〓 | 唐の第6代皇帝、玄宗(李隆基)が治めていた頃、県令を退職した王滔の息子で本書の主人公・王弁は仕事もせずにブラブラしていた。父王滔はいう<世間には大きな道が二つある。孔孟と老荘だ>。かつて孔孟の道を歩んできた王滔は、息子にそのもう1つの道、老荘の道を薦める。そこに現れたのが、美少女の仙人、<姓は僕、名も僕、字はそうだな、野人とでもしておくか>だ。その僕僕と王弁の2人の旅が始まる。仙人かつ美少女というのがエキサイティングだ。先ずは都、長安(現在は西安)を目指す。僕僕の仙人仲間との出会い、玄宗皇帝との出会い、そして最大の危機が渾沌との出会いだ。時間と空間が一体になる前に世界を治めていたのが渾沌だ(その逸話も面白い)。大冒険を経て、王弁は次第に恋心を抱くが、涼しい顔で巧みにかわされる。そのやりとりが愉快だ。実は僕僕も不肖の弟子、王弁を愛する。本格的な薬丹作りの修行、そして別れ。「日本ファンタジーノベル賞」というのも頷ける。続編もあるので非常に楽しみだ。 |
〓 | ええ話やなあ。親父とお袋と兄ちゃんと妹と犬との生活。みんななにやらちょっと変な奴らなんであるが、愛に溢れている。兄ちゃんは、男前で学校スター超人気者。妹は性格は変わっているが超美人。お袋は元美人で親父はちょっと大人しめ。サクラという雌犬は、ひかえめだったが、この家に飼われるようになってから元気になってきた。いろんな事件が起こるんであるが、家族の一致団結感がすばらしく、表現も豊かなので、読むのが楽しい小説であった。 |
〓 | なんちゅう素直な小説、って感じ。素直すぎてこちらが恥ずかしくなるくらいだ。椎名林檎とのSWITCHインタービューも面白かったし(椎名林檎のイメージがガラリと変わった)、とりあえずデビュー作の『あおい』から、ってことで。次の『さくら』も読んでみるかな。 |
〓 | 耳に心地良いバイオリンの音。テレビを見るとキリリとした料理人の山中木葉(池脇千鶴)の顔が飛び込んできた。この日からNHKの朝の連続ドラマ『ほんまもん』を見るようになった。去年の10月から始まったのに、見始めたのが今年の1月末から。すでに2/3は放送が終わっていた。家族を捨ててまで料理人の道を行こうとする木葉。えらくカッコイイではないか。しかも、なんか健気。こういうのに弱いなあ。ってことで、すでに放送は終了したんであるが、今回通して読んでみた。放送を見てなかったところで、えらいドラマがあったんやなぁ、と思った。庵主さまの言葉もなかなかいい。そして、なんと言っても木葉のパワーに勇気づけられる。原作は西荻弓絵。あの『ケイゾク』のライター。ノベライズは百瀬しのぶ。話はわかったが、やっぱり見逃した前半部が見たい。ああ、再放送やらんかなぁ。 |
〓 | キングコングの西野は、絵を描いているだけではなかった。多くの先輩芸人の歩んできた道を行くのではなく、今まで誰もやったことのない、独自路線で行くと決心した。そしてクラウドファウンディングやオンラインサロンを活用して成果をあげている。その彼が一番大事であると主張するのが<信用>だ。そして、バッシングされても本当のことを言うという姿勢だ。落合陽一の言うニッチなところをついた成功例かもしれない。西野亮廣も落合陽一のことを、本当の事言う人のグラフに入れているのが面白い。ということは西野亮廣と同じことをしてもダメかもしれないが、人と同じことをやらない、という姿勢は学びたい。 |
〓 | 地上の楽園計画を達成するため、地下に青酸ガスをまき、無差別大量殺戮を実施し、日本の政府から金を脅し取ろうとするもの。今の日本は狂人の国でそこから逃げ出そうとする犯人。汗と血とSEXのハードロマン。途中で出てくるマフィアには面喰らったが、読みごたえ十分である。 |
〓 | <およそ利己的な行動というものも没我的な行動というものもありはしないのだ。どちらの概念も、心理学的にはたわごとである。…愛とは「没我的なもの」であるべきだと説く、あのぞっとするナンセンスにまで至りついたのである…われわれはしっかりと自己の上に腰をすえ、毅然として自分の両脚で立たなければ、愛するということはできるものではないのだ。>ニーチェ発狂の前年に書かれた自伝。 |
〓 | 文庫本になったのを見つけ、早速購入した。東京藝大は、「美校」と呼ばれる美術学部と、「音校」と呼ばれる音楽学部に分かれる。「音校」の連中の練習量には圧倒される。「美校」の連中は、何かをつくらなければならないという衝動を抑えることができない、という感じだ。好きでやっている、というものを超えている。病気だ。<アーティストとしてやっていけるのは、ほんの一握り、いやほんの一つまみだよね>ということらしい。で、卒業生の半分くらいが<行方不明>だそうだ。サマセット・モームの『月と六ペンス』の主人公そのものではないか。東大工学部で建築をび、社会人経験を経て藝大の作曲科に入った人の言葉というのが印象深い。<最初は、社会の役に立たなければいけないということに捉われていました。でも東大で先生が言ってたんですね。『全ての建築は個人的な欲求からスタートする』と。依頼主のためとか、社会のためじゃなくて、個人的にやりたいことがあってこそ、だそうです。他社のニーズとは後からすり合わせていけばいいと。なるほど、と思いまして。やりたいことをやっていたほうが、周りの人も見ていて楽しいじゃないですか。それこそが結局は、社会のためになるかなと>。この考え方が好きですね。あとルーブル美術館にある「サモトラケのニケ」は一度見てみたい。 |