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■ 小出義雄  君ならできる  幻冬舎

 今日シドニーオリンピックで金メダルを取った高橋尚子。この本は、高橋尚子と小出監督の出会いから、オリンピック直前までの記録である。シドニーでのレース展開予想も、バッチリだ。最後に競るのがロルーペではなくシモンであったが。予想通り、小出監督の愛情あふれる言葉は多い。しかし、<修行している者に自主性は必要ない>と言い切る辺りは、ボケッとした中にも自信のほどがうかがえる。高橋尚子の良いところは、素直で、よく食うことのようだ。あだなの「Qちゃん」というのは新入社員の高橋尚子が自己紹介の時に<体中をアルミホイルでグルグル巻きにして、「オバケのQ太郎」を踊った>からだそうだ。


■ 孔健  日本人は永遠に中国人を理解できない  講談社+α文庫

 1949年に中華人民共和国は成立した。しかし、建国の父と言われる毛沢東は、<国民に休息を与えず、キャンペーンを張り、毎日のように国民を政治運動に駆り立てた>そうである。そこに現れたのが、ケ小平である。<まず食べていけることが先決だ>ということで、政治を実践した。著者の発言からも、どれだけこの政治家が中国国民に支持されていたかがわかる。また、日本人なら周恩来を忘れてはいけない。中国人は面子を大事にする。他人を簡単に信じるな。そこには騎馬民族(中国人)と農耕民族(日本人)の違いがいろんなところで出てくる。そこで付き合いするなら、長くじっくりが基本となる。あわてちゃいかん、ということだ。肝に銘じておこう。しかし、著者が孔子の75代直系子孫というのは、ほんまかいな。


■ 高斎正  ホンダがレースに復帰する時  トクマノベルズ

 確か筒井康隆の『みだれ撃ち涜書ノート』で紹介されていた本。なかなか面白かったような。。。読んだのも古い話で、喫茶店で『ウエディング・ベル』が流れていた。歌っていたのが、女の子3人のグループ。名前が思い出せん。。。ア〜メン。


■ 洪自誠  菜根談  角川文庫

 著者は中国の明時代末の人。経歴については、はっきりしないらしい。内容は、菜食主義的、中庸的、大衆的、日めくりカレンダー的教訓集のようなもの。<菜っ葉食う人たちは、心が玉のよう。ゼイタクする者の、下品なさまを見よ。質素は心をきれいにし、ゼイタクは意地をきたなくする>なんてタイトル通りのものやら、<物をつかいこなす人は、得をしても平気、損をしても平気、天地をマタにかけてあるく。物に使われる人は、不幸だとハラをたて、幸福だと欲ばり、毛すじほどのことにしばられる>。なんてものもある。寝る前にこういうのをチョコチョコ読むのはけっこう好きだ。訳者は半鼓堂戯有益斎主人、魚返善雄。古本屋で50円で買った。元の定価が140円。ちょっと前の岩波文庫のようにハトロン紙でカバーされている角川文庫もめずらしい。宣伝の帯もついていて、『日本人とユダヤ人』『戦争を知らない子供たち』『ぐうたら生活入門』『きまぐれロボット』『戯曲 新・平家物語』などが紹介されている。


■ 幸田真音  舶来屋  新潮文庫

 和紙専門店の跡取り息子・国本洋司と友人の片平あゆむが、「サン・モリタニ」の会長・茂里谷長市郎の半生を聞く。戦後闇市での糸の商売から始まり、アメリカ人から舶来品を調達して商売をしていく。多くの有名人も顧客となる。川端康成、電通の4代目社長・吉田秀雄等も。写真家・名取洋之助の薦めでヨーロッパへ行き、グッチ、エルメスと直談判をして、日本で最初に販売するようになる。顧客の1人、今東光は<人間ほどおもしろい動物はいねぇんだぞ。人間と言う奴は遊びを知っている。それから美しいものがわかる。『美』と『遊び』だ。いいか、このふたつは人間だけが理解できる大事なものだ。だから塞いでないで、おまえもせいぜい遊べ。そして、もっともっと美しいものを追いかけろ>と言って励ます。いいですね、この言葉。グッチも、エルメスも現地独立法人設立により、茂里谷は販売権を手放すことになるが、今なお上質な物を求め、世界中を飛び回る姿勢に洋司、あゆむは触発される。実在の人物・茂登山長市郎(「サン・モトヤマ」の会長)をモデルにした小説。上質を味わいたくなる。


■ 幸田露伴  幻談・観画談  岩波文庫

 表題作『幻談』は2つの話。山男たちの仲間の死、浮かび上がる十字架の話。釣り師が溺死人から得た見事な釣り竿の話。同じく表題作『観画談』は、苦労して勉学に励み、やっと周りからの尊敬を得られた大器晩成先生。無理をして身体をこわし療養の旅に出る。そこで無数の人々が生活をしている画と出会い、出世欲が消えたのか平凡人として消える。『骨董』、生活が満たされれば趣味に生きる。自分の満足の為に金を払う。骨董の世界が特にそうだ。満足の形はいろいろ。『魔法修行者』、魔法修行者であった九条植通(たねみち)、信長、秀吉に負けない天狗であった。『蘆声』、釣りに来た少年の哀しくも素直な心に打たれる。どの話も知識の多さに驚くが、さらりとまとめる語り口が心地よい。


■ 甲野善紀  今までにない職業をつくる  ミシマ社

 武術研究家、甲野善紀氏の本。著者は古武術を研究し、昔の名人、達人の技を現代に甦させようとしている。実際、体力はなくてもその技を習得すれば、とんでもない力が発揮できる。その技の使い方も具体的に説明がされており、自分で練習できる。介護の現場で、重たい人を支える時などに大いに役立っているようだ。勝ち負けでなく、その技の追及に喜びを見出し、社会に役立つような新しい職業をつくる、という著者の意気込みに賛同します。


■ 甲野善紀  甦る古伝武術の術理  合気ニュース

 現代において消えてしまった武術の達人の動きを甦させようとする甲野善紀。その著者が、発見したのが、「井桁崩しの原理」である。これは、平行四辺形がくずれていくような動きである。著者はこの動きの利点を円運動と比較して、こんこんと説明する。円運動は、支点があることで、相手にその動きを読まれ、頑張られたり、逆転させられたりする。平行四辺形の動きでは、2つの別の方向の動きから発生したベクトルの和になるので、相手に読まれにくく、それぞれの慣性力も小さいので、動きの変化も速い、という訳だ。円運動のように体の各部分が一体になって、1つの動きをしようとするのではなく、各部分が別々の仕事をする。これができるようになるには、著者の言葉でいうと、「体が割れる」ということらしい。ちょっとその感覚はつかみにくい。空手の突きなどでも、その始動は重力を利用するものであるが、ただ膝の力を抜くだけでは、上半身のしなりが生じてしまう。その点、著者の体の落とし方は大変参考になった。体の各部分での落下スピードに差がでないような動きが必要。やはりこれも「体を割る」ということか。この感覚を身につけたい。


■ コエーリョ・パウロ  ベロニカは死ぬことにした  角川文庫

 睡眠薬を多量に飲み、自殺未遂をしたベロニカが目を覚ましたのが精神病院であった。そこで余命5日間と宣告され、逆に生きる希望を得ることになるというお話。精神病院内では、狂っていることが普通であるので、自由に振舞え、楽に生きられるというのは本当かもしれない。社会の制約から守られて居心地がいいので、狂っているふりをしている普通の人たちがいるのも本当かもしれない。普通というのも何だか良く分からんが、病院内の人物も普通の人のように描かれている。そこに留まるのは楽だが、そこから出るのが大変だ。自分が人とは違うということを認める覚悟が必要になるのだ。


■ 國分康孝  「なりたい自分」になる心理学  三笠書房

 我が恩師の本である。大学時代の教養過程の心理学の教授であった。自由教育主義で「サマーヒル」という学校をつくったニイルを日本に導入した霜田静志の弟子にあたる。この先生の授業はなかなか楽しく、お薦め本もいろいろ読んだ。その中で、以前より愛読していた今東光の『極道辻説法』があったのは、うれしかった。この本はいわば、日常生活を気分良く過ごすためのテクニック集とも言える。いくら高尚な考えを持ち、高い精神性を宿していても、それだけでは周りの人間とぶつかり、気分を害することも多い。やはり、形而下のことでも気分良く過ごすにかぎる。それに、健康にも良い。それにはある種のテクニックが必要なのである。I am OK. You are OK. という考え方を持つと人間関係はうまくいく。役割をきっちり認識することにより、心のエネルギーの無駄使いをしなくてすむ。そしてつねに対決を恐れてはいけないこと。対決した相手の心を傷つけないためには、親心、おとな心を持つこと。年下の人間に対しても感謝の気持ちを持つこと。最後に生き生きと仕事をするには、shoud と want がわかっていること。気分良く過ごすにはこういうテクを身につけること、かな。


■ 國分功一郎  暇と退屈の倫理学  新潮文庫

 いやー暇ですね。5月末で退職して暇人になった。で、『暇と退屈の倫理学』。この本によれば、先ず暇と退屈は違うということ。暇で退屈。暇はあるが退屈しない。暇はないが退屈。暇がなくて退屈しない。の4つのパターンがある。自由な時間はあるが、やることがない。自由な時間があって、面白いことができる。面白くない仕事で忙しい。仕事が忙しくて充実している。これを考えると、暇があろうがなかろうが、面白いと思えることをやっているかどうか。人にとっては退屈というのが、一番耐え難いことのようだ。のみならず、動物は退屈しない、と言い切れないと著者は言う。本書は哲学的、生物学的に暇と退屈を解明しようとする。それぞれの生物によって見えている世界が違うという、ユクスキュルの環世界という考え方。そしてダニの生態のところは非常に面白い。最後は人が退屈しない為の心得みたいなことを示す。環境を脅かすものがあれば、人はなんとかしようとして忙しく、退屈はしない。それが落ち着くとまた退屈が訪れる。退屈しないようにするには、文化を楽しむことができるように勉強し、理解する、ということ。付録の『傷と運命』も面白い。人は物心がついていからは、精神の傷、記憶の傷を持つようになる。これは避けがたい運命である。<自分一人では消化できない記憶を抱え、その作業(意味を与え消化する)を手伝ってくれる人を求めている>。これは確かに泣けてくる。


■ 小関智弘  鉄を削る 町工場の技術  ちくま文庫

 鉄を削って49年の著者が語る、職場というもの。職人は5感で仕事をする。材料である鉄を触る、鉄を削ったキリコを見る、削っている時の音を聞く、そして、鉄を匂う。ほんでもって鉄を舐める。まあ、普通は舐めたりはしないが、突き詰めると、鉄の味がわかるそうである。違いのわかる人間は0.1%の違いを見分けることができる。材料の成分が0.1%違うとホルンの音色は変わり、ブランデーの味が変わる。そういう感覚は同じことをやっていれば身についてくるとは思う。それよりも大事なことは、「工夫をする事を知る」ということである、と思った。工夫をすることを知った者は、どんな仕事でもけっこう面白くできるんである。


■ コッローディオ・カルロ  ピノッキオの冒険  光文社古典新訳文庫

 記憶では、鯨に食われるはず、と思いつつ読み進めていったが、原作では鯨ではなく、巨大なサメであった。巨大も巨大、なんと1キロメートル以上もあるのだ。そこで親代わりのジェッペット爺さんに会うことができる。まあここまで来るまでに七転八倒の大活躍だ。キツネや猫に騙されたり、悪ガキの<ランプの芯>にそそのかされて遊びの国に行くが、ロバにされる。あげくの果てにはサーカスに売られるが、見切りをつけられ、ロバの皮目当ての業者に売られ、海に沈められ、溺れ死ぬ寸前で助かる。そしてついにサメに食われてしまうのだ。やることなすことてんでダメ。でも温かく見守る仙女、そしてジェッペット爺さんは見放しはしない。最後はサメからジェッペット爺さんを救い出す。この物語は、ピノッキオが途中で死んで終りにしようとしたらしいが、これを読んでいた子供たちからの声で物語を再開したらしい。


■ 小林恭二  電話男  ハルキ文庫

 電話男とは、電話で相手の話を聞いてあげる男のことである。表題作の『電話男』と『純愛伝』が収められている。『純愛伝』のほうも電話男にまつわる話で、妻が電話男(女?)というお話。どちらかというと、話が拡散し過ぎる『電話男』よりも、『純愛伝』のほうが好きやな。


■ 小林恭二  ゼウスガーデン衰亡史  ハルキ文庫

 ゼウスガーデン、それは日本国にできた大遊戯場。1984年、下高井戸オリンピック遊戯場として誕生し、のちにゼウスガーデンという名称に変わり、2089年に滅亡した。そのハチャメチャな歴史である。笑える。このゼウスガーデンと言うのは、人類のすべての快楽を満たす為に作られた大遊戯場で、その規模は日本=ゼウスガーデンというほどになる。登場人物多数。その内容は一言では言えない。著者の考えるあらゆる快楽のイメージの行進である。そのハヤメチャさ、悪ノリ具合はあの筒井康隆に優とも劣らない。人間のばからしさがよくわかる。これは笑わずにはいられない。これぞ喜劇である。『ゼウスガーデンの秋』というのが新たに付け加えられた文庫本であるが、これがまたいい。芸術とは何か?を考えさせられる。


■ 小林よしのり  差別論スペシャル  幻冬舎文庫

 すんまんのう。またまた小林よしのりで。だって買ったんだもーん。ゴーマニズム宣言の中の差別論に関するものを集めたもの。部落差別のことを語る。世の中にはいろんな差別があって、人は基本的に差別することが好きなんやな。あと、中途半端な知識が差別を増長させたり、問題を作り出したりしとるんやなあ、と感じた。


■ 小林よしのり  戦争論3  幻冬舎

 すんまんのう。またまた小林よしのりで。だって気合が入るんだもーん。この3巻目では特攻隊について熱く語る。特攻隊というものがいいか、悪いかと言えば、いいことないに決まってる。しかし、そこには特攻隊員たちの「私」と「公」のギリギリの選択がある。自分の目前の死をしかり見つめ、死んでも守るものがあるということで覚悟を決める。建前と本音というが、どちらも本音なのだ。死にたくない気持ちと、死んでも日本を守るという気持ち。そして、建前が本音に変わる時がある。その時こそ無我の境地に達することができるのかもしれない。


■ 小林よしのり  新ゴーマニズム宣言13 砂塵に舞う大義  小学館

 すまんのう、また小林よしのりで。だって面白いんだもーん。今回のは、現在イラクに派遣している自衛隊について。現在進行形なんで、臨場感溢れる。自衛隊派遣については、安全か、安全でないかが問題ではない。その大義があるかどうかだ。名誉ある行動であれば、危険はいとわないのだ。小林よりのりが面白く、よくわかるのは、ブレてないからだ。諸所の事情とか、強者の意見になびくとかがないからだ。かといって、ガチコチでもないのだ。「よしりん説法・青年たちへ」を読めばよくわかる。みんなも読んでくれ。(とまあ、すっかりはまり気味)。


■ 小林よしのり  戦争論2  幻冬舎

 分厚い。内容も一段と濃くなっている。日清、日露戦争から大東亜戦争にいたるまでの経緯が詳細に書かれている。南京大虐殺のトリック写真など、資料としても面白い。過去に起こったことは、過去の価値観で考えねばならない。それを現在の価値観でもって反省し過ぎている、と言う。一番強く感じたのは、他国からの情報に振り回されすぎってことかな。日本人のアイデンティティのなさがいい面でもあるのだが、度が過ぎるとみっともない。現在のテレビ、新聞からの情報では知りえない内容が書かれた貴重な本であると思う。


■ 小林よしのり  戦争論  幻冬舎

 最後はなかなか感動的でもある。いい子ぶって、反省ばかりしている日本人に喝を入れる一書。何が正しいのかではなく、何を守りたいのか。「個」の為でなく、「公」の為に。個人の幸せを追求しても生きる醍醐味は得られない。自分自身を超えて、戦おうって気になる。素直で力強い。


■ 小林よしのり/田原総一郎  戦争論争戦  幻冬舎文庫

 下から読んでも戦争論争線。ってことで、真面目な2人が真剣に話しあっていて非常に面白かった。一途さは小林よしのりで話はわかりやすい。田原総一郎は、引き出しが多いといういうのか、あの手この手で応戦しているって感じがした。これからの日本の行方についての見解が2人は違う。簡単に言えば、小林よしのりは、日本が喧嘩に強くなることを強調するが、田原総一郎は、喧嘩しないことを強調しているようだ。


■ 小林よしのり  新ゴーマニズム宣言 6  小学館文庫

 <「私的(プライベート)な言葉」は簡単だが、「公的(パブリック)な言葉」を吐くのは難しい。それは覚悟がいるからだ>。そしてその覚悟とは、それができるかどうかのシミュレーションをして生まれると言う。この金美齢との対談が深く心に沁みた。やはり個人を超える何かを持って命を賭けたい。己を捨ててこそ浮かばれる、という訳だ。その己を捨てることのできる対象。それが日本という「国」であると、小林よしのりは言う。国とは、自然や、歴史によって育まれた文化のことである。そして故郷を愛する心である。俺もそうありたい、と思った。


■ 小林よしのり  新ゴーマニズム宣言 7  小学館文庫

 食わず嫌いであった小林よしのり氏の本であるが、読んでみて非常に面白かった。共感できるところが多い。「私」と「公」、あるいは「個」、「国」の関係など納得できる。うまく解説くれた、って感じ。『戦争論』も読んでみようと思う。


■ コーベン・ハーラン  カムバック・ヒーロー  ハヤカワ文庫

 日本では馴染み薄い「スポーツ・エージェント」のマイロン・ボライターが主人公で、探偵役。元NBA選手で、FBIにもいた経歴を持つ。秘書は「リトル・ポコホンタス」と呼ばれた元女子プロレスラー。もう一人の相棒は榎木津(京極シリーズに出てくる)みたいなヤツ。行方不明のNBAの選手を探す話。もう、アメリカン・ジョークがバシバシ出てくる。アメリカのTVの誰某とか英語の駄洒落とかわからんのが多い。わかったのは、ハリソン・フォード、ブルース・ウィルス、ミス・マネー・ペニー、シンドラーのリスト、キヤノンボール2等である。まあわからんのは我慢して読めば中味は面白い。シリーズ物で、1作目『沈黙のメッセージ』(アンソニー賞受賞)、2作目『偽りの目撃者』、そしてこの3作目で【アメリカ探偵作家クラブ賞】と【アメリカ私立探偵作家クラブ賞】のほとんど同じ様な名前の賞をダブル受賞している。原題は『FADE AWAY』。わざわざベタな邦題にせんでもええのに。


■ 小山裕史  「奇跡」のトレーニング  講談社

 副題に<初動負荷理論が「世界」を変える>とある。この初動負荷というとちょいとわかりにくいが、要は、動きのきっかけは重力を利用する、ということだ。自らバランスを崩し、動き出さずにはいられない状態をつくる。これによってスタートが早くなり、タメがないので相手に悟られにくい。この重力を利用する、というのは空手の柳川理論でなれ親しんだものであるが、この本の特徴は、そのトレーニング方法(初動負荷トレーニング)が示されている点だ。巻末にそれが載せてある。無理に動かし続けてガタがきている体を矯正できそうな感じだ。腰痛、肩凝りにも効きそうだ。早速とりいれてみよう。


■ 古龍  聖白虎伝(1)〜(4)  エニックス

 あ〜面白かった。だけでは申し訳ないので。ま、とりあえず。主人公は趙無忌。江湖に一大勢力を持つ大風堂の三大堂主の一人、趙簡の息子だ。その趙簡が趙無忌の婚礼の日に何者かに殺害された。生首を持って行かれたのだ。疑われたのがなんと、同じ大風堂三大堂主の上官刀だ。ライバルの唐家に寝返りやがったのだ。復讐に燃える趙無忌。剣の修行をし、唐家に潜入する。この物語でもまあ、いろんなやつが出てくるし、展開は早い。特に一番の敵である唐家の3兄弟の長兄・唐缺と3男の唐玉が強烈。(何故か次男は登場しない)。2人とも「陰陽怪気」をあやつる。この世の陰と陽を超えるもので、男であれば去勢が必要とされるものだ。金庸の小説に出てくる東方不敗もそうであったが、武侠小説において、欠くことのできないキャラクターのようだ。金庸の小説に比べてるとはちゃめちゃ度は高いが、最後の最後で救われる、というかあったか味があるような気がする。クサクて熱く、不良度が高い。(高石市図書館)


■ 古龍  楚留香 蝙蝠伝奇(下)  小学館文庫

 いや〜、よかった。こういうのがあるから読書は止められまへん。平易な文章で、いくぶんクサい芝居がかった台詞もあるけど、それがまたいい。愛とは恋とは友情とは、生きることは素晴しい、なんて普段言うのも恥ずかしいような言葉がここでは生きる。話は中巻からの続きで、ついに蝙蝠島に到着する。その島の支配者、蝙蝠公子との対決。ラストも見事で、忘れられない。楚留香はカッコイイし、金霊芝の一途さもいい。また、今回は華真真にうたれた。寡黙だが、芯のしっかりした、聡明な女性だ。強すぎて、色恋ざたに溺れないのが、玉に傷。というか、そういうところがまたよかったりする。そして、盗賊の元帥、『香帥』と呼ばれる主人公の楚留香は「こういう人物になりたい」1人となった。


■ 古龍  楚留香 蝙蝠伝奇(中)  小学館文庫

 楚留香がはべらす3人の美女の正体がわかった。しかし、話の中で出てくるだけで、登場はしない。残念だ。中巻から話はガラリと変わる。楚留香の親友で酒飲みの無頼漢・胡鉄花と友人で腕利きの漁師である張三が活躍する。あることで舟に乗ることになるのだが、舟客はいわくありげなヤツらばかり。そこで次々と起こる殺人事件。今回は楚留香の推理が冴える。紅一点の男まさりのお嬢様・金霊芝もなかなかいい。めちゃ面白い。ああ、次の巻で終わるのがもったいない。


■ 古龍  楚留香 蝙蝠伝奇(上)  小学館文庫

 義賊・楚留香は、<三人の美女をはべらせて、洋上の小船で優雅に暮らし、鮮やかな手口で不義の財産を盗み、サイン代わりに残り香を留めて去る>という。この上巻の解説を読んで、思わず買ってしまった。残念ながら上巻では、そのような話にはならないのであるが、面白い。死んだと思われた少女が、別の少女になって生まれ変わった。これを「借屍環魂」と言うらしい。この秘密を楚留香が暴くことになる。その秘密はなんと。。。人生万歳!?って感じかな。義賊・楚留香、なかなかイカスぜ。


■ 古龍  歓楽英雄(下)さすらいの異郷  学習研究社

 郭大路と燕七の仲はかなり怪しい。と前回書いたが、ついに燕七の秘密も明かになる。何故かいつも顔を汚していた燕七であったが、突如貧乏な「富貴山荘」を飛び出してしまった。それを追うのが郭大路。酒好きで、怪力で、武功はおおざっぱであるが、凄まじい反射神経の持ち主。そして燕七を好きになってしまって悩む、愛すべき男。苦難を乗り越えついに燕七に会うが、その時の姿は…。最後には林太平の秘密も明かされる。これも凄まじい。まさに愛と友情の物語。人物の絡みも面白く、力強い。倫理とか道徳とかを超えて、単純にこういう人物になりたい!と思う。最後の言葉は<自由や愛情、人生の歓びは、信頼と勇気、そして真心を差し出してこそ手に入れることができる。それ以外に、別の方法などありえない。…英雄が孤独などと、誰が言ったのか?我らが英雄は、こんなにも歓びに満たされているではないか!>う〜ん、カイカン!


■ 古龍  歓楽英雄(中)賭けるものなし  学習研究社

 動かない男、王道が動いた。「富貴山荘」の荘主である王道の過去が暴かれる。【一飛沖天の覇王鷹】。これが王道の二つ名であった。江湖(武力を競う武芸者の世界)で活躍していた頃の悪党仲間たちが王道を狙う。美人で男どもを惑わす魔性の女の【苦難を救う紅娘子】、【一見送終の催命符】、【無孔不入の赤練蛇】たちである。これを迎え撃つのが「富貴山荘」に集った仲間たち、【千の手を持つ色男。鬼も恐れる快速大酔侠】(と自分で言っている。愛すべき男。『三国志』にでてくる張飛を彷彿とさせる)郭大路と燕七。そして林太平。勝負の分かれ目は、仲間を信じる力。郭大路と燕七の仲はかなり怪しい。ますます面白い。


■ 古龍  歓楽英雄(上)一文なし野郎の掟  学習研究社

 痛快まるかじり!(古いか)。<中華世界では、武侠小説という一大ジャンルがあり、古龍は武侠小説界の巨匠のひとりで、絶大な人気を誇る>らしい。お話は貧乏な「富貴山荘」に集う奇妙な4人が主人公となる。荘主はめったな事では動かない王動。大雑把で、愛すべき郭大路。七回死んだという燕七。女性のような林太平。王動は呟く、<貧乏もまた悪いことじゃない。悪いか悪くないかは、その人間が人生を享受することを知っているかどうかで決まる>。平易な文(訳)で書かれているが、それがまたこの小説にあっている。力強い。そして、これを読めば元気になる。人間こうありたいものだ。学研の歴史群像新書。


■ ゴールディング・ウィリアム  蠅の王  ハヤカワepi文庫

 核兵器から逃れるため、他国へ脱出中に飛行機が墜落し、少年たちが無人島に取り残された。最初は隊長を決めたり、発言のルールを決めるなどうまくやっていたが、次第に仲間割れ状態となる。救助される為に草木を燃やし、煙を上げ続けることを主張するラルフ、豚を殺して肉を得ることを主張するジャックの対決となる。ジャック率いる狩猟隊はエスカレートし、仲間を殺してしまう。それが彼らの残酷に火をつけたようだ。自分たちだけで生きていかねならないというプレッシャーと、闇に潜んでいる<獣>に対する恐怖から、自分を正当化する為に余計に残酷になっていくようだ。 最後はお互いわかりあい、一丸となって生き延びていく物語になるのかと思いきや、彼らの残酷さは止まらなかった。「蟻の王」と言えばハンター×ハンターのキメラアント編に登場するメルエムであるが、この物語の「蠅の王」とは、食用で少年たちに殺された豚の頭を串刺しにして、そこに蠅が群がったもの。そこに悪の神が宿る。


■ ゴールドラット・エリヤフ  チェンジ・ザ・ルール  ダイヤモンド社

 『ザ・ゴール』、『ザ・ゴール2』に続く第3弾が本書である。BGソフト社というソフト開発企業とその関連会社、そしてその大手顧客のピエルコ社の面々が本書の主人公となる。新しいコンピューターシステムを導入したのに、何故か利益が上がらない。それはシステムを導入しただけで、それ以外はそのままのルールで行っていたからだ。効率よく製品を作り過ぎて在庫が多くなる。これは在庫の基準を以前のままで固定していたから。場所を変え、担当を変えた。結構大胆だと思ったのが、A社の製品はB社に売られ、B社はまたその次のC社に売ったりするのだが、エンドユーザーに渡った時点でA社もB社もC社もやっと利益が得られるというもの。サプライチェーン全体で動いて初めてうまくいく。ここまでいけば凄いぞ。


■ ゴールドラット・エリヤフ  ザ・ゴール2  ダイヤモンド社

 前著『ザ・ゴール』では、1つの工場での本当の意味での効率化を目指したものであった。ポイントは「部分最適解ではなく全体の最適解を」ということだ。今回の『…2』では、工場の内部の問題ではなく、市場との問題解決の方法となる。簡単に言えば、どうやって他社よりも優位に立って、仕事をとってくるか、ということ。しかも、物理的に製品を変えることなしに、というオマケつき。ポイントは同じ製品でも市場が変われば、価値も変わる、ということ。製品自体を変えずに、納入方法とか、付帯サービスとかを変える訳だ。相手の都合に合わせて、いろいろ変えてやる。市場のセグメント化すること。相手も自分ではわかっていないところが多いので、こうやったらいいですよ、と提案してやるわけだ。そこにはいろんな問題が出てくるが、本質的なコアとなる問題は意外と少ない。そのコアを探り当てる方法をうまく説明している。別にビックリするような理論ではない。しかし、なるほどなぁ、と思う。なんか使えそう、という気にさせる。いや、使おう。そして、仕事をじゃんじゃんとってくるのだ。自分勝手、言い放題の「未来問題構造ツリー」には笑った。これも大事なことだ。


■ ゴールドラット・エリヤフ  ザ・ゴール  ダイヤモンド社

 著者はイスラエルの物理学者。自ら開発した生産管理ソフトをよく知ってもらう為に本書を書いたらしい。企業の目標は、お金を儲けること。そして今後も儲け続けること。本書では、主人公の恩師ジョナが著者の理論(制約条件の理論)を説明し、主人公アレックスが実践(工場の立て直し)を行い、大成功を収める。そして、これを読んだ人は、著者の理論のとりことなる?というわけだ。ボトルネックと呼ぶ工程の一番弱いところを改善しつつ、その能力を100%発揮させ、他のところはそれに合わせていく、というのがその理論のようだ。小説としてもけっこう盛り上がっていって、なかなか面白かった。しかし、こういった成功物語というのは、何故かアメリカ的だ。


■ コーンウェル・パトリシア  検屍官  講談社文庫

 期待通り面白かった。主人公ケイ・スカーペッタは離婚歴ありの40才で、バリバリの検屍官ではあるが、スーパーウーマンではない。実際にいてそうな人物で、ケイの姪、ルーシーとの関係など、仕事以外の生活描写もあり、その辺りが共感を呼ぶんやろうな。脇役もなかなか個性的で、ケイにとっては嫌な男であるが、有能な部長刑事のピート・マリーノはなかなかいい。


■ 今東光  おゝ反逆の青春  平河出版

 毒舌和尚今東光の自伝的エッセイ。著者の『極道辻説法』は、学生時代のバイブルであった。今東光自身の出家の時の心境などにも触れていて(「出家のこころ」の章)、大変興味深く読んだ。この本は「彦書房」にインターネットで申し込んだ。町の古本屋ではなかなか見つからなかったと思う。


■ 今東光  極道辻説法  集英社

■ 今東光  続 極道辻説法  集英社

■ 今東光  最後の極道辻説法  集英社

 わが青春期のバイブルであった。当時週刊プレイボーイに連載されており、読者からの質問、悩みに答えるというもの。中学を退学させられてから、一高に忍び込んで川端康成らとともに文学を勉強し、大僧正にまでなった今東光の破天荒な人生経験からでる言葉は、一つ一つに愛情がこもっている。
今は、集英社文庫になって『極道辻説法』と『身の上相談』の2冊になっています。


■ 今野清司構成 嶋野千恵画  マンガ偉人伝 チェ・ゲバラ  光文社知恵の森文庫

 いつかはチェ・ゲバラ物を読もうと思いつつ、どれも取っ付きにくい。ということで、マンガ偉人伝があったので買った。大雑把にわかった。何故「チェ」と呼ばれたのか、カストロとの出会い、そして日本の広島にも来たという。1度目は活動家のイルダ、そして2度目はアレイダと結婚した。ゲリラ仲間のカミロの死、カストロとも別れ、1人次なる戦いに挑んでいった。アルゼンチン人でありながら、南アメリカの自由を求め、国籍にこだわらず、搾取する支配者と戦った。そんなところが、世界中で愛される男になったんだろうな。


■ 今野敏  義珍の拳  集英社文庫

 沖縄から本土に空手を伝えた船越義珍の半生の物語。その昔沖縄では、空手を「手」あるいは「唐手」と言った。船越(富名腰)義珍は、安里安恒、糸洲安恒に唐手を学んだ。当時は試合は禁じられ、練習はひたすら型の練習であった。特に一見地味なナイファンチ(ナイハンチ)を繰り返し練習させられた。それに反したのが本部朝基だ。彼は実践を重んじ、やたらと試し合いを仕掛けていったそうだ。船越義珍は教師となり、空手を教えることを自身の使命と考えた。東京の講道館で教え、柔道の一部門としようとした嘉納治五郎の申し出を断り、空手道場・松涛館を設立するが、戦争で焼失し、その後、日本空手協会を作った。空手の型で平安初段〜五段というのがあるが、この型は腰をしっかり落とした姿勢で行う。どちらかというと体を鍛える為にそのようにしたそうだ。本来の沖縄唐手は、もっと両足の立ち幅も狭く、柔らかく滑るような動きであったようだ。体育的要素を強くし、試合を行うことで広がったが、力とスピードに偏重した。船越義珍もそれを訝ったが、その流れは止められなかった。「空手に先手なし」から「空手に先手あり」となった。空手の生い立ちがよくわかった。また、力とスピードではない沖縄唐手を学んでみたいと思った。和道流の創始者・大塚博紀も弟子の1人にあたる。


■ 今野敏  惣角流浪  集英社

 大東流合気柔術の祖、武田惣角のお話。明治初期、武士の時代が終わる時である。その中で会津藩士の息子であり、剣術の修行をしていた惣角が、御式内という技や沖縄の手(空手の原型)などに触れながら、独自の合気柔術を極めていく。その方法は徹底した実践である。やたらケンカをふっかけながら、自分の技を試していく。最後はツルハシなどを持った工事現場の荒くれ男たちがその犠牲になる。このやり方は、同い年でライバルとして登場する、あの「講道館」を創設した柔道の嘉納治五郎が対照的だ。商人の子で、理屈っぽく、東京大学に進んだ嘉納治五郎に対して、惣角は武士の出で、野試合で成長し、道場を持つことはなかった。合気道の植芝盛平は惣角の高弟にあたる。後年、体力にものをいわせた柔道をにがにがしく思っていた嘉納治五郎は植芝盛平の技を見て、「これこそが私の理想としていた柔道だ…」、とつぶやいたという。著者も武道をやるらしいが、さすがに合気のコツの説明も詳しいし、空手の歴史もしっかり書かれている。非常に興味深い1冊であった。




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