〓 | 純粋に日本の自動車メーカーと呼ばれるのも、トヨタとホンダだけになった。この本ではトヨタとホンダの規模あるいは社風による、それぞれの販売戦略、生産方式の違いを明かにしていく。面白かったのは、トヨタとホンダの違い、というよりも、日本とアメリカの市場特性の違い。<米国というのは価値観のわかりやすいところなんです。室内の大きさ、付属品、値段、メーカー(ブランド)に対する信頼感とかで、相当分かる。ところが日本の場合は、流行というか、スタイリングみたいな、クルマの本質的な価値とはちょっと違うところが、えらく大事になってくる>。ここんとこは、トヨタもホンダも同じ意見。これはアメリカが国土が広く、車をより必要とするから、という面もあるが、あらゆることについて言えると思う。要するに、文化の違い。わかりにくい日本、わかりやすいアメリカ。言い替えれば、必要なものなんてたいしてない日本、何かを必要とする(したい)アメリカ。 |
〓 | 漫画短編集。暗く、辛い話が多い。そこの住人にとっては日常生活であるが、他所者は排除される世界である。見てはいけないものを見てしまって、ちょっとツライという感じにさせられる。しかし、その世界になんとなく懐かしさがあるのだ。表題作『ねじ式』は、著者自身が夢に見たものをそのまま描いたというもの。寝てる時に心臓が圧迫されていたのかもしれん。悪い夢である。『初茸がり』、『長八の宿』はちょっとホッとする。 |
〓 | 大人の絵本童話。大人になって失ったもの……残酷さ、不安。大人とは今の社会(いいか悪いかは別にして)に適応する為に教育(洗脳)され、それを実践できるもの。著者は1959年、東京生まれ。 望月通陽氏の線画、なかなかいい。 |
〓 | 日本の集団の基本原理は義務と強制である「デタラメな日本紹介記事に抗議する」。そのほか「わたしはこうして健康に打ち勝った」「人気教授になる方法」など納得し、笑いのとれるネタ多数有り。著者はお茶の水女子大学教授(哲学専攻)。 |
〓 | 前著『われ笑う、ゆえにわれあり』の姉妹編である。2冊とも読んだのでおもしろさは5.82倍になった(著者談)。ウソ、屁理屈ゆえに断定的で、読むものにとっては痛快である。 |
〓 | 土屋賢二の本はこれで3冊目。あいかわらず、強引で、笑える言い訳、屁理屈である。「滞英往復書簡集」はなかなかおもしろい。 |
〓 | 土屋賢二、4冊目。ちょっと飽きてきた。このことは本人(著者)も気付いているようで(?)、最後は哲学の教授らしく、少し真面目に語り出した(といっても、初出はいろんなところに書いているので、編集の時に気をつけたのか?)。ということで、今回おもろかったのは、『首相になれといわれたら』、『ナンセンスの疑いー「わたしってだれ?」って何?』、『ユーモアのセンスとは何か』。 |
〓 | <これまで、本を何冊か出したが、いずれも面白いように売れ残っている>。(『熟慮は疲れる』)あいかわらずの名調子である。慣れてくると次の展開が予想できるようになるが、また読みたくなってくるという不思議な魅力がある。特にちょっと自分を笑ってみたい時にはよく効く。『才能のもてあまし方』、『何が一番重要か』などは、思わずなるほど、てな感じである。著者自身が描いた本文の挿絵では、「見るかげもなくやせ衰えたた北極グマの親子」が、キタキツネみたいでなかなか良い。 |
〓 | 土屋賢二のユーモアエッセイ。世の中のこと、というか日常のあれやこれやがどーでもよくなる本。いい意味で。全てのことが言いようによっては、なんとでも言えるからだ。というわけで気分がお落ち込んでいる時に読むと効果を発揮できそうだ。中でも稀代の聖人ツチヤのおことば、<危険は必要だ!>は、なかなか感慨深い。そしてなんと、著者紹介の欄までもうどーでもいい、って感じなんである。 |
〓 | 中途半端に強く、ズッコケがちな用心棒・丸木戸佐渡(マルキ・ド・サド?)がなかなかええ味でてると思う。その他、マリナーズの佐々木が魚屋役で登場したり、緒形拳もうどん屋の親父役で登場する。そう言えば、緒形拳も確かに大魔人に似ている。リバーシブルの帯にも驚いたが、カバーの裏の絵がすばらしい。どこかに貼っておきたくなる。大魔人は人々を幸せにする訳ではない。ただ悪を踏みつぶし、握りつぶすのだ。 |
〓 | 断筆解除後の初の短編集。表題作の『エンガッツィオ司令塔』は、お得意のドタバタ、エロ・グロ。これぞ筒井康隆って感じ。あいかわらずのパワフルさだ。そして『越天楽』、『東天紅』、『ご存知七福神』の七福神のシリーズ。今回はこれが一番面白い。地上に降りた七福神?やはりコイツら常人でない(神様だ)。おとぼけぶりがいい。今後筒井康隆の作品が載るのは、この文芸春秋の他「覚書き」を取り交わした出版社や新聞社からだけである。その辺りのいきさつも『附・断筆解禁宣言』に詳しい。 |
〓 | 久し振りの筒井康隆の新刊。帯に書いてあるのが<名作「時をかける少女」から35年ー。著者、会心の少年少女小説>。むむ、ジュブナイル(少年少女小説)か。いやあ、でも『時をかける少女』はよかった。主役の原田知世もバッチリはまってたしなあ(映画)。今回のお話は、刑務所から帰って来た祖父(通称ゴダケン、主人公の少女はグランパと呼ぶ)が、いじめの少年を改心させたり、地上げ屋を鎮圧させたりする。まあ正義の味方ぶりを身をもって示すのであるが、この本の中でゴダケン自身も言うように、勇気ではない、死に場所を求めているのである。じいさんなんで、きれいに死にたいんやと納得するのではなく、じいさんでなくとも、如何に死ぬかを考えねばならんという事を著者は言いたかったのかな。 |
〓 | 自然を敵にした時、人はどこまで戦えるのか?ここでの敵とは年齢である。天才筒井康隆が歳をとってしまう前に、老齢になった時を想像して書いた小説。日常の細かい描写が味わい深い。決して年齢に対して戦ってはいない。その年齢で楽しみ、ほのぼのとした作品になっている。何度でも読みたい。 |
〓 | 私にとっての筒井ワールドの入口となった本。 |
〓 | 筒井康隆ゆえに書評も面白い。と言っても筒井康隆の小説ほど面白くはないが、筒井ファンなら非常に興味のあるものである。あんなムチャクチャな小説を書くひとは、どんなムチャクチャな本を読んでいるのか?と思いきや、なかなかまともな本が多い。とまあ、そういうあたりは筒井康隆自身がこの本のなか(作家が書評をする時)でしっかりと解説している。 |
〓 | 断筆前から断筆後の対談、インタビュー集。筒井ワールドについては井上ひさしとの対談での解説がわかりやすい。インターネットについての対談もおもしろい。 |
〓 | 最初のバカさ加減にも笑っちゃうが、何ちゅう素直な子であることか、と思った。これも母親(ああちゃん)のなせる業。決して怒らず、ほめて育てる。否定されたことない子は、素直で強いなあ、と思った。学習歴史漫画を読みたくなった。 |
〓 | 前著『檻のなかのダンス』辺りから踊ることに快感を見い出した鶴見済。その魅力?をダンス仲間とともに語る。レイブとは野外で行われる大ダンスパーティー。ダンスをやり始めてから、人生観が変わったそうである。体が活性化するとともに、動物や植物、そして自然というものにひかれるようになる。あの『完全自殺マニュアル』からすれば、なんと健康的になったことか。善悪ではなく、イキイキと生きる。頭だけではなく、体ごと感じられる快感、これをシアワセと言ってもいい。まず、何が気持ちがいいか、自分の心と体から聴くことができることだ。社会革命とまでいくかどうかは疑問だが、まずは個人が気持ちよく生活できるようになること。 |
〓 | 自殺、クスリを肯定し、現状の社会ルールの枠をゆるがす鶴見済の最新刊。著者は、刑務所に入れられた経験から、実はこの社会自体も刑務所と同じ「檻」であるという。この監獄社会から開放される方法の1つがダンス。単調な繰り返し運動がもたらすトランス状態。これがかなり快感らしい。エクスタシーなどのクスリを併用するとなおのこといいが、踊りだけでもかなり気持ち良くなるらしい。海外、日本でもレイブと呼ばれる巨大ダンス集会が多くなってきているという。そこからは新しいなにものも生みださないが、そんなもの必要ないと説く。<それは、「勝利」とか「愛」といった「他者」との関係を前提とする従来の幸福ではない、言わば「化学的な幸福」だ。確かに抵抗はあるが、そっちが「正解」のようにも思える>。それもいいかもしれない。しかし、「とりあえず飯食う金はある」のが前提だ。 |
〓 | 「自殺は選択肢の1つである。自殺をしても、他人に迷惑をかけるな。」という信念に貫かれており、非常に読みやすい。驚いたのは年間2万人という、自殺者の多さ。(交通事故の1.5〜2倍) |
〓 | <幸せなんて「6000円」で買える。この間イラン人も売っていた。>脳と体をすっきりさせる実用書。「クスリ」「洗脳」「サイコセラピー」の解説書。「どうやって生きていくか」を「どうでもいいこと」にする本。著者は1964年東京生まれ。 |
〓 | 世界情勢、環境破壊、天皇制…についての世間のドンチャン騒ぎは無気力になる要因。<それがどうしたのか?…社会問題は、わざわざ探すものじゃなくて、自分の身辺に転がってたり、自分の体に刻み込まれてたりするはずだ。>無気力製造工場からの脱出のきっかけの書。 |