〓 | この本を読んだような読まなかったような。読んだけれども、すでに半分忘れていたなら、読んだことにならないとも言える。しかし記憶のどこかにひっそりと隠れていて、何かのきっかけで、思い出すこともあるかもしれない。なんてこんな調子で書かれた短編集。作者も物語を綴ることに興味はなく、思考のプロセスを表現したいということのようだ。心がザワザワするので、元気な時に。 |
〓 | あの映画『ブレードランナー』の原作。第三次大戦後の世界。廃虚と化した地球に住む人間は少ない。そして奴隷として使っていた人間ロボット(アンドロイド)が反逆を起こす。そういうアンドロイドを退治するのがバウンティ・ハンター。主人公のリック・デッカードの職業である。本物の人間とロボットの見分け方で、感情移入度合の違いを検査する、というのは面白い。本物のペットも稀少価値で、リックは、電気羊(ロボット)を飼っている。タイトルから創造するよりけっこうアクション物であった。アンドロイドであっても、感情移入は起こる、という味付けがいい。 |
〓 | 再読。デカルトもやはり、1人で考え抜こうとした。真理に関しては、多数の声というものは、<私どもを説得するものは確実な認識であるよりは、まさにそれ以上に慣習と実例である>ので、妥当性はないとし、<…ただひとりの人間によって発見されるというのがはるかに真実に近いらしいから。…他のさまざまな意見を有する人を私は1人として択ぶことができなかった。そこで私はやむをえず自分を自分自身で導こうと企てなければならなかった>そうである。そして、自分の為の当座の準則をつくった。第一格率。極端な意見は避けながら国の法律、慣習に従う。第二格率。どこまでも志を堅くして、断じて迷わぬこと。第三格率。運命に、よりは自分にうち勝とう。というものである。一切を虚偽であると考えることでスタートした彼は、<「私は考える、それ故に私は有る」というこの真理がきわめて堅固であり、…これを私の探究しつつあった哲学の第一原理>とした。あの「cogito、ergo sum」だ。論文もなかなか世の中に発表しようとはしない。何故なら、それに対する意見を聞く時間がもったいない、精神を休養させることできない、意見を聞いたとしても、自分で想像したものと大差ない、という理由らしい。自分が死んでから公表したかったようだ。まあ、そうもいかなくなったらしいが。デカルトはけっこう裕福で、生活の為に職業に就く必要はなかったらしい。子どもの頃は脆弱で、眠りたいだけ、眠ることが許され、大人になってからも1日10時間は眠っていたらしい。岩波文庫では今は新訳となってます。 |
〓 | この本はなかなかいい本だと思う。仕事バカではなく、人生を豊かにする為の方法として共感できるところが多い。<人生の理想は「責務ミニマム、面白いことマキシマム」、仕事とはあえて言えば「どうでもいいもの」>等、グッとくるところが多い。元気になれる本だ。 |
〓 | 「白覆面の魔王」と言えば、知る人ぞ知る、名プロレスラーだ。プロレスがゴールデン タイムで放送されてた頃、数々の外人レスラーを見た。「鉄の爪」フリッツ・フォン・エ リック、「黒い魔神」ボボ・ブラジル、「吸血鬼」フレッド・ブラッシー等々。その中で もこの「白覆面の魔王」デストロイヤーはカッコ良かった。覆面の神秘性に加えて、すば やい身のこなし(寝転がった姿勢からヒョイっと起き上がるところは、中学の体育教師が 「ほら、デストロイヤーみたいやろ」といってやって見せた)、そして「四の字固め」と いう決め技を持っていたからだ。当時プロレスごっこと言えば、この四の字固めか、コブ ラツイストが人気だった。自ら「”インテリジェント・センセーショナル”ザ・デストロ イヤー」と名乗るところもカッコ良かった。本書ではマスクを着けていない写真も多く載 せている。それを見ると結構小柄で普通の人だ。今年で74才。息子もプロレスラーにな ったらしい。現在は水泳のコーチやら、FFC(フィギャー・フォー・クラブ)というNPOで 頑張っている。いつまでも元気でいて欲しい。 |
〓 | 両親に猛反対されるが、海外に出てみたいという思いは抑えきれなかったロビンソン・クルーソーは、友達の誘いで船に乗り込む。嵐に会い反省するも、嵐が止めばまた元気になる。そしてハリケーンに出会い船は解体するが、クルーソーは島に打ち上げられ命は助かった。そこから28年もの間、その島で暮らすことになる。船に残った物質で生き延び、家を建て、畑をつくり、ヤギの飼ったりしながら生活していくところは慎重で、我慢強い。その心の支えになったのはキリスト教であった。無人島で生活を安定させたクルーソーであるが、人の足跡を見つけた時は恐怖であった。そしてその島にやってきたのが人食い人種だ。捕まえた捕虜をその島に連れ込み、食ってしまう。そいつらとの戦いが山場となる。捕虜の一人を助けたことにより、仲間を増やし、ついには島を脱出することに成功する。その後クルーソーは、またも冒険に乗り出したそうだ。28年もの間無人島で過ごしたのに、もうコリゴリとはならなかった。 |
〓 | 面白い。著者の人生哲学なるものが、ストレートに出ていると思う。<小市民的幸福、家庭への幸福といった名の反幸福的停滞へ、覚醒の一石を投じることは「一般的理性」の判断の結果ではなく、劇的な想像力、諸関係へのあくなき好奇心であるというのが私の論拠である>。芸術家的見方?寺山修司は47歳で死んだ。その年齢に近づきつつある。 |
〓 | 前回『あゝ、荒野』を読んだときにはあまり感じなかったが、今回本書を読んでみて、寺山修司は誇り高き人であると感じた。それが速さへのあこがれであり、一点豪華主義であり、無礼ボーイのすすめであり、自殺学入門なのだ。アウトサイダーたる面目躍如である。うまく私の中に入ってきた。解説が中山千夏というのも泣かせる。 |
〓 | <つまり<バリカン>のような対人赤面恐怖の男は「憎まなければ、愛されない」ということを、もっと早く知るべきだったのである。>自分が吃るのは弱さのせいだと思った<バリカン>は、ボクシングジムに入門する。かたや少年院から出てきた新次は、パチンコ屋で声をかけられボクサーになる。新次は順調に勝つが、<バリカン>は、相手が憎めず、殴れない。そしていろいろ憎む練習をするのである。でもその練習相手が、老犬ではいかんなあ。ラストで新次と<バリカン>が試合をし。。締めくくりは思わず「うっ」となる。1966年に単行本として刊行されているだけに、随所に出てくる歌謡曲やら、CMソングやらがなつかしい。というか、知らんものもある。弘田三枝子の「アスパラ」のCMは覚えているぞ。なんせマドンナと言えば、吉永小百合って感じやからね。脇役もおもろい。早稲田大学の自殺研究会の川崎敬三。いつも「川崎敬三(そっくり)」って(そっくり)がつく。しかし、あの小林さんに「そーなんですよ。川崎さん」と返された川崎敬三はどうなったんでしょうか。 |