〓 | 『選択の科学』の著者、シーナ・アイエンガーの最新作がこの『THINK BIGGER』。<あらゆる複雑な問題に価値ある解決策を生み出す方法>である。これを6つのステップに分けて解説している。ポイントの1つが、自分の領域外での解決策を盗むということ。そして、それらをうまく組み合わせること。その例として、ピカソの絵画、自由の女神、フォートの工場、アイスクリーム作りを挙げている。2つ目のポイントは、課題、サブ課題に分けて考え、本当に解決したい課題を特定すること。3つ目のポイントは、あなた、ターゲット、第3者のすべてがいいと思えることを実行するということ。いろんな成功例を挙げながら解説するので納得感がある。その他、ブレインストーミングは創造的なアイデアはでない、失敗を重ねることはいいことではない等、陥入りがちな罠についての解説も面白い。 |
〓 | 『白熱教室』シリーズで面白かったのが、シーナ・アイエンガー教授の『選択の科学』。両親はインドからの移民で、衣服から結婚相手まで決められた文化で育った。しかし、カナダで生まれた彼女は、自ら選択することが求められる。その選択こそがアメリカの力であると思い、選択について研究するようになった。自ら選択できることが重要で、仕事で長生きするのは、従業員よりも社長。それは裁量権があるから。逆に選択肢が多すぎてもダメな場合がある。彼女の研究で、ジャムの種類が多すぎると逆に売り上げが減る、というものがある。選択肢は多いほど良い、というものでもない。本書では選択のコツを教えてくれる。職業や結婚相手は直感で選んだほうがいいという。満足感や幸せは、数値で表すことができないからだ。しかし、直感は目の前の選択にしか通用せず、将来の目標を達成するには、自分を律することが必要。頑張るのではなく、習慣の力を利用するのがコツ。また選択に迷う時は、他人が選択した結果を参考にすること。他人と自分は実は大して違わない、と思えることがコツだ。 |
〓 | 『犬』という作品をつくったのが1989年。手足を切断された少女が犬のように首輪につながれているというもの。初めて見たがなかなかインパクトはある。当然のように多方面から問題作として扱われた。その後もこの犬シリーズを6作品発表した。本書は何故このような作品を描いたのかを『T芸術』で解説している。それまでの日本絵画の流れを打ち破る試みであり、曰く、<『犬』の第一の目的は「日本画維新」>という崇高なものであった。現代芸術は、作品単体ではなく、その文脈で成り立っていることが良くわかる。数々のクレームについても、あえて結論の出ないことを目指しているようでもある。著者の先輩が言った<この絵は動きが止まっているところがいい>というのは新鮮。『U性』では、性と性欲について。支配欲からのレイプについて。エロ雑誌について。ポルノ業界について。文庫本の描き下ろしとして『僕の母親(と少し父親)』が収録されている。両親とも学校の先生であり、特にフェミニストの母親の反動で、自分はこんな人間になったとうそぶいている。 |
〓 | タイムトラベルが可能であるとし、「過去」へ行くとする。しかしながら私にとっては、これから起こる出来事であるので、未来のこととなる。これを「私の時間」と本書では呼んでいる。過去に行こうが、ずっと先の未来に行こうが、未来のことである。これから起こることはすべて未来のことだ。未来のこととしてなら、別に過去に行ったっていいではないか、という気分にさせる。一方向の絶対基準としての時間の流れがあったとしても、「私の時間」として、ちょいと止めてみたり、Uターンしてみたりしようではないか。主観的には自分が何かをしたり、自分自身に何かが起こってこそ時間の経過というものがあるのだ。では、「今」とはなにか。瞬間的に切り取られたものを想像すると、ただ固まった世界を思い浮かべるが、実はそうでもなさそうだ。振動であるところの音は聞こえるはずがないし、波長であるところの色は認識できない。それどころか光さえ届かない真っ暗闇だ。三次元の空間だけはあるのか?やはりある幅をもって「今」と言いたい。±1秒くらいは欲しいぞ。これもまあ主観的には、ではあるが。哲学は客観的であるべきだと思うが、多くの人が納得すれば、それを客観と呼ぶようなところがある?うな気がする。 |
〓 | 菅原道真は、平安王朝前期の文官政治家であり、時の最高官僚の位にのぼったが、藤原時平によって太宰府に左遷させられた。しかし後に「学問の神様」とされ、全国の天満宮に祭られた。父は菅原是善、そして義父となった島田忠臣は学問の師でもある。本書は道真が政治の世界で活躍する前の話である。生まれた時には産声も上げられなく周囲を心配させた。反対に同じ日に同じ屋敷で生まれた子(道中是善が身重の女性を助けて屋敷に入れた)が大きな産声で泣き出したのであった。その後の道真はやんちゃな子となりすくすくと成長するが、是善に助けられた女は生まれたての子と共に失踪した。平安時代の政治は足の引っ張り合いが激しく、無念のうちに失脚させられる者も多かった。大きな火事などがあれば、誰かの怨念ではではないかと噂になる。道真のまわりでも不思議な事が次々と起こる。その不思議の正体を解明しようと道真と島田忠臣が動く。ラストでその正体(ゾクゾクする技を持っている)が暴かれていくのが面白い。ひょっとして、同じ日に生まれた子が入れ替わった?なんてことも匂わすが、その真相は定かではない。 |
〓 | 噂に聞いてたが、非常にいい。現代版耽美主義作家、赤江瀑。短編集であるが、どれもがいい。『正倉院の矢』で投壺の鏑矢の裏の遊びにまつわる非恋がしみた。『蜥蝪殺しのビィナス』でミロのビィナスが凌辱されるのを見、『京の毒・陶の変』で土が焼ける炎の色を見たくなった。その他『シーボルトの洋燈』、『堕天使の羽の戦ぎ』が収められている。読みやすい耽美的小説。アートフルである。 |
〓 | 自己主張する辞書。ひょっとしたら間違ってるのではないかと思わせる辞書。それが『新明解国語辞典』である。語句の意味にはまさにそういう感じっていう生き生きとした場面があらわれる。一字一句にドラマありだ。また例文に泣かされる。まるで小説の名場面集って感じである。もしかしたら例文全部読んだら1つの物語になってるのかもしれん。そして、辞書の方にはない写真がいい(絵の場合もある)。この文庫本、それだけではない。『紙々の消息』という名エッセイ付きだ。付きだと言っても、半分以上はこっちだ。その中の『返信用はがきの儀式』には思わず笑ってしまった(電車の中で)。また『来るべきプリントアウトロー』における次の文章には感心した。<たとえばキャッシュカードというのが日常化してくると、そうか、紙幣というのはプリントアウトなんだなあと気がついたりする>。むむ、紙幣はプリントアウトしたものになりさがるのか。おもろいやないの。 |
〓 | 「忘れたくても、忘れられないことがある」なんて人、老人力が足りません。リラックスのいいかげん。理屈の正しさよりも、自分の感覚。わがままであるが、ほどほど。老人力は努力してもつかず、年とともについてくる。自分がなんでもできると思っているうちは、まだまだ力もカラ回り。自分の限界を知ってこそ、あんがい力が効率良く発揮できるというのはうなずける。オレも最近老人力がついてきたようだ。分中の写真も面白い。さすが路上観察学者だ。 |
〓 | 『おそ松くん』、『天才バカボン』等の名作を残した赤塚不二夫。カサノバの『回想録』に触発されて筆をとったという。名づけて『バカノバ回想録』だ。「我輩の愛すべき女友達」、「我輩のアブナイ男友達」、「我輩の自慢したい有名人」、そして「我輩の原点、漫画の世界」の4章からなる。「…自慢したい有名人」では、美空ひばり、タモリ、青島幸男、たこ八郎等が登場する。そして何よりもよくモテたそうだ。「…愛すべき女友達」の章を読むと、もう大変だ。よく頑張るなあ、という思いとともに、彼のドタバタぶりを知って、こっちも勇気百倍だ(なんのこっちゃ)。「我輩の原点、漫画の世界」では、あの谷岡ヤスジが登場。ハチャメチャぶりでは、赤塚不二夫以上であったが、ちゃんと下書きをしていたそうな。また『天才バカボン』を描いていた時は、篠山紀信、野坂昭如、吉行淳之介、井上ひさしを読者として想定していたそうだ。決してバカを相手にしていたのではないのだ。 |
〓 | TVドラマで「銭ゲバ」をやっていた。おおっ、銭ゲバか、なつかしいなぁ。って読んだことはなかったけど。TVは連続して見れなかったので、なら原作を、ってことで高石の天牛書店にいくも売り切れ。前見た時にさっさと買っとけばよかった。結局豊橋に遊びに行った時に買った。いや強烈でしたね。金がなかったから母親が死んだ。だから蒲郡風太郎は「金あったなら」という思いで生きた。最後は自殺するのだが、それは「自分の心を守る為」と遺書に書く。そのまま生き続けたなら、また人を殺めていったであろう。それがツラかったんだろう。死に物狂いで生きたが、人間の幸福について考えた時、張りつめていたものがプツンと切れたに違いない。欲を言えば、風太郎の内面をえぐっていった作家・秋遊之助との対決をもっと長引かせてほしかった。 |
〓 | 『信長公記』を主な資料として、信長の行動を丹念にさぐり、彼の「天才性」を浮き彫りにさせようとした人物論。確かに同時代の上杉、武田などとは全く違う価値観の持ち主であったようだ。現在を肯定し、その延長線上で拡大をはかろうとする彼等に対して、現在を否定し、新しい世界、新しい秩序をつくろうとした信長。その考えに合わなければ、息子を切腹させ、叡山を焼打ちする。公平性はあるがその絶対的な基準が自分なのだ。そしてその精神の完結性(著者いわく)ゆえに中途半端では終わらない。まわりの者が見れば、いったいどこまで行くのだろう、と不安になる。そしてそんな彼を恐れた明智光秀によってやられる。彼等全体を1個の人格として見た場合、精神のバランスがとれたことになるのかもしれない。しかし、やはりもう少し長生きしていたらと思わずにはいられない。 |
〓 | イギリスのオアシス社がやっている、アフリカ一周のツアーがある。改造したトラック(オアシス号)に乗り、モロッコから西海岸を南下し、ケープタウンから東海岸を北上する。その期間は約10ヶ月。参加人数は24名。このツアーに参加した55歳の著者の記録である。このツアーでは唯一の日本人で、その他はイギリス人、ドイツ人、カナダ人、オランダ人、デンマーク人、フィンランド人、ニュージーランド人、アメリカ人、マレーシア人、アイルランド人たち。キャンプでのテントは2人組。食事準備は3人組みとなり、順番に周1回当番となる。キリンの肉も食卓に上る。ちょっと草っぽかったそうだ。植民地であったころは豊かであったが、独立後、援助に頼りすぎて過ぎで逆に悪くなった国や、動物もいなくなって、他の国から連れてこざるを得ない国があるのが現在のアフリカの状況のようだ。それでもアフリカは、自然や動物の宝庫であることは間違いがない。そして何よりもこのツアーの面白さは、若者から初老の人まで、いろんな国籍の人間が集まって生活を共にすることだ。ツアー途中で終える人がいたり、途中から参加する人もいる。但し協調性も問われ、途中で帰国させられるメンバーもいた。会話?基本英語だ。総費用はなんやかんやと186万円かかったそうだ。 |
〓 | 水に性欲を感じる者。どんな形にでも変化できる水、そんなものに性欲を?そうとうおかしなヤツだ。と思う。そいつらはいくら説明してもわかってもらえない、と諦めている。唯一の救いは同じ考えをもつもの同士でつながること。そうとうおかしな奴でなくても、ちょっとおかしなヤツと思われているは、目茶苦茶いると思う。マジョリティである振りをしているが、実は隠れおかしなヤツはもっといる、と思う。繋がる時もベクトル(量と方向性)は違えども、自分も、基本おかしなヤツである、ことが前提であることが大事かな? |
〓 | キャッチ―なタイトルやけど、桐島自身は登場しない。登場するのは周辺の生徒たちで、バレー部のキャプテンの桐島が部活を止めることで、彼ら彼女らの生活にどのように影響を及ぼしたのか、そうでもないのか。同じバレー部の小泉風助、孝介、日野、野球部でさぼりがちな菊池宏樹、竜汰、友弘、ソフトボール部の宮部実果(孝介の彼女)、絵理香、ブラスバンド部の沢島亜矢、詩織、志乃(帰宅部?)、映画部の前田涼也、武文。彼らは池脇千鶴主演の映画『ジョゼと虎と魚たち』が好きだ。バトミントン部の東原かすみ(彼女も『ジョゼと虎と魚たち』が好きになる)、美紀、友未等の学校生活、私生活を描く。それにしても朝井リョウって。女性の会話や気持ちをスラスラ良く書けるなあ、と思った。『何様』の時もずっとしゃべってんのは男やと思っていたら、実は女やったってことがあった。まあ、勝手な思い込みやったが。。。 |
〓 | この『何様』は、以前に読んだ『何者』の先日談やら後日談。『何者』読んだのが8年前。今回読み返した。『何者』の光太郎は就活をしていたが、『何様』では高校時代の話となる。忘れられない恋人のことが熱く語られるのが『水曜日の南階段はきれい』。理香が宮本隆良と同棲をするに至った経緯がわかるのが『それでは二人組を作ってください』。『逆算』では、沢渡先輩は就職しているので、これは後日談?主人公松本有季に沢渡さんは言う。<きっかけとか、覚悟とかって。多分、あとからついてくるんだよ>。『きみだけの絶対』は、烏丸ギンジの姉がインタビューに答える。その高校2年生の息子・亮博と花奈が主人公。<こういうときは、ピボットだ>。『むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった』は田名部瑞月の父親が登場。心の病が抱える妻がいる身であるけれども。。『何様』は、人事部の採用担当になった松居克弘が感じたこと。1秒でも本気になった瞬間があれば、それでいいんでないか、ということ。 |
〓 | 発注をもらってそれに応える。いわゆる企業案件ってやつだ。自分で好きなテーマで自由に書くことだけをよしとするのではない。いろんな制約の中で自由に表現することで小説家の腕前を発揮する。芸術家ではない、プロの小説家としてなせる技でもある。これはいろんなことに当てはまると思う。自由すぎると何をやっていいのかわからなくなる。意外と制約があった方が、動きやすくなることがある。この本の中の『介護の日 年金の日』もこのようなテーマで書かれている。どのテーマもうまく書いているなあ、と思う。そしてまた、端々に面白い表現をする人であると感心した。最後(から2番目)の『贋作』もよかった。 |
〓 | 2013年、直木賞受賞作。現在の小説やなあ、とつくづく思う。登場人物は就職前の若者で、全員ツイッターをやるのは当たり前で、別アカウントも持っており、また就職の為のES(エントリーシート)を書く練習をしたり(最近の就職試験も大変やな)しているところなどは、時代は変わったなあ、と思う。自分をアピールすることも必要となり、そして個人の裏情報もわかりやすくなった。で、何者とはいったい何者か?つねに傍観者の立場で物を言う、嫌なやつ。それは誰かと思いきや。。 |
〓 | こいつは面白い。スナック「チャオ!」で行われているのは、小学校のクラス会の三次会。なかなか来ない「田村」を待ちながら、それぞれの人生を振り返る。一話一話語られる度に、一人ひとりの人生が語られ、明らかにされていくという趣向だ。しかし、田村はなかなか来ない。雪は降る、あなたは来ない。果たして「田村」は来るのだろうか。特別収録されている『おまえ、井上鏡子だろう』も、卒業してから何度も井上鏡子に会うのだが、最初は気付かない。別れてから、あれ?今のは?なんてことの繰り返し。なんか粋な落語聴いているような気になる。第30回吉川英治文学新人賞の受賞作だそうだ。 |
〓 | コード化された原始共同体、超コード化された古代専制国家、脱コード化された近代資本制。それぞれを幾何学的に解説し、近代社会以降における課題ついて述べる。古代専制国家では、絶対規範というものが外から与えられていたが、近代社会の規範は自分自身にある。近代社会では静的な構造は壊れ、<パラドックスを飛び越えながら>(先送りにしながら)、<こけつまろびつ進行して>いたが、これからの社会は、ニーチェ&ドゥルーズが言うように、<舞踏する>ことを薦めている。<笑いとともに享受する>ことである、と言う。著者の示す図としては【クラインの壷からリゾームへ】ということになる。理想的極限としてのポストモダンだ。先日読んだ『ニッポンの知識人』において、<すごくよくできている社会思想史>とあったので、再読してみた。確かに詩的表現も多いが、図で示してあるところがイメージを得る助けになっいる。著者は1957年、兵庫県生まれ。 |
〓 | 中年になった<坊や哲>ヒヨッコに博打を教える。 |
〓 | ドサ健はいい。出目徳はシブイ。 |
〓 | クソ丸、ドテ子、飛び甚など。大阪のブー麻雀。 |
■ 浅羽通明 天使の王国 幻冬舎文庫
〓 | 『別冊宝島』を耽読していた「おたく」世代の著者が、昭和から平成にかけての社会思想、社会精神を『別冊宝島』に執筆した原稿の集大成。おたく、アニメ、コンビニエンスストア、現代思想など。最後の、等身大の自分から離れたところから出る、お題目の発言についての批判は面白い。 |
〓 | オウム・サリン事件の前後に書かれた本。終わらない日常を生きるための知恵は、<私たち自らによって模索され鍛えられるほかないのだ。>「社会的経済的生活」に地に足をつけろと主張。呉智英を師匠として荘子などを読む。著者は1959年神奈川生まれ。 |
〓 | 『鋼鉄都市』の続編で新しく翻訳された。主人公も前回と同じ地球に住む刑事、イライジャ・ペイリ。パートナーも前回と同じオーロラに住む、ロボット・ダニール・オリヴォ―。惑星ソラリスで殺人事件が起き、2人で調査に出かける。1956年に雑誌に連載されたというから、今から63年も前のことだ。その時代にアシモフが想像した未来が面白い。ソラリス人は、人と直接会うことはほんとんでない。3D映像で対話する。周りにいるのは数多くのロボットたち。子供を生むのも限定されたものとなる。その分長生きなんであるが。ソラリスを調査したペイリは言う。<彼らの弱みはですね。彼らのロボット、低人口、長命です。…ソラリス人は、人類が何百年も持ちつづけてきたあるものを放擲してしまったんです。…部族というものですよ。人間同士の協力関係です>。その時の地球も太陽を見ることがない、鋼鉄の中に閉じ込められていた。そして地球の未来をソラリスのようにならないようにとペイリは立ち上がるところで終わる。 |
〓 | 1953年に連載された小説。鋼鉄で覆われ、窓がない町に未来の地球人は住んでいる。そして、宇宙人とは、過去の地球人が地球を飛び出し、他の惑星に移住した者やその末裔たち。いやーどんだけ未来なんや、って感じ。そして当然のようにロボットが登場。地球人と宇宙人とロボット。で宇宙人が殺されるという事件が起きた。<SFミステリの金字塔!>と裏表紙に書かれている。未来のことなんで、なんでもありであるが、巨匠アシモフの考える未来社会の描写は興味深いし、ミステリ小説としてダブルで楽しめる。でも、ほとんど人間と変わらないダニーのようなロボットができるのはいつの日か? |
〓 | <日本にいま必要なのは「訂正する力」です>と著者は言う。全とっかえのリセットではなく、実はこういうことであったという訂正をしていきながら、変遷していくことが大事であるという。子供の遊びでは、いつのまにかルールが変わっていったりするが、当人たちは同じ遊びをずーっと続けていると思って遊んでいる状態とも言っている。ブレないことがいいことではない。元々そういうことであったというような、したたかさが大事。本書の中で紹介されているクリプキの「クワス算」は興味深い。同じルールで戦ってきっと思いきや、突然おかしなことを言われ、それはおまえのルールの理解が間違っている、という事態をどう理解するか。というよう議論が展開されているという、ソール・クリプキの『ウィトゲンシュタインのパラドックス』という本は読んでみたい。 |
〓 | 仕事のできる人、生産性が高い人の仕事のやり方を解説した本。イシューとはなんぞや。その定義は、<2つ以上の集団の間で決着のついていない問題>、<根本にかかわる、もしくは白黒がはっきりしていない問題>ということだそうだ。またよいイシューの3条件として、<本質的な選択肢である>、<深い仮説がある>、<答えを出せる>を挙げている。本当に取り組むべき仕事をやっているのか、そんなに重要な問題ではないことに時間を使っていないか。イシュー度の高いものを選ぶことこそが最も重要である。ということだ。そしてそれらをやっていくコツが詳細に書かれている。その中で面白い思ったものは、情報を集めすぎるのもよくない、ということ。知り過ぎているとその中でなんとか解決してしまい、新しい知恵が生まれにくいそうだ。結果を表現するグラフの書き方。そして発表するときの<1チャート・1メッセージ>など参考になるところは多い。 |
〓 | 本居宣長の長男で、盲目の語学者、本居春庭のお話。春庭は、30才頃より失明したが、父・宣長の遺志を受け継ぎ、『詞の八衢(ことばのやちまた)』『詞の通路(ことばのかよいじ)』を著した。なによりも凄いのが、本書の著者足立巻一が、学生時代から始まり40年もの長きにわたって本居春庭を追い続けたことだ。足立巻一のライフワークと呼ぶにふさわしいものだ。これだけ1つのことに打ち込め、それを本書のように形として著すことができたことに対して、嫉妬の念に狂った人も多くいたそうだ。上巻での書評で松永氏は<足立巻一氏の『やちまた』を読了するのにちょうど半月がかかった。その間、本らしい本を一切読まなかった>とあるが、まさに同じような状態になった。ただし他の本を読まなかったのではなくて、読めなかった。甘いが毒のある悪魔の蜜だ。 |
〓 | 安部公房生誕100年ということである。本書の『飛ぶ男』は、フロッピーディスクに残されていた作品で未完のもの。1994年1月1日、妻・安部真知の加筆・改稿によって単行本が発売されたが、今回、2024年2月28日、加筆部をなくしたものが、文庫本として発売された。のっけから安部公房ワールドに引き込まれる。登場人物それぞれが、何じゃそりゃの奴らばかりで、負けていない。安部公房の得意の比喩も健在だ。まあ完結していないが、久々の安部公房作品に触れて面白かった。表題作『飛ぶ男』と『さまざまな父』の2作が収録されている。前後するが続き物のようだ。 |
〓 | 再読。なんか楽しそうやなあって感じ。砂の村での生活。村の連中に閉じ込められ、本人は逃げ出そうともがき苦しんでるんであるが、それはそれは充実感に充ちたものであるような感じがする。自由になることを欲しているが、いざ自由になった時、あるいはなりそうになった時に、ふと、それまでのことがなつかしく、離れることがさみしくなったんやろうなあ、と思う。1人の女とともに砂と戦う。普段の教師の生活よりも何倍も集中し、心が高ぶったのではないかな。この物語が終わってほしくはない、いつまでも読んでいたい、とも思った。主人公も最初はあがいているが、だんだんとそこでの生活を楽しみだしていった。ラストはまさに『自由からの逃走』かと思った。しかし、自由というものが人間にとって、非常にいいような言葉であるようであるが、その実自由であることは、途方に暮れる。不自由であっても、エネルギーを存分に発揮できることが大事。会社のキャッシュフローならぬ、個人のエネルギーフローが、充実した人生であるどうかの目安となる、と思う。そして、不自由な中でこそ、その真価が発揮されるだ。(2002/11/12) |
〓 | 突然名前を失った男。名前は名刺となって動き回る。不当に裁判をかけられた男はいやおうなく世界の果てをめざしていく。世界の果てとはどこか。丸い地球では果てとはすなはち、出発点である。主人公は出発点である、部屋の壁を凝視する。そして……。悪い夢をみている感覚が続くが、けっして不快ではない。 |
〓 | ガンにならないための六箇条。<1.働きすぎをやめ、充分な睡眠をとる。2.心の悩みを抱えない。3.腸の働きを高める。4.血行をよくする。5.薬漬けを避ける。6.ガン検診は受けない。>、だそうである。面白いのは6.の「ガン検診を受けない」というやつ。<検診によって疑いありとされ、検査に時間がかかれば、そのストレスは予想もつかないほど激しいものになります。そのストレスは…>がその理由である。また<転移は治る前兆>ともおっしゃる。<転移が起こったと思われる時期に、いく日間か患者は発熱し…>、この発熱によってガン細胞は他に逃げ出し、転移先のガンまでリンパ球というやつが追いつめ、殺すんだそうだ。だからこの発熱を妨げてはいけない。と言う。でもこの自分自身の免疫力を信じられらかどうか。なんて考えてはいけないのかもしれない。迷わず治ると思えるやつ、しかもそれが持続できるやつが生き残る。対処療法はひかえめに、免疫力で勝負する。そしてその免疫力を高めるには、日々の心と体の緊張と緩和、そして食生活。これがポイント。 |
〓 | 南海電鉄と言えば、現役日本最古の私鉄だ。それが地元にある。これまた日本最古の公立公園である浜寺公園あり、住吉大社あり、高野山あり、難波の高島屋あり。そして難波にはちょいと前まで南海ホークスの本拠地であった大阪球場あったのだ。今は難波パークスになったけれど。最近の南海電車はラピートの車両が、真っ赤な(ガンダムの)シャー号になったり、真っ黒なスターウォーズ号になったり、九度山を走る高野線は真田赤備え列車になったりとにぎやかだ。 |
〓 | ペニスビルのホストクラブに勤めるケイ。高さの軌跡を描き続けるケイの弟。そして図の女(水の女)。母、店長なども登場するが、主人公以外の名前はない。名前があるのはゲームの中のヒトデ君くらいである。ケイと水の女のセックスシーンもあるが、かなり観念的である。頭の中の図のこだわり(考えすぎ)から自由になろうとして、水を体に満たそうとする(感じようとする)女と主人公のケイ。逆さ馬のメリーゴーラウンドの軌跡は複雑であるが、弟は見事にその軌跡を描いてみせる。その後の空虚感。あるいは不安定感。主人公のケイは弟をつれて、海へと行く。空虚感を埋める為に。『燃えよドラゴン』でブルース・リーも言う。「考えるな、感じるんだ」と。著者は女性であろうが、ペニス(男性)と水(胎内回帰願望か?)が一種の癒しになっているのであろう。あたりまえか。動的癒しと静的癒しか。エントロピーの増大と減少というべきか。水の女の言う「水っぽいペニスがいい」というイメージは良くわからん。 |
〓 | 透明になってしまいたい。この言葉は、(彼)が発する前に思いつき、書いたものだそうだ。なるべく社会とかかわりを持ちたくない若者たち。職につかない者、背中に黒い翼を持った者、自殺した女の子、殺された女性。社会との関係で言えば、自分が他人や社会を必要としなければ、相手にも必要とされない、なんてところは、なるほど、と思う。著者は、1968年、兵庫県生まれ。 |
〓 | <天才は誰でももってるんだよ。…その才能は、惚れた女が引っ張りだすものなんだよ。><写真家で気が狂った奴はいない。シャッター音が川に落ちるのをとめてくれる。>と天才アラーキーは語る。初の自伝。 |
〓 | 人間はなんと不合理な選択をしているのか、という本。しかもそれはあるパターンにはまっており、予想できるものであるのだ。規則正しく失敗する。人々は金銭面だけでなく、その他の<感情、相対性、社会規範など>を優先してるということだ。まだ自覚を持って優先すべきことを選択している場合はいいが、五感による錯覚により、不合理な選択をすることもある。そして、それを利用し、商売を企む場合もある。招待を受けてご馳走してもらった事に、お金を払っていけない。感謝されたくてやっていたことに対して、金銭をもらうと労働意欲が下がる。逆に、今流行りのオンラインサロン等は、お金を払って労働している。飲酒状態や、性的興奮にある時は、普段やらないことも許容してしまう。一度所有したものにつける価値は高い。選択肢を多くしようとするあまり、肝心な事を達成できない。現金から一歩離れた途端に、不正をしてしまう、等々。人の一見腑に落ちない行動をデータで実証した。 |
〓 | 40年以上も前に書かれた本であるが、現在最もホットな問題でもある。もっと暗い話かなと思っていたが意外とそうではなく、深刻ではあるがユーモラスな一面もあった。アルツハイマーになった親を持つ家族の物語。周りの人間にとっては、その苦労は大変なもんなんであるが、このお父さんは、子供にかえって楽しんでいるようにも見える。徘徊したり、下の世話が大変であったりと苦労が多いが、もっと深刻なのは、当人の苦しみが続くことであると思う。植物人間となり、全くコミュニケーションがとれなく、生命維持だけの為に多額の費用が嵩むのも辛い。<恍惚の人>になった人は幸せかもしれない。 |
〓 | フリーと言っても、昨日金メダルを取ったキム・ヨナや惜しくも2位となった浅田真央の演技の「自由」の方ではなく、「無料」のことだ。世間には「無料」ということを餌に大金を稼ぐ商売が多く存在する。試供品をタダで配り、気に入れば買ってもらったり、ネット上でタダ同然で流し、コンサートやグッズで稼いだり、無料で提供するものには、広告が入っていたりする。無料で配布して得られるのは、評判だ。それを利用して有料のものを出す。<フリーは魔法の弾丸ではない。無料で差し出すだけでは金持ちになれない。フリーによって得た評判や注目を、どのように金銭に変えるかを創造的に考えなければならない>と著者は言う。面白いのは、お金を払える人のみ払うというパターンが存在すること。また、著者が<フリーになりたがるもの>と表現している、簡単にコピーできるデジタルソフトは、放置するとタダ同然になってしまう。その品質は同等で、その勢いは強烈だ。これらをいかに回収するかがポイントでもある。金儲けもダイレクトではなく、間接的で複雑になってきている。 |
〓 | 著者の安藤美冬は、会社に縛られないノマド(遊牧民)ワーカーの成功者としてNHKの『ニッポンのジレンマ』にも再三登場している。有名会社を退社したあとは、フェイスブックや、ツイッター等を活用して自分を売り込み、仕事をして収入を得ている。インターネット時代の働く若者の代表的存在でもある。ネットを使うことにより、会社に所属して働くよりももっと広い分野に進出できる可能性はあると思う。また生活スタイルもある程度好きにできるのも魅力だ。しかし、厳しさは会社にいる時以上になる。でもそういうことを乗り越え、自分のスタイルに合った仕事をしていこうとしている人たちにとって、背中を押してくれる本だ。前向きで元気になれる本。 |
〓 | 久々の安東能明。面白かった。<警察官のリアルを描き続けたい>というだけあって、荒唐無稽なTVドラマみたいではなく、実際のプロの警察官の話であるように思える。今回の主人公は綾瀬署勤務の柴崎令司。所内で女の子の失踪事件が起きた。捜査を進めるにつれ、以前に起きた事件と酷似していることに気付く。同一犯人の仕業かと。だが、幾つもの疑問点が出てくる。そして。。。99%怪しくても、残りの1%の裏が取れなくてはならない、という思いが真実に近づいていく。坂元という女性署長や、高野という女性部下の活躍によるところが大きい。警視庁や千葉県警との交流で気をつかったり、捜査本部を立ち上げるときに食事の手配の心配をするところなどがリアルやなあと思わせる。 |
〓 | ヒーローは登場しない。内容は地味であるが、面白い。作者の安東さんが、警察機構など充分に調べていて興味深いし、主人公の人間臭さがさもありなん、て感じである。裏切り、復讐、裏金等どろどろした内容でもあるが、主人公は警察官としての道を真面目に歩いているところが好感が持てる。 |
〓 | 青函トンネルには現在新幹線は通っていないが、平成27年には(エピローグによると)開通しているらしい。今から10年後だ。これも楽しみだが、青函トンネルは昭和21年に予算がついたというから、その歴史は長く、それだけでも壮大な物語だ。それに加えて全く違う「ブランド」という大ネタを安東氏は引っ付けた。それぞれで充分1つの物語になりそうなのに勿体無い、と思うのは、わたしだけ?本書で青函トンネルの歴史とブランド創設の困難さがよくわかった。この辺りの知識が得られるも安東作品ならではだ。ラストもいつものように非常にアクティブで面白い。そして、未来形のエピローグが素晴らしい。竜飛(ああ、津軽海峡冬景色〜♪)と吉岡にある海底駅、一度は行ってみたい。 |
〓 | 先ずこの強烈なタイトルに惹きつけられた。好き嫌いはあろうかと思うが、私はこのベタでインパクトのあるタイトルが好きだ。中味はこれまた凄い。著者の取材の徹底ぶりには感心させられるし、物語は感動ものだ。そんじょ、そこいらの小説とは大違い。箱根駅伝の面白さ、それをテレビ中継する大変さ、電波の凄さと危うさ、そして青春へのノスタルジーが加わった大小説だ。いつも見事なラストだが、特にこの『強奪箱根駅伝』は異常に盛り上がる。思わず「そら行け〜!」って叫んでしまいまっせ。そして犯人を万事休すさせたのが、必殺電波返し。読んでる自分も青ざめた。これも映画化したら面白いやろうなあ。 |
〓 | <セシウム。…1秒の間にきっかり九十一億九千二百六十三万一千七百七十回震える。…誤差は30万年に1秒>という。ムチャクチャ正確だ。絶対時計を持ち、時間を操る男。実はその男は知っているのだ。時間は相対的なものであり、人工的であることを。そしてそのシステムの中で現代人は生活している。だからこそ操つれると思った。時間を操るのは、アレだろうな、と思っていたら、やはりアレだった。このネタでは初めて読んだので面白かった。ラストの盛り上がりもSFチックでいいぞ。 |
〓 | 児童虐待をテーマにしたミステリー。虐待にもいろいろある。ストレス発散の虐待。愛するが故の虐待。この後者が性質が悪い。罪の意識がないからだ。子供を可愛がってもいいが、独占してはいけない。愛と執着。紙一重であるが、はっきりと境があるわけではない。流れていくのだ。それが自然な流れのようでもある。元看護婦というのがまた恐ろしい。医学的知識を持ち、腕力に頼らない暴力が可能だからだ。医師、あるいは看護婦が狂うと恐ろしい。本書でその恐ろしさが充分堪能(したくはないが)できる。ラストの盛り上がりもいい。「急げ!」と思わず口に出そうになるのだ。 |