〓 | 『一九八四年』の作者、ジョージ・オーウェルのもう一つの代表作。農場に飼われていた動物たちが反乱を起こし、動物たちの農場にしてしまう、というお話。動物たちのトップに立つのがブタたちである。ブタ同士の権力闘争を経て、その他の動物たちを支配下に置き、自分たちの都合のいいように事実を捻じ曲げ、逆らう動物達の粛清していく。ブタは私腹を肥やしていくが、他の動物たちの生活は以前よりも苦しくなるばかり。最終的にブタたちが人間そっくりになるというオチだ。なんかイソップ物語のようだ。このモデルがソビエト国家をイメージされるとして出版が反対されという。当時のイギリスがソビエト批判ができない空気があったとう、当時の政治情勢が窺える。もちろん、著者はもちろん意図的であったようだ。著者のジョージ・オーウェルは1903年、イギリス植民地化のインドで生まれた。1945年に本書が出版された。 |
〓 | 1949年に発表された本で、その時の未来である1984年のことを描いた小説。そこでは、影の権力者<ビック・ブラザー>がオセアニアの世界を牛耳っている。人々は<テレスクリーン>で常時監視されている。過去の出来事も党の都合のいいように随時書き換えられるが<二重思考>によって納得する。また<ニュースピーク>で、言語は単純化され、人々は考える力を失っていく。主人公スミスはそれに抵抗しようとするが、党のメンバーのオブライエンによって、肉知的・精神的苦痛を加えられ、党の考えに従属させようとする。この対決は読みどころ。オブライエンは言う。<もし完全な無条件の服従が出来れば、自分のアイデンティティを脱却することが出来れば、自分が即ち党になるまで党に没入できれば、その人物は全能で不滅の存在となる>。自分より知性のある狂人に怯えるスミス。ともに抵抗した愛人ジュリアの運命も気になる。その戦いの後はちょっと怖ろしい。党の敵・ゴールドスタインが記した書物<あの本>、そして付録として掲載されている<ニュースピークの諸原理>も読みごたえがあって面白い。 |
〓 | 大江健三郎の最初の長編小説。<いいか、お前のような奴は、子供の時分に絞めころしたほうがいいんだ。出来そこないは小さいときにひねりつぶす。俺たちは百姓だ。悪い芽は始めにむしりとってしまう>。というのは感化院の少年たちが疎開してきた村の村長の言葉。疎開先の村人たちからは、見世物のような目でみられ、疫病が流行ると彼らは置き去りにされた。主人公の少年とその弟、病気で逃げ遅れた村人とその娘。朝鮮人の少年。脱走兵などとともに衣食住をなんとか確保すべく行動する。村人の去った家を探索し、弟が捕まえた雉を食料にする。疫病にかかる娘。その娘との淡い恋愛。脱走兵は娘を看病するが。大事な人との別れも経験する。やがて村人が帰っきて、村が荒らされたと言われ、囚われの身となるが、その少年だけは服従しなかった。作者はこの小説について、<自分の少年期の記憶を、辛いのから甘美なものまで、素直なかたちでこの小説のイメージ群のなかへ解放することができた。それは快楽的でさえあった>と言い、自分にとって<一番幸福な作品>だったという。 |
〓 | 大江健三郎の初期の作品集。『死者の奢り』:文学部の僕は、医学部付属病院の死体処理室の水槽にある死体を別の水槽に移すバイトを女子学生とともに行う。死体は材木のような<物>であった。そして生きていた時のことを想う。作業終了後、移した死体はもう使わないので運びだせと言われる。『他人の足』:足が動かない脊椎カリエス患者の療養所。新しい学生の患者が入ってきたが、看護婦による性の処理を拒否。外の世界とのつながりを持とうとして、周りも変えていったように見えたが、学生が退院すると元の生活に戻る。『飼育』:芥川賞受賞作。敵の飛行機が落ち、落下傘で降りてきた黒人兵を飼育する。気持ちが通じ合ったきた時、県に引き渡し命令が出た。黒人は僕を捕虜とし抵抗するが、父に殺されしまう。『人間の羊』:僕はバスの中で外国兵から屈辱を受けた。同乗していた教員は警察に行って訴えることを強要し、つきまとう。それからどうにか逃れようとする。『不意の唖』:外国兵が集落にやってきた。川で遊んでいた通訳の靴がなくなった。集落の長は殺されるが、他の集落のメンバーによって通訳は静かに殺される。『戦いの今日』:朝鮮戦争当時、日本に滞在している米兵に対して、反戦のパンフレットを配る兄弟。パンフレットを見て、脱走をしようとする米兵を匿う。 |
〓 | 『同時代ゲーム』を書き直したとされる本。巻末に収録されている『語り方の問題』によれば、<私は自分が生まれて育った四国の森の村の、神話と伝承をはらんでいる独自の宇宙観・死生観を小説に表現したいと考えてきました>とある。そして『同時代ゲーム』を書いたが、<バフチンや山口昌男の文体に、沖縄や韓国の民族誌の声、そしともとより祖母の語り口の木霊を取り込むというものとなり、およそ捩じくれ曲がった複雑な構造をとってしまいました>という。書き直した本書では<自分の記憶の耳と魂の中に響き続ける祖母の語り口を、新しい小説の語り方として再現することでした>という。確かに本書の方がちゃんと順を追って分かりやすく書かれている。しかし、インパクトは『同時代ゲーム』の方が強烈だ。わけのわからないが故のパワー、家族(祖母、父、母、兄、妹、弟)を語る時のエロさと無茶苦茶さが本書ではそがれている。より現実に近い、息子の光のことに言及したりいている。 |
〓 |
買ったのは40年位前になる。『百年の孤独』が文庫化され、買ったはずの単行本の『百年の孤独』を探していたら、この『同時代ゲーム』を見つけた。こんな箱入りの本なんか買うな、と当時母親に言われたことを覚えている。そして読んだのか読んでないのか、覚えていないのは、多分読んでないからやろな。ちょっと汚れているけど。
メキシコに赴任していた主人公は、闘牛場で故郷の盆地の村を思い出す。父にスパルタ教育をされた村の歴史を、妹への手紙の形として書くこと決意する。その村の歴史とは、<壊す人>によって始まる。四国の藩から追い出された人たちが、引き返して、川を逆流し、その上流にある大きな岩を粉砕する。そこから泥だらけの濁流によって洗い流されたあとにできた村。外部を遮断し、独立国家を目指す。そこは1つの宇宙であった。村の創建時に巨人化した<壊す人>。暗殺され、みなのうちに共有されてよみがえるようにと、その体を切刻んで村人全員で食われる。その為か、<壊す人>の影響はいつまでも続くことになる。自由時代とよばれる長い時代を経て、明治維新後、日本帝国軍との50年にわたる戦争に敗北する。そして現在、神主である父、巫女として教育され、村の性の象徴でもあった双子の妹。軍隊に行った長兄。女形になった次兄、野球選手になった弟。そして彼らの末路まで、<壊す人>との長い歴史が語られる。 |
〓 | 新宿鮫シリーズの10冊目。今回はレギュラーメンバーとの別れの回となった。同期の香田、恋人の晶、そして、上司でマンジュウと言われた桃井。キャリアエリートであった香田は前回の事件きっかけ警察を止めたが、鮫島とのつながりは続く。フーズ・ハニーのリードボーカルで全国区の人気となった晶であったが、バンド仲間がヤクで逮捕され、鮫島との間も解消しようとする。そして常に鮫島をカバーしてきた上司の桃井。ああ、とうとうついに。。。出所して、警察官を殺そうと考えている樫原。そして中国残留孤児二世らで組織されている、不気味で無茶苦茶な事を平気でやる「金石」というやつらとの戦いの中、桃井は樫原に会いに行くが。。。 |
〓 | 新宿鮫シリーズの第9弾。外国人を使い、泥棒市場のシステムを構築する宿敵・仙田。その相棒(愛人)の中国人・呉明欄。片や、外国人に席巻されつつある裏市場を阻止したい警察。鮫島の同期で、エリートの香田は、暴力団・稜知会の力を借りようとする。それに反発する鮫島。仙田のシステムを乗っ取りたい稜知会。それぞれが利用し、いいとこ取りをしようとの思惑がぶつかり合いながら物語は進む。裏社会の様子や麻薬の知識も得ることができ、それによりリアリティも増し、物語がぐっと面白くなる。渦中の中の登場人物では、紅1点、仙田の愛人・呉明欄の逞しさは凄いなと感心した。 |
〓 | 新宿鮫シリーズの第8弾。新宿での車の盗難と転売にヤクザと中国人がからむ。鮫島は出所したヤクザ真壁と出会う。真壁の愛人とその母親が登場。そして元警察官の大江の過去の秘密。それは、今は暗渠になったが、新宿にはかつて淀橋上水場があった。その風化した水脈のごとく、実は現在も流れ続けていたのだった。そして真壁もかつて抗争のあった中国人・王と再び出会う。昔を掘り起こされ、関係のあった人間模様の続きが描かれる。その他、Nシステムと呼ばれている、車の自動ナンバー読み取り装置が全国いたるところに設置されていること。そして水中や泥の中、雪の中などの水分の多いところでの死体は、<死ろう>という状態になり、人の形が保たれる永久死体となることがある等、知識が増えた。 |
〓 | 新宿鮫シリーズの第7弾。鮫島が牧場の檻に入れられているところから始まる。記憶を辿る鮫島。自殺した同僚の宮本の七回忌の法事に九州に来ていたのだ。宮本の友人・古山とその妹・栞、麻取の寺澤、地元の2つのヤクザ組織、地元の悪徳警察官、北の工作員がからむ。新宿を離れた余所の地でも、組織よりも友情に体を張る、鮫島の活躍は変わらない。今回は、麻薬のみならず、<新ココム>と言われている<ワッセナー協定>違反となる北朝鮮への製品の輸出にかかわる話でもある。ラストはけっこう無茶苦茶なことになる。BMWは出てこないが、ポルシェ、GTO、レガシィ、セルシオ、ベンツ等が登場。宮本から託されている手紙の秘密は明かされない。 |
〓 | 大沢在昌の新宿鮫シリーズの第6弾。前半はいろんな話が語られるので少々とまどうが、後半からいっきに伏線回収され、面白さが高まり、最後まで盛り上がりを見せる。今回も中毒になるような面白さである。警察とやくざ、政治家、CIAがからむ。やっかいなのが警察内部、そして警察OBとの戦い。いつものように鮫島は組織をこえて自由に活躍するが、ある舞台女優に恋してしまう。恋人の晶を差し置いて。この女性が今回の事件に大きく関わっていくことになる。主人公・鮫島とキャリア組の同期・香田も登場。途中までやはりいけ好かない奴であったが、後半はけっこう骨っぽい活躍をする。 |
〓 | 大沢在昌の新宿鮫シリーズの第5弾。このシリーズ、2013年以降読んでいなかったが、久々に読むことができた。こういうぐいぐい読めるものが欲しくなる時がある。主人公鮫島と恋人の晶、そして今回は植物防疫官の甲屋とタッグを組む。アジア人の多く集まる街から、中南米人が集まる街になった新宿の犯罪を描く。アルゼンチン女性が持ち込んだと思われる害虫「フラメウス・プーパ(炎の蛹)」。日本の稲作を壊滅させる危機から救う為に奔走する甲屋。かたや、イラン人と台湾人の抗争を追う鮫島。そこにラブホテルを爆破する異常犯が絡む。本書がカッパノベルズとなったのが1995年なのでその頃の話だ。2021年コロナ禍の新宿はどうなってるんでしょうね。 |
〓 | 大沢在昌の新宿鮫シリーズの第3弾。読み終わってタイトルの意味がわかる。ぞ〜っとする。今回鮫島が相手にするのはすご〜く地味だが、すご〜く怖い。この怖〜い奴、やってることは凄まじいが、その心にあるものは決して否定はできない。しかしながら、表現が極端過ぎるので、決して社会が受けいられるものではない。人物の外見にしろ、その武器にしろ、すご〜く地味なのがいい。何しろ、<おばちゃん>だも。 |
〓 | 大沢在昌の新宿鮫シリーズの第2弾。台湾のヤクザ・葉が、台湾の<毒猿>呼ばれる殺し屋に狙われる。舞台はもちろん新宿だ。それを阻止しようとこれまた台湾の警察官・郭がやってくる。自分と価値観が似ていると感じた鮫島は郭とともに<毒猿>を追う。鮫島も郭も真摯であるが、組織よりも職務を優先させる。だから上層部からは煙たがられる。<人には、生きている証しを手にする権利がある。と鮫島は信じていた。それは、晶との恋愛であり、警察官としての職務遂行だった>。それにしても<毒猿>は強い。マンションでの格闘、そして新宿御苑、台湾閣での格闘は凄い。必殺技はあのアンディ・フグも得意だった「脳天踵落し」だ。 |
〓 | 「アイスキャンディ」と呼ばれる覚醒剤を巡り、新宿署防犯課の刑事・鮫島と藤野組の角、そして香川財閥との対決のお話。厚生省麻薬取締官・塔下は組織的には商売敵ながらも、鮫島との人間関係で協力体制を築いていく。またこの物語には平瀬という厄介者が登場する。やくざ社会からも「何をやっても半人前」、「妙に度胸のすわった薄気味悪い奴」と思われ、組織の中で伸びていけない奴。厄介者の集まりのやくざ社会からももてあまされる奴。香川財閥に単独で挑んでくる奴だ。そういう男はどんな奴か?との香川昇の問いかけに、元刑事は<カタギの社会と同じですわ。組織のタテマエよりも自分の本音を優先させる奴です>と言った。この言葉が妙に印象に残った。新宿鮫シリーズ、他の作品も読みたくなった。 |
〓 | 花村萬月が自著『笑う萬月』で絶賛し、web上でも評判の良い『新宿鮫』を読んだ。切れ味良く、面白かった。ラストシーンもライブのノリとともに緊張感が高まる。長さもほどほどで、読みやすい。キャリア組でありながら、途中で落ちこぼれた主人公の鮫島と、これまた「マンジュウ」と呼ばれ、完全に窓際族扱いされている上司の桃井。鮫島の戦いは日本の警察機構(キャリア制度)そのものにも向かうのだ。応援したい人物である。「新宿鮫シリーズ」にもう少しつき合っていきたい。著者は1956年、名古屋生まれ。 |
〓 | 萩原健一(ショーケン)と言えば、テンプターズのボーカルとして『神様お願い!』『エメラルドの伝説』を歌う。『太陽にほえろ!』のマカロニ刑事として殉職する。『傷だらけの天使』のオープニングで、雑に牛乳飲んで、缶詰のコンビーフ食う。弟分の水谷豊にアニキィーと呼ばれる。そしてNHK大河ドラマ『勝海舟』での岡田以蔵。オシャレでカッコイイ男。あらためてそうだったのか、と思ったのは、松田優作がその背を追い続けたということ。ショーケンは<「優作は、俺の真似ばかりしている」>と言っていたらしい。また松田優作にはインテリジェンスがあるが、ショーケンにはない。だからインテリの役はできない。というのはなるほどな、と思った。ドラマや映画の撮影現場では、よくキレて、周りの人間を怖がらせたが、不良を自認し、<生まれながらの本能で演じ>て、<自分で時代を作った>。後悔のない人生に違いない。 |
〓 | ストイックな松田優作の幼少時代から、ガンで死ぬまでを綴った本。全てにおいて手を抜くことができず、何かに追い立てられる様に生きた松田優作は、ブルース・リーのようでもある。 |
〓 | 最初の夫とは死別。2人目の夫(明石家さんま)とは離婚。3人目の同居人(野田秀樹)とも別れ、現在子供2人と暮らす。バラエティにも出演し、芸の幅を広げる大竹しのぶは、天性の役者だ。しかし、普通の人間であろうとする。そのことが、かわいいと思う。前向きでエネルギッシュ。かなりお惚けでもあるが、最後はやはり自分一人、自分の為に生きたい、と正直に言うのが、かわいいと思う。大竹しのぶは、清楚でかわいい女なんである。 |
〓 | 昔の人はけっこう長生きだった。最高齢は、ヒコホホデミノ(山幸彦)の580歳。まあこれは神話の話なんで置いておくとして、『古語壱拾遺』を編纂した齋部広成は80過ぎ。『大鏡』の語り手、大宅世次190歳、夏山重木180歳。ほんまかな?藤原頼道は83歳。頼道の姉・彰子は87歳で死ぬまで政治の世界で現役。天海和尚は政界デビューが81歳、108歳で死んだ。藤原貞子は数え107歳まで生きた。88歳まで生きた医者・曲直瀬同道三。貝原益軒は84歳で『養生訓』を書いた。杉田玄白は83歳で『蘭学事始め』を書いた。井原西鶴の『世間胸算用』には92歳のばああが登場する。平安時代の傀儡である乙前は歌人して尊敬され、84歳まで生きた。鶴屋南北は71歳で『東海道四谷怪談』を発表した。葛飾北斎90歳。三女の阿栄は、父に負けない才能があった。曲亭馬琴は75歳で『南総里見八犬伝』を完成させた。小林一茶は52歳で初婚、通算3度の結婚をした。現在の老人の自殺者は、独居老人よりも、同居老人の方が多いという。看護や介護の負担をかけていると思いがあるからだそうだ。昔話に登場する老人たちは、実は善人であることを止めた、くそ爺婆達であるという。 |
〓 | 柳田國男が提唱し、そして自ら封印した「山人論」で話は始まる。山人は平地の民族とは違い、山に住み、手足が長く、運動神経抜群である。そしてその山人こそが、大和民族のルーツであるとする仮説が「山人論」である。これは天皇神話に反するものであり、国家を挙げて山人狩りが行われた。しかし、すべての山人が殺されたわけではなかった。「山人論」に興味を持ったが為に破門された影の弟子、兵頭北神。彼もまた山人の血を受け継ぐ者であった。残された山人を守ろうとする柳田國男と兵頭北神に大正から昭和初期に活躍した有名人がからむ。宮沢賢治、画家の伊藤春雨、竹久夢二、大杉栄、甘粕正彦、出口王仁三郎、北一揮、そして江戸川乱歩。皆、山人にひかれていった。柳田國男は言う、<人が居るべき場所などはない。今、居る場所こそ真実なのだ>と。ちなみに兵頭北神なる人物は本当に実在したそうである。「山人論」については南方熊楠に否定されたとあったが本当かな?柳田民族学の怪しさに触れられる。たいへん面白かった。 |
〓 | 著者は角川スニーカー文庫について、<十二人の女子高生に次々と告白されるビデオゲームのノベライズや、たまたま主演したアニメがヒットしたことを勘違いした声優の詩集と称する物や、そんな屑のような文章と同じレーベルで流通する>ものと言う。これは【消費される小説】で、それだからこそ<世界中を呪詛しているような少年>に届く【速度】を持つと言う。著者はこの小説で、<物語による治癒では問題は何も解決しない>とし、<親や学校や社会と和解したり、大人になったりせずに、ただ欲望のままに、心の衝動のままに動くしか人間にはできないのではないか。…その欲望に身をまかせて初めて患者たちは癒されるのではないか>と精神医に語らせている。『完訳グリム童話集』にも秘められた本当の欲望とは何かを暗示してこの小説は終わる。どんどんやってほしいと思う。こういう試みを。大人も読め!しかし、バーコード付きの目玉の解説はもうちょっとほしい。 |
〓 | 人工の神経瘤を埋め込まれ、アミノ酸の変化で、その人間が見た世界を再生できるというバーコードがつけられた眼球を持つ謎の男たち。大塚英志は評論しかやってないのかと思ったが、コミックの原作までしていた。この本はコミックの原作の小説。恋人の最悪の状態の死(バラバラ死体)によって小林洋介は壊れてしまった。そこで登場するのがサイコ野郎、雨宮一彦だ。そして恋人を殺した犯人を射殺した雨宮は拘置所に送られる。そこで登場するのが西島伸二だ。サイコの自乗だ。とにかくえぐい。ぞっとする。やることはえぐいけど、普通の顔をしているのだ。まさに壊れた人間たちの集まりである。そして壊れるのもけっこう簡単に、なのだ。文化放送でラジオドラマをやる予定であったそうだが、直前で中止されたそうである。大塚英志は、この時代、あえてこういう表現が必要なのだと言う。顔はオバQに似ているが、けっこう危ない野郎である。 |
〓 | 副題『少女は何なぜ「カツ丼」を抱いて走るのか』。副題はもちろん、吉本ばななの小説『キッチン』『満月』の主人公の行動である。この「なぜ」を著者は、心理的距離が空間的距離に還元された時、心理的距離を埋めるべく、物理的空間をひた走ったのだと説く。これが気持ちいいらしい。悪くいえば、迷惑するかもしれない、相手のことなど顧みずに、「他者を癒すという自分の物語」を完結させる為にだ。一見、自分から他者への癒しに見え、閉じた自分の物語からの脱出に見えるが、これもまた自分自身の癒しにしか過ぎない。<国際社会><エコロジー><神><政治>への発言も同様であると言う。消費社会としては、すべて閉じられおり、<外部>を夢見ず、己の分をわきまえる作業が大事であると結ぶ。面白かったのは、アメリカの物語は「ディズニー」であるということと、霊的価値を付加したモノが<宗教>ではなく、<企業>の手で作られつつあり、宗教教団は根本から存在価値を失うのではないかというところ。著者は1958年東京生まれ。 |
〓 | 感情の伴わない、テクニックに偏った社会を嫌う著者の気持ちが良く伝わる。少々浪速節過ぎる気もするが、熱い男である。1989年から1994年まで『別冊宝島』に書いた民族学者大月隆寛の青春の記録。 |
〓 | う〜ん、AKIRAってこんな話やったんですね。こんなわけわからんものやったとは意外でした。運命が決定されている、ということからの脱出なんかな。宇宙の意志に対抗する人類、てな具合かな。まあ、宇宙の意志もわからんが、それにどう抵抗しようとしてるんかもいまいちわからんかった。ちょっと時間おいて、読み直しかな。一番かっこいいのは、健康優良不良少年の金田君。スーパーマン過ぎるが。 |
〓 | アテール文庫創刊、と帯に書いてある。なんじゃ、アテールって。SFなんかを書いている大原まり子の<エロティックな…というよりは、はっきりいってポルノグラフィめざして書いた短編五本と、セクシュアリティを探究した短編を二本、収録>した本。最初の『絹の手ざわり』、『君のものになりたい』はかなりストレート。好みでいえばSFっぽい『ハンサムガール・ビューティフルボーイ』かな。15歳のオンナノコがオトコノコになるお話。Patrick Arletのカバー絵はなかなかいい。 |
〓 | その昔、アイドルであった大場久美子がパニック障害になっていたとは驚いた。仕事を止めたい、人生を止めたい、という葛藤があった大場久美子が、その病気と戦いつつ、自分の人生を振り返る。結構最近まで大変な時期であったようだ。彼女も書いているが、医者の応対に本当につらいことがある。<突き放されたような、見捨てられてしまったような気分になる>。彼女がカウンセリングを受けている時に、<終了時間を気にしていることが伝わったり、結論がでていないのに最後の言葉をさがしているような気配がしたり>した時だ。また、まだ起きていないことを不安に思う「予期不安」に対しては、マネージャーの言葉<目の前のことだけ考えましょう。歌謡ショーのことなら、私がなんとかします>に救われたという。それは<私の責任を私の代わりに引き受けてくれようとしていると感じられ>たからだという。今はブログを続け、返事を書いたりすることで元気になっているようだ。やはり、親身になってくれる仲間というのが大事なんだな、と思った。 |
〓 | 男は、3日経てば変わっていなくてはならない。前田日明が、そして多くの若者が本書を読んで格闘技の道へ向かった。世界最強と自負する著者の一番恐ろしいものは、「飢え」であるそうだ。 |
〓 | <はじめのところから始めて、終わりにきたらやめればいい>このなんでもないような言葉によって、主人公が最後に選択した方法とは?「クラインの壺」…内側が外側であり、外側が内側である。現実と虚構の区別がつかなくなった時、あなたならどうしますか?すべては虚構であると割り切って、人生歩みますか?「ブレインシンドローム」のゲーム作家が自らバーチャルリアリティのゲームで体験していく怖いお話し。岡嶋二人最後の作品。 |
〓 | 沢尻エリカの主演映画で話題の『へルタースケルター』。全身整形をしてスターの座についたりりこであるが、自分のことは良く分かっている。いつかは忘れられることを。頭の中で時計の音がコチコチと鳴る。整形の後遺症も出てきて終わりが近いことが知らされる。そこでのガムシャラぶりが痛々しい。そしてりりこが最後に思いついた方法は衝撃的だ。大衆が観たいものは何なのか。見世物という観点から見ると、美しいスターであることだけではない。ある意味見事な選択であったとも言える。岡崎京子は<スターというものがしばしば興味深くあるのは、スターが癌と同様、一種の奇形だからです>と言う。 |
〓 | コミック。表題作の『エンド・オブ・ザ・ワールド』、カラカラに乾いてます。両親殺して、一緒に逃げた義兄は自殺し、どこにいけばいいのって感じになる。しかし、「ああ、のどが乾いた」って感じ。『VAMPS』、吸血鬼の美人親子が引っ越して来て、同居人になる。若い大家と吸血鬼の三女がしばしの恋におちるが。。『ひまわり』、赤ちゃんができたと告げられた12歳の少年が思わずゲロを吐く。『水の中の小さな太陽』、どぶに捨てられた女子校生がおぼれながら、これは夢なんだと思う。『乙女ちゃん』、女装をするようになった父親が亡き妻を想う。ああ暑いのだ、太陽がギラギラと。ヘビィ&ドライ。 |
〓 | 暗号資産等で使われているブロックチェーンというセキュリティ技術。管理者がいなく、常に皆で情報を持ち、正しいアウトプットしか受け付けない。相互不信を前提につくられたものである。このシステムの中で重要なのがハッシュ値。ハッシュ関数は暗号と違って、ハッシュ値を作ると、ハッシュ値からは元のデータはわからないが、元データが同じであれば、必ず同じハッシュ値が得られるというもの。面白いのは、たった1文字でも、本1冊分の文字数でもハッシュ値の長さは同じであるというところ。ビットコイン等は、新しいブロックを作ると報酬が得られるので、それを目当てにマインニング作業を行うが、これが途轍もない計算作業であり、これによる電力消費量がアイルランドの消費量に匹敵するという(2018年)。管理者が不在でブロックが作られ、植物のようにどんどん伸びていくが、伸びないブロックは無効になる。ビットコインも上限発行量が決まっているので、無限には続かない。インターネット以来と言われているこの技術、どうように使われていくんだろう。 |
〓 | 1997年に出版された本。途中まで読んで、ほったらかしにしていたやつ。岡田斗司夫のYouTubeを観ていて、面白かったので、そういやこの本があったと、再度手に取った。岡田斗司夫が東大で行なった「オタク学」の講義をまとめたもの。全部で13講座。ゲーム、漫画、アニメ、オカルト、現代アート、ゴミ漁り、やおい、日本核武装論、変態、ゴーマニズムと幅広い。ゲストのメンバーも強烈だ。今読んでよかったのは、「攻殻機動隊」を読んでいたり、「エヴァンゲリオン」を観ていたり、村上隆という現代アートの人物の名前だけでも知っていたりしたことかな。村上隆の作品を垣間見れたし、彼の言うアートの条件みたいなのも知ることができたのは収穫。作品の見た目ではなく、その文脈が大事であると言うこと。一番強烈なゲストは、なんと言ってもゴミ漁りの回の村崎百郎だな。共通するのは、追求する姿勢にある。 |
〓 | 超情報化社会となった現在では、Facebookなんてのも本名を明らかにすることが前提で、仕事でもプライベートでも、情報がすぐに広がり、いつもいいひとにならないと「いい評価」はしてもらえない。それならばそれを戦略としてやろうということ。本当にいいひとでなくても良い、いや本当にいいひとなんていない、ということを前提にしている。現在の状況を<貨幣経済社会>とすると、これからは<評価経済社会>であるという。「いい評価をされる」というあざとさがあっても積み重ねれば本物になる、という考えだ。著者が「いやな人戦略」と言っている<「自分の信じることを進めるため、評価は気にしない」>というスタイルも昔はカッコ良く思えたが、それは「自分の為」というのが根本にあり、他人の満足になり難い。服装にしろ、髪型にしろ自分の為だけでなく、「他人の為でもある」いう考えが、年のせいか少し惹かれるようになってきた。 |
〓 | 「オタクはすでに死んでいる」とは、オタクというものが特別な何物かではなくなって、埋もれてしまった、と言うこと。その昔、オタクは特別な、怪しい集団であったのだ。オタクには、第一世代の貴族主義、第二世代のエリート主義、そして現在の、第三世代「自分の気持ち至上主義」となった。大人は幼稚で、お互いの「子供な部分」を相互ケア。オタクだけではない、今の日本人が大人な部分が欠如している。著者の提案は、「これからのオタクの生きる道」及び「ストレス最小で幸福最大の妥協点」。簡単に言ったら、もう少し大人になれよって事か。 |
〓 | これは面白い。あのオタキングと呼ばれた体重117kgの岡田斗司夫が67kgになった。完全に別人だ。それもびっくりしたが、この本の面白さはその減量方法である。食ったものをこまめに記録していく「レコーディング法」というやり方だ。先ずは食べるのを我慢しないで、間食などこちゃこちゃしたものまで、全部記録してくのだ。これがけっこう効いたらしい。腹が減ってなくとも食べている自分がそこにいた。というころだ。満腹感は食べた後タイムラグがあるので、少し待つ。これがコツ。その他はカロリー計算を楽しむ。成人男子1日1500kカロリーだ。 |
〓 | 岡田斗司夫対談集。vs 小林よしのり、岸田秀、大槻ケンヂ、堺屋太一、鶴見済、小室直樹、今野敏、宮台真司、岡田和美。vs 岸田秀 <岸田秀の『ものぐさ精神分析』を読んで、急にニヒルになった。>オレもそうでした。この世はすべて幻想である!なんて若い頭に叩き込まれた日にゃ、誰でもニヒルになるってもんや。vs 宮台真司 宮台はよくしゃべる。宮台の一方的攻撃に終わるかと思いきや、最後は岡田斗司夫に分があったかな。岡田斗司夫、オレと同じ年。言論界のオタク派。「世の中のこと、対談した相手にまかせておけば大丈夫」なんてうまく引きすぎ。何故かサイン本。 |
〓 | 自由経済社会から自由洗脳社会へのパラダイムシフトが起きつつある。権力者の独占であった洗脳行為は民衆へ開放される(パソコン通信、インターネット等)。「自分の気持ち」を最も大切にし、その場、その場でいろんなイメージ、価値を選択する。1つの確立した「自我」は邪魔になってくる。キーワードは他人のワガママを認められるワガママ。ワガママばんざい! |
〓 | 西洋文化=メインカルチャーからカウンターカルチャー、そしてサブカルチャー。日本型文化=職人文化からオタク文化。「粋の眼」「匠の眼」「通の眼」がオタクの3つの視点。著者は【オタキング】と呼ばれている。著者は1958年大阪府生まれ。 |
〓 | 『ニッポンのジレンマ』に登場した2人の哲学者が、22冊の古典について対話形式で語る。哲学の入門書としてもいいが、2人の意見が違うのが面白く、「その考えはおかしい」とはっきり言うところがいい。しかし、違うといっても結構互いに歩み寄る場面もあり、考えの方向性の違いという感じもする。人物描写も活き活きとして、歴史的な位置づけもよくわかる。クロード・レビィ=ストロースの『悲しき熱帯』を読みたくなった。 |
〓 | 交通事故で記憶の蓄積が1975年で止まってしまった数学の博士。現在の事は80分しか記憶がもたず、それ以前の記憶は消えていく。しかし、博士の数学に関する能力は健在で、数字を愛している。語り手の私はそこに家政婦としていく。毎日自己紹介をしなければならない羽目になるが、素数を愛し、友愛数を愛し、完全数を愛する、その語り口に惹きつけられる。また阪神タイガースを応援し、今でもピッチャーの江夏が現役であると思っている。10歳の息子の頭を見て、√(ルート)と名付けてくれ、かわいがってくれた。博士の唯一の友達になる。博士の背広には、忘れてはいけないことのメモが沢山貼り付けられているが、記憶を維持する時間が徐々に少なくなっていく。数学を愛するだけでなく、数学に対しての謙虚な気持ちが良く伝わる。数学を志すなら是非読んでおくといいと思う。 |
〓 | 街の標本製作屋。こんなものが実在するんだろうか。あるわけないけど、その世界にスッと引き込まれていく。そこの標本室に<封じ込め>たい物をもって、人々がやってくる。それらの客は、「標本にして封じ込める」という意味を十分にわかっている。という世界。薬指の先端をなくした若い女性(わたし)が、この標本部屋の受付係りとして就職する。仕事は標本技師(弟子丸氏)との2人だけ。ある日、標本技師に黒い靴をプレゼントされる。それはあまりにピッタリの靴で、だんだん体と同化していく。そして黒い靴だけを履いた状態で全裸にされ、抱かれる。彼女は言う。<自由になんてなりたくなんてないんです。この靴をはいたまま、標本室で、彼に封じ込められていたいんです>。もう1つ『六角形の小部屋』が収録されている。あのミドリさんは、実はカタリコベヤの人だった。これもどこかにあるかもしれない不思議な世界。 |
〓 | ひょっとしたらこの人、ノーベル文学賞なんてのをとるかもしれませんね。文学の王道をいっている感じ。不思議で残酷で上品な小説。海外でも翻訳されている。本書は全8編の短編集。どれもが味わい深い。『飛行機で眠るのは難しい』、飛行機の中で、出会った老婦人が死んだ話を聞かされる。『中国野菜の育て方』、自転車に乗って野菜を売りにきた老婦人。自転車でヨロヨロ帰っていく。『まぶた』は純愛物。レストランでカードが使えず、裏口から追い出される。別れの場面、渡し舟と海の景色が浮かぶ。『お料理教室』はドタバタコメディのよう。料理教室の先生のキャラがいい。『匂いの収集』のラストはやんわりと背筋が凍る。『バックストローク』は水泳選手であった弟の腕が抜け落ちる。SFチック。『詩人の卵巣』詩人の博物館に入る。『リンデンバウム通りの双子』は年老いた双子の兄弟の枯れた日常生活を見ることができる。 |
〓 | いいですね。本の紹介とエッセイであるが、自身の本好きがひしひしと伝わってくる。それは激しいものではなく、ゆったりとして心地いい。しかしながら非常に深い。彼女は<人生の答えを求め、あてもなくさまよっている人間たちに、作家が示せるものは、小説しかない>という。これまたいい。あの『博士が愛した数式』の作者、小川洋子の作品をいろいろ読みたくなった。『まぶた』と『薬指の標本』は購入済だ。 |
〓 | NHKブックスの装丁がいつの間にか変わっている。この人もNHKの『ニッポンのジレンマ』で知った。現在の社会問題をコンパクトにまとめた本になっている。水俣病やハンセン病などの昔からある差別問題(が今も引きずっているもの驚きだが)や、現在新たに起こっている問題を示してくれる。あたりまえだが、社会が変わればその問題も変わる。例えば監視カメラ。犯罪は減るかもしれないが、自分の行動も監視される。そういうログを<取られない権利>や<消す権利>、逆に<見る権利>。ストーカーから逃れる<縁を切る権利>。<犯罪者にならずに済む権利>。ネットに拡散した不都合な個人情報を<忘れられる権利>。著者は<新たな権利を考えるということは、いまだ達成されていない新しい社会を構想することです>という。そう考えるとなんだか面白そうだ。 |
〓 | 伊良部総合病院シリーズ第2弾。直木賞受賞作。『空中ブランコ』、『ハリネズミ』、『義父のヅラ』、『ホットコーナー』、『女流作家』の5編。精神科医・伊良部一郎のハチャメチャぶりはエスカレートし、ついに空中ブランコに乗る。今回の患者は、サーカス団員、ヤクザ、医者仲間、プロ野球選手、女流作家と多彩だ。皆が伊良部のペースに巻き込まれていく。『ホットコーナー』の患者、坂東真一は言う。<普通の医師だったら、自分はもっと格好をつけていた。己の弱さを吐露することはなかった。伊良部には秘密を知られても気にならないのだ>。伊良部一郎は、みんなが心を開く、優秀な精神科医ってことで。 |
〓 | 伊良部総合病院の地下にある神経科に次々と患者が来る。診断するのは伊良部一郎。こいつが飛んでもないふざけたヤツだった。いや本人は、ふざけているつもりはないだろうが。100sを超すデブで、マザコンで、好奇心旺盛で、恐いもん知らず、思い立ったら躊躇なくやる。この病院に来るとすぐに看護婦のマユミに注射を打たれるが、胸チラ、太ももチラのエロいヤツだ。その注射しているのをジッと観察する伊良部一郎。毎回このパターンで始まる。『イン・ザ・プール』、『勃ちっ放し』、『コンパニオン』、『フレンズ』、『いてもたっても』の5編からなる。どの患者も、伊良部の強引なペースに巻き込まれていく。この医者と行動を共にし、その態度(予想を超える圧倒的な悩まなさ)を見るにつれ、患者は徐々に回復していくということになる。面白いパターンの小説やな。 |
〓 | <工業化社会からポスト工業化社会へ>という視点から現在日本の社会状況分析と社会運動の歴史をしめす。またそれだけにとどまらず、これまでの世界の科学、哲学も含めてすべてを解説してやろうという意気込みにあふれた本になっている。かと言って難解なものではなく、個々の学説もわかりやすく説明している。少々分厚い新書であるが、この社会を大掴みに知ることができる。で、こんな社会を変えるには?てことなんであるが、やはり自分が動くということ。デモに参加することもその1つであろうが、自分で社会を作ることは楽しいということを先ず言いたいんだろうな。我慢してないで、自分で行動を起こせばやりたいことができる。その方が楽しいよ、と。しかしそれは当初自分で考えた思い通りのものではなく、著者のいう<再帰性が増大している><作り作られる社会>であることがポイントかな。 |
〓 | 以前に読んだ野田俊作のアドラー心理学が、けっこう面白かったのが記憶に残っていた。豊橋の精文館書店の入ってすぐにアドラーの本を見つけたので、また読んでみようと思った。<性格は今この瞬間に変えられる>というのは覚えていたが、今回なるほど、と思ったのは<叱ってはいけない、ほめてもいけない>、<あらゆる悩みは対人関係に行き着く>、<他人の課題を背負ってはいけない>というところ。人生で一番困難な課題は、「仕事の課題」よりも、「交友の課題」よりも、「愛の課題」である。「愛の課題」とは、異性とのつきあいや夫婦関係のことで、これが解決できれば深いやすらぎが訪れるだろう、とか、自分の課題ではないのに、他人の課題を勝手に背負いこんで苦しんでいないか、とかが面白かった。 |
〓 | 猿岩石と違うところ…この人にはスポンサーは付いていませんでした。 |
〓 | 中日監督時代の落合博満と言えば、完全試合達成を目の前にした投手を交代させたことで印象に残る。個人の成績より勝つことを優先した結果だ。東芝府中からドラフト3位でロッテに入団した落合博満は、野球エリートではなかった。いろんな経験をしているので、監督として采配するときに生きてきている。一番いいところは、いろんな選手の立場がわかり、人の意見に惑わされないところであると思う。その落合は、リーダーにとって大切なのは<自分自身の方法論を部下に明確に示すこと>だという。「日本一になる」というだけではダメだということだ。 |
〓 | <現代の魔法使い>というのも凄い比喩な落合陽一郎。父親はあの落合信彦。やっぱり生きていく上で優先されるべきは自分の好きなことをする、ということなんやな、と。その報酬はお金だけではない、と意識することが大事かもしれない。どんな分野でもニッチなところはあるので、誰もがそのトップになれる意識を持つこと。そして頭で考え巡らせる為にも、肉体の健康が第一だ。 |
〓 | この人も「朝まで生テレビ」に出演していて見つけた面白そうな人だ。そして本書は、いろんな示唆に満ち溢れている。日本再興のキーワードはロボット、自動運転、そしてブロックチェーン。<これからの日本はすべてをブロックチェーンにして、あらゆるものはトークンエコノミーであるという考え方にしていかないといけない>そうだ。<ビットコインに代表される仮想通貨にかかわる技術>にブロックチェーンというテクノロジーが使われている。トークンエコノミーとは法定貨幣ではなく、TUTAYAポイントのように価値交換ができるもの。これは中央集権的でないので、かかわりを持つ人たちだけで運営できる。日本に向いている地方自治的であるという。仮想通貨の分野では、ICOという方法で上場もできるそうだ。そしてグーグルやアップルからの搾取から脱却する方法だという。ロボット化は人口減少にマッチする、機械化自衛軍で日本を自衛する、自動運転により能動的に時間を使える。というのも面白いと思った。士農工商という身分制度を肯定し、現在の「商」に価値を置き過ぎている状態を批判する等、久しぶりに読んだ、日本の明るい未来が伝わる本だった。 |
〓 | 歌を歌う為に生まれてきた一人が鬼束ちひろだ。映画『溺れる魚』のエンディングで流れていた歌(『edge』)を聴いたのが最初だ。のちに観たビデオで歌う姿、その魂の入れように凄いと思った。そんな鬼束ちひろの自伝的エッセイ、面白く読んだ。なんと最近ニューヨークに行って、左手にタトゥーを入れたそうな。有り余るパワーをそこに封じ込めるという。自他共に認める<暴れん坊>で、喜怒哀楽は激しい。音楽の世界に入るきっかけは興味深かったし、米米クラブが好きだったことには親近感がわいた。そしてなによりも、お父さん、お母さん、弟、そして妹をすごく大事に思っている鬼束ちひろを、かわいいと思った。<私にできることは、私にできることだけ>は、名言だな。 |
〓 | 期待通り、陽子はこちらの世界で王になることが決められていた。王を決めるのは麒麟。陽子は十二の国のうちの慶の国の景王。そして陽子を王と決めた麒麟が、景麒、ケイキであった。この下巻では、この世界のいろいろなことが明かになる。そして、陽子の腹も据ってくる。自分の為に生きようと決心し、生きて元の世界に戻ろうと考える。しかし、王になることは躊躇する(そんなことになったら帰られへんし。何より自分はそんな大した人間やないし、そんな重荷はイヤっていう感じ。)。また、元の世界に戻ることがいいのか?とも思い始める。親友で半獣の楽俊には、<自分のやるべきほうを選んでおくんだ>なんて言われ、別の国の王(延王)には<麒麟が選んだのだから、文句があれば麒麟に言え。…少なくとも俺はこれでやってきたからな。それでも不服なら自分でやってみろ、っと>なんて言われ、その気になってしまう陽子であった。これから物語は始まるのだ。かな? |
〓 | 八方美人で優等生の中島陽子は、通っていた高校に突如現われた金髪のケイキという男に連れ去られる。そして、これまた唐突に得たいの知れない怪物が登場し、戦うはめになる。しかし、渡された宝剣と青い珠、そして陽子の体内に入ったもの(ジュウユウ)のお陰で、とんでもないパワーを発揮し、なんとか生き延びる。そしてその戦いの中、気を失い、気が付けば巧国(十二の国からなる世界への1つ)の浜辺で倒れていた。そしてまわりを見れば、ケイキや一緒に怪物(妖魔)と戦った仲間がいない。たった1人、全く知らない世界に置き去りにされる。その国で陽子は女郎に売られそうになったり、またもや妖魔という怪物に襲われる。いったい自分の身に何が起こったのか?そして、これから何が始まろうとするのか? もう元の世界には戻れないのか?何故か光る毛並みを持った猿がついてまわる。とにかく生きて帰りたい、という思いで陽子はその世界で戦う。さあ十二国記の始まりだ。一昨年から読もうと思っていたX文庫の十二国記が講談社文庫として登場した。人気があるので、より多くの人に読んでもらおうという事かな。この機会に読んでいこうと思う。しかし、いきなりテンション高い。 |
〓 | 死ぬときは穏やかに死のう。生命を維持する為だけの無理やりの治療は止めよう。しんどいだけだ。一番いいのは、やはりピンピンころりん。50過ぎたらやりたいことはすぐにやっておこう。最後はどこでで死のうか。自宅が一番いいが、それがかなわないならホスピスが良さそうだ。と思わされる本。 |
〓 | 短編集になっている。全編に出てくる「常野」の人々。それぞれ常人にはない能力を持つ。『大きな引き出し』、これはいい。なんでもどんどん記憶できる。『二つの茶碗』、未来を見通す力、これは運命がわかってしまって面白くないかも。『達磨山への道』、これも未来がわかるってやつ。『オセロ・ゲーム』、「裏返される」ってなんじゃ?ちょっと気味悪い。『手紙』、登場回数の多い謎のツル先生話。『光の帝国』、ツル先生とちょっと変わった子供たち。『歴史の時間』、飛べるか?『草取り』、体に草を生やさないように生きよう。どうやって?『黒い塔』、時間を戻すのはなあ、ちょっと。『国道を降りて…』、歩きながらチェロを弾く男はいい。それぞれが、人間以上。 |
〓 | 恩田陸の長編第二弾。東北地方の谷津という街が舞台となる。ここでもまた、高校生が活躍するが、学校内だけの話ではない。谷津という特殊な街が持っている非日常性、川の向こうの世界に行く人間と行かない人間。川の向こうに行けば、生物的に進化するとか言う辺りはちょっと良くわからんが。退屈な日常から逃避できる所、日常を笑って過ごす為の狂気の捨て所としての場所が必要なのだろう。無機質の明る過ぎる街並みはかえって不気味だ。 |
〓 | なかなか面白かった。学校ならではの物語。会社でもダメだし、大学でもダメだ。学校。みんな一応同じ年で、クラスがあって、担任の先生なんかがいて。そしていずれ、みんな卒業していく世界。一定期間隔離された独特の世界である。そういうシチュエーションの中で伝説めいた物語が生まれる。3年に一度、サヨコと呼ばれる生徒が何者かによって選ばれる。そしてそれはみんなに知られてはならないのだ。サヨコ伝説のことは、実はなんとなくみんなが知っているが実態は隠されたままだ。首謀者は誰なのか?そこがポイントでもある。学校に通っていた時代には戻りたくはないと思っていたが、この小説読むと、なかなか楽しかったのかなあ、とも思う。 |