〓 | 今いる自分は何かを選択した後の自分である。その直前に選択肢が無数にあるなら、未来に無数の自分が存在する。それは拡散した自分だ。常に未来の自分は拡散しているのだ。現在の自分は、収縮した自分だ。本書では現在の自分が拡散した世界を見せてくれる。そして思うように収縮することを試みる。そのコツは強く念じることではない。それがあたりまえに思えることだ。また、ナノテクで自分の神経を自由にあやつることが日常である世界も見せてくれる。スターウォーズの傷だらけの乗り物のように。金ぴかでないのが、未来の日常っぽい。タイトルは宇宙消失であるが、実は夜空から星が消えるのである。結構ハードなSFであるが、トリップできる。 |
〓 | 特許戦争じゃ。と言っても大企業同士のものではない。中小企業、佃製作所の社長・佃航平がロケットを飛ばすためのキーパーツであるバルブシステムの特許を取る。一歩遅れた大企業・帝国重工はその技術を使えない。特許権を得るために帝国重工は、佃社長に猛烈にアタックをしかけてくる。しかし佃社長は、ライセンスのロイヤリティを得ることに満足をせず、自分で部品を作り、供給したいと答える。帝国重工は佃製作所のアラ探しをして部品供給を食い止め、自社内製化の方針を貫こうとする。その小馬鹿にしたような態度に、佃製作所のメンバーの心に火がついた。大企業相手に中小企業が戦うという痛快な小説だ。中小企業であろうと特許を持っていれば強い。そして特許抗争では莫大な金が動くというのもよくわかる。今まで先発明主義であったアメリカも、2013年3月には先願主義になるらしい。まさに「先に出したもん勝ち」になる。 |
〓 | 池田晶子も死んでもう4年になる。本書は死後出版されたもの。この本では池田晶子が仕事や恋愛についての人生相談に応じているところが面白い。人の出会いは「縁」のものと思ってどんと構えろとか、仕事の上司とは「責任を取る」ことだけを考えろとか、さすがに切れ味はいい。そして釈迦から一休まで哲学偉人たちの死生観に言及する。自分のことを「哲学プロパー」と呼んでいるのも池田晶子らしいと思った。 |
〓 | なんとまあ、当たりの柔らかい言い方になったもんだ。池田晶子もいい感じで年を重ね、おだやかで、人生を味わっている。彼女なりの深化であったんだろうな。池田晶子の人生の春夏秋冬は確かにあった。 |
〓 | 著者急逝!と帯に書いてあることに驚いた。最初は冗談めかし、わざとそう書いているのかとも思った。しかし本当だった。癌で死んだそうだ。オレより年下やのに。しばらくして「全うしたな、この人は」と思った。人間は必ず死ぬ。全うできる人は少ないと思う。著者自身の言う<一生涯存在の謎を追い求め、表現しようともがいたもの書き>だった。南無阿弥陀仏。 |
〓 | 週間新潮に連載された『人間自身』をまとめたものの3冊目。頭をリセットできる本。最近のニュースを池田流にぶった切っていく。世の中のお祭り騒ぎに参加したいというのは自分で考えることからの回避ではないか、と思う。アンチエイジングもその1つだ。本質は1つ。自分で自分の人生を引き受けること。 |
〓 | 週間新潮の連載コラム「死に方上手」が「人間自身」となってそれを集めたもの。『41歳からの哲学』の続編となる。「自分になる」とはどういうことか。先ず自分になってから始まる、と著者は言う。それが賢者への道となる。親父さんと同じく、池田晶子の追っかけが楽しみ。 |
〓 | 週間新潮の連載コラム「死に方上手」を集めたもの。世間のあれやこれやについて、池田晶子が語る。考えてみればあたりまえの結論なんであるが、その切り口がブレてないので良くわかる。久々に池田晶子を読んだが、垢が落ちて清々しい気分になった。 |
〓 | どーでもいいことは、やっぱりどーでもいいことである、と改めて思わせてくれる。価値について、善悪について、生死について、そして存在について。そういう本質的なことがやっぱり面白い。相対的なものは、相対的であるそのことによって、絶対的価値ではない。哲学の言葉は私の言葉ではなく、われわれの言葉である。全世界、全宇宙すべてが自分である(ヘーゲルは「我こそが世界精神である」と言った)という妄想(と著者は言う)をもつこと。ただ生きているだけでなく、善く生きること。そして自分=全て、であるので、善く生きるとは、すべてが善くなることになる。そういう考えが世界を変える、ということになる。本書は今までの考えをけっこうまとまった形で書いているので、読みやすく、面白かった。 |
〓 | 私、すなわち<自分が自分であるところのこれ、ある人がその人であるところのそれ>とは【魂】であると著者は考え始めた。また、ある哲学者は何故他の考えではなく、その哲学説でなければならなかったのか。これは【魂の体質】が違うからであると考えた。この考えを基にオウム、少年Aについて語る。オウムについては「わからない」ことを「信じた」ことがおかしい。少年Aについては「化け物」であると理解する。ユングの<原始の記憶を胎んだ共同的無意識>に触発された池田晶子の地上にて永遠を生きるという論考。【魂】にそむかずに、為すべきことを為せ。 |
〓 | 池田晶子の『帰ってきたソクラテス』『悪妻に訊け』などを獄中で読んだ死刑囚の陸田真志は、<人を二人も殺し、その命はもうどうやっても取り戻せませんが、それでも自分を知ることで、本当に自分の善にも気付けた事をうれしく思って生きて、死んでいけます。…ありがとうございました>という手紙を編集部及び池田晶子へ届けた。ここから池田晶子と陸田真志の往復書簡による哲学対話が始る。同じ獄中の永山則夫から池田晶子へ来た手紙については返事を書かなかった彼女だが、今回の手紙にはもっと語らせてあげたいという気持ちになる。そして、池田晶子にナビゲートされながら、陸田真志は、「ただ生きる」のではなく「善く生きる」為に哲学的思索を書き綴る。ヘーゲル、プラトンを読み、池田晶子に怒られ、励まされる姿にオレも陸田真志になった気分になる。「人を殺す」ということは、どういうことなのか「生の言葉」を聞いてみたいという池田晶子に対して、陸田真志は<…斧を振り下ろそうとして、出来なかったのです。弱くなっているが決して消えない「理性」、…最後の本能ではないかと思えます。…私は兄に頼んでやらせてしまいました。…「やりたいが出来ない」というその心の動きにこそ、私は正直であるべきでした>と書く。 |
〓 | <学術用語によらない日本語の哲学の文章、あるいは、学術用語から話し言葉への二重訳、本書はそんな試みである>とは著者の弁。ヘーゲルから始まり、カントで終わる西洋哲学史。というかそれらを通しての著者自身がどのように考えるのかがよくわかる。そして同時に、それら西洋の偉人たちの人間的気質まで迫る。精力家ヘーゲルに対し、病弱胃弱のカント。そして変人ヴィトゲンシュタイン。彼女は、ヘーゲルがお気に入りで、読むきっかけとなったのは、<メルロ=ポンティが、彼を語るときのその魅力的な語り口に食指を動かされた>のだそうだ。著者の語るヘーゲルもなかなかのもんである。で、私も胃袋の強そうなヘーゲルを読むことにする。 |
〓 | またやってる、『ソフィーの世界』の罵倒。しかもいきなり。『ソフィーの世界』の訳者も池田さんなので、本屋では並べて置いてあるらしい。と書いてあったので今日旭屋でみたら本当に並べて置いてあった。どうも哲学史、あるいは哲学書のカタログみたいな本が、「わかる哲学」、「やさしい哲学」というのが気にいらんみたいです。著者が言う哲学とは、ゼロから自分の頭で考えること。この覚悟はなかなかのもんや。この本で非常におもしろいと思ったのは、<光があるから眼ができたように、考えがあるから脳ができたのだ。…「考えが物質をつくった」のである>というところ。 |
〓 | 池田晶子最新刊。あくまでも理性的に人生を考える。生死とは、私とは、自由とは、情報とは、信じるとは、わかるとは、善悪とは、神とは、魂とは、幸福とは。 本書で「すべてがどうでもいいか、良くないか」でゆらぐ池田晶子を見た。安易にわかった気にならず、あがく、感じる、論理でもって、理性でもって。 |
〓 | あいかわず面白い。愉快痛快、よくぞ言ってくれた。ソクラテスとクサンチッペの対話篇、これで終わらずにもっと続けてほしい。結局ソクラテスは、何も言っていないとは。簡単に読めるが、哲学はここから始まる。常識に汚れた人にどうぞ。 |
〓 | 池田晶子の本は我がこころのふるさとになりつつある。<「心に残る言葉」、それは必ずや、イデアをはらみ、イデアを指示し、言霊の力によって、いかにしても語り得ぬものこそ語ろうとしているもののはずだ。…考える魂に永遠に考え継がれてゆく理由である。> |
〓 | 他人の言葉ではなく、自分の頭で考えたことがあるか!粉飾された思想は、粉飾された思想にふりまわされる。自分で考えていく覚悟を決めること。1つ1つのことを、自分の考えで述べよ!自分で考えていくことに覚悟を決めた著者は、この本でますますエスカレートする。すべては【存在する】とはなにかから始まる。 |
〓 | 導入部から面白く、一気に読める。<安全地区>に指定されたところに<平和警察>が取り締まる。取り締まられるのが危険人物。犯罪を未然に防ごうと、危険と目された人物は逮捕され、公開処刑されるという鳥肌もの。ちくったもん勝ちの恐ろしい、魔女狩りの世界となる。それに対抗する正義の味方?も登場。真壁鴻一郎のキャラがイカス。舞台は伊坂作品お馴染みの仙台。そして、何故か乃木坂文庫。 |
〓 | 珍しい車が主人公のお話。その主人公は望月家の自家用車である緑色のデミオ。そのデミオが望月家の家族が巻き込まれる事件を車目線?で語る。望月家の3人の子供とそのお母さんの言葉は解るが、デミオから語りかけることはできない。車同士では会話は成立するが、自転車やバイクの言葉は何を言っているのか解らないらしい。また車輪の多い電車には尊敬の念を抱いているようだ。この物語で起きる事件では、末っ子で小学生の亨が大活躍する。生意気な奴だが、望月家の中では一番の切れ者だ。緑のデミオを一番気に入っていたのも彼のようだ。この本を読むと、車同士が情報交換できるように、外に連れ出してあげよう、という気になる。それとあまり無謀な運転をすると車は気絶するようなので気をつけよう。 |
〓 | 3月11日の東北での大震災。予想以上の脅威となった津波。そして追い討ちをかける様に原発問題。仙台に住み、仙台を小説の舞台にしている伊坂幸太郎は大丈夫だろうか?この小説の舞台となるのももちろん仙台。主人公・青柳雅春は、殺人犯人として追われる身となった。しかも首相暗殺犯だ。仙台をパレード中の首相をラジコン飛行機で暗殺したのだ。身に覚えの無いことだ。TVに殺人犯人として放映された。警察が追ってくる。何故か証拠も次々と挙がってくる。誰かに仕組まれているに違いないのだが、特定の誰かはわからない。相手は、巨大な何かだ。巨大な力が動いている。恐怖と不条理。そういう意味では大震災と一緒だ。違うのは相手が巨大と言えども人間ということだ。助けになるのは、わずかな友人たちと父親。彼らの意見は一致した。逃げろ!だ。とにかく、生命を守ること。どうしようもない力の前での選択は<逃げる>ことだった。逃げろや逃げろ。戦うだけがいいことではない。いや、それも戦いか。 |
〓 | 春、夏、秋、冬と章が分かれているので、1年間のことかと思ったら、4年間の出来事だった。麻雀の為に集められた東堂、南、西嶋、北村。そして仕切り屋の鳥井。彼らが大学に入学し、卒業するまでの物語。主人公の北村は何事にも冷静である。超能力を持つ南はおとなしい。仕切り屋の鶏冠のような髪型をした鳥井はオッチョコチョイ。東堂はクールな美人。そして何と言っても強烈な個性を見せるのが、オタクっぽい西嶋だ。麻雀では世界平和を願うあまり「平和」の役に固執し、なかなか上がれない。チンピラとのボーリング対決から始まるいろんな事件に会いながら、彼らの結束がどんどん強くなっていくのがわかる。卒業式で学長が引用した<人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである>は、サンデグジュ・ペリの言葉だ。特に学生時代のそれは本当に贅沢なものだと思う。 |
〓 | 伊坂幸太郎は村上春樹に似ている、と思う。ミステリー色はより強いが、そこに漂う空気みたいなもんが似ている。凄くハードな描写や、頑張れ!頑張れ!はない。非日常の世界に引き込まれるので、疲れた時にも読める。つっぱねたところがなく、どこかに救いがある。最初に読んだ『オーデュポンの祈り』にその傾向を強く感じた。本書『フィッシュストーリー』にもその世界が凝縮されている。もはやミステリーではないな。表題作『フィッシュストーリー』は、時間と空間の広がりをみせた小説。『サクリファイス』、『ポテチ』には、あの空き巣の黒澤が登場する。知っている人間が登場することでまた親近感がわく。『動物園のエンジン』。いろんな社会にエンジンとなる人たちがいるんだろうな。 |
〓 | 兄・泉水、弟・春。2人とも「スプリング」なのだ。復讐劇というのかな。ナントも時間をかけ、段取りを踏んだ復讐である。良いことか、悪いことかと問われれば、悪いことだ。ありか、なしかと問われれば、この場合は「あり」だ。DNAの絆に縛られる必要はない。それよりも体験だ、実績だ、そして愛情だ。そして彼等の父親がまたカッコイイのだ。不気味な「利己的な遺伝子」野郎に対抗しようではないか、と思えるようなお話だ。そして舞台はまたも仙台なのだ。 |
〓 | <ロマンはどこだ>が、彼らの突入の合図だ。彼らとは銀行強盗4人組、成瀬、響野、久遠、雪子だ。先見の明があり、人の嘘を見抜く成瀬。揉め事に絡むのが好き、演説好きの響野。人間よりも動物好きでスリの名手の久遠。絶対時間を持ち、運転の名手の雪子。彼らの計画は風のように「盗んで、逃げる」ものだ。それが思わぬ形で破綻。この物語の始まりだ。いつの間にか雪子の夫・地道も絡む。地道は臆病だ。雪子は言う。<地球が回るように、この人も裏切る。…臆病は理屈じゃないから>。全編を通して愛が感じられる4人組だ。それがこの物語の痛快さの源だ。響野の妻・祥子、雪子と地道の息子・慎一も登場する。成瀬は自閉症の息子・タダシを持つ。自閉症とは<人間の曖昧な部分が嫌いな性質のこと…そして、人よりも物事に敏感なんですよ>。覚えておこう。相手を理解してやること、これも愛のある行動なのだ。 |
〓 | 夢のような話だった。主人公・伊藤は仙台から荻島に連れて行かれる。その島は百年以上、本土との交流はない。そこには未来がわかる「優午」と呼ばれる案山子いた。喋ることができたが、未来のことは教えてくれない。不幸にあった人間は何故教えてくれなかったのかと詰め寄るが、やがて人生どんな事が起きてもそれを受け入れるしかない、と思い至る。しかし、優午は唯一未来を変えようとした。絶滅の危機にあった鳥「リョコウバト」を救おうとした。そして優午はバラバラになった。登場人物も個性的。犯罪を起こした人間を銃殺する「桜」。撃つ前のセリフは「理由になってない」だ。市場には食べ過ぎて動けなくなった「ウサギ」。寝るときは頭を上に向けるだけ。動けないので夫が妻の体をふいてやる。伊藤と行動をともにするのが日比野。憎めないが何かが欠けている奴だ。『ラッシュライフ』も仙台であったが、本書の主人公も仙台から来た。仙台のこだわりは、著者が東北大学卒業だったからか。荻島は実在しない。オーデュポンは実在の人物。画家で鳥類研究家。鳥の絵は実物大で描く。 |
〓 | いくつもの物語が並行して進み、話が入れ子になっている小説。その場所は仙台。単なる脇役であった噂のあいつが違う話の中で活躍したり、殺された男が車に轢かれて2度殺されたり、仙台駅前にいる野良犬に人生を救われたり、その野良犬も鋏をもった女に襲われかけたり、街頭で「好きな日本語を書いてくれ」と言われ、言葉を書いたり、エッシャー展のポスターを見て想ったり、となんやかんや皆が忙しい。まさにラッシュだ。しかし考えてみれば、そう言うことなんだな、と思う。ある場所である関係を持ち、別の場所で別の関係を持つ。そしていろんな人が同じものを見て、いろんな感想を持つ。実際そんなモザイク模様で成り立っている。そんな、ある意味当たり前の全体小説を書いて見せつけたって感じだ。 |
〓 | 最初の5巻を豊橋?のBOOKOFFで買ったのが、7、8年前。それ以降読み進める気がなくなって放置していた。この物語、ようやく完結したということは知っていたので、それではと、今度は難波のBOOKOFFで続きを購入して(33、34巻は新刊で買った)読んだ。けっこう複雑なので、さらっと読むだけでは頭に入ってこない。YouTubeの「ヤングサンデー」の進撃の巨人の回なんかを見ながら再読し、ようやく全体がわかった。壁に囲われて生きる人間たち。壁の外には巨人が住み、彼らは人間を捕食する。ある日、大型の巨人により壁が破られた。壁の中に入り、人間を食らう巨人。その巨人に立ち向かう調査兵団。エレン、ミカサ、アルミンの幼馴染の3人は共に調査兵団に入る。巨人とはいったい何者か、それは他国との戦いの歴史でもあった。知性をもった9体の巨人。その中でも始祖の巨人、進撃の巨人がやっかいな奴らだ。巨人による人類の危機を断ち切ろうとする物語。調査兵団の連中やそのリーダー達は、けっこう自己犠牲の塊だ。自分は死んでも次の者に託すことができればそれでいいという精神。そこがハードなところで、かっこ良くもある。ラストは一旦解決したかに見えるが、結局歴史は繰り返すか、って感じ。 |
〓 | 転校生は頭のとんがったヤツだった。あだ名はすぐに付く。ビリケンだ。ビリケンとは大阪の通天閣にあるなんかようわからんけど頭がとんがっているヤツだ。転校生の方のビリケンは足は抜群に速く、成績は抜群に悪い。運動会で大活躍と思いきや、すぐに転校していく。風のようなヤツだった。そんなヤツいませんでしたか?絵もいしかわさんが描いた。通天閣の日立のマークと「づぼらや」の看板が泣かせる。ところで、新世界のあの怪しげな弓道場はまだやってんのかな? |
〓 | 池袋西口公園に集まる若者たち。主人公は果物屋の真島誠。そして相棒のマサ、絵のうまいシュン、Gボーイズの頭で、王様(キング)と呼ばれるタカシ。電波マニアのラジオや、引きこもった同級生の和範、風俗嬢の千秋など、それぞれが得意技を持つ。そして、警察やヤクザの手におえない事件を解決していく。現代版、携帯電話を持った少年探偵団、って感じ。刑事や警察署長と知り合いであったり、ヤクザと知り合ったりと、まあ、環境はけっこう都合よくて、事件の解決はスムースだ。普通はそんなネットワークないやろ、って感じではある。しかし、文章のリズムがいいので、読みやすく、あきない。第36回オール読物推理小説新人賞とやらである。最近TVドラマでもやっていた。著者は1960年、東京生まれ。 |
〓 | そいうや桑田真澄って巨人に入団してからは長年に渡って活躍したイメージがなかったけど、やはり一番油の乗る10年目で怪我をして寸断されていた。手術からリハビリ、そして再びマウンドに立つ。そこが桑田真澄の真骨頂だ。何度も挫折するもできることをやり続ける。努力して成果が出る経験をした桑田は「努力が楽しい」と言った。常に悲観的だと言う桑田だが、やると決めたらとことんやる。ある意味マイペースなので誤解をまねきやすい。表の努力だけでなく、掃除等の裏の努力もする。そのお蔭で打たれたホームラン性のボールが外野フライになるのだと言う。思い続けていたメジャーでの登板も果たし、現役は引退したが、これからの彼の活躍も見逃せない。 |
〓 | 2000年11月に発行された本。森首相の頃で、石原氏は東京都知事だ。話題は、「日本の自立」について。両氏とも大筋の意見は同じだ。手段については、石原慎太郎のほうが過激。あくまで独自の戦略で、という石原氏に対して、自立はいいが、孤立してはダメという田原氏。自信を持ってガツンと行け、という石原氏の方がわかりやすく、価値観についても明確だ。<自立した人間とは何か。個性的ということです。人間の価値は個性しかない。個性はほうっておいてできるものではない。家庭や自分の所属する共同体、そして国家との関係で芽生えていくものです。…自立し、個性的で、相対感覚のある人で初めて、芸術家であれ経済人であれ、時代の「前衛」たり得る>。日本も世界の中での「前衛」を目指すということだ。最後はシドニー金メダルの高橋尚子を持ちだし(今日、ベルリンで世界新記録を樹立。凄い)、戦略をしっかりすれば日本は勝てる、とも言う。しかし、最終的に世界の中で日本が優位に立って、そのあとどうなのかは不明。前衛的であるのと、日本が勝つと言うのとは、少し違うような気もする。全体としては田原氏のほうが、もう少し調和的で、まっとうな意見であると思う。 |
〓 | B級ホームページの探索集。タイの「死体博物館」、謎のインターネット美女、「オリエント工業」の世界など、自ら「陸ネットサーファー」と名のる泉麻人独特の上品なお下劣さと面白さで解説されている。ばかばかしさの中にも、新鮮な驚きがある。 |
〓 | 「泉鏡花は言葉の魔術師である」と山田風太郎は言った。明治27年から30年に書かれたもので、麻酔なしで手術をする『外科室』、『滝の白糸』の原作『義血侠血』など。あまりにもグロテスクなので、師の尾崎紅葉が加筆改訂をしたそうである。 |
〓 | 久々にぶっ飛んだ本を読んだ。レプリカ工場で働く往本。粒山。うみみず。名前も個性的。現実と妄想の間を行き来する往本。外見は悪いが、超女にもてる粒山。さぼって本ばかり読んでいるうみみず。往本はそこでシロクマが動いているのを見た。工場長は、それはスパイだとし、往本に抹殺しろと言う。そんな怪しいスト―リーを超えるような内容だ。それぞれのレプリカントが登場し、どんどん増えていき、本物は誰かがわからなくなる。自我とは何かという哲学的内容も含まれるが、笑いの要素も十分だ。文体が短い文字数で綴られてるので、リズム良く読める。驚くのは参考文献の多さ。アーサー・ケストラー『機械の中の幽霊』再読してみるかな。 |
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インターネットではなく、インターネット的。つまりインターネットを使う時の関係の在り方みたいなものを語る。ここで著者は、3つのキーワードをあげる。リンク(つながり)、シェア(共有できる)、フラット(無名性)。この新しい場でなにが起こるか。本当に自分でおもしろいと思うものしか選ばない。ってことは、おしつけではない、自分自身の価値観がみえやすくなってくる。自分がどうしたら幸せになるかがわかる、かもしれない。糸井さんもこの新しい場で、ワクワクしているようだ。みんな、インターネットでおおいに遊ぼうぜぃ!「消費のクリエイティブ」だ。
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現代に氾濫する性のイメージ。そこには、写真家リー・フリードランダーがいて、ヘルムート・ニュートンがいて、女優マドンナがいた。そしてハード・コア映画『ディープスロート』、『ウォーターパワー』があり、また『ロリータ』がある。前半はまだソフトだが、後半はかなり濃厚になる。エロスというよりも快楽の追求による異常セックスだ。これらをずらっと見ていくと、確かに<現代において最大のタブーはもはやセックスなどではなく、「愛」なのかもしれない>というのも、うなずける。
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最初は調子良く読んでいたが、正直言ってよくわからんかった。やっぱりゲームとか良くやる人でないとなじめんかもしれん。子どもの頃の悪夢って感じかな。著者は1961年、東京生まれ。かっぱに似ている。←ごめん。>いとうせいこう
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玉三郎が歩くとき、背景の書き割のほうが動いているとしか見えないのは何故か?タイガー・ウッズのあのロングドライブはどうして生まれるのか?マイケル・ジョーダンの滞空時間の長いジャンプの体の使い方は?その他、現代のずば抜けて運動能力の優れたのスポーツ選手、ダンサーの動きの秘密を探る。まず【股関節で地面をとらえる】立ち方が重要であり、そして胴の【丸める/反る】、【伸ばす/縮める】、【捻り】の3つの動作がポイントであると説く。これが著者の言う【胴体力理論】である。そして中心軸(武道では正中心と言う)から中心面への解説に至る。坂東玉三郎はすべての面において最高点がつけられる。玉三郎の背中の筋肉は柔らかそうだ。筋肉を鍛えるのではなく、ストレッチ感覚。効率が良く、気持ちのいい野口体操の理論にも近いものがある。
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硬質で、キラキラ輝き、いっさいの有機的ドロドロ感がない。そう、お月さんだって、ブリキ製で、ニッケルメッキなのである。これぞショートショートの結晶世界である。星は空から落ちて死んでしまい、地に飛び降りてきたお月さんには追いかけられる。なつかしく、怖い、夢の世界である。これを読むと何故か、レナウンの昔のCM【イエイエガール】を思い出す。
表題作の『一千一秒物語』の他、『黄漠奇聞』、『チョコレット
』、『天体嗜好症』、『星を売る店』、『弥勒』、『彼等』、『美
のはかなさ』、『A感覚とV感覚』が収められている。
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〓 | こりゃ、おもろい。詐欺師・伊沢修が大活躍。時は、明治の終わり。辛亥革命の少し前のお話。上海の刑務所に服役していた伊沢が、中国革命同盟の幹部・関虎飛に誘われ、武器の調達(騙し取る)の為日本に戻ってくる。物語の背景には、中国における打倒清王朝、日本陸軍内部の出世争い、満州国の独立化構想などがあり、それらをうまく絡ませてある。実在の人物もバンバン登場するが、正直、蒋介石には驚いた。ラストのタタミかける展開も気持ちがいい。元気の出る1冊だ。 |
〓 | 山本勘助。最初の青木大膳との対決が面白い。それまで刀を握ったことがなかったが、切ると言う思いだけで腕前抜群の青木大膳を切った。山本勘助はそういう男だ。<身長は五尺に充たず、色は黒く、眼はすがめで、しかも跛である。右の中指を一本失っている。年齢は既に五十歳に近い>とある。現在放映中のNHKの大河ドラマに出てくる片目ではあるが颯爽とした人物ではない。勘助は晴信(武田信玄)が好きであり、それ以上に側室の由布姫が好きであった。軍師として親代わりとして憧れの対象として2人に仕えた。川中島での上杉謙信との戦い、どんでん返し、そして見事な最後を遂げた。正妻の三条氏のことはあまり好きではなかったようだが、果たしてドラマではどうだろうか。池脇千鶴が演じるのでちょいと楽しみである。 |
〓 | 副題「岡嶋二人盛衰記」。岡嶋二人(井上夢人と徳山諄一のおかしな二人)の七転八倒、青息吐息の物語である。江戸川乱歩賞をねらう二人。もちろん金の為である。しかも、それまで一遍の小説もかいたことがない、おかしな二人である。それでも、ついに乱歩賞を受賞するのであるが、そこが最盛期であったという。その後井上夢人は、徳山諄一に対して、いつも怒っている。(不公平やー、なんで俺だけしんどいんやー)そして、岡嶋二人は解散する。今、井上夢人は一人で書いている。岡嶋二人の泣き笑い劇場、面白いです。 |
〓 | 自分がおかしくなってしまったのか。アリ地獄に落ちるように徐々に気が狂っていく感じである。何故、何故、何故……の恐怖である。しかもそこから逃れることはできない。最後の最後まで不条理さに遠慮がないところがよい。文字でありながら、視覚的にも工夫がしてあります。 |
〓 | プロゴルフ、2015年日本女子ツアーの賞金女王になったのが、イ・ボミだ。それを記念して出版された。イ・ボミ人気は凄く、彼女の使用している本間のゴルフクラブも大人気だ。実力があるので、アメリカツアーに参加してもよさそうだが、そのつもりはないらしい。たまにはメジャーも狙ってみたらいい。 |
〓 | <私の命がもしこれまでのものだとしたら、私はせめてこの国の一隅に、こんな生物学者も存在していたということを、なにかの形で残したいと願った。それも急いでやれることでなければ間に合わない。この目的に適なうものとしては、自画像をかき残すより他にはあるまいと思ったのである。>ダーウィンの進化論に真っ向うから異を唱え、「今西進化論」なるものを構築した。 |
〓 | <姉ちゃんはいけんかった…“いけんかった”というのは、人の姿でなかったいうだけじゃ。命は無うなってない>。女郎が語る「ぼっけえ、きょうてえ」(岡山地方の方言で「とても、怖い」の意)身の上話(『ぼっけい、きょうてい』)。村役場に設けられた虎列剌(コレラ)病の密告函。その鍵を渡された弘三。<うらむなら密告者を>(『密告函』)。漁師の嫁ににきた酌婦のユミ。左足が子どものままの網元の息子と密会するが。「そわい」とは、潮が満ちたら沈んでしまうが、干上がったら出てくる浅瀬や岩礁のこと(『あまぞわい』)。<「悪いことなら口にするな。本当になるけん」>兄の利吉はシズに言う。件(くだん)とは、頭が牛で体は人間。その化け物をシズは見る(『よって件の如し』)。全部で4話。怖いというより切ないのである。第6回日本ホラー大賞受賞。著者は1964年、岡山生まれ。 |
〓 | 最初は『横溝正史殺人事件』だったらしい。舞台は八つ墓村ならぬ八鹿村。探偵の名前はキンダイチ。子守唄の歌詞通りに次々と殺人事件が起こる。話はまずますおもしろいが、いかんせん笑えない、しょうもない表現が多い。流れ的には笑いどころって感じのところでも、微妙におもしろくない。この著者の生真面目さが邪魔をしてるのか、そんな比喩は今どきないやろって感じ。おもろない親父ギャグ。まるで、『笑点』のようだ。わざとはずすように言っているのであれば、相当な手練だ。思わず笑ってしまいそうになった。危ない、危ない。ああ、しかも4部作だって。 |