NO.93 2011.8.1 |
八月になると、あの戦争の記憶が甦ってきます。今年はとりわけ、原発の事故もあり、核の怖さを身にしみて感じました。ヒロシマ、ナガサキの核爆弾の千倍以上の威力をもつ核爆弾を保有している国があるのは、厳然とした事実です。人間が究極のところどうにもコントロールできないものが核です。一人の人間が、核ボタンを押すことができるのも怖いですが、不測の事態が起きて、原発のように核が暴れ出すかもなんて思うと、その国の人は怖くないのかなあと思ったり。それを持ち込まれる国は、どうしたらいいのと思ったり。
とにかく、核の怖さを子どもたちに感じさせなければと思います。核爆弾だけじゃないですから。
沼田鈴子さんが亡くなられました。平和公園の被曝アオギリの下で、核の恐ろしさを訴え続けてこられた沼田さん。7月12日、87才で亡くなられました。50余年もの間、ずっと被爆体験を語り続けてこられ、私たち、子どもたちの胸に平和の種を撒き続けてくださいました。沢山の子どもたちが、沼田さんのことを忘れないと思います。私も、たった一度のお出会いでしたが、忘れられません。
沼田さんは、自らの国の国策での被曝を、どんなにか悔しく思われたことでしょうね。国の責任を問うと同時に、私たち自身の核問題への意識を問わなければならないと思います。原子力の怖さを、一番良く知っていたはずの日本人が、なぜ過ちを繰り返すのかと、沼田さんは、ほんとに情けなく思われたでしょうね。平和公園の碑に刻まれた文言は、身近なところでの核による過ちも、繰り返してはならないと訴えているのでしょう。原子力の平和利用という耳触りのいい言葉で、私たち自身も自分をごまかしてきたのだと自戒しました。子どもたちにしっかり核の怖さを教えたいと思います。
ハモニカブックス 河出書房 |
『8月6日のこと』ーーーなかがわひろたか・文 長谷川義史・絵 とっても青い空でしょうか、海でしょうか。表紙一面の美しいブルーです。かすかに白い雲も浮かんでいて。こんな美しいものを壊してはならない、そう思います。 瀬戸内海の海は、その日も穏やかに朝を迎えました。中川さんのお母さんの子どものころの話です。お母さんの兄さんは、兵隊さん。原爆ドームの近くにいました。瀬戸内海の島から、お母さんは差し入れのお弁当を抱えて、軍を訪ねるのですが、差し入れは禁止です。お兄さんはマスクの下で隠れてお弁当を食べています。おいしいものも自由に食べられないなんて、いまどきの子には考えられない軍隊の決まりです。8月6日の朝、山の向こうがピかりと光って、蝉も一瞬鳴きやんだのです。原爆が落とされたのでした。一週間たって、お母さんは、またお弁当をもって広島のお兄さんを訪ねました。焼け野原になって変わり果てた広島の町。お兄さんは、一瞬のうちに亡くなったのです。原爆が落とされた時の白黒の絵が怖く、焼けただれた大地に死んでいる人たちの絵は赤く彩られ、子どもがひとり真黒になって転がっている場面は、見るものの心を震わせます。いやだ!原爆なんていや!子どもたちは叫ぶでしょう。 お母さんは、広島の町をお兄さんを捜し歩いて、被爆されました。その日から9年たって、中川さんが生まれられ、瀬戸内海の海は今も静かですが。 核爆弾の恐ろしさを、素直に感じさせてくれる絵本です。原発も原爆とおなじもの。核分裂によってエネルギーをうみだすわけです。分裂の強弱だけです、違いは。そして、それを生みだしているのがコンピューターだと、ある詩を読んで気づき、この社会の進歩?の危なさにおののきます。 |
文研出版 |
『ヒロシマのいのちの水』ーーー指田 和・文 野村たかあき・絵 少し文章が長く、でも広島弁の語りがあったかくて、年長さんには読んであげられそう。毎日、ペットボトルに水を何本もつめて、慰霊碑に水を供える宇根さん。なぜ?って、子どもたちは聞きます。 宇根さんは、比治山のふもとで、保育士をしていました。その日も、おやつのカボチャを準備していたのですが、ドカン!と音がして、宇根さんははねとばされました。みると、大事なおやつのカボチャにはガラスの破片がいっぱい。宇根さんは泣きそうだったでしょうね。子どもらは、跳ね飛ばされていたけれど、いのちは無事だったよう。でも、いない子もいて、宇根さんは探しに比治山にむかってかけだしたのです。先生たちは子どもをかばって、ガラスの破片で血だらけ。 途中、走る宇根さんの手をつかんで、水が飲みたいと言う人。原爆は毒だから、毒の水を飲んだら死んでしまうという人。比治山には子どもはいなくて、後で聞くと、助けてくれた人がいたそうです。戦争が終わって、やっと花も咲き始め、宇根さんは山登りの途中できれいな滝に出会ったのです。水を飲みたいと死んでいった人たちのことが思い出され、それから54年もの間、宇根さんは毎日ペットボトルに水を汲み、供え続けていたのです。宇根さんが、子どもたちに言いたいことはなんだろうと、問いかけてみたいです。命を危うくするものは、あってはならないよねということでしょう。原発事故のあと、ペットボトルを求めて、汚染されていない水を求めて、大変だったですね。原発も原爆も一緒だって、よくわかりますよ。毒を撒き散らすことは、あってはならないことですね。理屈でなく、気持ちでわかる絵本です |
金の星社 |
『トビウオのぼうやはびょうきです』ーーーいぬいとみこ・文 津田櫓冬・絵 30年も前に出されたえほんです。それ以前にも、『ヒロシマのピカ』『おこりじぞう』など、たくさんの絵本が核廃絶を訴えてきたのですが、今は、日本人自らの手で被曝を引き起こすことになり、もう一度原点に戻らねばならないと思うことです。この絵本は、太平洋のビキニ環礁で、1954、アメリカが水素爆弾の実験をして、かわいいトビウオの坊やが被ばくする話です。現実には、日本漁船第五福竜丸も被曝していました。アメリカはその事実をやっと1984年に明らかにしたのです。隠すのは卑怯です。 きれいなサンゴ礁がレースのようなふち飾りのようにきれいなところに、トビウオの親子は住んでいるのです。さんごの林が明るくなって、海の水が大きく揺れて、大きな音がして、ぼうやはこわかったでしょうね。恐ろしい音は終わったのですが、白い灰がふわふわ落ちてきて、なんだろうと不思議がりましたが、ぼうやはおもしろがってその上を跳びはねたんですね。お父さんトビウオも帰ってきません。どうしたんでしょうね。大変大変とおばさんが、怖いものが爆発したんだと知らせてくれました。お父さんも犠牲になったんです。悪いことはつづきます。海は死んだ魚で墓場のようになり、ぼうやは頭が痛いと鳴き叫びました。うみへびのお医者さんも、ヒトデの病院、タツノオトシゴの薬屋さんにも行きましたか、だめでした。ぼうやは、よくなったら、お父さんを探しに行くといいますが、だれか小さな坊やを助けてくれないでしょうかと、この絵本は終わっています。実験したものの責任には、終わりがありません。 原発は、さんざん事故ってきたのですが、すべて隠されて経済大国推進のために知らされてきませんでした。こんな素晴らしい絵本たちに恥ずかしくないよう、私たちも事実をしっかり知らねばならないと思いました。 |
青木悦さんからお手紙をいただき、中身の重さにお返事の書けないでいる私です。お連れ合いさんのお母さんが一人で福島におられること、忘れていて「軽く」夏のお伺いをいたしました。いくら原発を憎んでいても、「当事者」でない自分の生き様に気づき、ショックでした。これではだめだと、もう一度気合いを入れたいと思います。青木さんとは、『人間をさがす旅』という著書に出会って以来のお付き合いで、今年の夏は広島県の「母と女教師の会」で話されるということ。8月6日だそうです。お聴きしたいのですが。
福島ナンバーの車が駐車していると、ボンネットの上に石を置かれたり、「福島の車、お断り」の駐車場もあるとか。青木さんのおっしゃるように、テレビなどでは美しく被災地への思いなどと言っていますが、こんな現状もあちこちにあるそうです。転校してきた子にも、子どもより親の拒否感が強いとのニュースをみた記憶もあり、目に見えない放射能への恐怖からでしょう。だから、脱原発だと、ほんとに思います。差別意識の根っこをみる思いです。
残念ながら、政治の中では後戻りする足音がひたひたと。菅さんに、とことん頑張ってと言いたいですが、私たち自身が、マスコミも操作された世論にも動かされず、しっかり現実を見なければと思っています。自分の生き方の問題に、どんどん収斂されていきつつあります。
昨年の夏に紹介した絵本です。NO.69、70です。表紙のナンバーでさがしてみてください。
『おこりじぞう』 金の星社 |
『おひさまとおつきさまのけんか』 ポプラ社 |
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『かあさんのうた』 ポプラ社 |
『せんそう』 ほるぷ出版 |
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『なぜあらそうの』 BL出版 |
『まちんと』 偕成社 |
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『ピースブック』 童心社 |
『ぼくがラーメンたべてるとき』 教育画劇 |
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『ハロー・ディア・エネミー』 くもん出版 |
『ななしのごんべさん 童心社 |
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『くろいちょうちょ』 講談社 |
『きばのあるひつじ』 サンリード |
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『そしてトンキーもしんだ』 国土社 |
『お母ちゃんお母ちゃーん むかえにきて』 小峰書店 | ||
『おれはなにわのライオンや』 ぶんけい出版 |
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次回は、8月15日に、発信するよていですが。
テーマを迷っています。どなたか、ご希望を寄せてくださいませんか。
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