NO.69 2010.7.15
セミや蚊が登場する頃になると、思い出したように平和教育の実践
広島や長崎の悲劇も、日本の加害の歴史を抜きには語れないのだが
こぶしを振り上げて、誰に、どこに「戦争をやめろ」と叫んだのか、叫べなかったのか。『かわいそうなぞう』を読むたびに思う
沖縄も同じ 前線基地にして、同胞の命を奪ったのは誰かと、『マブニのアンマー』を読んで思う
今も国の中にある沖縄への差別意識 基地をとどめ置いているのは私たちだ
日清日露の戦争から続く、世界大戦での我が国の責任を、風化させてはいけないだろう
板門店で感じた南北分断のきっかけを作った責任の重さ
私は生まれたばかりだったけれど 過去のことと言って終われない
核爆弾を落したアメリカの罪は大きい、でも
中国で朝鮮半島で私たちの国は何をしてきたか、問われなければならない
韓国ソウルで、日本軍が独立運動を弾圧した後を辿る
西大門の刑務所跡に、平和を願い独立を叫ぶ声を圧殺してきた歴史を知る
平和への願いを、日々の実践に込めよう。
今も戦火で傷ついている子どもたちが、この地球上にいることをふまえて
7月15日、8月1日の2回に分けて、戦争や平和につながる絵本を紹介します。
①原爆の怖さ、空襲の怖さを知って、忘れない。世界のいろんな国でも、今傷つく子が。同情でなく、少しでも本質を捉えて!
②なぜ、戦争は起こるのか、考えてみよう。そして、平和について考えよう。
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『まちんと』 松谷みよ子・文 司 修・絵 偕成社 『おこりじぞう』 山口勇子・原作 沼田曜一・語り 四国五郎・絵 金の星社 どちらも、保育の場では、反戦平和の絵本としてよく読まれている絵本です。 『まちんと』の絵本では、原爆の炎が家々を焼くつくす様子が生々しく描かれています。もうすぐ三歳になろうとする小さな女の子が、原爆の炎にやかれて苦しんでいます。水が欲しかったのでしょう。その子に、お母さんはトマトを与えるのです。女の子は喜んで、「まちんと まちんと」言います。よっぽどおいしかったのでしょう。「まちっとください」「もうちょっとください」の意味だと思いますが、トマトは一つしかなかったのです。お母さんは、焼け跡へトマトを捜しに行くのですが、その間に女の子は死んでしまうのです。でも、鳥になって、今も広島の空を、「まちんと まちんと」と鳴きながら飛んでいるというお話です。絵が淡々と描かれ、詩のような文章です。よけいに悲惨さが伝わってきます。 『おこりじぞう』の絵本では、広島のある横町に小さな笑い顔のお地蔵さんがいました。「わらいじぞう」と呼ばれていた、とっても優しいお地蔵さんと小さな女の子の物語です。 広島は8月6日の原爆で、一瞬にして何もかもが吹き飛ばされ、「いたいよー たすけてくれー」と人々は泣き叫んではいずりまわっています。衣服も引きちぎられ、髪も皮膚も焼けただれて垂れ下がった人々の様子が描かれています。そして、起き上がれなかった人々が、黒い丸太棒のように転がっているのです。 横町のお地蔵さんも吹き飛ばされて、笑った顔だけが地面から覗いていたのですが。そこへ、小さな女の子が、ゆらゆらとよろけながらきたのですが、お地蔵さんのところで倒れてしまいました。お地蔵さんの顔を見て、「かあちゃーん 水が飲みたいよう」と、一生懸命口をあけるのです。でも、水はありません。そのうちお地蔵さんの顔が少しずつ何かを睨むように変わってきて、その目から涙をぽたぽたーー開かれた女の子の口に流れていったのです。そして、女の子はかすかに笑って動かなくなったのでした。お地蔵さんも、ぐらっと揺れて、小さな粒になって砕けたと。 何が怖いって、戦争ほど怖いものはありません。こんな絵本を、ぜひ読ませてあげたい。お母さんたちは、以前と違って、こんな残酷なものを読ませないで、夜寝ませんなどと言われる方が増えましたが、だからこそしっかりとアピールしていきたいと思います。戦争ほど怖いものはないのですから。ポケモンの世界はフィクションですが、本物はこんなものじゃないんだと、大人がまず意識していないとだめでしょうね。 |
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『かあさんのうた』 大野充子・文 山中冬児・絵 ポプラ社 バス終点の「くすのきまち」バス停に、一本の大きなくすのきがありました。親子のうっとりするような歌声を聴きながら、あの夜のことを思い出すのです。あの夜、広島が真っ赤に燃えて焼けた夜のことでした。くすのきの根元を、たくさんの人が逃げまどい、太い幹によりかかって眠る人もありました。くすのきは、自分が守ってあげなければと、おやすみを言ったのです。 その時、聞こえたのです、優しい子守唄が。ぼうやを抱いて歌っているのは、まだおさげがみの女学生。ぼうやをほっとけなかった優しいお姉さんでした。「かあ、ちゃん」と呼ぶぼうやは、顔中がひどい火傷で、目も見えないよう。「かあちゃんよ。ここに母ちゃんがいるよ」と、女学生は必死で子守唄を歌い続けていたのです。 やがて朝になって、ぼうやも、ぼうやを抱いたまま女学生も、死んでいるのをくすのきは見たのでした。くすのきは目をつぶると、今でもあの歌が聞こえてくるそうです。 教科書にも登場した作品だということですが、山中冬児さんの絵が優しく繊細で、この女学生やぼうやの思いを胸に沁み込ませます。絵本は絵の本であり、さし絵という言い方では終われない、文と絵のハーモニーがそこにあります。表紙の女学生の表情、目の見えなくなった坊やの顔を描きながら、いっぱいの愛情をこの二人に感じておられるのだと思ったことでした。 |
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『お母ちゃん お母ちゃーん むかえにきて』 奥田継夫・文 梶山俊夫・絵 小峰書店 むかえにきて!という声は、読んでいて悲鳴のように聞こえます。今どき、学童疎開・集団疎開を知って、体験したりした人は75歳以上の人。ほとんどの人が知らないでしょう。戦火の下を逃げまどうことも悲惨ですが、家族から離れて空襲のない所に半ば強制的に移住させられることも、悲しくつらいことでした。この絵本は、小学校中学年以上の子に読んであげたい、知ってほしいものです。 表紙の子どもたちの行進を見てください。足元は下駄です。運動靴なんていいものは手に入らなかった。腰に手拭いをぶら下げて、男の子たちです。兵隊予備軍です。裏表紙は、男の子も女の子も最敬礼。どこに?遠い疎開地に居ても、東京の皇居の方を向いて、毎朝挨拶をさせられたそうですよ。梶山さんのモノトーンの色彩が、物悲しく迫ってきます。表紙の裏は乾布摩擦で鍛える子どもたち。中表紙は、ご飯と汁だけの食事風景です。 子ども大人のようにお国のために尽くすんだというボクちゃんの健気さ。勝つために、勝つ日のためさびしいけど頑張ると、大阪から遠い島根県にやってきました。何十人が枕をならべて寝るのは楽しいけれど、何日かだけですよね。勝てばいつでも会えると頑張ったけれど、お正月が来て、家に帰りたくなった。ノミやシラミにかまれて痒く、そのころはガリガリにやせてあばら骨が出ています。食べ物の多い少ないでケンカ、いじめの毎日。弱いボクは、いつもいじめられ、ボクはさらに弱い子をいじめ、嫌になってきた。帰らしてと頼んだが、甘えるなと怒られ、逃げ出して線路の上でつかまった。「お母ちゃーん 迎えに来てぇ」 お父ちゃんも戦死、面会に来たお母ちゃんに抱いてもらったけれど、そのお母ちゃんも大阪大空襲で亡くなったのです。面会の日に、会ったばかりなのに、ウソでしょう?お国のためだ、早く大きくなって兵隊になれ!と言われても、泣けて、泣けて。一人線路の上を歩いて行ったボクでした。 大人の人に読んでもらいたい!子どもはこんな風に健気に戦争に耐えていたのだと。戦争のできる普通の国になるなんて、絶対いやです!食べ物がなくて、とんでもないものを食べている子どもたちを、笑わせないで! |
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『そして、トンキーもしんだ』 たなべまもる・文 かじあゆた・絵 国土社 『かわいそうなぞう』が、「可哀そう」で終わってしまう話だとは思いませんが、タイトルというのは、その作品の内実を語ると思えてなりません。「そして、---死んだ」という言葉が訴えるインパクトの強さとは、すごい違いがあるなあと、常々感じてきました。 戦時中、どの動物園でも猛獣を虐殺したのですが、この絵本の舞台である上野の動物園でもそうでした。『かわいそうなぞう』との違いは、前者が空襲がはげしくなったので、猛獣が暴れ出すと危険、と殺すことを正当化していることです。書かれた時は、まだ本土への空襲も始まっていないときなのに。それに比べて、この絵本では、国民を戦争に駆り立てるために、人気者のゾウを殺すのだと、役所の人は説明するのです。動物がお国のために死んでくれる。国民はお国のために犠牲を払うのは当たり前だということです。「何で殺されなあかんの」「動物園の人が言うように、爆弾の落ちないところに疎開させたらいいやん。せっかく仙台で預かってくれると言うのに」と、子どもたちは役所の人に腹をたてました。暴れ者のジョンが殺されて、トンキーもワンリーも、餌も水も貰えなくなって死んだと慰霊祭がありました。しかし、ワンリーもトンキーも死なずに、飼育係のおじさんのわずかな餌だけで生きていたのです。思い切って毒入りのじゃがいもを与えるのですが、トンキーはポンポンと跳ね飛ばすのです。---あとはぜひ読んでください。トンキーが死ぬまでの描写は、涙なしには読めません。人間を愛して、信じて生きようとしたトンキーの安らかな寝顔でした。 東京に爆弾が落ちるようになったのは、それから一年二か月もあとのことだったのです。 『かわいそうなぞう』のように、「戦争をやめてくれ!」との描写はありません。こぶしを振り上げて叫ぶことさえできなかった日本の愚かな戦争でした。もう二度と許さないためには、私たちに率直に意見を言う覚悟が必要です。流されないで生きなければなりません。 |
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『おれはなにわのライオンや』 さねとうあきら・文 長谷川知子・絵 ぶんけい出版 天王寺動物園のお話です。表紙は強そうなかっこいいライオンの顔。裏表紙には、ライオンの檻の前に、さねとうさんによく似たおじさんが。中表紙は、戦闘帽にたすき掛けのりりしい?ライオンが敬礼しています。戦うぞ!との並々ならぬ決意かしら。 ひもじくて、暇で、百獣の王もさっぱりです。餌もお粗末。しかし、非常時やから、とおじさんは言うのです。「非常時ってなんや?みんなを腹ぺこにさせることか!」とライオンは思うのですが。げんさんに尋ねると、「世界相手に戦争してるんや。人間も食うもんないんや。なにわのライオンやったら、応援せい」と言われて、ライオンはタテガミを震わせています。「日本の敵を片っ端から食い殺したるわい」と。チンパンジーも、兵隊の格好させられて、行進しています。ライオンは、「感心なやつや」と思ったのですが、闇の奥で鉄砲の音がして、血だらけのチンパンジーが運ばれてきて。ライオンは涙を流して唸り声をあげました。 トンキーと同じように殺されるのですが、ライオンは毒の肉で殺されるのです。違いは、「敵をやっつけるためにこれを食えというのか、おれもなにわのライオンや。きばりまっせ!」と言って、はりきって食べ、死ぬのです。トンキーは餓死しますが、ライオンはお国のために頑張ろうと食べて死ぬのです。どちらも切なくて、当時の民衆も、お国のためだったらライオンと同じ気持ちで行動したし、させられたと思うと、このライオンのいじらしさに涙がでます。 夏休みに読んで欲しい絵本です。 |
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『ななしのごんべさん』 田島征彦 吉村敬子 ・作 童心社 戦争中は、体の弱い人、障害のある人などは、お国の役に立たないと、はねのけるのが当たり前のようになっていました。この絵本のもも子ちゃんも、乳母車に乗っている生活です。身体が弱いのに、出征しなければならなくなったお父さんを見送る所からお話が始まります。大阪弁の優しい語りです。 ももちゃんの所に引っ越してきた双子の兄弟です。防火用水の氷を取ってきて見せてくれたり、優しいねんともも子ちゃん。お父さんが南方で戦死して、お母さんはものを言わんようになった。 双子の兄弟は、おじいちゃんの大事な植木を切って、怒られて松の木にくくりつけられた。大阪のおばちゃんが、布で作ったランドセルを送ってくれた。乳母車でこれ持って学校行くねんと、大喜びのもも子ちゃん。でも、歩かれへん子は学校に来んでよろしいという通知。もも子は戦争に役にたたへんから、学校行ったらあかんの?何でと聞くとお母ちゃんは泣きだした。双子の兄弟が人形つくってくれやった。お父ちゃんに似た顔やった。お母ちゃんが、くすんと笑った。人形の名前は、「ななしのごんべさん」。おじいちゃんの植木を、長いことかかって削りやったんや。 でも、とうとう空襲で、お母ちゃんは火のすごい風でとばされてしまって、双子の兄弟が乳母車を捕まえてくれたんやけど、どこもかしこも火が燃えてて、乳母車押して川へ入った。もも子が、ななしのごんべえさん人形を見せると、にこっと笑ろたけれど、----。 最後のページは、川に流れていくななしのごんべ人形だけでした。双子ちゃん、ももも子ちゃん、どうしたんやろうね。こんな子どもたちの命を奪うなんて、許せません。絵を描かれた田島さんは、堺市で誕生されたとか。ちょうどこのとき当たりでした、堺の大空襲は。1945年、私は9歳でした。そして、堺に疎開していて、焼ける堺の町の火の空を眺めていました。それから約一月後に、戦争は終わりました。 |
今回は「戦争」特集でした。次回 8月1日も、戦争や平和を考え合う絵本を紹介します。
次回発信は、8月1日の予定です
8月2日 9:00から上六の高津ガーデン(教育会館)で、長谷川義史さんの楽しい講演があります。
『絵本が生まれる時』という演題での講演です。
ぜひ、ご参加ください。参加費は1000円です。
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