陽だまり絵本通信 
NO,183  2015・7・15















  
                      戦争が、ますます現実味を帯びてきた 

 7月16日、「安全保障法案」可決されました。15日は、祖父である岸さんが安保で辞職に追い込まれた日。その仇を打ったというのでしょうか。
 戦争という、夢のようでいてそうではない出来事に、私たちは巻き込まれようとしています。1975年生まれのその人は、まったく戦争を知らない人です。その人の意のままに、戦争に加担する法案が、国会で決められようとしています。私たちがいくら反対の声をあげても、それは数の力できまるのです。「決るときには決めます」と言う昭和29年生まれのその人の頭の中には、私たち国民の姿はありません。恐ろしいことです。中でも、小さな子どもが、どれほどの犠牲を強いられたかは、知ろうともしないでしょう。NHKでさえ、特攻隊や戦災孤児をとりあげ、警鐘を鳴らしていると思います。
 今回は、小さい子の絵本と違って、集団疎開や空襲の絵本を取り上げます。


 
『お母ちゃん お母ちゃーん むかえにきて』               
                ーーー奥田継夫・文 梶山俊夫・絵 小峰書店

 表紙の絵は、大人の後ろから整列して歩く姿です。後ろ表紙は、大人の目線を意識して、頭を90.度に下げている場面です。思い出しました。国民学校1年生の当時、頭の下げ方が悪いと、棒で叩かれたのを。怖かったです。
 裏表紙には乾布摩擦をする男の子が。どの子の目も笑ってないのです。中表紙は、粗末なご飯に、「いただきます」をしているところ。集団疎開の子は食べられたのですが、どこへも行かなかった私など、学校から帰っても何も食べ物がなかった。しかし、親の所にいるのは幸せなんです。「戦争に勝つ日のために」と言って、おかあさんと別れる僕。こんな小さな子でも、ひとり一人が戦士だったのです。
 17時間かけて、やっと島根県へ。島根県のおばさんたちが、日の丸の旗を振って出迎えてくれた。「お母さん、さようなら。今日から勝つ日まで頑張ってきます。」と言ったものの、待っていたのは、喧嘩とシラミと空腹とさみしさだけだった。シラミやのみとの戦い。それは壮絶なものでした.ガリガリに痩せた体で、畑や道端に生えている草から始まって,ありとあらゆるものを食べた。ヘビやカエル、土や新聞紙まで、ガリガリ、ガリガリ食べた。
 食べ物の少なくなると、決まっていじめが起こった.よわい者がいじめられると決まって先生に言いつける。その弱い者は僕だった。先生に言いつけたと言っては、なぐられた。とうとう逃げて線路の上で捕まり、集団疎開に来ているのに甘えるなと。お父ちゃんの戦死が告げられた。面会の日、お母ちゃんに抱かれた。 お母ちゃん、早よ迎えに来てと、面会の日から毎日、拝むようになった。
 お母さんが死んだ。いくらお国のためだと言っても、涙が止まらなかった。そして、8月15日。帰る家もなくなって、ぼくは一人線路を歩いていた。「お母ちゃーん」と呼びながら。
 戦争こそが差別やいじめを作り出します。今、いじめが蔓延しているのは、そうした土壌の地ならしが進んでいるのではないでしょうか。


 『猫は生きている』
――ー早乙女勝元・文 田島征三・絵 理論社

 東京大空襲のお話です。空襲と言えば、人間だけのお話が多いだけに、このお話は「猫一家」も主人公のようなもの。猫の名前は「稲妻」といいます。昌男君が付けたのです。すばやく行動するから。稲妻には、4匹の子どもがいます。空襲の最中、4匹の子に食べさせるには、大変なことです。人間だって、食うや食わずの生活ですから。子を思う親の気持ちは、人間も猫も同じ。その思いを踏みにじる戦争というものに対して怒りが込み上げてくるのです。
 第二次大戦の東京大空襲は、B29爆撃機が300機、1667トンもの爆弾を下町に落としました。わずか2時間半の間に、10万人の命が失われ、東京の4分のⅠが焼けてしまいました。昌男と光代,おかあさんは、その中で、死んでしまったのです。たけど、稲妻と4匹の猫は、生き残ったのです。稲妻のしっぽを一匹が咥え、そのしっぽをまた一匹が咥えて、4匹ともお母さん猫と一緒に生き残ったのですから。
 空襲の様子は、書けません。それは悲惨としか言いようがありません。最後に、死んだ昌男のおかあさんの顔を皆でぺろぺろなめて、煤と泥だらけの美しい顔が現れて。お母さんありがとうと呟くのですが。稲妻を先頭に、4匹の子猫は逞しく生きていくのです。戦争は、すべてを奪いつくします。こんな危険が潜んでいる法案を、通していいはずがありません。

 集団的自衛権を安倍くんと麻生くんの仲好しに誰かが暴力を振るう.助けなければならないでしょうと開き直る総理。集団的自衛権の行使を、隣の家の火事を消しに行かねばと譬えた自民党議員。集団的自衛権は、15日に委員会を通過だとか。こんな例えばなしで国民がわからないのを、「この法案は、国民は理解できない」と、まるで理解能力が無いかの如くいう自民党議員。あなた任せにできないから、85%もの人が理解できないというのです。それても委員会を通過させると?  この通信を作っている最中に、強制的に法案は可決されました。自民党議員は駒の一つです。プライドも何もありません。

 

                           
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