陽だまり絵本通信 NO.163 2014.9.1         


            生きる力の根っこをつくる想像力ということ
       

 盲導犬が、数か所も刺された(8/27)というニュースをみました。でも、吠えることもなく、暴れることもなく、じっと耐えていたということでした。訓練を受けた犬は、わが身を守ることよりも、介助している人を守ると知って、複雑な気持ちでした。犬も痛くて、きっと鳴きたかったでしょうに。目の不自由なその人は、きっとわが身を刺されたような感じだったでしょうね。そんな痛みも想像できない、館なじることもない犯人が憎く、情けない人だなあと思います。この人は、盲導犬の瞳を、たくさんの言葉を発する瞳を、見てはいなかったのでしょうね。
 思いやりは、相手のいろいろを想像することなしにはもてませんね。想像できること、イメージすることは大事な力です。子どもたちに、そんな力を持たせたいと思うのです。絵本を読んであげるとき、絵を見て感じること、絵や言葉の後ろに隠れているものを想像することを大切にしてあげたらいいでしょうね。今から紹介する写真絵本、『クイールはもうどう犬になった』は、一枚一枚の写真を通して、クイールの気持ちや、周りの人たちの気持ちを想像できる、素敵な絵本だと思います。また、『どんなかんじかなあ』は、障害をもつ友だちのことを、自分に引き寄せて感じてみたくなった優しい男の子のお話。この子も、車いすの生活なんです。動けないこの子は、自由に動けることってどんな感じかなと、思います。小さい子には、ちょっと重い絵本かな。

  


  『クイールは もうどう犬になった』―――こわせたまみ・文 秋元良平・写真 
                                          ひさかたチャイルド・出版


 この写真のイヌが、クイールです。なんと優しさに満ちたきれいな目をしているのでしょうか。何かを訴え、何かを話しかけているような、大きな瞳です。柔らかな毛の手触りと、濡れた鼻先から聞こえる息使い。写真絵本は、クイールの命そのものを伝えてくれます。
 中表紙は、凛々しいクイールの姿ですが、次のページには、生まれてすぐの4匹の子犬が、お母さん犬のおっぱいを飲んでいます。ラブラドール・レトリバーという犬の赤ちゃんです。その中から、つぶらな瞳が話しかけてくる一匹の子犬。それがクイールでした。クイールは、訓練を受ける前に、親や兄弟と別れ、仁井さんというお家に引き取られました。人に甘え、人と馴染み、人と暮らすことがうんと好きになるようにです。人間も同じですが、気持ちをつなぎ合って生きていくことは、本当に大切なこと。それなしには、相手の心をわかったり、思いやったりできないからです。仁井さん夫妻と楽しく暮らすクイールの幸せな姿が、写されてありました。
 一年ほどすぎて、大きくなったクイールは、仁井さんたちと離れ、訓練所へ行くことに。車の後ろの窓から、おじさん、おばさんを見つめるクイールの気持ちが伝わってきます。心細かったクイールですが、訓練を受け、褒めてもらい、遊んでもらったりして、すっかり元気に。目の見えない人を助けて暮らしていくのですから、いろんなことを覚えなくてはなりません。一年半ほど経ったある日、目の見えないおじさんがきました。クイールのあたらしい相棒です。おじさんとクイールは、心からの友だちになりました。ふたりはいつも一緒です。
 盲導犬を傷つけたこの事件に、クイールは何を訴えているでしょうか。

   






 
  『どんなかんじかなあ』―――中山千夏・文 和田誠・絵 自由国民社

 この絵本は、表紙のかわいい男の子の語りで進みます。友だちの目の見えないまりちゃん。男の子は、自分も目を閉じてみます。すると、いろんな音が聞こえてくるのです。まりちゃんに言います。笑いながらまりちゃんは、「ひろくん、変わってるね」といいます。もう一人の友だちのさのくん。耳が聞こえません。耳栓をしたひろくんは、今まで気付かなかったものも、よく見えるのにびっくりします。例えば、お母さんのほくろの数も。別の友だちのきみちゃんは、阪神大震災で両親をなくしている。どんな感じかなあと思ったけれど、お父さんとお母さんを亡くしてみるわけにはいかないので、ひろくんはわからない。ひろくんは、きみちゃんに聞いてみました。さびしいだろって。そうでもないときみちゃん。ほんとかなあと思うひろくんでした。
 きみちゃんは、一日中、動かないでいてみたそうです。動けないって、すごいんだね。いつもの百倍くらい、考えたし、わかったこともあった。車椅子のひろくんって、学者みたいなんだね。実は、ひろくんは、車いすの生活なんです。きみちゃんに言われて、ひろくんは気づきました。「ぼくって、すごいのかもしれないね」そして、ひろくんは思うのです。動けるって、どんな感じかなあって。

 以前、ある中学校で、「車いす体験」を子どもたちとしたとき、車椅子を操りながら楽しそうに笑っている子に、聞きました。「そんなに、楽しいの?」と。「足が不自由でなくてよかったわ。カッコ悪かったでしょ、ぼく」と。何んといい返せばいいのか、一瞬戸惑いました。車椅子が格好悪いと思うこと自体が差別。車椅子の人の気持ちを考えるどころか、自分はそうでなくってよかったと思っているのですから。人の気持ちをイメージ化する経験が必要ですね。この絵本で、考え合っていけるかなあと思いました。幼い子には、ちょっと難しいかな。でも、その子なりの感じ方でいいから、読み合ってみてください。「どんなかんじかなあ」って。

         思いの続きです

  相手の気持ちがわかるということは、なかなか難しいことです。相手の気持ちを想像しないで、自分の気持ちをぶつけてしまうことは、よくあることです。親子の場合、特にそうなりがち。ここは原点に戻って、相手の気持ちをそのまま認めることから始めないといけないでしょうね。そして、「どんな感じかなあ、どんな気持ちなのかなあ」ですよね。
 あるお母さんからの電話でした。中学校を卒業した息子さんが、自分で選んできた工務店に勤め始めたということでした。お母さんは、高校に行ってほしいと思っていたそうでしたが、学校に入るのがしんどく、仕事につく道を選んだということでした。親の気持ちと子どもの気持ちは、なかなかぴったりとはいかないものです。親心を押し付けることは、結局、子どものやる気を削いでしまうと気付かれたお母さん。何年も前に、息子さんを連れて、講演会を聴きに来てくださったときからのお付き合いです。絵本の好きなお母さんで、息子さんにも絵本を好きになって、高校へ行って勉強してほしいと願っておられた気持ちもよくわかります。でもきっと、息子さんが結婚されて、子どもさんができたとき、絵本を楽しめる親になられるでしょうと思います。差し上げた絵本は、息子さんの傍にあるようですから。




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