された存在以前(未出現)の状態に身を置き、そこから一歩を踏み出そうと考え続ける。18歳になったばかりの津田安寿子はその婚約者を必死に理解しようと努める。その一途な態度は胸をうつ。(まあ、そんな男からは多くの女は離れていくと思うが)。ただ好きになる、あるいは好きにさせることによって、三輪与志に一歩を踏み出させようと企てる首猛夫。形而上的人間、無限を思い続ける<虚体者>、三輪与志と、それに迫ろうとする津田安寿子、宇宙存在以前に留まっているとうそぶく「青服」と「黒服」。かなりテンションが高まってきただけに、これで終わるのは非常に残念。この放り出された考えを引き継ぐのは我々自身である。


■ 埴谷雄高  死霊U  講談社

 自分自身であることの不快(自同律の不快)。そして、そこから脱出する為に残された自由意志としては「自殺」と「子どもをつくらぬこと」であると病床の三輪高志は弟に語る。またその弟である三輪与志は、<「外界」を取りいれることにより第二の自身へと辿りゆくという自ら気づかぬ自己欺瞞>が許せず、「はじめのはじめ」に立ちつくす。そして、著者の考えはまた、黒川建吉の語る三輪与志の考えとして、語られる。<これまでの存在のなかにも、これからの存在のなかにもまったくない三輪自身による「自己自身」のまったく新しい、まったく怖ろしい「宇宙はじめて」の創出がそこにあります。そのとき、この世界のすべては一変する筈です>。このことを著者は<自らつくる私>と呼んでいるようだ。「これが100%の俺だ」と100%言えるための唯一の武器は思考だけである。無限大も一瞬で通り抜ける、光りよりも速い念速でもって、存在の秘密を暴き、世界の質的変換は可能であろうか。その最初の一歩を三輪与志は踏み出せるのか、そして婚約者である津田安寿子はどうからんでいくのであろうか。


■ 埴谷雄高  死霊 I  講談社

 <彼は、考えてはならぬこと、不可能なことのみを考えた>。甘い誘惑の小説である。この重さがたまらん。ドフトエフスキーを読んで以来の重たさと饒舌さだ。思索のみでどこまでいけるか。場所はnowhere、主人公はnobodyで始まる、人類の存在を問う形而上学的小説である。著者の考えの1つが、三輪与志の考え(虚体論)であり、それが屋根裏部屋で思考する黒川健吉によって語られる。<宇宙の責任が真に追及された時、新たな形而上学が可能になるのです。…一切が死滅してしまった場所に身を置いて、一切を判定するのです>。そして悪魔的役割の首猛夫の思考が絡む。『死霊 I』、この序曲によってほとんど言いたいことは言っているような気もするが、ある意味、<無限の未来に置かれた眼>を持とうとする埴谷雄高の態度表明であるのであろう。


■ 埴谷雄高  超時と没我  未来社

 埴谷雄高の対談集。一番エキサイティングなのは、やはり、若き哲学者池田晶子との対談。池田晶子の<無は表現するのは不可能ですよ。語れるとしたなら、如何にそれは語れないかという…>に対して、<語れないことを語ろうとする姿勢を詩人は持っている…>とやりかえす。自身の『死霊』は無を語ろうとするものである。究極の論理では語れないことを語ることこそを文学者たるもの気概であろう。哲学を超えるものは、文学的表現でしかないのかもしれない。激しく動く時代にあって、決して動くことがないもの、ドフトエフスキー、ポーのあとを継ぐ、文学者なのか?埴谷雄高はどこまで行ったのか?非常に気になる。


■ ハメット・ダシール  マルタの鷹  創元推理文庫

 チャンドラーが唯一参考にしたと言われるハメット。主人公の探偵、サミュエル・スペイドもチャンドラーのフィリップ・マーロウに似ている。マーロウのほうが独り言が多く、感情的なような気もする。言い方もスペイドの方がキツイかな。悪役のガトマンに<わが子をなくしても、また生まれて来ることがあろうがーマルタの鷹はこの世に1つしかないのだ>と言わせたり、最後に女の力にも屈せず、自分を貫くサスペイドはなかなかハード・ボイルドしていてよかった。


■ 林成之  <勝負脳>の鍛え方  講談社現代新書

 人間の記憶と言うものは、すぐに忘れるようになっている。しかし、脳内で再構成され、イメージ記憶として残るらしい。イメージ記憶なので、真実ではなく、勘違いのまま記憶されることもあるようだ。結果を出す(試合に勝つ)には、このイメージ記憶を発動させ、そしてそれを表現する能力が必要となる。そしてもう1つ独創性や創造力を生み出す能力が必要だという。うまくいった事を、イメージとして覚え、独創性をもって表現する、ということになる。そして肝心な事は、意外にも「勝つ」ことを意識してはいけないってことだ。勝負において「勝つ」ことは目的ではあるが、勝つ為ににやること(目標)に集中せよという。ゴルフのパターで言えば、カップインではなく、ボールの転がりに集中するということだ。「勝つんだ、勝つんだ」ではなく、「これをすれば勝てる」という実感をもてるようにすることだな。またハードルが高そうな場合でも、自分の都合のいいように考える、脳を疲労させない、ことが有効なようだ。


■ 林雄司(Webやぎの目)  死ぬかと思った  アスペクト

 わざわざ買わんでもよかったかなあ、って気もする。有名サイト『Webやぎの目』の人気投稿コーナーを本にしたものなので、そこに行けば読める。ここ(リンク切れ)。低レベルな臨死体験集。やっぱりと言うか、おもらしネタが多い。死ぬかと思った、と言うよりも、死ぬほど恥ずかしかったってヤツ。おもらしネタ、下ネタの他には、ホッチキスを体にパチリとなんとなくやったヤツ。ボールペンのインクをストローのように吸ったヤツ等々。一番わけわからんのが、つちふまずにから2〜3cmの突起がでて、死ぬほど痛かったが、1分ほどでなくなったと言うヤツ。なんじゃ、その突起って。。。まあ「死ぬかと思った」時は案外「死なんもんやなあ」と思った。


■ 林田茂雄  新版 般若心経の再発見  雪華社

 <できないことさえしたがらなければ、人間は、いつどこででも、自由である。>仏教とマルクス主義とを、具体的な人生体験そのものの上にたって、一本にむすびつけてみせようとした本。


■ 原宏一  床下仙人  祥伝社文庫

 仕事が忙しく、家をほったらかしにしていたら、いつのまにか妻が床下に住む男と仲良くやっていた。バカヤローだ。その床に住む男は稼いでくる訳でもなく、ただ掃除をしたり、飯作ったり、子供のめんどうを見たり、他人の女房の機嫌をとってるだけやんけ。家を顧みない会社人間に対する仕打ちか?バカにするな。そして、家を追いだされた会社人間は、逆に他の家の床に住むようになった。この終わり方は納得いかんぞ。確かに会社にすべてを捧げるこたぁないが。もうちょっと物作らんと、仕事の時間を減らしてもええとは思うんやが。表題作の他、『てんぷら社員』、『戦争管理組合』、『派遣社長』、『シューシャイン・ギャング』。『派遣社長』の中のデザイナーが出かけていって、30分以内にデザインする「デリバリー・デザイニング」はなかなかいいアイデアと思う。


■ 原田マハ  モダン  文春文庫

 MoMA(ニューヨーク近代美術館)を舞台に、そこで働く人々、画家、そしてその作品に関連した短編集。主人公は架空の人だが、登場する画家と作品は本物だ。『中断された展覧会の記憶』では、アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナ世界」が紹介される。思わずググってみたが、いい絵だと思う。『私の好きなマシン』では、MoMAが機械の部品を芸術作品として展示したことが紹介される。その他ピカソとマチスは同世代の人物であり、お互い張り合っていたことがわかる。ニューヨークだけでなく、日本の東北地方も物語の舞台となり、「2001.9.11」の同時多発テロや、「2011.3.11」の東日本大震災を絡めて、けっこう濃密な短編集となっている。


■ ハラリ・ユヴァル・ノア  ホモ・デウス(下) 河出書房新社

 で、その宗教とは、<データ教>という<テクノ宗教>であるという。生物の活動が全てアルゴリズムであるとしたら。。。人間の活動もアルゴリズムであり、自分のことは全てデータで表され、自分より自分のことをよく知っているコンピューターがあらわれる。そうするとコンピューターが最適解を用意してくれるので、それに任せておけば良い。ということになる。全ての物、電化製品から、犬や猫、はたまた雲の状態や風向きまでもがネットでつながれたら。。人類は単なるそのデータの1つに成り下がる。はたしてそれで面白いか?という疑問がわき起こる。他人の言われたとおりにしたくない、とか。あえて違うことをしたいという欲求は満たしてくれそうにない。そういう気分的なことまでアルゴリズムであり、その気分に合わせた最適解を用意されるのかもしれないが。人類を含めた生物は全てアルゴリズムであるか?というところがやっぱり疑問やな。


■ ハラリ・ユヴァル・ノア  ホモ・デウス(上) 河出書房新社

 『サピエンス全史』の続編とも言うべき内容で、人類の未来について語る。自由度のある協力関係を築くことのできる人類が、生物の頂点に立ちった。そして、医学・科学の発展により、疫病、飢饉などを克服してきた。いずれなんでも科学で解決できるという錯覚にも陥る。人間の協力関係をつくる為にも、宗教的な物語(虚構)は必要であるが、目標や基準にするべきではない、虚構により苦しむとしたら本末転倒だ。<私たちは物語がただの虚構であることを忘れたら、現実を見失ってしまう>。とした上で著者は、いままでにない宗教の登場を予言する。<バイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムの助けを借り、私たちの生活を絶え間なく支配するだけでなく、私たちの体や脳や心を形作ったり、天国も地獄も備わったバーチャル世界をそっくり創造したりすることもできるようになるだろう>と言う。その宗教とはどんなものか。ということで下巻に続く。


■ ハラリ・ユヴァル・ノア  サピエンス全史(下) 河出書房新社

 地球上の動物を駆逐しつつ、神のごとく振る舞うサピエンスであるが、それは個々のサピエンスの幸せとは無関係だ。ということをあれやこれやで語る。そして未来はどうなるのか、サピエンスを超えた生命体が出現し、サピエンスは滅びてしまうのか。そしてそれを作り出すのがサピエンス自身であるという皮肉。フランケンシュタイン博士の作った怪物になぞらえる。それは現在のコンピューターやインターネットの延長上、生命科学の延長上にあるかもしれないと著者は語る。その進化は止めることはできない。そしてそれは意外と早くくるかもしれない。あな恐ろしや。


■ ハラリ・ユヴァル・ノア  サピエンス全史(上) 河出書房新社

 帯にある通り、NHKの「クローズアップ現代」で紹介されていたので、気になっていた。ホモ・サピエンスが生き延び、同じ人類種であるネアンデルタール人や、大型動物が絶滅したの言語を使えるようになったことだ。そして言語は言語でも、他の動物種にはない<虚構、すなわち架空の事物について語る能力>としている。そのおかげで集団行動がとれるようになった。その他、面白かったのが、その後帝国社会となり、ホモ・サピエンス同士でも、宗教は相いれないけれども貨幣であれば、それを乗り越えてなんなく使用する、というところ。下巻も楽しみ。


■ J・G・バラード  結晶世界  創元推理文庫

 森が水晶に覆われ、結晶化していくというお話。木が草が家が、そして停止した人が結晶化していく。そこは、非常に美しい虹色のキラキラした世界であるが、無機的な世界であり、死の世界である。医者である主人公も癩患者の肉体組織に似ていると考える。世界の癌細胞であるかもしれない結晶世界。永遠の生命ではない。美しい死の世界である。それでも、自らその森へと進んで行く人がいる。


■ ハリス・トマス  レッド・ドラゴン(下)  ハヤカワ文庫

 上巻の最後でどえらい事件が起こって盛り上がる。下巻は、本書の主人公<噛みつき魔>ことダラハイトを語ることになる。不幸な幼少時代を経て、いかにして<竜>となっていったかというところだ。1人の中の<竜>とダラハイト。その葛藤。途中で登場する盲目の女性レバは、そのダラハイドの方をうまく引き出せたのであろうか? ここがちょっと疑問である。レバは盲目なので、時々手を叩いて建物に反響する音を聞き、自分の位置を確認する。なるほどなぁ、と思った。それと盲目の人をエスコートする時は、バランスを崩すので、上腕部は持たないほうがよいようです。ハンニバル・レクターは本書では象徴的にしか出てこない。上巻のほうで、すでに牢の中(↓)と言ったが、実は病院の中でしたm(_ _)m。


■ ハリス・トマス  レッド・ドラゴン(上)  ハヤカワ文庫

 立て続けに起こった2件の家族殺人事件。この2つの事件の被害者には犯人の歯型がついていた。真相を暴こうとするのは異常犯罪捜査の専門家、グレアム。あの異常殺人犯のハンニバル・レクター博士はグレアムによってすでに捕えられている。レクター初登場なのに牢屋の中なのだ。今回の犯人について、レクターの意見を聞きに行くグレアム。かたや犯人はレクターと交信しようとする。上巻の3/4くらいまでは非常にゆっくり進み、ちょっと退屈だ。その後、殺人犯が動き出し、一気に盛り上がる。ここで調子に乗れるので、そこまでは我慢して読みましょう。


■ ハリスン・スー  母なる大地 父なる空  上・下  晶文社

 <アリューシャン黙示録>第一部。紀元前七千年、氷河時代のアリューシャン列島でのお話。歴史の教科書にもほとんどなにも書かれていない。生活は素朴。クジラ、アザラシを食べ、半地下の竪穴式住居に住む。主人公は<第一等族>の<黒曜石>。人を殺して住居、食べ物を得る<短身族>との戦いを通して著された、ラッコの精とともに生きる、賢く、強い女性であり、母の物語である。死ぬことは<光踊る国>にいくことである。そして喜びは「日々の生活」(<古に遡る>の言葉)である。生活自体は素朴であるが、非常に力強い。すべての人に薦められる。


■ バルザック  あら皮  藤原書店

 10年前に買っておいた本がひょんなところから出てきた。おっ『あら皮』がここに。すぐに読んでみようと思った。読む気になった時に一気に読む。これがまたいい。この物語の<あら皮>とは、オナガーというロバの皮で出来ていて、人が欲望を持つたびにどんどん縮んでいくというもの。そしてそれが、その人の余命を表す。時は1830年、場所はパリ。パリにはパレ=ロワイヤルという賭博場があった。そこに自殺を考えていた主人公ラファエルがトボトボ入っていくところからこの物語は始まる。賭博場であっというまに一文無しになり、ふらっと入った骨董屋で<あら皮>を受け取った。大金持ちになる、女と快楽に浸る、欲望を持つたび縮んでいくあら皮。しかし、欲望を抑えることはできない。最後は壮絶だ。登場する女性は男を弄ぶフェドラ、方や純粋素朴なポーリーヌ。縮むあら皮を無理やり伸ばそうと試みる科学者たち。人間の足掻きが見事に描かれる。著者が構成した「人間喜劇シリーズ」の一冊だ。


■ バルザック  風俗研究  藤原書店

 いやあ、すでに持っていた。タイトルは『風俗のパトロジー』。出版社が変わって、タイトルが少し変わって、訳者あとがきが変わって、中味はいっしょ。で、再読。『優雅な生活論』、『歩きかたの研究』、『近代興奮剤考』に分かれる。『優雅な生活論』:キラキラした贅沢ではない、抑えるところを抑えたシンプルなものがいいという。そして、その維持費をしっかりとかける。これがけっこう高くつく。『歩きかたの研究』:けっして急いで歩かないこと。キレイな歩きかたをする人は、肋骨までキレイなのだ。『近代興奮剤考』:酒、コーヒー、タバコなどに言及。とりすぎは粘膜をやられ、命を縮める。子孫の為にならん。何故かバルザック自身が不摂生の権化のようなイメージがあったが、言ってることはまるで正反対なのだ。ISIZEでバルザック企画をやるので、詳しくはそちらで。




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