使徒信条(1)
創世記1章1節
 分厚い聖書の第1頁を開くと、目に飛び込んでくるのは、「初めに、神は天地を創造された。」 という書き出しの言葉です。キリスト者の母親の読み聞かせならば、幼子たちは、目を輝かしながら、何事だろうとドキドキわくわくしながら耳を傾けるだろうと思います。幼子は、この神話物語をどんな絵を描きながら聞くのでしょうか。
 そして私どもキリスト者は、この一行をドキドキわくわくして聞いてあるいは読んでいますか。
 日本の義務教育を受けている子どもたちは進化論を基にした科学万能主義に毒されているので、「ふうん、それで先生は何を言いたいのかなあ」というぐらいにしか反応しません。日本の小学校の先生方の大部分も、宇宙や地球の出現をめぐる創生神話物語をどういうように受け止めるかの訓練をしていませんから、例えば日本の『古事記』の場合、冒頭の創世神話がどう書かれているのか全く勉強もせず関心を寄せないのです。
 幼子たちの目の輝きは小学校の高学年期になると、たちまち失せてしまうのです。理由は、大人の目が輝いていないからです。
 書き出しの「初めに」の初めは、次に、に続くの「初めに」でしょうか。つまり時系列の時間の順序として読むのが正しいのでしょうか。文語体聖書では、「元始(もとはじめ」(原始時代の原始ではありません)と書いて「初め」とルビを振っています。漢訳聖書では「太初」です。
 これはどんな意味でしょう。時系列を遙かに超越した根源的な本質的な元の元に於いて、という意味なのです。命の起源の遙かに於いて、と言ってもいいでしょう。はるか彼方の本質的な決定的な「時」に於いて始まった宇宙の物語は、唯一の神さまの御心が創造されたのです。神々の議論の結果ではなくて、唯一の神さまの内的必然性から出た激しい思いの実現だったのです。
 そしてずっと後から人類が出現した、(じつは創造された)のですが、宇宙の歴史から見ればずっと後の物語の一部にしかすぎません。その人類が言葉を生み出した(じつは与えられた)のはそのまた後の物語です。そしてその言葉を通して人間になったのです。言葉を持つ人間が、創世記1章26節(2頁上段)「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」 と言われて、27節、「神にかたどって創造された」のです。そして人間は言葉を通して神さまに応答できる存在になった。その結果、アルタミラ洞窟に描かれた絵画ではなく、言葉を通して神さまと人間の応答を書き記した歴史物語が旧新約聖書なのです。
 なぜなら言葉は意味と発音を合わせ持つもので、この言葉を通して、宇宙や地球、神と人間の関係を描くことができるからです。が、理解が完全にできるかというと限界があることは信仰者の私どもがよく知っています。信仰とは絶対信頼をいうのであって言葉の論理思考を飛躍してあちら側に飛び込んで行くことだからです。
 今日の説教題は、「使徒信条(1)」 ですが、すでに内容に入ってしまいました。ではなぜ「使徒信条」を取り上げたのか。それは毎週の聖日礼拝で称える私どもの信仰告白である使徒信条とはそもそもどんなものであるのかを再確認しようと思ったからです。
 使徒信条は、旧新約聖書の精髄を短い文章にして表現した信仰告白です。土師教会では、週報の裏に載せてあります。「使徒信条」は、もともとラテン語で書かれてあり、日本の聖書では文語訳のままです。というのは、明治期のプロテスタントの信仰告の息遣いを重んじているわけです。
 使徒信条という名の通り、原始キリスト教の使徒たちが作った信仰告白であると信じられてきたわけですが、そういう学問的な証拠はありません。二千年前の使徒時代、教会が産まれつつあった時代に、使徒たちによってあるいは教会によって広く受け入れられていた公(共同)の信仰告白であったという、つまり共通理解として教会が伝えて来たという事実が重たい信仰告白なのです。
 信条という言葉は、ラテン語の「我信ず」(クレド)という言葉から来ています。原始キリスト教時代のエフェソ、アンティオケ、コリント、ローマなどの各教会ごとに信条があったようですが、次第にローマ教会が力を持って来て2世紀末頃までにはローマ教会がそれらをまとめて編集したようです。そして6、7世紀頃には、現在の文章にほぼなったと考えられています。
 ですからほぼ二千年前の信仰の実体を残していると思われます。ということは現代人の理解を越えた表現があるかもしれないということです。
 私どもは、毎週この使徒信条を口に出して告白をしているのですが、ぴったしかんかんという実感があるでしょうか。
 私には、もはや比喩としてしか読めないという個所(表現)がありますから、この機会に問題を整理して一緒に考えてみようというのです。ほぼ二千年前の信仰告白をどのように共有できるかドキドキわくわくしています。まるで幼子のように。
 まずは冒頭の「天地の造り主」です。戦後私は小学生の頃、夕焼けが特に好きでした。埼玉大学(旧制浦和高校)の構内、と言っても草原でした。1945年(昭和20)3月以降のある日、稀当たりでしたが、高射砲で墜落したB29の機体とパラシュートで脱出した米兵が捕虜となった草原です。
 その悲惨な光景とは無関係に、真っ赤に染まった美しい夕焼けの空は夢のように広がっていました。あの向こうに神さまの住んでいる花園があるのだと信じていたのです。信じられたのは、カトリック教会に併設されていたみどり幼稚園に通っていたせいでしょう。幼子の心に刷り込まれたのは、戦時中の炎上するわが家の真っ赤な炎と、真っ赤な美しい夕焼けなのでした。火事は恐怖として美しい夕焼けは憧れとして、別々に共存していったのでした。美しい夕焼けは、まさに神さまの国の門の前の緞帳なのでした。
 次に「全能の父なる神」という言葉が出て来ます。信仰告白という文脈を取っ払って読むと、勝手なことが言えます。万能の神さまが「戦争を止めろ」と命じたら戦争は姿を消すか。万能の神さまがお創りになられた人間なのに、神さまに背いて勝手なことをして反省をしないので、絶望して追い詰められた神さまは自殺するか、とか、自分に都合よく考えることとは全く違うのです。もう一度よく御覧ください。
 「全能の父なる神を信ず」なのです。文字通りすぐさま何でもできる神さまだったら人間をお創りになれたなられた意味がない。命令すればいいから。それであれば、言葉を通して神さまと応答する人間を創られた本質は、意味を失う。人間は自分を創られた神さまを前にして、対話を繰り返し、ある時は励まされ、ある時は慰められて赦されて、また前進する。生きる喜びはそこにある。感謝していつも喜んでいる人生を生きる。それが人間なのです。
 しかし、人間の現実はと言うと、神さまにしばしば背く、罪を犯すのですが、父なる神さまは、そんな人間をたえず見守って立ち直らせよう、立ち返らせようとなさる。これが神と人間との応答する関係の本質なのです。
 ただし私は、「父なる神」という表現が権威と力を表すのに適切だということにはならないと思います。私は「父なる母なる神」と言い変える方が二一世紀的だと思います。男性的とか女性的とかいう表現がもう古くて通用しないのと同じです。
 さあ、肝心の「全能」ですが、創られた側である人間が、自分の限界を実感するとき、すなわち前後左右を厚い壁に閉ざされ、光を失い、ついに絶望するときに、絶望を越える力を与えてください。希望を持つ力をお与え下さいと祈る時、あるいは祈る力をお与えてくださいと神さまに顔を上げて、呻いているときに、絶望を打破する契機を与えてくださると信じるのが信仰です。人間が不可能に包囲されたときに、不可能を可能に転換する契機を与えてくださるのです。それが具体的に何であるのかは今分からないが、それを信じるのです。「全能の神を信ず」とは、こういう意味です。
 私どもキリスト者の一人一人は、神さまの支配する歴史の頁の一齣どころか一瞬に過ぎないでしょう。しかし、これが絶望の理由にはならない。神さまは、子供である一人一人の名前と生涯をご自身の掌に刻み付けていてくださると断言しているからです。女が乳飲み子を忘れないように、父であり母である神さまは、見守ってくださっているのです。
 本日は、使徒信条の第1行目に焦点を絞って勉強をしました。712年(8世紀)に刊行された『古事記(ふることふみ)』の原文の意味を理解できるのは現代語訳の翻譯を通してであるように、使徒信条もそうです。が、日本では、古代からの使徒信条がありません。辛うじて神道の祝詞が伝えられていますが、祈祷文の一種と言えますが、あれは断じて信仰告白ではありません。
 二千年の伝統を伝えている使徒信条の深さを手に取るようには理解はできませんが、本日は、使徒信条の息遣いには触れられたような気はしませんか。
 最後に皆さんと共に、週報裏の使徒信条を称えましょう。

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