陽だまり絵本通信                         NO.145    2013.12.1

                   炬燵で昔話は、寒い日のお楽しみですね

  保育室に炬燵があれば、寒い冬のひと時が快適なものに。不用品の中から、ホーム炬燵をいただいて、保育室の片隅を、アットホームな場所にしてはいかが。昔話は、囲炉裏端で伝えられてきたものだけれど、現在の囲炉裏はホーム炬燵ですからね。炬燵を囲んで、みんなでお話を聞くのは、冬のお楽しみでしょう。多人数の保育室では、無理かな。そんなときは、廊下や空き場所に、園長さんの特別コーナーを作っていいかも。園長さんが読み手になって、昔話を語ってあげるいい機会かもしれません。ある幼稚園で、園長さんがちゃんちゃんこを着て読んであげている光景に、出会ったことがありますが。ばあちゃんの温かさが感じられて、子どもたちもいい顔してましたよ。
 今、ぬぐえない不安の中で、大きな声でものが言えなくなるのではと心配。とりわけ若者が、未来に期待と確信が持てず、抗うこともできずに沈みこまされていると思います。私たちの若かった頃は、体制に反抗できるのが、若者の特権だった。今、デモの中にも、学生らしき姿は少なく、学生運動で鳴らした人の領収書問題も情けなく。
 逞しく世の中切り開き、変えていく子どもたちに育てたいと思います。昔話の三人の太郎から元気をもらって。







今江祥智・文
田島誠三・絵
ポプラ社


 
 『ちからたろう』
ーーー権力になびかない太郎だよ

 東北の貧しい農民たちの、生活や夢をこめた希望の象徴が、このちからたろうだと、再話された今江祥智さんがあとがきに書いておられます。こうした英雄がいつまでも必要とされる社会は駄目だとも。そうだと思いますが、このなんとなく不安な世情の中で、ふたたび力太郎の力をかりたいと思いました。田島征三さんの絵は、ほんとに元気もらえます。表紙の大きな手を見ても、真っ赤なからだの色を見ても、「なにか、すごいことやってくれるよ」と、子どもたちはワクワクします。
 ちからたろうは、じいさま・ばあさまの垢から生まれました。風呂なんかめったに入れない貧しい暮らしの中で、垢でつくった小さな人形。それが力太郎でした。まっくろけなわらしだけどかわいいわらし。このわらしの食べること、食べること。自分たちの飯もないのにと笑われながらも、重い金棒を持ってすっくと立ち上がった太郎を、田島さんがどしんと描いています。
 力太郎は、「みどうっこたろう」や「いしこたろう」を負かして仲間になり、3人で大入道に勝って、長者の娘さんを助けるのです。長者は喜んで、娘の婿にしたのです。お礼はお金や宝ものはいらない、釜いっぱいの飯で言いという太郎たちが気に入ったのです。その頃になって、何もしなかったのに厚かましい殿様が、3人を召抱えたいと言ってきましたが、きっぱり断って、村で暮らしました。村は豊かになり、みんなが幸せになったと。しょぼんと貧相な青い顔の小さな殿様が、印象的でした。





大川悦生・文
渡辺三郎・絵
ポプラ社



  『三ねんねたろう』ーーーみんなを助ける仕事をしたのだよ

 再話された大川悦生さんは、寝太郎をこう書いておられます。農民たちが、一番尊んだ働くことを放り出して、贅沢にもねむりをむさぼった男だけれど、それは農民の夢と願いを果たすためのものだったと。渡辺三郎さんの絵も暖かく、眠ってばかりの寝太郎を、優しく描いています。
 寝太郎の眠ったわけは、働いても働いても暮らしが楽にならず、田んぼの水もなくなり、米のご飯が食べたいと言いながら死んだおっかさんのことなどあって、とうとう寝てしまったのです。村の人たちはあきれ、役人もかまっておられんという寝太郎どん。子どもたちは馬鹿にしながらも、役人を
去らせた寝太郎は、役人に勝ったんだと思ったり。あいかわらず村には水がこなくて、田は干上がっていました。
 三年と三月たった秋祭りの日、寝太郎が急に起き出した。ひげぼうぼうの垢だらけの寝太郎は、大きな川のそばに行き、「ここに水がある。この水を引けばいい」と。「どうやって、ひくんじゃ」と、村の人は馬鹿にしました。寝太郎は握りこぶしを突きだして、「村のもん、みなでひくんや」と言いましたが、村びとたちは知らん顔。でも、寝太郎が少しずつ掘りり出したので、村人もとうとう皆で掘り始めました。そして、とうとう長い用水路が完成。村の田んぼに水が来たのです。よかったですね。村人たちは、寝太郎のおかげだと、喜びましたよ。
 『日本むかしばなし』では、起きるのは岩の上から小便をするときだけ、村人はそれがたたりで水が来ないと言い、その大きな岩を寝太郎が谷川に転がりおとして川をせき止め、寝太郎の村に水が来るようにしたと。また、他の本では、長者が水をせき止めていたのを、寝太郎が村に水を引いたから、長者が怒ったなどのバリエーションもあります。小さな子には、この絵本の寝太郎さんがいいかもと思いますが。




代田 昇・文
箕田源二郎・絵
講談社




 
 『ももたろう』ーーーいっぱいまんま食べて、大きくなったんだよ

 
私が初めてこのお話を聞いたのは、三・四歳ぐらいのとき。すでに戦争一色の暮らしの中で、祖父の語りは勧善懲悪のムードでした。それからすぐ、「鬼畜米英」の世相の中で、鬼が島の鬼は、アメリカ人の顔をなぞって、描かれていきました。戦後は、逆に鬼が島を侵略した日本人の罪が、云々されるようになりました。
 しかし、桃太郎のお話は、そんなこととは無関係です。貧しいものが、自分の食べ物さえ減らして子どもを育てたあふれるような喜びと愛情。作物や乏しい財産を奪い、危害を加える鬼に対する怒りがベースにあります。それを為政者とは描かれてありませんが、こうした話を語り続けてきた人々の思いの中には、力強く生活を築いてくれる者への願望があったに違いありません。桃太郎や力太郎、三年寝太郎も、こうした思いをもって語り続けられてきたのでしょう。
 桃太郎の絵本は、我が家に三冊あります。この絵本は、貧しいお爺さんお婆さんの子、桃太郎ですから、当然粗末な着物一枚です。そのスタイルのまま鬼が島へ出かけるのですから、とても自然ですよね。他の二冊は、まさに侍そのものの格好で、剣までさしています。そして、剣を突き付けて、鬼を降参させています。粗末な薄着一枚の桃太郎の腰には、棒切れが一本。鬼と対しても抜いていません。犬・猿・キジの大奮闘はおなじですが、桃太郎の自然な姿がいいなあと思いました。
 お話の筋はみなさんご存じ。だから省きますが、最後に助けるのが、この絵本では娘っ子。他の絵本にはお姫様とあります。リズムのいい語り口ですから、楽しく読んであげて。

  いろんな昔話を、いっぱい読んであげてください。優しさや力強さ、知恵や勇気がいっぱいつまっているでしょう。私たちの未来を危うくする法案が、数の力で通されていく現状。打開するのに、何が必要なのか。三人の太郎から学べないものかと、つくづく考えます。


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