〓 | 非常に面白かった。多くの人が子供の頃読んだであろう『小人国』に『大人国』。そして『飛島』、『馬の国』の4篇からなる。『小人国』、『大人国』も充分おもしろいのであるが、なんと言っても、『飛島』、『馬の国』がいい。痛烈な文明批判、人間批判になっている。『馬の国』では馬が理性的な動物であり、人間に似た動物は、ヤフーと呼ばれる獣であり、くさりにつながれている。主人公はそこで理性的な動物である馬と自分の国(イギリスでの人間社会)について話をする。話をしていくうちに、この真に理性的な馬の社会に比べて、人間社会の薄汚なさに対して嫌になっていく。結局はこの馬の国の獣であるヤフーとなんら変わることはない、いや、もっとひどい、と思うようになる。最後はイギリスに戻るのであるが、人間に対する嫌悪は変わらなかった。考えてみれば非常にかなしい話でもある。文豪・夏目漱石は次のように言ったという。<「人類はスウィフトの為に自尊心を傷つけらるる故に不愉快である。…>と後に続く言葉は不愉快の連続であり、最後に<一言にして言えば、スウィフトは善悪、美醜、壮劣の部門に於いて、寸毫の満足をも吾人に与えないのである。吾人の希望を永久に鎖したのである。人生の三分の二を焼き払ったと同じことである>と言ったそうだ。ここまで人間に対して救いのない本は、私は知らない。このような本を書かせたのは、ジョナサン・スウィフトの生い立ちによるところもあるみたいだ。それを考えると少々悲しいのだ。。。この痛烈な人間批判の書は、全人類の必読書である。 |
〓 | <本書は、そのポストモダン以降のなかの知識人の地勢を、今あるがままに猟歩しようとした。>ものである。第1部は『ポスト近代の超克』という著者3人による鼎談。『朝まで生テレビ』に出てくる人たちは皆、大衆知識人。世界で通用する文学は谷崎、川端、三島どまりで、安部公房、大江健三郎は例外(『知識人と日本の変容』)。「ホロン、カオス、フラクタル」はバカ科学の三題話、浅田彰と中沢新一の分かれ目は癒されたいかどうか、そして『ソフィーの世界』への堕落(『平成知識人の診断書』)。第2部の『知識人ミシュラン』でもまた言いたい放題。埴谷雄高の神話を真に受けるのは今や、池田晶子くらい。中沢新一は天才的詐欺師。呉智英は有言不実行の人。ほとんどこんな調子であるが、浅田彰、宮台真司については好意的。永井均に至っては、s<日本近代が百数十年に生みだした、初の「哲学者」なのかもしれない>とかなり好意的?である。こういうのを読むとまた読みたい本が増える。とりあえずは、浅田彰『構造と力』、リオタール『ポスト・モダンの条件』を読み直すかな。 |
〓 | <50%はすでに知っている状況だけど、残りの50%が未知の領域、というシチュエーションが最もやる気が引き出されます>。これは「発達の最近接領域」という理論に基づくらしい。なるほど、と思った。その50%を確実に「すでに知っておく」ことにする為には(本題はここから)睡眠が大切だということだ。そのポイントは、起床から4時間以内に光を見る、起床から6時間後(眠くなるピーク8時間後の前)に目を閉じて睡眠負債を減らしておく。起床から11時間後(深部体温のピーク)に姿勢をよくする(体温を上げる)というもの。深部体温とのリズムを合わせると良い睡眠が得られる。また寝る前の頭(前頭葉と頭頂葉)の使い方も面白い。実戦で使えそうなことがいろいろ。 |
〓 | あの『リング』、『らせん』、『ループ』を補足するようなお話。『空に浮かぶ棺』は高野舞が、ビルの屋上の排気口で出産する話。ああこれは、もっと詳しく聞きたかったとこや。生まれた子供は恐ろしいほど強靭。『レモンハート』は山村貞子が劇団にいる頃の話。劇団員の遠山との恋物語。『ハッピー・バースデイ』は杉浦礼子の出産の話。そして高山竜二のリングウイルスとの格闘。『リング』はテレビでも再三放映され、映画『リング2』も現在上映されているけど、いったい『リング2』ってなんじゃあ。やめとけ、やめとけ。だいたいTVにしろ映画にしろ、映像化不可能なとこあるからなあ。原作はあんなもんやない。と思いつつ本書を買って読んだのであった。個人的には、『空に浮かぶ棺』で満足。 |
〓 | 今映画でも話題の『リング』『らせん』につづく完結篇。本屋でもかなりのはばをきかせている。面白さは『リング』『らせん』に劣る。荒唐無稽さはさらにエスカレートし、ちょっとついていけないなと言う感じがした。しかし、著者のあとがきに書いてあるが、<『リング』を書いたときには『らせん』は頭になかったし、『らせん』を書いたときには『ループ』の構想がなかった>というのは驚きだ。アイデアは面白いが、力業かな。 |
〓 | 残りの1/3を読む。生命を産みだし、自己増殖する為の強烈な意志。退屈さからの文化的進歩。両性具有の完全な美。個性豊かな登場人物(未成熟な体を持つ高山竜二の念力、恥をエネルギーにしてあがく男の姿をみたいという高野舞)。荒唐無稽であるが非常に満足である。 |
〓 | 同著者の『らせん』を先に読みかけた。『らせん』の解説を読み、『リング』がこの物語の先行であると知った。半分ほど『らせん』を読んで、『リング』を買いにいった。ない!、喜久屋書店、ユーゴー書店に行ったが、なかった。このままでは『リング』を読まないまま、『らせん』を読み終わってしまう。「楽しみが半減してしまう」と思っていたら、なんと『リング』のヤツ、たまたま寄ったローソンにいやがった。よし、つかまえた。『らせん』を2/3まで読んで、『リング』を読み終えた。 面白い。『らせん』で無口であった2人が生き生きと活躍する。これで心おきなく、『らせん』の残りの1/3を読める。 |
〓 | 古代の日本人には、本当に言う宗教はなかった。鎌倉時代に入って、初めて宗教に目覚めみずからの霊性に気づいた。霊性の動きは、現世の事相に対しての深い反省から始まる。著者は、大地に根ざした霊性の体現者として、親鸞を挙げる。 |
〓 | シドニィ・シェルダンの感覚で読んでいったが、なかなか話が進まない。引っぱり過ぎ。 |
〓 | 面白くなかった。物語の意外性がない。 |
〓 | モニタの世界だけで、すべてが可能になると錯覚することに関する警告の書。『カッコウはコンピュータに卵を産む』の著者。 |
〓 | 「天は自ら助くる者を助く」という格言を復活させたのが、著者のサミュエル・スマイルズだ。この言葉に本書の内容は集約されている。著者が一番言いたかった言葉だろう。また、<外部からの援助は人を弱くする>ということも言っている。その他、引用したい文がいっぱい詰っている。そして、自分はさておいてまで他人のためにつくそうとする、人格者となることを第一とする。本の読み過ぎも諌めている。<適度な読書の楽しみは決して奪われるべきではない>としながらも、<小説に読みふけり、まやかしの感情に支配されると、健全な心はゆがみ、精神の麻痺する危険が大きくなる。…だからフィクションにばかり感動していると、現実に対してしだいに無感覚になってしまう。精神という鋼は徐々に摩耗し、弾力性というかけがえのない特性もいつのまにか失われていく>という。地に足着いたしっかりした生き方をしたい人に最適。時々読みたい本だ。 |
〓 | 全2巻なのに、1巻、2巻となっている。なんで上巻、下巻やないんかな。まあ、そんなことはどうでもいいが、本書はあの『西遊記』でおなじみの三蔵法師、本名:玄奘のお話。天竺へ経典を取りに行く話であるが、孫悟空や猪八戒、沙悟浄などは出てこない。まあ、彼等は架空の妖怪どもだが、玄奘(三蔵法師)は、実在の人物。しかし、かなり脚色されており?玄奘は暴れ者で、やたらと喧嘩が強い。学力もあるが、一本気でけっこう単純明快。取経の旅も兄、長捷の通訳として始まる。そして遊牧と略奪を生業とする突厥の王の子、ハザクとの厚き友情に支えられながらの旅となる。男同士の友情の描き方がホモっぽくなるのは、どちらも若く、ええ男に描かれている(コミックです)からか。ちょっと危ない場面もある。旅を続け、だんだんと成長していく玄奘は、素直で力強い考えとその態度で周りの人間を惹きつけていく。小賢しい考えは、限界がはやいと思わせる。どこまでが本当の話かはわからんが、読後感は非常によかった。ところで三蔵法師(トリ・ピカタ)とは経蔵、律蔵、論蔵に精通した者のことで、玄奘は唐に戻ってからそう呼ばれたので、旅の途中での玄奘を三蔵法師と呼ぶのは間違い、ということになる。 |