列車で逮捕?


この日は朝5時に起床しました。老人ではないので,こんな早起きは普段はめったにしません。これは朝6時に発車するカンボジア国境行きの列車に乗るためです。この列車はカンボジア国境の30m手前まで運行されていると日本で情報を仕入れていました。(※1994年当時です)しかし,駅の切符売り場で 「ティーユットロットタイ(名付けてタイ国境停車場)まで下さい」 と言ったところ,駅員は 「何だって?」 と変な顔をしました。 「だから,タイ国境停車場まで!」 と言うと 「この列車はアランヤプラテートまでしか行かないよ」 との返事です。 「ほんじゃアランヤプラテートまでください」 と切符を買ってしまいました。日本での情報と違うではないですか。実は,アランヤプラテートの街の情報は何も持っていなかったのです。ま,行ってみりゃ何とかるでしょう。たぶん…


朝飯を喰っていなかったので駅前でサンドイッチとコーラを仕入れてから列車の席を確保しました。席はJRの各駅停車の列車のように4人向かい合わせのボックスシートです。しかしクッションはあまり効いていません。この列車でアランヤプラテートまで6時間も掛かります。私が痔主でなかったコトを神に感謝します。タイなので仏にも感謝しましょう。私が1人で座っているとタイ人の若者2人が同じボックスに座ってきました。列車は鐘の音と共にゆっくりと出発します。あぁ,なんとのどかで平和な風景なのでしょう。まるで「世界の車窓から」のオープニングシーンのようです


列車はボーベー繊維問屋街の裏をかすめ,サームセーン国鉄工場から東本線へと進路を変えて進んでゆきます。タイの車窓はいつも楽しみです。線路は完全に生活の場として機能しています。線路敷に洗濯物を干している人なんて当たり前で,線路際ぎりぎりには屋台が軒を連ねており,湯気が猛々と立ち上がっています。庶民の朝食の場です。しかし,タイの列車の便所は“タレ流し方式”なんですが…。しばらく行くと高層ビルの建設ラッシュが続きます。この地区はバンコクでいま最も開発が進んでいる地区で,郊外型のレストランやファーストフードの店も数多く点在しています。勿論,値段は屋台で食べるよりは数倍もしますが,結構はやっているようです。これが一種のファッションなのだそうです。バンコクの市街圏を抜けるとそこは一面に田圃の世界が広がります。日本の農村風景とどことなく似ているような気もしますが,タイは二毛作三毛作が可能なので,刈り取りをしている田圃の隣で田植えをしているような風景が見られます。しかし,似たような風景がいつまでも続くのでさすがに飽きてきました。同じボックスの若者とはこれといった会話はしませんでしたが瓶入りの“ハッカ油”を私に少し分けてくれました。顔に塗ると“すーすー”として気持ちがいいらしいのです。言われるようにやってみると“タイガーバーム”の様な感じでした。早起きしたので眠かったのですが,眠気が覚めてしまいました。タイ人はこういった刺激物が大好きです。


バンコクを出発して4時間くらい経ったときでしょうか,この和やかなボックスに突然事件が起こりました。いきなり私服警官が現れ,IDカードをかざし,仁王立ちになりながら 「おまえら3人!荷物を持ってこっちへ来い!」 (早口のタイ語で言われたのでよく判らなかったが間違いないでしょう)と言っているのです。そうこうするうちに今度は拳銃を持った制服警官もやって来ました。周りの乗客の視線が集まるのが判ります。一体何なのでしょう!私には全く訳が分かりません!警官はしつこく 「こっちへ来い!」 と言っています。私はタイ語で 「私は日本人だ!」 と繰り返し言いました。警官は 「おまえはこの2人とは関係ないのか?」 (これもタイ語だったので本当の意味は不明)といったので,私は 「関係ない」 と答えると 「パスポート!」 と言われました。言われた通りパスポートを提示すると 「ありがとう,おまえは座っていろ」 との事(でも顔が怖いよ〜)です。2人は警官に連行されてしまいました。一体この2人が何をしたのか私には全く理解できません。あやうく私も警官に連行されるところだったのです。近くの席のオババが 「災難でしたねぇ」 (これまたタイ語だったので本当の意味は不明)と言って慰めてくれました。これが綺麗なオネェチャンだったら嬉しくて色々とお話するのですが…


結局この2人は終点のアランヤプラテートまで席には戻ってきませんでした。


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