使徒信条(2)
コリントの信徒への手紙1 15章1〜8節
 みなさんは、まどみちおという詩人の名前をご存知でしょうか。まどみちお、そんな名前は聞き覚えがないなあ。という方も、この詩人が書いた童謡「ぞうさん」は知っていらっしゃるでしょう。 

   ぞうさん ぞうさん 
   おはなが ながいのね
   そうよ 
   かあさんも ながいのよ

 保育園以上の子どもならば、誰でもこの歌を歌えると言ってもいいほどです。なぜでしょうか。この歌の繰り返しの多い歌詞が覚え易いからでしょうか。メロデーが覚え易いからでしょうか。
 どうもそれだけではないようです。大きくて力持ち、おとなしくて、鼻を手と指のように自由に使う象さんの器用さと動作に親密な友情を感じるからのようです。絵本やテレビなどから知識を得ていますが、決定的なイメージは、動物園で直接あるいは絵本テレビなどの動物園に登場する象さんから知識を得ているからでしょう。そこには戦う象さん、病気で苦しんでいる象さんはいません。ですから動物園に行くなら、会いたい、見たい動物のベスト5に間違いなく入ります。おとなにとっても子供に見せたい動物ベスト5です。
 一方、おとなたちの世界では、邪念が入って、例えば「鼻(の下)が長い」は、良からぬことを考えている抽象的な意味に転換しますね。
 そうではなくて鼻が長くて器用なのが子どもにとって象さんの見どころなのです。
 おとなならば、「鼻が高い」は、具体的でもあり、抽象的なのです。クレオパトラの鼻がもう少し、ならば、云々。わが家の息子、娘は出来がいいのが鼻が高いのです。
 が、まどみちおが表現した象さんは少し違うようです。象さんに対する前提観念・イメージがない。手と足に代わって器用に鼻を扱う象さんを描いたのではなく、母親の長い鼻と子供の長い鼻に焦点を絞って、「長い鼻なんて気持悪い」という差別や偏見もここにはありません。お母さんと一緒の長い鼻を持っている子どもの象さんが、喜んでのびのびとして遊んでいる姿が描かれています。象さんに固有の価値を与えられた動物として平和共存ができるのです。
 つまり、子どもたちは、まどみちおの描く愛の充満する聖母子像から子守歌を聴いているような幸福感に満たされるのです。
 まどみちおの104歳の生涯を追っているとたくさんのこの世に生きる者として政治、経済、文化、社会の構造と質に不満や違和感を抱いたとき絵を描いたのだと語っています。そして、50歳から2年間は、詩を書くのも忘れて、鉛筆と色鉛筆、水彩絵の具、定規などを使って詩ではなく絵を描くのに熱中しました。その道は言葉に詰まった詩作の向こう側の言葉以前の世界と向き合うことだったのです。これはすぐれて宗教的な宇宙との対決もしくは交わる態度です。これがまどみちおが残した抽象画なのです。
 200枚、戸棚の中にしまってありました。他者に見せるためではなく、ひたすら自分の魂の世界を探究したのです。今では画集として公開されていますから、興味のある方は手にしてください。象さんの世界からは何十万年も遠い彼方から訪れた光と影と円と線や三角形、不思議な螺旋形などで描かれた抽象画です。
 対象である物の本質を徹底的に追求した詩人は、魂の呻きや悲しみの声を黙示したのでしょう。
 その後再びあらたに言葉の世界に戻って来たまどみちおは詩人としての後半生を、言葉を徹底的に吟味した、宗教性を帯びた詩も書き続けていったのです。
 宇宙の太初(始り)の場面である旧約の創世記の第1章が言葉で書かれた秘密を、おそらくまどみちおは知ったのでしょう。「初めに、神は天地を創造された。」 その創造の奥義に、この詩人が巡りあったのだと思います。まどみちおはキリスト者であったという話を聞いたことがありますが、確証を得たわけではありません。どなたか追跡をしてください。
 さて、今日の主題は、復活です。日本語では、甦りです。黄泉(黄色い泉と書きますが、おそらく闇の変化の読みでしょう)から帰って来る意味ですが、明治の翻訳者は黄泉という古事記の表記を採用するのは、誤解が生じるから「陰府」という漢字を採用したのでしょう。が、両者とも意味は、「死んで行く所、死の領域」です。が、仏教が言う地獄とは異なるようです。またカトリック教会が作り上げたところの「煉獄」とも異なります。
 こうして、「陰府(暗い政府)」は旧新約聖書に登場したのです。ヘブライ語の「ハーデス」という訳語として相応しいのが「陰府」であるとして採用した明治のキリスト者たちの労苦には頭が下がります。
 使徒信条の5行目は、「死にて葬られ、陰府にくだり、」 です。旧約の時代には、ここが終着駅です。が、使徒信条では、続いて6行目があります、「三日目に死人のうちよりよみがえり、天に上り、全能なる神の右に座したまえり。」 です。「天にのぼり」は、パウロが絵に描くように詳細に報じています。
復活です。言うまでもなくこれはキリスト教の生存理由です。 イエスさまのゴルゴダの十字架の刑場から男の弟子たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。最後まで見届けたのは、女性たち、そして百人隊長のような役人たちと兵士であった。
 弟子たちは数人が一緒になって官憲の追跡を逃れようと必死だった。あるいは酒に溺れて自分の裏切りから生じた罪責感を忘れようとした。彼らに襲いかかった絶望はいかばかりであったろうか。その彼らは、復活のイエスさまが現れても容易には信じようとはしなかった。愚かなことに、気が付かなかったのです。
 その弟子たちがどのように立ち上がったのか、絶望から確信の希望への変化を物語る歴史的資料は一つもない。しかし自己に徹底的に絶望することは、神さまとの会話の契機にもなるのです。旧約のヨブ記が典型的にそれを物語っています。復活に関する資料が一つもないこと、それが信仰と密接に関わっているのです。
 ペテロ、ヤコブ、ルカ、ほとんどの弟子たちが後に殉教したという伝承が残されたのですが、その詳細な資料も残されてはいません。
 が、この出来事を、集団的幻覚あるいは幻想だと片付けてしまうのは不遜でしょう。パウロをはじめ復活したイエスさまを証言した弟子たちの活動を中心に原始キリスト教が成立したのは歴史的事実なのです。その事実だけでもイエスさまの復活の出来事は歴史的事件であったことは明らかです。
 今日のテキスト、コリント信徒への手紙1の15章2節以下をもう一度読みましょう。
「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。」
 キリスト教信仰は、じつは文字通り素朴な、純粋な信仰なのです。そうでなければ二千年も前の絶対的貧困に苦しんでいた底辺の民衆は耳を傾けなかったはずです。
 詩人・まどみちおは、政治的、経済的、文化的、社会的な関心が旺盛な知識人でした。それ故一時的には言葉(の論理)に絶望して言葉の向こう側に飛び込んで行ったのです。そして言葉以前の、言葉を越えた世界である宇宙の神秘を支配している神との出会いを経験したのではないかと思われるが形跡が感じられるのす。そしてそれ故に言葉の世界に再び帰って来て、あらためて徹底的に言葉を吟味して詩人としてさらに成熟して行ったのです。後半の詩には、神の恵みの光が葡萄の房の一粒一粒に滴のように光っている作品もあるのです。そうした神の光が暗示される作品に触れることができるのです。
 結論です。私どもキリスト者は、言葉の論理を過剰に信じてはなりません。同時に言葉の論理を大切にしなけれなりません。そうしなければ、現代人としての責任は果たせないでしょう。
 が、もう一度言います。信仰は、じつは文字通り素朴であり、純粋なのです。
 この信仰を貫いて、多様な文化を生きる世界の人々との平和共存の道を懸命に切り開いて行きましょう。
 イエスさまの力強い声が聞こえます。
 「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
 まどみちおの詩にあるように、私どもに与えられている神の恵みの滴をこの世に光らせていかねばならない。それが私どもの任務であり証しなのです。
 祈ります。
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