不幸の手紙
「これを綾瀬君に渡して欲しいんだ」 利久がそう莞爾と笑いながら、一通の手紙を玲二に差し出した。 利久は玲二のクラスメイトで、さらに幼なじみと書いて腐れ縁とルビふる仲だ。 反射的に受け取ってしまい、しまったと思いながらも玲二は聞き返す。 「何だ、これは?」 「ラブレターだよ。頼まれものでね」 表面には綾瀬綾菜様と無骨な男の字で書かれてあり、裏面に差出人の名はなかった。 「頼まれもの?」 「三組の山田一郎君がね、昨日、渡して欲しいと頼んできたんだ」 「切手貼って赤い入れ物に出したら、日本全国どこでも送ってくれる赤いバイク乗りのあんちゃんがいるだろう」 「直接、本人に渡したいんだそうだ。向こうの親御さんとかに見られたくないそうだよ」 「なるほどね」 何となく事情はわかった。 三組の山田一郎という男が、綾瀬綾菜にラブレターを渡したい。それで、綾瀬と同じクラスである利久に頼んだ。人づたいなのも、恥ずかしいからなのだということで納得できる。山田という男は小心なのだろう。 だが。 「山田から利久はわかる。その後、利久から綾瀬の間になんで俺が入る?」 「やだなあ。そんなこと、僕が綾瀬君にラブレターを渡してると誤解されたくないからだよ」 俺ならいいのか? そこはかとない疑問が湧いてくるのを玲二は実感できた。 「じゃあ、そういうことだから。よろしく」 にこやかに手を振りながら、利久は去っていく。 「ちょっとまてーい!」 勿論、玲二は待ってくれなかった。 放課後。人気のない校舎裏 「どうして俺がこんな事をしなければならないのだろう」 玲二は、一人ぼやいた。 ポケットから、今朝方渡された手紙を見やる。何故自分が他人の恋文を渡さなければならないのだろう。 「自分のならともかく」 「何それ?」 不意に背後から声をかけられた。 うわっ、と叫んで玲二は振り向く。 そこに立っていたのは、綾瀬綾菜嬢その人であった。 「あ、綾瀬……」 玲二は口をパクパクする。 そこから、どうして、というニュアンスを嗅ぎ取ったのだろう。綾菜が疑問に答える。 「利久君がね、ここで玲二君が待ってるって言ってたから」 綾菜が莞爾と笑った。 これは、利久の好意だろうか。それとも単に状況を面白がっているのだろうか。利久を知る玲二には間違いなく後者だと確信できた。 「ん? あたし宛?」 遠慮も会釈もなしに綾菜は、玲二の手から封筒をとった。おい勝手に、という玲二の声は無視された。 「玲二君から?」 玲二は首を横に振る。 「三組の山田一郎って奴から」 「誰、その匿名希望な人。三組にそんな人いたかしら?」 「知らん」 「まあいいけどね。――でも、ちょっとがっかりかな」 綾菜が肩を竦める。 「何が?」 「玲二君からじゃなくて」 え、と玲二は思わず綾菜を見返した。 「だって、玲二君、あたしのこと好きなんでしょ」 いともあっさり綾菜は言ってのけた。言い方としては、だって地球って丸いんでしょ、と言っている感じ。 そんな簡単に俺の心中は見透かされるものなのだろうか。玲二はそう思った。 「ええと、試みに問うけど、その結論に至った確証みたいなものが過去の俺にあったのかな?」 「そうだなあ。普段、玲二君があたしをみる仕草とか、あたしと喋っているときの視線とか、たまにあたしを見るときの目の色とか、かなあ。他の人とやっぱり違うのよね。好きだよ綾菜〜、みたいなオーラを放っているのよ」 そんなところ、と表情一つ変えず綾菜が言った。 「そ、そうなんだ」 あはは、と玲二はかわいた声で笑う。 まあいいんだけどね、と答えながら綾菜が、手に持っていた手紙の封を切った。 こんなところで、しかも他人の前で人様の大事な手紙を開けるのはどうなんだろうと玲二は思った。それを言おうかなと口を開きかけたとき、綾菜がいいのよ、と微笑する。 「だって、どう考えたって山田一郎なる人物は三組に存在しないもの」 取り出した便箋を読みながら、綾菜が言った。 「へ?」 「はい」 戸惑う玲二に、綾菜が読み終えた便箋を差し出した。 「読んでみて」 「いや、しかし……」 「おもしろいことが書いてあるわよ」 綾菜が含み笑いをする。 玲二は、言われるままに便箋に視線を落とした。 前略、綾瀬綾菜様。 古崎玲二は相当に鈍感で奥手な男です。こんなことでもしなければ、一生、誰にも自分の気持ちを伝えることをせずに、女気なしで過ごさなければならないでしょう――。 「だから、幼なじみとして僕が一肌脱いだというわけなんだよ」 利久が、ウサギ小屋の前でニンジンをかじるウサギに向かって、滔々と語りかけていた。 「玲二の思いが成就するかどうかは神のみぞ知ると言ったところだけど、まあ何とかなるんじゃないかな。悪い奴じゃないからね。自分の好きな人に他人のラブレターを配送するようなお人好しだけど」 「そいつは悪かったな」 目に不穏な光を宿した玲二は、ぽんと利久の肩を叩いた。 おや玲二、と利久が立ち上がる。 「首尾はどうだった?」 悪びれる様子は全くなかった。事実悪びれていないからだろう。 「どうもこうもあるかっ! 謀りやがったな、お前」 「駄目だったのかい」 「そんな話じゃないだろ。だいたい、お前――」 「ああそうか、駄目だったのか」 「だから、そんなんじゃなくて――って、あれ?」 「別に駄目じゃないわよ」 「ああ、やっぱり」 「わかる?」 「そりゃあ、綾瀬君、玲二をよく見てたからねえ」 途中、いつから来てたのか、綾菜が会話に加わっていた。そしていつの間にか玲二が会話から外れていた。口を開いたまま突っ立っている。どうやら、そういう力関係なのだろう。 「さっき、あたしが玲二君があたしを好きなことに気づいた理由を言ったとき、あたしの気持ちに気づいたと思ったんだけど。つまりはそういうことなんだけど。気づいてた?」 不意に、綾菜が玲二をうかがう。 答えたのは玲二ではない。 「ああ、玲二は鈍いから。視点を変えてみられないんだ。逆に観察されてたってことに気がつくようなら、僕も一肌脱いだりはしないよ」 「そうね」 「でも、綾瀬君は薄々気づいてたんじゃないのかな? 僕が玲二の居場所を言ったときの笑みを見るとそう思うんだけど」 「まあ、それもそういうことね。満更じゃなかったら、行かないわ」 そして、二人は笑いあった。 玲二は、開けていた口をゆっくりと閉じた。 手紙に視線を移す。とっくに自分によって握りつぶされた手紙。途端、空虚な感覚に覆われた。視線を空に上げて雲なんか見たりする。 どこで、間違えたのだろう? やっぱり、この手紙を利久から受け取ってしまったからだろうか。 その思いは口にしなかったはずなのだが。 「僕と幼なじみになったからじゃないかな」 「あたしを好きになったからじゃないかしら」 利久と綾菜が莞爾と笑う。少なくとも、この手紙を手にとったから、というわけではなさそうだった。 〈了〉 |