思い悩むな
ルカによる福音書12章22〜34節
 平年並みに本格的な冬になったのだそうですが、風が吹くと体感温度は二度くらいは下がるそうです。暖冬異変がしばらく続いたので、その落差が一層身に沁みます。
 さて、わが家の朝食は毎日パン食ですが、食前の祈りを欠かせません。と言うより早朝聖書勉強会という方がぴったりです。私がまず祈り、次に今度行く大泉ベテル教会の属するベテスダ修道奉仕女母の会が編集する祈祷集を参考にしてちょっとしたクイズをするのです。
 それからようやっと朝食です。
 それも食べる順序がいつの間にか決まっていて、まず林檎と人参の搾りたて生ジュースを飲み、それからコヒーカップを口に運ぶ。
 サラダが必ず盛ってあります。ハム、チーズ入りです。今は夏ミカンと林檎まで盛ってあります。夏ミカンは、しばしば申し上げていますが、五年前土師に来て一番感激した風景の一つでした。それまでに夏ミカンがなっている風景を見たことは、二か所しありませんでした。萩の武家屋敷と島原の武家屋敷です。戻ります。
 サラダの脇には、黒ニンニクが控え目だが存在感を主張していて黒々と構えているので、必ず食べます。パンはトースト食パンを原則としています。私はパンにはマーガリン、妻はオリーブ油です。最後に蜂蜜入りのヨーグルトをスプーンで掬って味わう。
 終わった頃、朝のドラマ「あさが来た」の始まりです。冷え切った日本間に移ってあわててヒーターのスイッチを入れて、二人で見ます。
 もう後半ですが、熊本出身の宮川経輝牧師(大阪教会)と救世軍の熱烈な伝道者山室軍平との出会い、援助によるキリスト教への入信、信仰生活にはほとんど触れないのがNHKの方針だろうと思いますが、そうではなく広岡浅子にとっての信仰がひたむきな生き方の総決算として描いてほしいと熱望しています。
 朝食と聖書の勉強会は、信仰者としての「朝が来た」の出発です。健康と信仰は、後期高齢者候補生としての神に対する義務だと思っています。それでも体調を崩すことはしょっちゅうです。健康を保つことなく牧会はできません。
 今日の説教題名は、「思い悩むな」です。一番下の「な」がメッセージの鍵を握っています。この「な」禁止の副助詞です。
 私の好きな詩人、小説家、批評家の中野重治がいますが、彼の初期の抒情詩の「歌」の冒頭部三行を紹介しましょう。
 この詩も「な」の副助詞が鍵を握っています。

      歌
   お前は歌うな
   おまえは赤ままの花やトンボの羽を歌うな
   風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな

 どうですか。今日の説教題の「思い悩むな」の「な」を取ると「思い悩む」です。重治の詩の「歌」の「な」を取るならば、

   お前は歌う
   赤ままの花をとんぼの羽を歌う
   風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌う

 どうですか。女を男に入れ換えれば、みなさんの青春期の心情が想起されることでしょう。
 では、どうして禁止の副助詞「な」が鍵を握っているのでしょう。何々を「するな」という強い命令は、そうではなく異なる対象の何々にこそ向かえ、という強い命令でもあるのです。
 ところが青春の若者は、「思い悩む」と「歌う」という行為こそ紛れもない現実なのです。じつは壮年期でも高齢期でも思い悩み歌うことこそ現実なのです。
 今日読んでいただいた平地の説教の12章22節が指摘するように、「何を食べようか、なにを着ようかと」思い悩む毎日なのです。
 では、なぜ「思い悩むな」と「な」を付け加えたのでしょうか。
 ヒントは、25節です。「あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからと言って、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
 26節、「こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。」
 寿命の意味は、辞書的な意味の第一は、長い命ですが、その他にも意味があって、例えば「寿を奉る」という慣用句があって「長寿と健康を祝福、祈る」と言う意味があります。つまり寿命とは祝福された命のことです。生まれる時、死ぬ時、私どもは自分の決断で選ぶこともできない。自分の人生は自分のもの、責任を持って創り出すと言って豪語している人も、じつは自分の最後がいつ来るのか分からない。
 つまり、寿命は、私どもキリスト者にとって、神さまが贈ってくださったプレゼントなのです。だから生きている、生かされているのがうれしい、感謝ですという心からの神さまへの賛美の内に暮らしているのです。が、ついつい忘れがちなのが現実です。
 それでは、何々を対象として向かえと言われても、何々が対象なのか分からない人にヒントはないのでしょうか。
 28節をご覧ください。「信仰の薄い者たちよ。」 信仰が薄いとはどんな意味でしょうか。それは、ずばり、主の言葉と聖霊の助けを確信していないということです。イエスさまこそ主であると形式的に告白していても、忠実でない者、すなわち主の聖日礼拝すら重んじてない者たちなのです。
 キリスト者であっても、日曜日にも出勤がある、家族の計画がある、友人のため、しなければならないことがある、これが私どもの現実です。教会の礼拝にどうしても出席ができない日もあります。
 その時には、教会に行けなくても教会の礼拝がそのままあなたの背中にぴったり張り付いて、共にあることを忘れないようにしましょう。神の体は、あなたと共にある。その確信に揺るぎがなければ大丈夫です。日曜日教会はあなたと共にあり、あなたはまさしく神の体の一部なのです。
 このことがしっかりと心に収まっていれば、29節が新たに意味深く認識されるはずです。
 「あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと思い悩むな。/略/ただ神の国を求めなさい。」
 驚くべきイエスさまの発言です。当時のイスラエルの民衆のほとんどは、絶対貧困に喘いでいた人々です。彼らはこの発言をどう捕らえていたのでしょう。そして何を考えたのでしょうか。彼らが求めていたのは、「今日パンを与えたまえ」という祈りがずばり表現しているように、毎日のパンと水でした。これは二一世紀の地球の飢えている民衆にとっての現実であります。が、私ども日本キリスト者は、今日飢えている人は例外です。しかし飢えている人のひもじさ、惨めさ、悲惨な現実に限りなく近づく想像力を失っているので、持っているものを分かち合う喜びも分からなくなっているのが現実です。
 さて、イエスさまはどうしたか。民衆の切なる叫びに応えたのです。それが五千人の給食です。ほんのわずかなパンと魚を互いに分け合う体験を通して、その喜びを民衆は、知ったのです。荒野の40年の体験を思い出してください。マナを降らせてくださった神さまへの感謝の歴史なのです。
 「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」というマタイ伝のイエスさまの発言は、常に挑戦的であり衝撃的であります。これはまずパンと水だと考えてしまう私どもの深き思慮なしの一般的常識の全面的否定なのです。
 現在、良い暮らしを求めて西洋諸国へ殺到する中近東やアフリカの難民の群れは、彼らの頭上に舞う蝶に、ふと目を留めて微笑まないでしょうか。西へ北へと列をなす道路の脇に咲く野の花を見て、心和むことはないでしょうか。
 31節、ただ神の国を求めなさい。
 32節、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
 ここで神の国とは何かを問うことはもはや意味のないことです。神の国は神の国なのです。
 ひもじさ、客観的な惨めさを通り越して、まっすぐに求めなくてはならないのは、神の国だというのです。
 私は1960年(昭和35年)の大学に入学した18歳の時の安保闘争時代を今想起しています。ある時は朝食を食べることも忘れて、本屋に向かって走り、ほしい本を手に入れました。ある時は、昼ご飯を忘れて、映画館へ向かって走り、観たい映画を堪能しました。もちろん当時の学生たちは絶えずお腹が空いていました。
 なすべきものを優先したのです。食べることも忘れてつっぱしたのです。それは、いわば神の国を求めてつっぱっした青春でした。
 31節、 「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。」
 神の国ばかりか、食べるもの、着るものも与えられるというのです。世の世俗的価値観とは全く折り合わない、逆転の価値観なのです。
 イエスさまの結論に目を向けましょう。一番最後の33、34節をご覧ください。
 「自分の持ちものを売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
 私どもの人生は、二千年前のローマ帝国の迫害以来、天の中に生き抜くことなのです。
 地上の生をしっかりと生き抜くことは、そのまま天の中に生き抜くこと、くださった神の国を生き抜くことなのです。
 土師教会の豊かさは、イエスさまと共にあるのです。ハレルヤ。
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