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■ ダイアー・W・ウエイン  「頭のいい」人はシンプルに生きる  三笠書房

 ものわかりのいい、いい人になるな。厄介者と思われろ。とまあこんな調子で説かれる「快適生活」。というよりもわがまま生活かもしれん。しかし、そうするには自分を変えることに億劫がるな、とか、自分の行動に責任を持て、というような前向な努力は必要なんである。わがままに、且つ快適に生活するには、怠惰ではダメなんじゃ。


■ 高岡英夫  からだには希望がある  総合法令

 高岡運動理論の実践篇。体のセンターの作り方を解説する。体のセンターのポイントはいつかあるが。そのひとつが膝の裏。よって、少し足が曲がった状態となる。センターを感じ、安定した立ち方をするコツは、ゆする、ゆれる、ゆるむの「ゆる」だ。法隆寺の五重の塔、薬師寺の三重の塔が、1000年以上ももっているのも、各パーツをゆるゆるに連結する柔構造であるからだ。達人はみなゆるんでいる?


■ 高岡英夫  超人のメカニズム  ぴいぷる社

 前回読んだ『スーパースターその極意のメカニズム』と違い、今回のものは、格闘技の達人たちの身体意識を探る。フランシスコ・フィリオ、マイク・タイソン、ピーター・アーツ、アンディ・フグ、藤原敏男、山下泰裕、アントン・ヘーシンク、アレルサンドル・カレリン、船木誠勝、桜庭和志、ヒクソン・グレーシー、ブルース・リー、そしてアントニオ猪木。驚いたのは、ブルース・リーの中丹田。人類史上これを上回るのは、なんとアレキサンダー大王ぐらいだそうだ。中丹田というのは<たぎるような闘志や勝利への熱い情熱、人を熱狂させる魅力などを生み出す>、らしい。逆にこの中丹田の強烈さが下丹田の形成を阻害しているそうだ。アントニオ猪木もここが発達している。著者は彼等の身体意識(ディレクト・システム)をチェックする時は、どうもビデオを見ているようだ。次は、身体意識を高めるトレーニングとやらを読んでみたい。


■ 高岡英夫  スーパースターその極意のメカニズム  総合法令

 独自の運動理論「ディレクト・システム(DS)」をもって、スポーツ界のスーパースターと呼ばれる人たちの個性を語る。このディレクト・システムというのは、著者の言葉によれば、「身体意識の構造と機能総体」。まあ、回転運動する時に言う「軸がある」とかいうやつだ。一番最初に解説している高橋尚子のは凄い。中心軸はしっかりしていて、中丹田が発達している。周りの応援も自身のエネルギーの替えてしまう、という。また逆に、中丹田のない長島茂雄は、本当の人間のやさしさはない、らしい。彼の影響力は大きく、今の日本の社会をつくった戦犯?のような評価だ。著者のいう人間の目指すところとは、<優れたセンターが通り、上中下の三丹田が揃う>であると言う。解説の中で一番凄いのが、陸上のマリオン・ジョーンズ。この人のディレクト・システムは、スポーツ選手を超えて、マザー・テレサの次元であると言う。著者の描くディレクト・システムの線画は、どうして描けるのかよくわかないが、非常に興味深いものである。本書では多くは語られていないが、筋肉に頼らず、身体意識により運動能力を高める独自のトレーニング方法もあるようである。


■ 高岡英夫  意識のかたち  講談社

 副題が「現代に甦る天才の秘密」である。この人が甦させたのは、なんと宮本武蔵である。それも武蔵の肖像画を唯一の手がかりとして、武蔵の身体意識がどこにあり、その意識によってどういう動きになるかを実演してみせる。身体意識とはバレエの「センター」であり、ゴルフや野球の「軸」、その他武道系でいうところの「正中線」、「丹田」などのことである。筋力よりもその身体意識が大事であるとし、そのトレーニングやり方などを解説する。わが師・柳川昌弘も登場する。<現代空手の大家、柳川昌弘氏の場合には左右のジンブレイドの形状の違いと動きの対応関係までも、確認していただきました>。【ジンブレイド】というのは著者の造語で、身体意識のラインのようなもの。それらを働かせるのが【ディレクト・システム】と著者は呼ぶ。おもしろいのは現代人は「身体言葉」(身にしみる、目くばせ、腰をいれる等)を使わなくなったので、身体意識が薄くなったというところ。


■ 高木彬光  白昼の死角  角川文庫

 ピカレスクロマン。戦後の混乱期、一高(東大)の学生がつくった金融業「光クラブ」をモデルにした悪党小説。最初のリーダーは才気ばしっていたが、線が細く、自殺においこまれる。その後を継いだ主人公が大悪事をくりひろげていく。15年以上前に映画化された(有楽町の映画館で見た)時に読んだ。その映画のテーマ曲「欲望の街」(ダウンタウンブギウギバンド)もなかなかの名曲だと思う。


■ 高木一行  鉄人を創る肥田式強健術  学習研究社

 純健康の要素は1.正中心鍛錬、2.純自然体休養姿勢、3.真食養の3つである。この肥田式強健術では姿勢の正しさを重要視する。正しい姿勢とは、正しい中心(正中心)を得ることである。正中心を得ることにより、無限の力がひきだされる。


■ 高木卓訳  現代語訳 義経記  河出文庫

 面白い。兄頼朝とともに源氏再興を企てようとした義経だが、逆に頼朝から狙われ、弁慶らとともに逃亡の旅。そして最後は自害。淡々と語られるが、中身は凄まじい。NHKの大河ドラマではどこまでやるかな。見てないけど。父は源義朝(左馬頭と呼ばれた)。その三男が頼朝(「鎌倉どの」と呼ばれる)で、九男が義経。兄弟のうち一番末の弟であった牛若。遮那王と名前を変え、そして後に自ら「佐馬九郎(さまのくろう)義経」と名乗る。本書では義経の華々しいところはあまりなく、ほとんどが逃げの隠れの旅だ。義経を先に行かせ、敵を待ち受けた左藤忠信の最後は特に凄かった。武蔵坊弁慶は最後までかっこよい。この時代、殺すか、殺されるかなんてのは日常のことだ。その分、緊張感に満ちている。どのように死ぬかを男女問わず、常に考えておるのだ。


■ 高野誠鮮  ローマ法王に米を食べさせた男  講談社

 これまた凄い行動力の人だ。前向きというか、積極的というか、当たって砕けろというか。身分は石川県にある羽咋市の市役所職員で、かつ住職でもある。農林課にとばされたが、めげずに農村の立て直しを図る。JAを通さずに生産者自身で作物を売って利益を得る方法を身をもって示したり、宮内庁やローマ法王に直接手紙を送り羽咋の米を宣伝したり、人工衛星を使って農地の状態を調べたり等、会議にかけたら絶対つぶされそうなことを独断でやっていく。相手の肩書きにも躊躇せずに直接交渉で実現していく。宇宙に比べれば人間なんてちっぽけなもん、という発想だ。そしてほとんどが事後報告。その行動力も凄いが、それを認めた上司も太っ腹。他にも古文書を読んでUFOの町ということで村おこしをし、NASAと交渉して月の石やロケットを借りて宇宙科学博物館も設立したり、また化学肥料を使わない自然栽培農法の展開<このやり方をすると腐らずに枯れる>したりと大活躍である。科学的な目を持ち、おおらかな心を持つ超実践派。何でもやってやろうという気にさせる本だ。


■ 高橋明 with MADARA PROJEST  MADARA影  メディアワークス

 コミック。現代に転生。場所は東京。ユダヤ(聖神邪)とキリン(伏姫輝憐として登場)は飛鳥学園において、現代のマダラ、光河飛雄と現代の影王、光河光と出会う。実際どっちがマダラかは、はっきりしないのであるが。彼等兄弟の父は生命工学の権威、光河三郎であるが事故死している。沙門は高校教師として登場。何者かによってさらわれたマダラ、光河飛雄は、エンジェル・チャーチという新興宗教団体の指導者として再登場。そして再度どこかへ消える。飛雄(マダラ?)を探す兄の光(影王)。そして飛雄を追う者に光も狙われる。第1部ENDとなっているので、話は続くか。。これも何故か作者・田島昭宇でなくなっている


■ たかはしあゆむ  毎日が冒険  サンクチュアリ出版

 いや〜、元気、元気。思い立ったら、即実行。カウボーイにあこがれて、いきなりアメリカにいったり、トム・クルーズの『カクテル』を見て店を持ったり、サイババに会いたくなってインドへ行ったり、挙句の果ては、自伝を出すことに思い至り、出版社(↑SANCTUARY BOOKS)までつくってしまった。実話だそうである。この実行力は凄まじい。この本自体もふざけてて、ペアチケット風しおりが付いていたり、CDまで付いている。続きはインターネットでどうぞときたもんだ。ここまでやりゃ立派。こっちまで、元気が出てくる。何故か、江川昭子も推薦。


■ 高橋がなり  がなり流!  青春出版社

 TV「¥マネーの虎」に出演していた高橋がなりの本。佐川急便に入社したあと、テレビの仕事であのテリー伊藤の下に居たらしい。今はビデオ制作会社の社長だ。元TVマンらしいと思ったのは、「アオリ」と「フカン」の例え。演歌歌手をテレビカメラで撮る場合、イントロの時には上からの「フカン」で、サビのところで下からの「アオリ」となる。逆境に陥った時など、「アオリ」で感情たっぷり、自分中心になりがちだが、時には離れて「フカン」で自分自身を見ろ、とまあそういうことだ。佐川急便の頃からトップをとっていたらしい。会社を潰して失敗しても、かつての成功体験が彼を支えているのだ。成功体験のない人は「勝ち馬に乗れ」と言う。彼にとっては、テリー伊藤がそうであったらしい。


■ 高橋源一郎  さようなら、ギャングたち  講談社文芸文庫

 姿勢を正しくして読む本ではない。できれば姿勢をくずして、気楽に読むとおもしろい。あらすじも追わないほうがいい。ようわからんし。娘キャラウェイは、健気だ。死んで、墓地につれていく時に、自分で歩いて行く、なんて言うし、死んで棚に入れられているのに、じっと立って見ていると、もう帰っていいよ、なんて言う。大観覧車は自殺するし、レコードの中に迷いこんだヤツから電話があるし、詩の学校には、文字通り、わけのわからないものが教室に入ってくる。そして、ギャングになろうとした私は、ナイスなギャングにはなれなかったのか。。。全体的にカラリとしたもの悲しさがある。高橋源一郎のデビュー作。


■ 高松志門  GOLF チカラの抜き方飛ばし方  ゴルフダイジェスト社

 <いかにヘッド(太刀先)を感じるか>を追求し、その結果生まれたのが<ゆるゆるグリップ>であり、そしてそれは、<左手を意識しない>スイングなのだそうだ。それは示現流剣法の<太刀先を感じるためには、左手を使わないのが良い>ことに通じるそうだ。高松志門もゴルフを始めてから、フォロースウィングの過程での左腕の存在に違和感を持っていて、左腕全体を意識から消すのに10年かかったそうだ。そして気持ちよくヘッドを振ることができたそうだ。また、スクエアに立つなんぞは考えず、打ちたい方向を見るだけ、というのも高松志門らしい。気持ちよく楽しいゴルフを目指す。それと、力を抜いてグリップを握るにはグローブをした方がいいそうだ。やってみよう。


■ 橘田規+高松志門  非力のゴルフ  光文社知恵の森文庫

 NHKの趣味悠々をたまたま観て、高松志門って面白いおっさんやなぁ、と思った。その教え方は独特だが、一貫している。クラブをいかに速く振るかを徹底的に説く。ゆるゆるグリップもその1つだ。すべてはヘッドスピードをいかに速くするかに集約される。<ボールを真っ直ぐ飛ばすのはヘッドの速さである>と言い切る。痛快だ。飛距離だけでなく、方向性も良くなるというのが良い。著者の師匠が橘田規だ。橘田規は小柄で細身また胃潰瘍という持病に悩まされ、体力の一番無い時にこの打法を編み出したそうだ。プロで勝利を重ね、あのジャンボ尾崎も、この人を見てプロになろうと決意したという。前半は「水平打法」と呼ばれたその教えを中心として解説し、後半は著者によるその応用編だ。その応用編で思わず笑ったのが、下り斜面へのアプローチでの、低くよれよれのボールの打ち方。<きちんと立ってはいけない。…アドレスで先ずだらしない立ち方をして、適当な気持ちで打つようにしたほうがよい>。なるほど。


■ 高見広春  バトル・ロワイヤル  太田出版

 <「皆さんは、今年の”プログラム”対象クラスに選ばれました」・・・>。修学旅行のはずが・・・。あまりの反社会性ゆえに、文学賞は落選を繰り返し、口づてに「問題作」との噂が広まり、出版にこぎつけるのもやっとというイワク付きの小説である。で、非常に面白い。666ページと長いが、飽きずに読むことができる。 先ず設定が凄い。全国から任意に選ばれた中学3年生のあるクラス。最後の1人だけが生き残るという政府(大東共和国)主催の殺人ゲーム(「プログラム」と呼ばれる)である。しかし、みんな中学生とは思えんぐらい凄い。友情あり、恋愛あり、裏切りありであるが、どこでそんな人生経験積んできたんや!って感じである。イメージとしては大学生か、それ以上の達者なヤツが多い。子ども同士の殺し合いとはとうてい思えん。そこがまあ、ちょっとは救われる?いやいや、今時の中学生はあなどれん。子ども扱いは禁物かも。高見広春のデビュー作。1969年、兵庫県生まれ。


■ 瀧本哲史  武器としての交渉思考  星海社新書

  前作『武器としての決断思考』に続く第2弾。決断して実行していく為には、人との交渉が必ず必要になる。その交渉のテクニカルな説明書でもある。若者たち向けに書かれた、社会に出て必要になる、専門知識以外のことについて、自分で考え、決断していかねばならないというある意味一番重要なことについての本。ポイントは<バトナ>。バトナとは<相手の提案に合意する以外の選択肢のなかで、いちばん良いもの>


■ 瀧本哲史  武器としての決断思考  星海社新書

 NHKの『日本のジレンマ』で知った瀧本哲史。京大の大学生に講義の内容をまとめたもの。基本的には自分で考えて、自分で決めていくことの薦め。本書はそのテクニカルな面を詳しく書いている。ディベートの基本もわかる。シーナ・アイエンガー教授の『選択の科学も』そうだが、これからの日本人は特に必要なことなんだろうな。ポイントは<「いまの最善解」を導き出して、とにかく行動すること>


■ 瀧本哲史  僕は君たちに武器を配りたい  講談社

 年始のNHKの番組で『新世代が解く!ニッポンのジレンマ』というのをやっていた。朝まで生テレビのような討論番組ではあったが、メンバーはかなり若返った面々だ。パネラーも面白かったが、途中で紹介された人物で本書の著者、瀧本哲史がいた。これから社会へ出て行く若者に向けてのメッセージだ。それは<非情で残酷な日本社会を生き抜くための、「ゲリラ戦」のすすめ>。「英語・IT・会計知識」を<奴隷の学問>と言い、代わりのきくその他大勢にならないように、スペシャルな人間になれという。また投資家としての目を持つように薦める。<非情で残酷な日本社会>に飲み込まれないように、投資したらうまく回収することが大事であると言う。会社員であっても、その会社に投資していると捉える。この悪い社会と戦い、負けない方法って感じだ。なんか殺伐とした感じがしないでもないが、自分の頭で考えることの重要性、そして投資家として最も重要なことが、<「リベラル・アーツ」を学ぶこと>というところはいい。幅広い分野の学問領域を横断的に学ぶことは大賛成だ。


■ 田口美喜夫  機長の一万日  講談社+α文庫

 ああ、重力から自由になりたい。私事であるが、飛行機が嫌いでね。飛行機に関する本を読めば、飛行理論に詳しくなって、安全な乗り物であることが確信できると思った。しかし、逆だ。なんと操縦は難しいもんであるかが解かった。今度乗るときは、積乱雲に突っ込まないかとか、離陸決心速度になったら絶対飛べよとか、機長も結構ヒヤヒヤして操縦してるとか、操縦の苦労を知るに連れ、心配事が増える一方だ。最後の方で、<飛行機は自分で安定しようとする性質を持っている>とか<そうそう飛行機というものは簡単に落ちるものではない>という文章に出会うが、絶対安心ではない。「頑張ってください」としか言えません。まあでも話は面白いし、読んでよかったと思う。昔は飛行機の現在位置を知るのに、コックピットの上の窓を開け、天体望遠鏡で星を見て確認したという。のどかだな。大連の東方ホテルの日本料理店にこの単行本が置いてあった。1/3ほど飯食いながら読み、後は日本に帰ってから文庫本を買って読んだ。


■ 田口ランディ  モザイク  幻冬舎

 『コンセント』、『アンテナ』に続く3部作の最後『モザイク』だ。最近話題のニュースをうまく取り込みながら書いており、いかにも現代の問題をさぐっているようでもある。しかし、ほとんどがうなずけるようなもので、現代特有の問題をえぐり出しているのではなく、実はけっこう古典的な内容であるような気がする。多方面からの、気のきいた言い回しや、知識を披露しているような点も気になる。ちょっと詰め込み過ぎかな。読んでいて違和感がなく、まあまあ面白いのであるが、心に残るような気がしない。


■ 田口ランディ  アンテナ  幻冬舎

 前作『コンセント』では、セックスで人類を救う、てな感じであったが、今回は、他人を救うなんてことはできない。やはり自分自身で解決しなければいけないものだ、と変わってきたようだ。お話は妹の失踪から始まる。そして家族はそのことにどう折り合いをつけていくか。宗教に走る母親、妹の代わりになろうとする弟。そして主人公はSM研究。それぞれが妄想の世界で生きるようになる。そこからの脱出は、自分自身で決着をつけた時(死者を死者として受け入れた時)、初めて可能になる。死者の魂などはない。それは生きる者の中にだけある。もっと言えば、狂気の中にいる人間を救うというだけではない。どんな人間でも自分に都合がいいように妄想の中で生きている、と言うこともできる。本書を読むと、人類は生殖する為に生まれてきた、と考えるほうがいっそ清々しい気分にもなる。次作『モザイク』では、もうちょっと精神と肉体のバランスが強調されるのかな。<人類が百億を越えた時に、人類の質的変容を遂げるのかも…>という辺りをもっとつっこんでほしい。


■ 田口ランディ  馬鹿な男ほど愛おしい  晶文社

 大人の女、田口ランディの痛快エッセイだ。なんでもかんでも正直にしゃっべちゃうぞーって感じがすがすがしい。自分のことをチビで、ブスなんて言いながら、恋愛経験も豊富で、実生活でのパワーを感じる。18歳で家を飛びだし、ホステスをしたり、自分の会社をつくったり、インターネットでエッセイを書いたり、最近は『コンセント』という小説も書いた。なかなかの酒豪でもあるようだ。自分の力をうまく発揮できているようだ。ペンネームをランディにしたおかげで、けっこう強気な発言ができるようになったらしい。この本の内容は、インターネットで発表したものを加筆、修正したもの。→ここ(リンク切れ)です。


■ 田口ランディ  コンセント  幻冬舎

 <世界は振動でできている。命はバイブレーションだ>。なかなかの名言だと思う。コンセントを入れて社会とつながりを持ったり、コンセントを抜くことによって社会と断絶する。社会のバイブレーションと共鳴できないのは悲劇でもある。そこで必要なのは現代社会(特に都会)におけるシャーマンなる存在だ。主人公は、兄の死を通してそのことを覚り、現代のシャーマンたらんとしたのであろう。が、そのやり方は。。。そういうのもあるんだろうけど。


■ 武智鉄二  舞踊の芸  東京書籍

 <舞踊は生産的な労働の身ぶりの、芸術的昇華の所産であった>。農耕民族であった日本人は2拍子、4拍子(あるいは無拍子)であり、騎馬民族は3拍子のリズムで生産を行う。日本人の生産とは、ナンバと言われる動きで田を耕すことであり、大陸の騎馬民族の生産とは、馬にのって略奪することである。日本人のは摺り足の「舞い」で、騎馬民族のはジャンプを伴う「踊り」である。日本の地においても、「踊り」は存在したが、それは輸入されたものであった。その歴史的考察が本書である。その内容も濃く、多岐にわたるが、先ず口絵の写真から驚かされる。スリラーを踊る川口秀子と尾上菊五郎。解説によれば<川口秀子がマイケル・ジャクソンのいきな踊に感銘。またスリラーに日本の禅の精神に通うものを感じ創作した作品>。「マイケル・ジャクソンのいきな踊」というのが趣き深い。「天の岩戸の舞」は実は「踊り」であり、かつストリップであったとか、はたまた言葉の問題にもおよび、女陰の呼称を地域別に説明した「おめこ地図」などもある。まさに狂気乱舞の書。(大阪府立中之島図書館)


■ 竹宮惠子  エルメスの道  中公文庫コミック版

 馬の鞍をつくっていたエルメスが、今日のブランドたりえた理由はどこにあるか。馬の鞍入れ用ととして製作したサック・オータクロという鞄。クウジュ・セリエという鞍を縫う特別な技術を使う。鞄へのファスナーの採用。それが評判となり、旅行用鞄へと変わっていく。のちに「ケリーバック」と呼ばれるものだ。「カレ」と呼ばれるスカーフには、シルクスクリーンを採用した。こうした鞍作りから、次に売れるものをうまく製品化したこと。新旧の製作技術の応用。そしてなによりも、頑固一徹、品質第一主義だけでなく、販売という仕事を確立したことが大きいようだ。


■ 竹村光繁  宇多田ヒカルのつくり方  宝島社新書

 「ドはドーナツのミ」が正しいらしい。ギャグかなと思ったが、絶対音感を持つ人にとっては、それが正解らしい。日本の音楽をズタズタにしたのは小室哲哉、日本の音楽業界のアーティストに対する扱いのひどさ、そして、早期音楽教育の弊害等について語る。著者は3歳から厳しいピアノの練習をやらされ、一時はかなりボーッとした無気力な子になってしまったそうだ。バカ親ではなく、りっぱな親バカのもとで、伸び伸びそだてようというのが1つの結論。それよりもなによりも、著者による「First LOVE」の全曲解説、これはなかなかいい。知らない音楽用語もバシバシ出てくるが、あまり気にならず、よさを伝えたいという気持ちが、よく伝わってくる。


■ 田島昭宇  MADARA赤 2巻  メディアワークス

 コミック。第2巻を買ったので、1〜3巻を通して読み直した。『MADARA』とは違う場所フダラクでのお話。『MADARA』で出てきた聖神邪が『赤』では赤い髪の男、ユダヤとして登場し、同じく『MADARA』で出てきた沙門も登場するのでややこしくなるが、話の関連はない。で、『赤』であるが、ムーを中心とする子どもたちとその土地を守る不滅竜VSクリシュナ王家との戦いとなる。ムーはもともとクリシュナ王家の第8皇子であるが、赤い砂にやられる村人たちと運命を共にした為にクリシュナ王家と対決するハメになる。この辺りがなんとなく、前作の『MADARA』とそっくり。最大の敵はクリシュナ王家の第5皇子のグウィン。コイツはなかなか個性的で良い。野望に燃え、父を殺し、自らの体を水銀生命体の完全体とした。その姿はまるで化け物のようになった。そのグウィンに仕える賢者ヘルメスとその妻プレシャ。そして、ムーが慕っていた第7皇子カルマが微妙にからむ。勝負の決め手は、賢者ヘルメスがグウィンを見限って、ムーの味方になったことと、カルマはやはりムーの味方であったこと、プレシャが心を持ったこと、そして村にいた、風使いの子レラの力、赤い髪の男、ユダヤ(聖神邪)も大活躍による。最後にプレシャが不滅竜に姿を変えたのには驚いた。


■ 田島昭宇  MADARA赤 1巻、3巻  メディアワークス

 コミック。『MADARA』の続きだが、前回の主人公マダラは出てこない。そのかわりマダラによく似たムーが主人公となる。場所は赤砂の国、フダラク。不滅竜とムーがこの地を守る。しかし、巻末の資料やらなんやら読まんと関係がわかりにくい。2巻抜けてるし。


■ 田島昭宇  MADARA 転生編  メディアワークス

 コミック。摩陀羅の物語が時空を超えて現代に。伏姫輝燐が「解脱学園」に入学する。そこでは前世で共に戦った仲間たちが。転生編の『赤い綬蛇矢』と『風も沙門』。その他『聖ユダヤ伝』、『MADARA青』、『風になるまで』(MADARA赤のプレストーリー)が収められている。


■ 田島昭宇  魍魎戦記 MADARA 1巻〜4巻  角川書店

 コミック。大塚英志の小説、角川スニーカー文庫『マダラ ミレニアム 転生編1』を買って、その前のお話、電撃文庫『摩陀羅 天使編1、2』を買う。そして、その前のお話がコミック版として『MADARA壱』『MADARA赤』『MADARA転生編』などがあることを知る。この他に『MADARA外伝 死海のギルガメッシュ』『MADARA弐 伐叉羅伝』などがある。今回読んだ4冊(胎蔵編〜輪廻編)は『MADARA壱』にあたる。ああややこしい。やっと最初のヤツに辿り着いたので、読んだ。理想郷を求めての戦いである。主人公はマダラ、そしてキリン(けっこうかわいい)。最大の敵はミロク。最後のミロクの言葉(死んだ訳ではないが)<理想郷にすがる人の弱き心が私の糧だ!!>はなかなかよい。話は終わらない。敵を倒す度に力がレベルアップしていく辺りが非常にゲーム的(実際ゲームにもなっている)。スターウォーズにも似た神話の世界である。


■ 橘玲  裏道を行け ディストピア世界をHACKする  講談社現代新書

 <ふつうに生きていたら転落する><常識やルールの「裏をかく」>というけっこう煽り系な感じではあるが、今までの通りやっていくだけではダメである、というのは同感。<ハッカーとは、常識やルールを無視して。ふつうの奴らの上を行く」者たちのことなのだ。>そして、恋愛をハックする者、金融市場をハックする者、脳をハックする者(報酬系をハックされてされて依存症になる)、自分をハックする者、そして世界をハック者たちのこれまでの実践してきたことを紹介している。中でも<現実をゲームのように修復する>というのは面白いと思った。FIREで引退するのではなく、ずっとBOBOS、経済的に恵まれているスペシャリストで、<最先端のハイテクに囲まれながら、自然で素朴なものに最高の価値を見出す>生活は憧れだ。


■ 辰巳渚  「捨てる!」技術  宝島社新書

 こういう本は買わんとこうと思ってたんやが、ついつい出張先のコンビニで買ってしまった。タイトルだけで売れてしまう、という本やな。売れてるのもネーミングの勝利、って感じか。内容はまあ、捨ててしまって、あとから困ることはほとんどないから思いきって捨てなさい、というもの。わかっちゃいるけど、なんとかである。次なる本のタイトルは、、、『捨てる快感』、『あっちゃ向いて、ポイ』、『大捨力』、『なにも買わない、もらわない』、『身の周りの役たたず』どーすか??


■ 田中慎弥  共喰い  集英社文庫

 表題作『共喰い』。下水道設備のない川のそばに住む主人公篠垣遠馬と父親、別居の母親。その川では鰻がつれる。母が捌き、父が食う。なんか食べたくないな。母は戦争で右手首を失くし、それでも結婚するという年下の父と一緒になった。父はSEXの時に殴るという癖を持つ。だんだんと嫌な父親に似てくる遠馬。決断は母が行った。強烈な個性は母にあった。『第三紀層の魚』主人公信道と曽祖父、祖母、そして母親。曽祖父は釣りの指南役であったが、亡くなってしまう。信道は母とともにその家を離れ、東京へ行く。印象的なのがここでも母の決断。芥川賞受賞作。『源氏物語』について語る巻末の瀬戸内寂聴との対談も面白い。


■ 田辺聖子  ジョゼと虎と魚たち  角川文庫

 いいですねえ、この角のない文章。大阪弁と相俟って、柔らかいええ雰囲気でています。切った張ったはないが、日常から少しずれたところに居る男と女。これがいい。『雪の降るまで』の大庭の言葉ではないが、正に<…じっくり楽しむことのでける余裕が人間の教養>です。


■ 谷崎潤一郎  陰翳礼讃  中公文庫

 日本の美は、闇がなければひきたたない。と言うか、薄暗い感じの中で創られてきたものなので、あんまり明るいところでは、効果半減ってわけだ。金の屏風にしても、どこからか差し込むぼやっとした光を反射した時が美しいという。食器も陶器のようなテカテカのものではなく、中味がわかりにくい、漆器の方がいいという。まあ熱いものが入っていても持てるしね。西洋流のテカテカ、ピカピカは、あまりにも直接的で、大味で、日本人に合わない。誤魔化しはきかんし。肌の白さにおいても、西洋人は、スコーンとあっけらか〜んと白く、日本人のはくすんでいるという。それがまた暗闇では、人間離れした白さとなるらしい。現代において、花鳥風月を求めれば、金はかかるし、ちょっと不衛生ではある。しかし、あまりにも明るく、ガラス張りといのも味けない。目指すは、金のかからん衛生的な花鳥風月か。あるか?


■ 田原総一郎  日本を変える!若手論客20の提言  潮出版社

  田原総一郎と若手論客20人の対談集。対談相手は古市憲寿(1985)、與那覇潤(1979)、加藤嘉一(1984)、安藤美冬(1980)、坂口恭平(1978)、宇野常寛(1978)、萱野稔人(1970)、土井香苗(1975)、新雅史(1973)、細谷雄一(1971)、速水健朗(1973)、開沼博(1984)、木村草太(1980)、家入一真(1978)、山崎亮(1973)、西田亮介(1983)、小川仁志(1970)、今野春貴(1983)、白井聡(1977)、堀江貴文(1972)の20人。()内は生れた年。29〜44歳だから、まあ若手だ。『ニッポンのジレンマ』出演メンバーも多い。それぞれがコンパクトにまとまっているので読みやすい。日本も彼らとともにどんどん変わってきているんだなと思う。


■ 田原総一郎+上祐史浩  危険な宗教の見分け方  ポプラ新書

 上祐史浩がオウム真理教に入るきっかけ、また麻原彰晃への帰依から払拭までを語る。宇宙開発事業団に入るも、<その宇宙開発の結果が宇宙戦争に使われるのではないかという疑問があった。しかしオウム真理教には、当時の私にとって、解脱・悟りという人間の精神面の改革があるように思えた。それによってしかほんとうに幸福にはなれないんじゃないかと、当時の私には本当らしい主張に思えたんです>。そして、<自分はこの世で必要な存在になれる>という自尊心を刺激されたという。他人ごとではない、と感じる。幸せになる、自分の存在を価値あるものにするという魔力がそこにあった。


■ 田原総一郎  誰もが書かなかった日本の戦争  ポプラ社

 面白いし、良くわかった。石原莞爾、東条英機、近衛文麿、伊藤博文、松岡洋右そして天皇。日清戦争、日露戦争、満州事変、日中戦争、そして太平洋戦争。何故、最後の太平洋戦争に突入したのか、というところにドラマがある。ドラマがある、と言うのもおかしいが、やはり凄いドラマがあったと思う。何故なら、誰もが負けるとわかっている戦争であったからだ。ロシアや最終局面でのアメリカとのやりとり、そして『ハル・ノート』の存在。日本の近代史であり、それは朝鮮、中国の近代史でもある。世界の列強に仲間入りした日本が、負けるとわかっている戦争をせざるをえなくなったのは、外交戦略の誤りであったと著者はいう。何故外交戦略を誤ったのか、というのを読み解く鍵がこの本にはありそうだ。<この本を書くために私はジャーナリストになった!>というのは帯の言葉。


■ 太朗想史郎  トギオ  宝島社文庫

 ドロドロの近未来小説?「オリガミ」と呼ばれるスマートフォンを進化したようなものが日常で使われる。現金はあまり使われず、「オリガミ」で支払う。自分の考えを音声にしたり、折りたたんで紙飛行機のようになったり、それが自動操縦できたりと大活躍だ。何より身分証明書である。主人公蓮沼健は、捨てられた子供(「白」と名付ける)を助けるが、それによるいじめに会う。そして仲間と人を殺し、村を出て行くことになる。港町から東暁へ。東暁とは東京のような所。そこではごく一部の人間だけが裕福だ。<真紅の鷲>という裏社会を操る集団があり、ついには主人公蓮沼健の<弟>と呼ぶべき「白」がこの社会の重要人物になる。そして「白」が回想するという形で蓮沼健の人生が語られる。近未来のパラレルワールドか、それとも世界のどこかは本当にこんな感じになっているかも。


■ タン・エィミ  ジョイ・ラック・クラブ  角川文庫

 中国からアメリカに渡って来た4家族がジョイ・ラック(喜福)クラブに集まり、マージャンをし、ご馳走を食べ、楽しい話をする。中国人として生きてきた母たち、そしてアメリカ人として育つ娘たち。海を超え、時代を超え、それぞれの母が、それぞれの悲しみを乗り越えて生きてきた。娘に対しては、温かくも、厳しい愛情を注ぐ。そしてそれぞれの娘たちから見た母。これらが次々に(海を超え、時代を超え)入れ替わり語られるので最初はちょっとこんがらがるが、次第にそれぞれの母娘が浮かび上がってくる。良くも悪くも母と娘の遠慮のないところが良い。本当に許し、わかりあえる家族とは母と娘の関係だけかもしれない。中国で日本軍から逃げる途中で、双子の子を捨てざるを得なかった母。アメリカでの違う夫との娘(双子の妹)が母の死後、二人の姉に逢いに行くシーンはやはり泣ける。<だから宴会を開いて、毎週のように新年を迎えるふりをしたの。新しい週がくるたびに過去の不幸を忘れられるように。…それで毎週のように幸運を願うことができたのよ。その願いだけが唯一の喜びだったわ。それで、誰とはなしにその小さな集まりを「ジョイ・ラック・クラブ」と呼ぶようになったの>。しみじみ面白い。




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