至元十九年十二月八日






 その男を召す命令を下した時も、フビライはまだ少し迷っていた。
 一代の英雄とはいえ、彼も人である。判断に迷うことはこれまでに多々あった。今以上の迷いなどは、掃いて捨てるほどあった。可汗位を異母弟アリクブカと争う決断をした時の逡巡などは、今の比ではなかった。それでも今回、角度の違う深刻さがフビライの冷徹な判断に留保させるのは、彼の貪欲な為人によるところであろう。
 迷った時、フビライはとりあえず前へ進むことにしていた。それは上天より来る蒼き狼の末裔たる彼にしてみれば当然の解決方法で、そうやって彼は、大元の王朝を開くに至ったのだ。
 実のところ、答えは出ていた。滑稽な話ではあるが、どうすれば正しいのか、その答えは明確すぎるほどであった。明敏なフビライでなくとも、それはわかったはずである。
 まだ召すべきではなかったのではないか。玉座で待つ間、フビライはそう軽い後悔に少し苛まれていた。
 その男を召せば、もう進むところへ進むしかないのだ。そして、その行きつく先は、男の死である。
 死は男の望んでいたことだから、男自身は後悔するはずがない。後悔するのは、むしろフビライの方であった。フビライはできれば、その男を仕えさせようと思っていたのだ。
 フビライは人材を欲していた。渇望といっていい。
 この巨大な大蒙古帝国(イェケ・モンゴル・ウルス)を維持運営するのは大勢の有能な人材が必要であった。それはいる。大元にも有為有能な人材はいる。だが足りないのだ。ことに、そのような人材を統括して、帝国全体の運営にあたる、宰相級の人材が足りない。
 大元は、これからまだまだ版図を広げるであろう。日本、安南(ベトナム)、占城(チャンパ)、緬国(ミャンマー)、爪哇(ジャワ)……。人材はいくらいても、充足することはないのだ。
 フビライの征服欲は貪婪である。それは地上だけでなく、人間にまで及ぶようであった。
 その男は、才能という点においても、威厳という点においても、誠心という点においても申し分はなかった。どうしても欲しい。フビライはそう思っていた。
 吉水出身。二十歳で科挙(高等官吏登用試験)に状元(成績第一位)で及第。その時に宋主より宋瑞の字を賜る。国難の危機に私財を投げうって義勇軍を編成し、迫り来る元軍と戦った。以後、瞬く間に右丞相兼枢密使となり、他の諸官との軋轢がありながらも、滅びゆ南宋を張世傑、陸秀夫らとともに支えた一人。ついには元軍に捕らわるも、節を曲げず、フビライに仕えることを拒み続けた。酷暑酷寒の土牢においてすでに三年の時を経ている。これがその男の経歴であった。
 三年。その男を捕らえてからもう三年が経った。
 その間、フビライはその才を惜しんで何度人をやって彼に仕えるよう諭したかわからない。捕らえておいた南宋の幼帝、大皇太后、皇太后の三宮に投降を勧めさせたりもした。南宋から投降した比較的その男と縁のある諸将に説かせしめたりもした。
 それでもなお、男は死を請うた。
 国亡与亡。男が口にした言葉である。国亡ぶれば与に亡ぶ。それが男の信念であるらしかった。
 馬鹿なことを。そう思う。才能とは発揮してこそのものだ。その男ほどの才能があれば、大元においても宰相の位を易々と手に入れられるはずである。それが自己のためでもあり、その男のためでもある。そのはずだ。それが一国の滅びるのに殉ずるなど、これほどの才能の浪費があろうか。
 その男のことを思うと、フビライは必ずそういう考えに行きついた。百官の前で玉座に座していてさえそうであった。
 フビライは少なからず、心中の憤りを抑えるのに苦労した。玉座の上で僅かに身じろぎしてそれに耐える。
 やがて兵士に連れられて、その男がやってきた。
 真っ直ぐに背筋を伸ばし、前を見て歩く。身を恥じて俯くわけではなく、天に逆らうが如く上方を睨むわけでもなく。
 そして、玉座に連なる階梯の前でフビライと対峙する。拝跪はしなかった。
「久しいな」
 フビライは男に声を落とした。
 男は無言でフビライの方に視線をやる。その涼しげな顔を見て、フビライは一瞬言葉に詰まる。
 死ぬために生きているその男を前にして、どのような言葉が彼を動かすのか。自裁も許されない境遇とあっては、生きるほかはない。故に男の生は忠義とは何かを示し続けるためのものではないのか。そのような精忠を前にして、あらゆる説得は無意味である。そのことをフビライは悟らざるを得ない。
 かくもその男の意志は固いものなのか。かくもその男の心は自由に出来ないものなのか。
 フビライの力は強大である。版図は広く、軍隊は精強。位は中華の天子にして草原の可汗である。史上、今の彼以上の権力を持った覇王帝王は少ない。
 しかし、その力をもってしても、男の意志を髪の毛一つほども動かすことは出来なかった。
 帝国の威令で、脅した。無駄であった。
 帝国の権威で、高位高官富貴を約束した。無駄であった。
 帝国の寛容で、大局の道理を説いた。無駄であった。
 それどころか、男はますます亡宋に対する忠義を深くしていったのだ。克Rにおいて、まさに南宋が滅びる瞬間を見せつけられても、その誠心は変わることがなかった。
 元に仕えないのであれば、この男ほど危険な存在はなかった。有能で人を惹きつける為人、そして不屈の精神。今や一身に亡宋の名誉を背負っていた。宋の亡霊を呼び起こすのに、これほどの適材はあるまいと思われる。故に、遁世させることも論外である。
 フビライは改めて男の顔を見た。
 眉目秀麗な容貌は、三年の虜囚生活においても変わらない。毅然とした態度は、捕虜であることを忘れさせる。奢らず誇らず怯えず、徳を以て立つ。士大夫としての完成体がそこにいた。
 やはり駄目か。フビライはそう思った。人材においても貪婪な征服欲だが、フビライはそれの潮時を知っていた。行きつくところへ行きついたのだ。
 だから、後は形式である。
「これが最後である。卿が朕に仕えるというなら、丞相の位をもって迎えよう」
 フビライは声を落とした。
 静かに男が答える。
「ただ死を賜りたく存じます」
 そうか、とフビライは頷いた。
「その願い、かなえてやろう」
「ありがとう存じます」
 そう答えて男が微笑した。その直後、僅かに口が動いたのが見えた。それは音にならなかったが、フビライにははっきりと聞こえた。
「わが事、畢れり」
 男はそう言ったのだ。
 その言葉が妙にフビライの胸に残った。フビライは、兵士に連れて行かれる男の背中に視線をやりながら、あの男に自分はどれほどの影響を与え得たのかと考えた。確かに体は捕らえたが、意志までは変えることが出来なかった。それは結局は、彼に負けたのではないのか。
 わからない。
 隆盛を誇る大元の天子が、亡国の忠臣の正確な心中など測り知りようもない。

  人生古より誰か死なからん
  丹心を留め得て汗青を照らさん(*)

 と結んだ男のかつての詩がそれを説く鍵かもしれない。どちらにしろ、文天祥という男の名は忘れられないだろう。そう思った。

                                                 〈了〉



(*)「人生誰にでも死は訪れてくる。私の誠心を披露して、歴史のうえで明らかにしよう」というような意味。「過零丁洋」より。  

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