NO.70 2010.8.1
8月15日は終戦記念日との呼び名がポピュラーですが、終わった日と言う漠然とした言い方ではなく、無謀な戦争でいろんな犠牲を生み出した反省の日、負けるべくして負けた敗戦の日と言う言い方のほうがいいと思います。今回、子どもたちがどんなに悲惨な状況に置かれたか(勿論大人もですが)を絵本を通して感じていく中で、戦争を忌避する思考力が働き得なかった現実に情けなくなりました。
今回のページは、戦争って何だ、つまらないもんだ、戦争にしない向き合い方があるじゃないか、と感じてもらいたい絵本をとりあげました。外国の絵本ですが、なぜ戦争になったのかを、思いっきり風刺している内容を見て、国内の絵本があまりにも被害者的な立場を重点に描かれているものが多いのではと思いました。長谷川義史さんの、『ぼくがラーメンたべてるとき』のような、世界に視野を広げて戦争を知り、考えさせる絵本が、これからもっとほしいと思います。いつか来た道を再び通らせないためにも、幼いころからの感性の育ちが大切なんだと思います。せなけいこさんの『おひさまとおつきさまのけんか』も、戦争がなんてばかげた悲しいものなんだと子どもたちに感じさせてくれるでしょう。
8月6日、9日の悲しみを忘れない、被爆国の強烈なメッセージを期待しつつ。
![]() ハウゼバンク・グードルン 文 ユタイネケ・イング・絵 桑田冨三子・訳 くもん出版 |
『ハロー・ディア・エネミー!』 ーーこんにちは、敵さん! さよなら戦争! とても面白いサブタイトルです。敵さんに「こんにちは」というのですから、戦争なんて起こるはずはありません。いつでも、誰にでも、「こんにちは」と挨拶できたら、とてもすばらしい! 1ページは、みんなが手をつないでいて、それが果てしなく続いている感じ。これは、戦争がなくなって、こんなに楽しげに幸せになったのよということでしょうね。沖縄の人間の鎖は、抵抗の鎖、抗議の鎖ですが、この絵本の人たちはみんな笑っているの。 青い将軍と、赤い将軍が、川を挟んで向かい合っていたのですが、突然青い将軍が言ったのです。「赤いやつらは敵だ。大砲をぶっぱなせ」って。赤い将軍も同じように、「青いやつらは敵だ。大砲をぶっぱなせ」って。「何も、そこまでやらなくっても」と、青い兵隊も、赤い兵隊も、訳がわからなくなって。でも、赤い将軍は言った。「あの鼻で、毒を撒き散らかしているんだ」と。望遠鏡で覗いてみたかったけれど、それをできるのは将軍だけと言われて、しぶしぶ大砲にたまをこめた。青い将軍も、「赤いやつらのつのを見ろ。お前らを突き殺しに来るぞ」と言った。望遠鏡も見れない兵隊たちは、しかたなくたまを込めた。戦時中の大本営発表を思い出します。ほんとのことは知らせなかったんだから。 私たちは、ただただ怖い恐ろしいということだけで、戦争に引きずられ。この民衆と同じだったと思いました。 でも、打つの初めて、二人の将軍は吹き飛ばされたんですよ。青い将軍は、川へ。赤い将軍は農家の肥ダメに。するとみんな将軍なんてそっちのけで、服を脱いで川へ入り、楽しそうに。誰が誰か、敵か、味方か、見分けがつかなくなったのですよ、裸んぼうですから。そして、「こんにちは 敵さん!」と手をつないで躍り出したのです。 山に戻った兵隊たちは、大砲をごろごろと川に落とし、役に立たなくしたんです。そして、みんな兵隊でなくなって、町をつくり、子どもも生まれ、家畜も飼い。そこへ二人の将軍がやってきて、青い将軍は、豚の番を、赤い将軍は、薪割の仕事をもらったんだって。そのあとも、どこかの将軍が兵隊をひきつれてやってくるのを見たら、村人た勇気を出して言うそうです。「こんにちは、敵さん」って。だって、みんなが望遠鏡だって見ることができたのでしょうから。「ハロー・ディア・エネミー!こんにちは 敵さん!」と言えたのでしょう。知ることは大事だと、つくづく思います。 たまが当たったのは将軍だけ、というのがいいですね。でも、敵だ、撃てと言われたら、ほんとに敵だと思って戦争が始まってしまう、そこが怖いです。敵なんて認識ないんですから。だから裸になったとき、すぐに友達になれたんですよ。惑わされないで、何が敵か、何を見なければならないのか、自分の判断を大事にしたいですね。そんな市民に子どもたちを育てなければなりません。 |
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![]() エリック・パトウー・作 石津ちひろ・訳 ほるぷ出版 |
『せんそう』ーーほんのささいなことがきっかけで、戦争が 赤いお城と青いお城がありました。仲良く暮らしていたのですが、鳥が二人の鼻のてっぺんにフンを落とし、それを見て笑ったことが戦争の始まりです。赤い城の王さまは、人々にあれこれ難しいことをならべたて、最後は青い城が目障りだから戦争するって言うのです。青い城の王さまも、同じです。兵隊たちを行進させましたら、人々は素晴らしいと誉めたたえ、戦争に突入したのです。 でもなかなか赤い城の壁を砕くことはできませんでした。日が暮れると戦争は中断し、兵隊は無言で帰ってきます。人々は肩を震わせて泣きました。今度は、赤いお城の兵隊たちが、青いお城を攻撃したのですが、これもだめでした。そして、日が暮れて戦争は中断され、人々は悲しみの涙を流しているのに、戦争はやみませんでした。 名案がありました。どちらの城へも、穴を掘っていけばいいと、兵隊たちは掘り続け、いざ敵の城に入ったぞと思ったら、なんとお互いの城が変わっただけ。それからも戦争は続き、子どもたちのことをすっかり忘れて、みんな敵に捕らわれてしまいました。でも、王さまは、まだまだにらみ続けます。 その時、相手側に友達を見つけた子どもが駆け寄り、遊び始めたのです。兵士たちは、迷うことなく旗や槍を投げ捨てましたが、王さまは動こうとしません。平和なんて望んでいないからです。そこで、チェスを用意したところ、王さまは夢中になって戦い始めました。ゲームで決着をつけようなんて、いいこと考えましたね。 子どもたちの笑い声があふれていますが、王さまはどうなったのでしょうね。勝負はついたのでしょうか。今となっては昔のことと書かれてありますから、仲直りしたのでしょうね。よかったね。 戦争が些細なことから起こるという絵本ですが、今の現代の戦争は、こんな話じゃないです。ああ、ゲームで決着がつけられたら、傷つかないですむのにね。でも、迷うことなく武器を放棄した兵士たちの姿を、しっかり受け止めてほしいなあと思いました。武器を持たない大人に育てたいですよね、子どもたちを。 |
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![]() ニコライ・ポポフ・作絵 BL出版 |
『なぜあらそうの』 --かえるとねずみが、一輪の花を奪い合ったのが、戦いの始まりでした 表紙のカエルの表情がいい。一本の花をもって、ゆっくりと腰かけている。穏やかな野原のひとときです。文章がないだけに、たくさん絵がよめます。絵本とは絵の本ですから、絵本の原点ともいうべき絵本かなと思ったり。 その美しい花を奪いに、ねずみがやってきます。そこから戦いが始まるのです。カエルはねずみに仕返しを。今度はねずみが仲間を呼んできて仕返しを。文章がありませんから、二匹の表情から、会話を引き出してみます。「おや、ねずみくん。どうしたの?」「きれいな花が咲いているねぇ」「そうだろう、きれいだね」なんて、会話はとたんに次のページのねずみの、ちょっと目が厳しくなった表情へ。「なんで君が持ってるんだよ。こっちへよこせよ」と、とびかかるねずみ。取り上げた花の匂いを嗅いで、うっとりのねずみ。どうしようもないやと、両手を上げた様子を見たカエルが、「ナニスルンダ!」と、ねずみに飛びかかり、果てしない戦いになっていくのです。 我が家の7歳は、この絵本がお気に入り。せっかくのきれいな花をむちゃくちゃにしてしまう戦争に、笑いながらあきれていました。ねずみの機関銃を据えた車は、古靴。橋に、仕掛けをしてこわれるようにするカエル。カエルの車も古靴で、今度は落とし穴をつくったねずみ。落ちてしまったカエルに、ねずみの古靴戦車が何台も攻撃をしてきます。そこへカエルの古靴軍団が。なんとも凄惨な戦いが展開されるのです。そして、闘っているどちらもが、初めの出会いの表情と同じなんて、「たたかいごっこ」じゃないんですから、カエルの笑顔?怖いですよ。 残ったものは、破壊された古靴と焼け野が原。きれいな花もなく、やぶれたねずみの傘を持って、見上げるカエルのあーあと言う表情。しおれた花を持って、横目でカエルを睨んでいるねずみ。 タイトルの「なぜあらそうの?」に、どうこたえればいいのでしょうか。たくさん咲いていたきれいな花を、分ければ問題ないのに、独り占めしようしするから争いになる。とことんやり続ける意地の張り合いが争いをエスカレートさせる。花も家も何もかも破壊しつくさなければ終われないなんて、ほんとに悲しいことです。こんな意味のない戦いが行われないように、すぐに巻き込まれて逃げられなくならないように、子どもたちもこの絵本から学んでほしいと思いました。 |
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![]() トッド・パール・作絵 堀尾輝久・訳 童心社 |
『ピース・ブック』ーー平和ってなあに?どんなこと?どうしたら平和でいられるの? 世界のどこかへ、いつも戦争に出かけているアメリカの平和教育の絵本だそうです。一ページ毎に、素敵な言葉の提示と色彩豊かなわかりやすい絵があって、小さな子も楽しめる絵本です。表紙をみてもわかります。丸い地球の上には、いろんな国のいろんな肌の色や服装,髪形などなど、あって当たり前。表紙の絵から、トッドさんの主張が伝わってきます。 平和ってなあに 新しい友達できてうれしい。もっとつくろう。 水をきれいにしょう。お魚たちが待ってるよ。 いろんな音楽たくさん聞いて楽しい。 いたい!と言われたら、ごめんなさいと言えること。 お隣さんが困ったら、助け合うこと。 本がたくさんあって、わくわくすること。 大好きな顔を思うこと。 みんなが靴をはけること。 一本の木を大事に植えて、森をつくること。 みんなでお食事できること。 いろんな洋服着れること。 どんどん降る雪を、じっと見ていること。 あの道、この道、きれいにしよう。 友達と抱きあいっこしたらいいね。 みんながお家をもてたらいいね。 お花や野菜を育てよう。 ぐっすりお昼寝、いい夢みてる。 いろんな国の、いろんな言葉で、こんにちは。 みんなが、おいしいピザでおなかいっぱい お母さんに抱かれて温かい。みんなそうだといいね。 赤ちゃんニコニコ。もう一人にこにこ。 みんなのびのび、自由でいたい。 いろんなところへ、旅してみたい。 おやすみなさいお星さま。わたしのお願い聞いてね。 みんなちがって、いい笑顔。あなたはあなたのままでいい。 こんなだったら、とてもいいよねと思います。こうでなければならないのだと思います。人種や性別、国籍や宗教などの違いで、破壊や殺戮、差別があります。「みんな違って、みんないい」といった金子みすずさんの詩を思い出します。あの詩も、平和の詩ですよね。すごい視点をもった詩人でした。私は、『大漁』という詩が好きです。 |
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![]() 長谷川義史・作 教育画劇 |
『ぼくがラーメンたべてるとき』ーー離れた国で何が起こっているか、知らなければ 「ぼくがラーメンたべてるとき、となりの~~~」と続いて、初めのうちは笑っていた子が真剣な表情になるのです。となりでミケはのんびりあくび。その隣の家では、お菓子を食べながらテレビのチャンネル操作。その隣の家では、きれいなトイレで気持ちよくウンチ。その隣の家では、優雅にバイオリンのお稽古。隣町では野球の試合。そのまた隣の町では、女の子が卵をわってお料理。その隣の国では、男の子が自転車を漕ぎ。このページから画面のイメージが変わるのです。 日本の子が、みんなこんなにゆったりと幸せとは言えないけれど、赤ちゃんをおんぶしている姿は、皆無に等しいでしょうね。井戸の水をポンプでくみ上げるお手伝い。牛を引いて畑を耕やし、パンを街頭で売るなんてことも想像できないでしょうから、自分たちの生活に引き寄せてしっかり読ませたいなあと思います。でも、そのまた山の向こうの国で、倒れている男の子の姿に、子どもたちはどんな声をだしたでしょうか。 ある学校の3年生の子どもたちは、「倒れてる」「死んでる」と、こもごもに表情を暗くし、「なんで?」「死んだんか?」「お腹すいてるん?」と、口々に訊ねていました。次のページは、一面の何もない赤い空。「倒れてた子はどうなったん」と、「戦争か?燃えてるんか?」と、子どもたち。次のページは、倒れている子の上を、風が吹いているというのです。「やっぱり死んでやる」と言う声に、子どもたちの表情は深刻になり、ふーっと溜息が。全員の子が、何かを感じているようだけれど、言葉にはならないようでした。 終りに、ラーメン食べてる子の部屋の窓にも、カーテンを揺らして風は吹いていました。同じ風なのにね、なんて思うのはつらいですね。同じ空の下なのにと思うこのつらさ、子どもたちには難しいかもしれません。ミケが眺めている空の色も、同じなのにね。庭にある自転車も、隣の国の男の子のよりずいぶんいいものでした。 裏表紙に男の子が立って、歩いて、月が出ているのですが、救いでした。子どもたちは未来を変え、歩み続ける力をもっいるんだとのメッセージでしょう。世界の子どもたちが手をつながないと、そのためには状況を知らないと、知らせないとだめですね。同じ空の下ですから、すべての国が平和でなければと思います。希望をもって子どもたちを育てなければと思います。 こんな重い内容ですが、長谷川さんの絵だからすっと入りました。「かわいそう。でも、私らは幸せ」で終わってしまってはならないでしょう。平和も幸せも、自分が関わって生み出すものだと思ってほしいのです。この絵本、何年も読み続けて、子どもの意識がどう変わっていくか、我が家の7歳でみていきたいと思いました。 |
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![]() せなけいこ・作 ポプラ社 |
『おひさまとおつきさまのけんか』ーー「けんかも戦いになるんやで」小さな子の言葉です 表紙の絵が怒った太陽の顔と、フンと口をへの字にしている月の顔、裏表紙はそれにつきあった星と雲の喧嘩のかおです。幼い子にお馴染み、せなけいこさんの絵本です。鮮やかな色彩にひきつけられます。 太陽は沈む時間を気にして時計を見ています。遅れてきた月に、「おそいぞ!」と怒鳴りつけ、太陽の剣幕に、「ごめんなさい」が言えなくなった月です。こんなことよくあることですよね。家でも保育の場でも。引っ込みのつかなくなった喧嘩の場面をよく見かけますが、周りの子どもたちは、どっちかについて相手を攻撃したりしますね。なんでそうなったかは二の次で。ここでも応援団が登場。月には星が、太陽を非難して「ひどい」「そうだ、そうだ」と。次の日、太陽が昇るや否や月はプンと沈んでしまって。ペッと唾を吐く太陽。星と月は、威張りすぎの太陽をやっつけろ、これは正義の戦いだと息巻くのです。このページの絵が面白い。怒る月の周りの星たちの顔は、囃したてて楽しんでいるような表情。ここでも思い出します。口々に喧嘩の原因を推測しながら、むしろ喧嘩を煽るような周りの子の姿を。何か昔、この核は正義の核だからきれいだよと聞いたことがあった?核は核、怖いものだ、正義じゃないと思った記憶が甦ったり。 いよいよ太陽は、やっつける!と怒ります。周りの雲は、星たちと同じです。わーいと楽しんでいるような。太陽は怒って熱い息を吐きかけ、みんな燃えてしまい、月の冷たい息で、太陽も雲も、みんな凍って粉みじんに。地上では、小さな生き物たちが泣いていた。 私たちの地球では、こんなことないよね。まさか、まさか、まさかねーーー。せなけいこさんの思いはここだと、子どもたちにぶつけてみる。「あったら、あかーん」と、子どもたちは言うのですが。日頃の喧嘩に結んで、戦争のおかしさを感じてほしいなあと思います。 |
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![]() シルビア・フォルツァーニ・作 辻田希世子・訳 講談社 |
『くろいちょうちょ』ーー地雷ゼロキャンペーンを広げていこう これは地雷で足を亡くした子のお話です。地雷は、黒いちょうちょのように美しく見えたのです。知らないで触ってみてけがをした子、知らないで踏んでけがをした人たち。この物語の舞台アフガニスタンでは、ソ連がまいた地雷に多くの人たちが傷ついているのです。その戦争が終わった?いや、今も続いている。いったいどれだけの地雷を撒いたのか、こんなに人の命を奪い続ける権利はだれにもありません。まいた国が責任取れよ!と言いたくもなりますが、これが戦争なのですよ。ぜったい戦争はいやです。 このアフガンの小さな男の子は、楽しく遊んでいたのです。温かい大地を駆けまわって、元気に楽しく遊ぶ子らが、石の陰に見たこともない光る宝物を見つけるのです。それが地雷だなんて知る由もない男の子は、蝶の形しているので、飛ばしてみるのです。赤い光の中で、何にもわからなくなったぼくが、気づいたときには片足がなくなっていてーーー。 「もう、前みたいに遊べない」と、「もう一度走れたら!」と、悲しくて目を閉じて、足のあったころのことを思い出すぼく。読んでいて、この子の気持ちが胸に迫り、涙がでます。そのページの絵が、笑って飛び跳ねているぼくだけに、怒りがこみ上げてきます。戦争でまず犠牲になるのは、いつも幼い子どもたち、弱い人たちです。 私たち大人は、このことを伝えていく義務があります。今も続いていて、被害を及ぼし続けているからです。この絵本には、黒いちょうちょが地雷だと、はっきりとは書いていません。でも子どもたちは、本当に怖いものだと感じます。跳びはね期の子どもたちは、自分の身がそうなったらと、戦争の怖さを感じるでしょう。 |
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![]() さねとうあきら・文 井上洋介・絵 サンリード |
『きばのあるひつじ』ーー牙と牙の対決は怖いね 井上洋介さんの表紙のきばのある羊の絵は、迫力満点。さねとうあきらさんの文は、最後にどうなる事やらと唸らせる。すごく考えさせられる絵本です。我が家の7歳は、優しいはずの羊が、きばをもつようになったのが変だけどと。わけを訊くと、だって、怖くしないとオオカミに食べられてしまうから、子どもや年寄りが食べられるからと。その通りですよね。悲しいですね、仲間が減っていくのは。じゃ、牙をつけるのもしかたないか!でも、草食べられなくなったから、困ったと。 そこで、年寄りの羊が、口をあんぐり開けて言ったのです。こんな風に牙をはやしたら、と。とっくに歯の抜けた羊なのに、みんなびっくり。魔法じゃないよ、死んだ獣の牙をアラビアのりでひっつけたものだと、威張るのですが、一本はずれて飲み込んだり。でも恐ろしい顔つきに納得、みんなは競争で入れ歯をしました。オオカミは羊の肉をあきらめていなくなりました。平和になったんですが、困ったことに牙が邪魔をして草が食べられなくなり、シマウマが美味しく見えて、おしりにカプリ!シマウマはびっくりしてにげたのですが、おしりに牙がくいこんでしまったのです。みんなが羊を追いかけたのですが、張り切りすぎて自分の口にかみついたりしながらも、やっと何頭か倒すことができたのです。 でもこの時から、優しいはずの羊が、獣の肉を食べるようになり、ライオンやトラにも負けないような気分です。とうとう原っぱのけものを食いつくし、獲物を求めての旅に出た羊。牙をはやした羊が行進するさまは、なんともグロテスク。ギョロギョロした目の羊たちは、やっとカモシカのむれに出会いました。でも、どうしたことか、カモシカもライオンに食べられないように、牙をはやしていたのです。お互いにらみ合いで絵本は終わりです。カモシカの牙が、キラリと光っています。 弱いと思われたらつぶされる。じゃ強いふりするには牙ならぬ軍備が必要。でも相手もやっぱりそうしたのです。どうなります?殺し合いですか?それとも、もっと強く見えるものを考える?それとも羊は、弱い者は食べられっぱなしでしかたがない?平和って、どうすりゃいいんだと、悩みはてなしです。非戦を主張することより他にないと思いますが。 |
今回も「戦争」特集でした。次回は、お盆にちなんで「おばけちゃん」絵本を紹介します。
次回発信は、8月15日の予定です
8月2日 9:00から上六の高津ガーデン(教育会館)で、長谷川義史さんの楽しい講演があります。
『絵本が生まれる時』という演題での講演です。
ぜひ、ご参加ください。参加費は1000円です。
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