〓 | この人もNHKの『ニッポンのジレンマ』に出演していた若き起業家だ。これから社会に出ていくのに大事なのは<プログラミングと英語>、と言っていたのが印象的だ。ミレニアル世代とは、<1982年以降に生まれ、2000年頃にアメリカで大人とされる18歳になった人々のことを指す>とちゃんと説明してくれいる。先ず言葉がわからないといけない。スタートアップ(ベンチャーのこと)、キックスターター(クラウドファンディングサービス)、ウーバーが提供するモビリティ、エアビーアンドビーが提供するバカンシィ、UX(ユーザーの体験)とUI(ユーザーが触れる面、みたいな意味合い)の違い等々。インターネットの世界を中心に、新しく生まれた企業やそのサービスは凄い。そんな世の中でどうやって生きていくかを、自身の経験を基に語る。己の快を知り、仲間を増やしていく。但し、<自分の人生の配られたカードで最善のプレーをする>ということだ。それが未来の生きる道。 |
〓 | 私が見ている「赤」は他人が見ている「赤」と同じであるのか。これは私の長年の疑問である。他人が見ているこの世界は、自分の見ている世界と同じか?この本もその辺りから始まる(他我問題)。良く似たものなら良いが、まったく違ったものなら非常な孤独感がおしよせる。私とは何者であるのか、人はどのような動機で行動するのか、人と動物との比較など、言語問題をからめながら展開していく。特に言語、文法について、ヴィトゲンシュタイン、そしてソシュール研究家の丸山圭三郎などをひきあいに出しながら、著者との見解の違いを示していく。行為の正当化(人は何故それを行うのか)、そして倫理と道徳の問題など納得できるし、自分自身でもある程度整理ができた。著者いわく、<自分の子供時代の思索の総決算として本書を書いた>そうである。そういう直感的なものは子供の頃から既にあるものであり、それを整理して言葉で言い表わわそうとすることが哲学の始まりである。 |
〓 | 不良のための小説案内。この人の書いたものでは前に『不良のための読書術』というのを読んだ。確か、読書日記など付けずに読み飛ばせとか、すぐに忘れろとか、なんとかかんとか。まあまた読み返してみよう。で、今回の本はJ文学について語っている。J文学とは、まあ言や、最近の日本の小説なんである。町田康やら、赤坂真理やら、藤沢周なんかの人たちの書く小説。ポップで、ビジュアル系で、感覚的で。。。けっこうおもろいでえ、ってことを言っている。対談しているリリー・フランキーって人もなんやら面白そうだ。その後、ブックレビューがずらっと続く。福田和也の書評は、ははっ、そうですかー、って感じであるが、この人のは親しみがもてる。基本的にけなすことはしない、と言うか、そんな本は黙殺する(私も同感)ので、すべての本が面白そうに書いてある。カズオ・イシグロ、高橋源一郎、そしてエーコの『薔薇の名前』読んでみたいぞ。 |
〓 | 本をたくさん読んで不良になろう!「本は一冊律儀にすべて読むことはない(テキトーなところを20〜30ページ読む)」というゴダール式読書術のすすめ。読書日記はつけるな、本棚には重ね置きは好くない。(すぐにヒケないから)など。著者は1958年5月9日生まれ。 |
〓 | 洒落た短編集やなあ。アイデアがどれも素晴らしくて、短編であることで余計にその良さが引き立つ。表題作の『傍聞き』は、直接話をするのではなく、別の人に話をしている振りをして、盗み聞きさせるというもの。気になっていることは「耳がダンボになる」というやつだ。これがけっこう印象に残ったりする。『迷走』は、救急車のサイレンを流しながら、それを電話で聞いている人の居場所を探す。自分のサイレン音をその電話から聞くというもの。これには感心した。『899』は、ちょっとした懲らしめに自責の念を覚えるお話。『迷い箱』は、一種の「捨てる技術」を題材にしたもの。一気に捨てるのを躊躇う時は、一旦<迷い箱>に入れ1日1回目に触れるようにすると、数日経てば捨てる決心がつくというもの。どの話もよく出来ていて面白い。 |
〓 | 闘う女たちの記録である。悪魔のような刹奈紫之、読書好きの片桐かほる、スポーツウーマンの中井淳子など。解説・大月隆寛。 |
〓 | いいですね、このワガママ度合。痛快です。カッタルイ、虫酸が走る常識に風穴をあける。共感を覚えるところ多いです。嫌な気分にならないように、周りの空気を読んで、本当のことは言わずにまるく収める。パターン化した言い方、笑ってごまかす。この社会で生きてる限りは、いわゆる常識というものを身につけて気分良く過ごすのが得、というか精神のエネルギーは少なくてすむ。著者はこのパターン化した言い方を嫌う。<相手の気持ちを考えろよ!>、<おまえのためを思って言っているんだぞ!>等々。確かに、このまま行けば、アホになること間違いなし。パターンとして覚えているので、応用がきかん。本当にそうか?ってことを常に考えなあかん。大人数の常識という立派な暴力に抑えこまれ、ぐっと我慢して、あっぷあっぷしている人もいることを忘れちゃいかん。まあ、めんどうくさいので、軽く流したいことは多いんですが。 |
〓 | <アル中の問題は、基本的のは「好き嫌い」の問題ではない。…アル中になるのは、酒を道具として考える人間だ。…肉体と精神の鎮痛、麻痺、酩酊を渇望する者、そしてそれらの帰結として「死後の不感無覚」を夢見る者、彼等がアル中になる。これらはすべてのアディクト(中毒、依存症)に共通して言えることだ>。主人公は小島容(いるる)。変な名前だ。アル中で入院し、これ以上飲むと死ぬと宣告される。。しかし、小島は病院を抜け出し、飲んでしまう。酔って病院に帰った時に知らされる少年の死。霊安室での医師の赤河との乱闘。赤河は少々乱暴であるが、いいヤツだ。そして、友人の妹で家族をすべて失いながらも<自分のために自分を生きる>さやか。その中で小島はやはり生きていこうとする。。。35歳で病院にかつぎこまれた著者の実体験をもとに書かれた小説である。すべての酒飲み達へ。 |
〓 | <村の呪術の欠点は無知にあります。そしてあなた方の医学の欠点は不信にある>とキロンゾが言った辺りから、なにやらイヤな(うれしい)予感がした。これは凄いことになりそうだ。そしてその村に来た神父は、惨い最後を遂げた。この第U部の後半あたりから、ぐっと盛り上がってくる。アフリカでの気球の事故で娘を失った民族学者・大生部教授一家が、テレビ局のスタッフとともに、再びアフリカのケニヤへ行く。そこには黒人でアルビノ(白子)の大呪術者バキリがいた。バキリは言う。<神の掟だよ。蟻は蟻であるように、人は人であるように。それ以上を望まんようにという掟だ。…その掟を守り、運行するのが我々呪術師だ。…人を救うのも呪殺するのも、すべては掟の原理にのっとっている>。そして彼が使う呪具、前代未聞の邪悪な力をもつと言われた【バナナのキジーツ】とは。。。日本→ケニヤ→日本と舞台が移動しつつ、掟を守ろうとする大呪術者との大殺戮合戦が繰り広げられる。力作である。読み応え十分。中島らもの底力を見せてもらった。 |
〓 | 菅原法斎。職業、○ちがい。年齢78歳。16年前に発狂。特技カポエラ。カポエラとはブラジルの足しか使わない格闘技。なんたってぴちがいだもんで、怖いもんなし。しかし、このジジイ完全にぴちがいを演じとるで。みなが文句言わんのをええことに、もう好き放題。何したって、ぴちがいやからしゃあないわいとたいがいの事は許される。まあ、愛敬はあるな。もうちょっとで、「説得の太助」に○ちがいのふりしてるとこ見破られるとこあやったからなあ。このジジイが、なんか知らんが、「格闘技世界一決定戦」に出場することに。…ああ、おむつ、おむつ。 |
〓 | 鮫肌文珠の「ヤクザの絵日記」。ひさうちみちおの「大阪もんが安全で気持ちよく東京人になる方法」(やっぱり桑原和男とか船場太郎とか知ってるのは大阪人だけかなあ)。大阪弁によるα波の検出と納豆を食わんことによる、ハレー彗星のエネルギーに対する抵抗力不足が大阪における犯罪の多さにつながるという大阪犯罪考。カツ丼でやらしてくれるおばはんの話。桂べかことの対談など。その他ここには書けん話が多数有り。ちなみにカバーの絵は平和ラッパです。 |
〓 | 中島らもの創作上方落語。1番面白かったのは『おかるとかん平』。コピーライター志望のかん平が、求人情報で見つけた広告会社に面接に行く。そこは「能力ある若者求む」ではなく「超能力ある若者求む」であった。霊感占いの田中佐和子も登場する。 |
〓 | やっと読んだ中島らもを。この著者とはきっと感覚が合うとは思っていた。やっぱり面白い。<今ある自分というものは、必然のよってきたる結果なのであって、「なるようにしかならなかった」から「なるようになった」姿なわけです。…努力というものはたいていの場合、「知らないうちにしている」ものです。> |
〓 | 表題作の『猛スピードで母は』と『サイドカーに犬』の2本立て。『猛スピードで母は』が第126回の芥川賞受賞作。慎が想像する母は、<PKの瞬間のゴールキーパー>だ。<慎がなにかの偶然や不運な事故で窓枠の手すりを滑り落ちてしまったとしても決して悔やむまいとはじめから決めているのだ>。初めから、あきらめているわけではないが、最後の最後でどうしょうもなくなったら、それはしょうがない、というような達観したところがあるのだ。圧倒的に不利なゴールキーパーは、得点される可能性は高い。小説全体にもそんなムードが漂っている。それがかえって、結果にこだわらず、せいいっぱい生きるのだという迫力を慎は感じたのだ。ある種の寂しさとともに。 |
〓 | <メダルより図書券がほしい>という名セリフをはいた中田英寿。一日に2〜3千通のメールが届き、すべてに目を通しているそうだ。基本練習を大切にしている(対面パスに時間をかけるそうだ)彼は、凄いというよりも、えらくマトモな人間であった。実はわがHP名『英現堂オフィシャルホームページ』も中田選手の『中田英寿オフィシャルホームページ』をまねて付けたのだ。 |
〓 | <兄貴、死んでくれて本当に、本当にありがとう>。なんとも濃い関係であったことか。身も心もオンボロローだ。前作の自伝『翔べ!わが想いよ』では、あまり登場しなかった著者の兄が大活躍。というか、著者は兄にめちゃくちゃに振り回される。ニシンの網を買ったのを皮きりに、数々の事業に失敗し、弟である著者に金の無心に来る。しかし、家長であることにこだわりを持つ、見栄っ張りだ。うそつきの甘えんぼうのエエカッコしい。そしてしつこい。家族であるだけによけいに始末が悪い。愛と呼ぶには濃密過ぎる。バカな兄を他人には任せておけない。自分が生きている(見守れる)うちに死んでほしい。死んでくれてホッとした。心の底からそう思ったのだと思う。兄のニシン漁の失敗から出来た歌、「石狩晩歌」が心にしみる。 |
〓 | もの心がつき始めた頃、歌謡曲は全盛であった。そして、ヒット曲の多くがなかにし礼・作詞いうものだった。本書はそのなかにし礼の自伝エッセイ。満州で生まれた著者は、敗戦の後、母、姉とともに、命からがら日本に戻る。その後立教大学に入るも退学し、シャンソン喫茶「ジロー」で働きながらシャンソンの訳詞をおこなうようになる。そして、石原裕次郎との出会いがきっかけとなり、歌謡曲の詞を書くようになり、大ブレイクする。その多さと質の高さは、まさに天職って感じだ。知らずに口ずさんでいた歌が、実はなかにし礼の作詞というのもたくさんある。なかにし礼の歌は私の体にも浸み込んでいることを改めて知った。あの歌詞の魅力は、シャンソンにあるのかも。 |
〓 | 脳は意外と簡単に騙される。身なりもきちんとしていると、他人もきちんと扱ってくれる。家の周りもきれいにしていると、通行人もゴミを捨てない。改めて結構大事なことやと思う。面白かったのは、<認知不協和>が起きた時、どちらかの認知を変化させる。つらい仕事で給料が安いと、実は好きでやっている仕事であると自分自身を納得させる。その他、<サンクコストの錯覚>、<バンドワゴン効果>、<ハロー効果>、<ゲイン効果>など、日常生活で起きていることを名づけることで、逆に利用できるようになりそうだ。 |
〓 | なんという甘美なタイトル。努力は不要です、努力してはいけません。楽して儲けるような甘い言葉。なんてことを思うと、それは間違い。簡単に言えば、無駄な努力はするな、ってことだ。日本人は苦労をした分だけ報われる、ということにひかれがち。回り道をし、自分を痛めつけるような努力は止めるべき。もっと目的に向かって要領よく、というか正しく努力することを説いた本。まあ、そうなりがちなので、時々振り返るのがよさそう。 |
〓 | なんかようわからんタイトルですが、中味もかなり挑戦的で、ようわかりません。12の短編からなるのですが、こういうのがわかるのは、実際に小説を書いている人たちではないか、と思う。ヘタうまと言うか、ピカソの絵的というか。同じ作家であれば、こんな文章は書けん、なんて感心するかもしれん。創作側の立場に立たんと、この本の価値はわからんやろな。できるだけ、話の展開を予測不可能にし、意味があるような、ないような、ということを目指しているような気もする。以前に読んだ、ハロルド・ジェフィの『ストレート・レザー』もその種の部類に入る。かなり実験的小説。話しの流れの中で、とことどころ意表を突かれるところは楽しめる。 |
〓 | 作家・三好徹との対談。自己ベスト82を更新したいという三好徹。アプローチで常に同じクラブで打ち方を変える三好徹と、常に同じスウィングでクラブを変える中部銀次郎との話は興味深い。私もやっぱりクラブを変える方が良いように思う。女子プロゴルファーで世界ランク1位のアニカ・ソレンスタムは、タイガー・ウッズに1本のクラブでの打ち分けた方を教わり、それに変えたようだ。しかし、クラブを変える方が簡単で、アマチュアにはそっちを薦めると言っている。アマチュア道を貫いた中部銀次郎が説くゴルフとは、出来るだけ簡単なやり方で「心の迷いをなくす」ゴルフである。 |
〓 | アマチュアゴルファーの中部銀次郎は徹底した確率重視のゴルファーであった。スコアを良くする為には、無理なショットはしない。しかし、試合の前後ではこれまた徹底して練習するのである。特に心が乱れることによるミスを防ぐコツは面白い。できない色々を考えるのではなく、できることをシンプルにやり抜く事が好結果につながるのだ。「悠々として急げ」はカエサルの言葉。ラテン語で「festina lente」。 |
〓 | 中村文則の『世界の果て』に続く2冊目の短編集。2007年〜2014年に書かれたもので、実験的な小説が多い。『糸杉』はあのゴッホの絵を題材としたもの。女の後をつける。『嘔吐』、ドアの郵便受けから白いものが来る。『三つの車両』乗客の一人の男が膨らんでいく。『セールス・マン』、憂鬱を売りにセールスマンが来る。『体操座り』、三つ子のおっさんが登場。『妖怪の村』、鳥危険度レベル5。『三つのボール』は主人公がボールで、なんと人間は登場しない。『舵』、老人が裸の女をモデルに絵を描く。『信者たち』、小さな礼拝堂で性行為。『晩餐は続く』、犬の肉。『A』は戦時中の話。『B』も戦時中の話。『二年前のこと』、本当のこと? |
〓 | 小川洋子『薬指の標本』を思いだした。標本にして封じ込める。恋人の指を。小川洋子は薬指だったが、中村文則は小指だ。不安にさせる小説。心をざわつかせる小説。心配事がある時に読むと不安が倍増するから止めておいた方がよいかもしれない。ラストはエネルギーを爆発させて、ある境地にたどり着く。これも著者自身が語る初期の代表作。 |
〓 | これもまた濃密な小説だ。拳銃を拾った主人公。拳銃を持つとどうなるのか。持ったことはないが、この小説にあるようにしげしげと眺め、カッコイイと思うんだろうな。皮の袋にいれたり、時々持ち歩いたりして。そして次第にエスカレートいていく。その物は何の為にあるのか、ということを考え始める。ラストは本当に凄い。今年の収穫。面白い作家が見つかった。もう1つの小説『火』も収録されている。女が淡々と過去の犯罪を語る。こちらは、桃井かおりが主演する映画が決定したようです。 |
〓 | 濃密な小説だ。掏摸をする時の描写が細かく、臨場感に溢れる。それだけでも面白い。物語は昔のスリ仲間とともに強盗の計画に参加する。その首領のキャラが飛びぬけている。<この人生において最も美しい生き方は、苦痛と喜びを使い分けることだ。…(中略)もだえ苦しむ女を見ながら、笑うのではつまらない。…(中略)気の毒に思い、可哀そうに思い、…(中略)同情の涙を流しながら、もっと苦痛を与えるんだ>。てなことを言う男だ。心を大きく揺さぶることで快楽を得る男。そんな男から次の仕事を頼まれる。しかし、仕事をやり遂げたあとで、理不尽にも殺されそうになる。こんなことで死にたくないと思い、必死で生きようとする。大江健三郎賞受賞作。 |
〓 | 『月の下の子供』。赤子の思い出は、タオルに包まれ、見上げれば月が出ていたこと。『ゴミ屋敷』。妻が死んで、動かなくなった兄貴。女性ヘルパーに兄貴の面倒を見てもらうことにする。安部公房的やなあと思っていたら、安部公房の名前が出てきた。『戦争日和』。カラッとした不条理。『夜のざわめき』。主人公はずっと喉が渇いていたそうな。自動販売機で冷たいコーヒーを買うとした時から始まり、変な居酒屋(この場面は面白い)に行くが、なかなか飲み物を口にできない。『世界の果て』。5つの話で構成。犬を自転車で捨てに行く話に始まり、途中タイムスリップしたような別の話が3話。そしてまた、犬を自転車に乗せているところに戻ってくる。久々に前衛的というか、抽象的というか、感性的で、予定調和でない不条理小説を読んで面白かった。もう少し中村文則を読んでみたくなった。 |
〓 | 生涯独身であった偉人たちの生き様を紹介。カサノヴァ、モーパッサン、ココ・シャネル、アンデルセン、立原道造、コルベ神父、マザー・テレサ、エラスムス、ニュートン、カント、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ゴッホ、ナイティンゲール、津田梅子、エリザベス1世、上杉謙信、ジェイン・オースティン、小津安二郎ら。カサノヴァのようにモテすぎて生涯独身や、作品が子供であり、社会秩序からの自由も求めた芸術家たち、自己犠牲的な聖職者、エラスムスの説く<「正しい戦争」よりも「妥協の平和」>も心に響く。自分の決めた秩序ある生活を好んだカント、ふられ続けたゴッホ、国政安定の為、恋愛をはぐらかすエリザベス1世等、みなが必死に生きた結果がただ独身であったということだ。 |
〓 | ブログの方で、同じ本をみんなで読みましょう、って提案したくれた方がいて、この本を買った。でもスターツ出版文庫ってのが、書店のどの辺りにあるのかわからなく、見つからんからしゃあないと思っていたらなんとコミックやDVDのコーナーに置いてあった。探していた本が見つかるとうれしい。しかもバリバリの青春物で、新鮮でこころが洗われた。一番ぐっときたのは、主人公間宮すずが同級生の須賀の体に触れた時の須賀の言葉とそれに答えるすず。<「間宮の手って熱いな」…「人間の体温って熱いから、魚を素手でさわると火傷するんだよ」。「……須賀は魚なの?」>ってところ。 |
〓 | あの500万枚売れたという大ヒット曲『およげ!たいやきくん』のB面『いっぽんでもニンジン』を歌っているのがなぎら健壱である。と言うことでついでに有名になっている?人であるが、なんとなくすっとぼけたところが私は好きだ。そんななぎら健壱の書いた、フォークの歴史。高石ともやから本人、なぎら健壱まで16人を評する。よく知っているところでは、吉田拓郎、RCサクセション、泉谷しげる、もんたよしのり、井上陽水などが出てくる。なぎら健壱自身がフォークシンガーであり、彼等とのかかわりも深く、細かいエピソードが面白い。私の知らない人も登場するが、生き生きとした話ぶりに引き込まれてしまう。なんか奇人、変人の集まりのようだ。面白おかしい中にも、第3者の目でキッチリ見ているところはなかなか凄いと思う。 |
〓 | エースというと野球のピッチャーに使われることに馴染みがあるが、AKBという団体にもエースが存在し、それが前田敦子であった。前田敦子はエースかつセンターでもあったが、著者の言葉を借りれば、センターはそのチームの顔であるが、エースは顔であるとは限らない。センターを目指すのではなく、エースを目指せ、という。著者は「エースは誰にでもなれる」と言う。エースになるための条件として著者の独特の言い回しがある。短所は消すのではなく、出したり入れたりする。自己を確立する為に群れない。間違った自己犠牲はしない。謙虚と遠慮は違う等々、なるほどと思った。誰もが違った形でエースになれる、という勇気を与える書。こう書いていて、テニス漫画『エースをねらえ!』というのがあったのを思い出した。ちょっと違うか。 |
〓 | そうです。セックスはみんなのものです。決して、美男美女だけのものではありません(あとがきを受けて)。<さっきまであんなに大きくて固かったのに、今はねずみの赤ちゃんのようにくったりと小さく柔らかい>(『バイブを買いに』)<おちんちんは、本当におかしな食べ物だ。わたしの口に入るのに、決して咀嚼されることがない。そのくせ、あれほどわたしの心に作用するものはない。何か特別な栄養がある>(『心から』)なんか心地いいのである。う〜ん、まさに読むセックスです(エロ小説ではない)。単行本になってるので、読む機会にめぐり会えた。リトルモアなんか読まんもんなあ。ついでに、UAのCDも買ってしまった。たしかにUAも心地よい。 |
〓 | いや、愉快、愉快。想像した以上に面白かった。主人公・坊ちゃんは、真っ直ぐと言うか、気が短いと言うか、思慮が足らんというか。わかりやすく、愛すべき人間だ。それに比べて教頭の赤シャツは、ごちゃごちゃ考えるし、隠すし、嘘をつくしで、嫌な人間まるだしだ。こっちもわかりやすく、嫌な人間だ。青春ドラマの典型。時々読んで心を洗っておくのにいい。 |
〓 | 『三四郎』、『それから』、『門』と三部作の最後なんであるが、なんかまったりとしたもんになっている。物語に過激なところはなく、主人公の宗助は過去に友人から奪った女を妻とし生きてきた。その友人が久々に宗助の前に現れそうになると妙にそわそわとする。そして禅寺に行くのだが、悟りを開くまでには行かない。悟りを開かないのが現実っぽいとも言えるが、なんか良くわからん話であった。 |
〓 | その後の三四郎でないが、人間の成長過程における続き物と言えるかもしれない。主人公・代助は、過去の無意識の偽善を清算しようとする。かつては友人・平岡と美千代の結婚の斡旋をしたのだが、その妻を奪うのだ。その代償は大きい。親、兄弟から見放され、自分一人で生きていく道を選んだのだ。いいのか悪いのかを超えて、進む覚悟を決めたのだ。人間やはりどうしょうもない時がある。わがままかもしれない。でもそれが完全燃焼できることであったのであろう。代助はそれに賭けた。ある意味、代助の出発点であるとも言える。その後どうなったのか?と気になる。次は『門』だ。 |
〓 | 熊本から東京の大学に入学した小川三四郎。いろんな人との出会いがある。先ず車中で知り合った女との名古屋での一泊。もちろん手を出す三四郎ではない。東京に着いてからは、理科大学で研究に没頭する野々宮宋八と妹のよし子。級友でお調子者の佐々木与次郎、独身で達観的な広田先生、画家の原口、そして知性派の里見美禰子。自ら積極的に動く三四郎ではなかったが、美禰子に対しては彼なりのアプローチをしていく。美禰子も気があるのかないのか、わけのわからん事を口走り、三四郎を煙に巻く。ストーリー自体はなんてことない。その後の三四郎がどうなっていくのかが読みたいと思う。次は『それから』だ。 |
〓 | アガサ・クリスティーも言っているように、殺人の動機はやはりというか、残念ながらというか金の問題が多い。『こころ』の先生も同じように言う。普通は善人でいる人も、金の問題となると突如悪人になる、と私に諭すのだ。だから父親の死ぬ前に財産のことはきちっと片付けておけ、と。父親か危篤で郷里に帰っていた私は先生から自身が抱えていた暗い過去を書き綴った手紙を受け取る。同じ下宿に住む同級生のKが、下宿屋のお嬢さんを好きになったと先生に告白した。Kが来る前からお嬢さんを好きだった先生は、Kの告白時には何も答えられず、その代わりKのいない時に下宿屋の奥さんに「娘さんを下さい」と頼むのだ。快く応じる奥さん。自殺するK。娘はKの思いは知らずに先生と結婚する。そして先生も…。というお話。面白かった。漱石は<人間の心の研究をする者はこの小説を読め>と広告文に書いたそうだ。 |
〓 | 同じ著者の前作『22世紀の民主主義』。Youtubeで見聞きした内容と同じだろうと思ったので、読んでいないが、今回は資本主義についてなので、面白そうかなと思い、読んでみた。刺激的な内容で面白かった。<すべてが資本主義になる>。すべてがデータ化され、それが商品になる。お金以外の人の履歴などもデータ化され、人の価値も変わってくる。<市場が国家を食い尽くす>。一物多価となり、同じ商品でも買う人によって値段が変わる。そして国家ではなく、市場で再分配の是正や格差の是正が行えるようになる。<やがてお金は消えてなくなる>。<お金で測られる価値を介さず、それぞれの人の属性と過去の活動履歴データに基づき、誰が何を欲しているか、誰がなにを作ったりやったりすることができるか察知する。そして人々の好みを尊ぶ配分を計算し人々に行動を促す>。著者の言う<招き猫アルゴリズム>でそれを実現させる。そのやりとりの証が著者の言う<アートークン>。これの束が(従来のお金に代わる)測定できない価値となる。 |