NO.73 2010.9.15
毎日、暑苦しい日の連続です。9月に入っても、まだまだ真夏の気配で、それでもやっと朝晩は涼しくなったと言えるでしょうか。いよいよ「敬老の日」が来ました。ご長寿慶祝と言うことで、敬老会のアトラクションとお土産のご案内がきました。封筒を手に、なぜこれに反発するのか自分でも情けなく、もっと素直に受け止めたらいいのにと思いますが。前回も書きましたが、一生何かで若くいたいと思っているからでしょうか。何か年に負けてしまいそうな気がして焦ったり、「そんな年じゃないんよ」なんて強がって見たり。そんなこと考えるのがすでに年なんです。
孫から、保育園で書いた敬老の日のハガキをもらって、嬉しいですね。敬老バンザイ!です。じいちゃんばあちゃんのいない子は、誰に出すんだろうってちょっと心配になって聞いてみたのですが、どの子もOKだそうで幸せなクラスだなあと思いました。じいちゃんばあちゃんの良さはなんだろうかと自問自答ですが、「最終責任をともなわないゆとりの優しさ」かと。だから甘やかすことが多いです。反省です。
今回は、ばあちゃんの絵本に続いて、じいちゃんの素敵な絵本を紹介します。一にも二にも、じいちゃんばあちゃんって素敵!って思ってほしいものですから。素敵なスーパーじいちゃんに、あったかいホットなじいちゃん、亡くなった後も思い出の中に生きているじいちゃん
たちです。 とっても素敵な、優しいおじいちゃんが登場する『いいから いいから』は、前回お休みさせてもらいました。前回に続いて、「えっ、たった3冊?」との声が聞こえてきそう。本当はじいちゃんばあちゃんセットで掲載しようと思っていたのですが、パソコンが敬老してくれなくて、意地悪にも後半部分が消えてしまったのです。自分の操作能力の限界を感じました。やっぱり年ですか!
これに加えて、パキスタンの昔話絵本を一冊紹介します。止揚学園の障害を持つ馬場純子さんが描いた絵本で、とっても素晴らしい絵です。
![]() にしかわおさむ・作 ひかりのくに |
『おじいさんと10ぴきのおばけ』ーーーとっても元気の出たおくりものでした 一人ぼっちで、森の傍の古い家に住んでいるおじいさんです。毎日居眠りばかりで、掃除もしないからクモの巣だらけです。友達のおばあさんが心配して、プレゼントを。なんと10ぴきのお化けでした。プレゼントの箱から、勢いよく飛び出したお化けたちのなんと可愛いこと。長旅でお腹を空かしているお化けに、おじいさんはホットケーキを作ってあげるのです。手伝っているお化けの、これまた可愛いこと。いたずらだけど、お掃除も好きなおばけたちが、家じゅうをピカピカにしてくれて、真黒になったお化けたちとお風呂に入ったおじいさんの、嬉しそうな幸せな笑顔でした。そして、10台のベッドを作ってもらって、お化けたちは眠ったのですが、ある夜おじいさんが高熱にうなされて、心配して泣きだすお化けもいました。お医者さんを呼びに行って、注射をうってもらって、スープも作ってもらって、すっかり元気になったおじいさんでした。そして、お化けたちに、毎日本を読んであげるので、居眠りもしません。夜は、10ぴきの寝顔をみて、にこにこ笑顔のおじいさんでした。 ひとりぼっちはさびしいですね。こんなプレゼントは素敵ですね。読んでいて、ほのぼのと楽しく、おじいさんのかわいい笑顔に癒される絵本でした。孫と読んで笑い合ったら、とっても幸せ。 |
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![]() いとうひろし・作 講談社 |
『だいじょうぶ だいじょうぶ』ーーーすてきなおまじないのことばです いとうひろしさんの絵は、文字がいらないほど、雄弁に語りかけています。表紙の孫とおじいちゃんの絵は、その気持ちがほんわかと伝わってきます。大好きなじいちゃんが、今よりも若くて、ぼくもあかちゃんに近くて、と絵本は始まります。のんびりとお散歩にいったのだけど、ぼくには冒険の楽しさが。おじいちゃんは、卵を運ぶありや花の頭をけがした猫にも声をかけるのです。手をつないで歩いていると、まわりがどんどん広がって。 大きくなると困ったことや怖いことにも出会うようになりました。ここのところは、どの子にもあることで、友達から叩かれたり、顔をしかめられたり、犬にほえられたり、自動車は怖いし飛行機も落ちるし、ばいきんもうようよ、難しい勉強などで、とても大きくなれそうにないと思うぼくです。そのたびにおじいちゃんが助けてくれるのです。おじいちゃんは、ぼくの手を握り、おまじないのように吸うのでした。「だいじょうぶ だいじょうぶ」と。ぼくは何度この言葉をくりかえしたことか。大丈夫のおまじないを唱えていると、いつの間にかみんな良くなっていくのでした。友達とも仲良くなったし、車にも当たらなかったし、飛行機も落ちてこなかったし、難しい本も読めるようになったのです。 ぼくはずいぶん大きくなったけれど、おじいちゃんは年を取り、病気になりました。ぼくは、おじいちゃんの手を握り、言うのです。「だいじょうぶだよ おじいちゃん」と。 いとうひろしさんは、『おさるのまいにち』シリーズで好きな作家さん。この人の子ども目線はすっごいものがあります。実際、ご本人も飛行機が嫌いだとかで、落ちてこないようにと思われたのでしょう。自分の小さかった時に思ったことなんて、とっくに忘れてしまいましたが、この人は今も幼子の感性のままでおられるのでしょう。『おさるのまいにち』に登場するウミガメのおじいさん。それを待つこどもたちの様子がとってもよかった。この絵本と重なり合って、孫をそんな視線で見なければと自戒をこめて思います。 |
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![]() スーザン・バレイ作 小川仁央訳 評論社 |
『わすれられないおくりもの』ーーーこんな風に思い出してほしいものです 年をとったアナグマさんは、走れないのですが、友達のかけっこを見て幸せな気持ちになります。アナグマさんは、いつも友達に、長いトンネルの向こうにいってしまっても、悲しまないようにと言っていました。月におやすみを言って、アナグマさんはぐっすり眠って夢をみたのです。走れなかった足が、どんどん速く長いトンネルの中へかけているのでした。からだも軽くなって、自由に動けるのです。アナグマさんは、死んだのでした。 いつも頼りにしていたアナグマさんの死は、悲しまないで言われても、がまんができないことでした。動物たちは、集まって、アナグマさんの思い出を語り合いました。切り紙を教えてもらったモグラ。カエルは、スケートができるようになるまで、アナグマさんについていてもらいました。ネクタイの結び方を教えてもらったキツネ。ウサギの奥さんは、料理を教えてもらいました。 雪が消えるころになって、みんなはアナグマさんの思い出を語り合うたびに、幸せな気分になりました。これがアナグマさんの残してくれた贈り物だったのです。 自分も死んだ父母の年になって、父母の残してくれたものはなんだったのかとふりかえってみます。忘れていたたくさんの宝物があったんだと気付きます。老いや死は、誰もがおそれるものでしょうが、こんな引き際のすてきな死はいいですね。ある人は、アナグマさんのように、一晩で死ねたらいいけれど、長い闘病はつらいなあと言いました。たしかにそうですが、その中でも、何かを残したいと願います。このアナグマさんのように、みんなと幸せに付き合って、思いだしてもらえたらいいですね。 敬老の日って、生きているもののためだけにあるんじゃないって思いました。 細やかな優しいタッチの絵で、しんみりと語りかけてくれました。 |
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![]() 文・福井達雨 絵・馬場純子 偕成社 |
『おばあちゃんをすてちゃいやだ!』ーーー現実の高齢者問題と重なってつらい 日本にも、姥捨て山の昔話がありますが、これはパキスタンのお話です。「アッサラマレコム」は、「こんにちは」ということ。パキスタンという国も日本も、貧しかった時代、姥捨てや子殺しがあったんでしょうね。小さな村にタ-リックという子がいて、お父さんの牧畜の仕事のお手伝い。大家族で貧しいながらも力を合わせて生きていたんです。晩御飯のカレーとチャバティはとってもおいしい。みんなが集まって楽しく食事です。笑い声は、どんな食事でもおいしくするって、その通りでしょう。 タ-リックのおばせあちゃんは、耳が遠くなりましたが、聞こえにくくても楽しそう。幸せでした。 ところがお父さんが、大工仕事を始めて、おばあちゃんのベッドを作ると言うのです。おばあちゃんをそこに寝かせて、遠い砂漠へ捨てに行くって。タ-リックは泣くのです。おばあちゃんはぼくたちの家族だよ。捨てちゃいやだって。お父さんは言うのです。「この村では、働けなくなった年寄りは、捨てなければいけないと決められてる」と。お父さんは悲しそうに、涙をこぼします。ターリックは自分も連れて行ってと言うのです。「だって、お父さんが年をとったら、ぼくがお父さんのベッドを作って捨てにいかなければならないもの」って。お父さんは驚いて顔色を変え、捨てに行くのをやめて、年寄りを大事にしようと村の人たちに言おうと。よかったです。 この絵本は、重い知恵遅れの子どもたちのいる止揚学園で生まれました。福井達雨さんは、こう書かれています。「このおばあさんと、見学に行った先の老人ホームのおばあさんが重なって、子どもたちは泣いたのです」と。障害児は障害児だけ、老人は老人だけ、男は男だけなどというのは、アブノーマルな社会だとも。その人たちの立場に立って物事を考えたら、本質的な問題の解決が生まれると。この絵本は、重い知恵遅れの子どもたちの、人間として生きたいという叫びだとも。この絵本の絵は、本当に心を打つものがありました。 豊かになったこの国の中で、後を絶たないのは排除の論理です。「老人差別」という言葉をみましたが、差別と排除は、ほんとにつながっていて悲しい。能力主義が当たり前の日本は、役に立たないものを切り捨てる意識がはびこっています。敬老の日をきっかけに、子どもたちと考え合ってみたいです。自らを問うことなく、親捨ての犯罪をうんぬんできないでしょう。 日本の姥捨て山の話は、老人の知恵によって殿様があやまりに気付くという話。知恵深かったから助かったんですね。知恵がなかったら、どうなっていたことやら。この絵本のように、親を捨てることの非情さに気付いてのことではありません。 |
今回は、おじいちゃん絵本を紹介しました。次回10月1日は何の絵本にしようかと迷っています。
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