人生の半ば
ヤコブの手紙 1章9〜11節
 日本人は人生論が好きだとしばしば耳にします。ほんとうかどうかは分かりません。が、演歌の世界では、大物歌手になると、皆さんいわゆる人生を賛歌する演歌を唄いたがります。小林旭、美空ひばり、などなどです。「人生っていいものですね」などとしみじみ歌い上げて自分(たち)の人生を肯定したがります。日本って結局思いやりがあるいい人達の世界なんだと言いたがっているようです。
 が、一方では恨み、悲しみ、傷心(傷ついた心)、別れなどを唄ったものがたくさんあります。むしろこちらの方が演歌の主流なのではないかとさえ思われます。
 川端康成の『伊豆の踊子』の中で旅芸人一行と同じ宿に泊まって、道中先に行ったり、追いついたりする学生さんのことを思い浮かべて、旅芸人一行の中の娘(薫)は、「いい人はいいね。」 と無邪気に明るく言い放ちます。有名な場面ですが、よく考えると、「いい人」の定義があるようでない。
 人生を賛歌する演歌も、「人生っていいものですね」って何のことか、基準も原理も、ようするに定義がない。この曖昧さ、その中でやりとりしている私ども日本人を私どもがどう考えどう評価するのかによって、日本人の人生観が見えてくると思います。少なくとも善い人生と悪い人生という分け方がない。人生と神仏との関わりを問う視点は全くない。そんな堅苦しいことと人生の機微や味は関係がないという答えが返って来そうです。あるいは晴れの日も嵐の日もあってこそ人生だというきわめて即物的な考え方がそこにはある。少なくても演歌には、人生とは何かという問いの中に宗教的な視点が関わる余地がない。せいぜい随筆「方丈記」の「とどまりたる例なし」という無常感覚程度なのです。
 さて、聖書には、「人生」という言葉は何回出てくるでしょうか。意外なくらい少ないのです。旧新約を通して五回のみです。
 詩編90編10節、「人生の年月は70年程のものです。」 これは長くてもせいぜいという意味合いが込められています。
 箴言10章27節、「主に逆らう者の人生は短い」とあります。
 ルカによる福音書8章14節、「途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて」とあります。
 そして最後が今日のヤコブの手紙の二か所です。1章の9〜11節には、「富んでいる者も人生の半ばで消えうせるのです。」 とあります。
 しんがりは3章6節(424頁)、「舌は火です。舌は『不義の世界』です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。」 とあるのです。
 大雑把に言えば人生そのものが良いとか悪いとかという批評は全くなくて、人生をどう生きるのかが重要なのだと聖書は間接的に言いたいのではないでしょうか。つまり人生を支えているもの、人生を見守っているのが神(主)であると言っているのです。
 ならば、ヤコブの手紙そのものはどんな手紙なのでしょうか。イエスさまの兄弟のヤコブが著者だと長らく伝承されてきましたが、この手紙の文体はよくこなれた文学的にすぐれたものなので、ほんとうはヤコブの名を借りた無名のユダヤ人キリスト者なのだと思います。手紙ののっけから、「神と主イエス・キリストの僕であるヤコブが」と断って、離散している十二部族のユダヤ人に書き送っているということは、おそらく著者はギリシャ語の達人であり、散らされた人、もしくは外国人である可能性も高い。ということは、現在の私どものように神の家族となった外国人を含むキリスト者の群れ宛てに書かれた手紙であると言えるのですが、これはあまりにも私どもに都合を合わせた解釈かもしれません。いずれにしても、ヤコブの手紙は、人種、国籍を越えて読まれる基盤が十分あるということです。
 挨拶を送る形式は当時のギリシャ人の書簡形式に則っています。もともと挨拶は、喜ぶという動詞の変形だと言われています。さらに「しっかりせよ」という励ましの意味もあるようです。
 挨拶というものは文化圏によって多様性があり、いろいろおもしろいものです。
 日本では、「こんにちは」や「こんばんは」の「わ」は、はひふへほの「は」と書いて、その後に続くいろいろなことを省いている表現です。例えば、「今日は、わが家では父が誕生日なので、父に喜んでもらえる特別企画を立てているんです」という全部を省いて、「こんにちは」です。つまり相手との距離を適当に置いたまま深入りせずに「こんにちは」だけに留めて、「元気でね」と励ましの一言を添えたりするのです。こういう挨拶がよく分からないと言って批判し、不満を述べる外国人もいます。「さようなら」の本来の意味も一度考えてみてください。おもしろいですよ。
 さあ今日の段落の小見出しは、「貧しい者と富んでいる者」です。あれ、福音書でお馴染だな。マタイにもルカにもあるよねと反応する方も多いでしょう。その通りです。ヤコブの手紙は、旧新約聖書のあちこちらから自在に引用しています。それらの核心的な部分を自在に引用して、キリスト者はこの世でどう実践しなければならないのか、それらに伴ってくる試練と忍耐への立ち向かい方をじつに具体的に教えてくれるのです。だからエルサレム教会の指導者、使徒ヤコブの名前と権威をお借りしたのです。
 9節以下、「貧しい者、富んでいるもの」が何を「誇りに思うべきか」と問うています。ここに出て来る「高められる」と「低くされる」とはどういうことかもうお分かりでしょう。神さまの前では、貧富の差など問題ではない。当時の教会の中にすでに金持ちの信徒がいたという証拠ですが、キリスト者は本来絶対的貧困層あるいは奴隷階層に浸み込んだのが歴史の事実です。彼らこそ天国を継ぐという革命的宣教をイエスさまが実践したのです。ハンセン病を癒し、寄留者ややもめを慰め、五千人の給食を行ったのです。だから使徒や信徒たちも自分たちを「神の僕」と表明した。ヤコブの手紙の冒頭、「神と主イエス・キリストの僕であるヤコブ」という自己紹介はじつはがっちりとしたしかも真摯な信仰告白なのです。
 神の前での徹底した平等の宣言、これだけでも人権の歴史上誇るべき出来事ではないでしょうか。誇るべきことは神の前での平等なのです。ということは、教会内での座席、食事の仕方、服装などなどからたちまち共に支え合う社会福祉の実現へと拡がった、その団結こそがローマ帝国の基盤を揺るがすという不安を掻き立てていくのです。奴隷制度の廃止まで、男女同権の実現まで、人権思想の確立まで気が遠くなるような時間を要しましたが、それらのすべての第一歩がイエス・キリストの出現と宣教にあったのです。
 10節をご覧ください。「富んでいるものは草花のように滅び去るからです。」 植物種類の多い日本はむしろ例外に近いのです。亜寒帯から亜熱帯まででがある日本に居住している私どもは、この豊かさにあまりにも無関心だったと思います。大部分の植物は四季それぞれを彩り、花と実と紅葉などその美しさと食糧という実質のお蔭で日本人は生きられるのです。
 それを思う時、聖書の断言「草花のように滅び去る」は、恐怖のように冷酷に迫ってきます。
 苛酷な砂漠気候の土地では、「草は枯れ、花は散り、そのうつくしさは失せてしまいます」
 散る桜の美しさを愛おしみ、はたして来年の桜を私は見られるだろうかと病いや老いを悲しむ日本人の春とは違う。私は消えるかも知れないが、桜は来年もと考える日本人は、仏教的な人生無常美感に酔っぱらってしまうのです。
 『放浪記』を書いた林芙美子は、「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」という詩の一行で有名です。聖書に注目してください、花ではなく、草花全体の生き死にを描いている。
 11節をご覧ください。「日が昇り熱風が吹きつけると、草は枯れ、花は散り、その美しさは失せてしまいます。」 立て続けに、「同じように、富んでいる者も、人生の半ばで消え失せるのです。」 この凄まじい割引のない容赦ない人生、儚さを歌っている場合ではない。辞世の句を読んでいる余裕などないのです。
 あの努力家、戦略家、この世の権力も富も手に入れた豊臣秀吉の辞世の句を思い出して見ましょう。

   露と落ち、露と消えゆくわが身かな
   難波の夢も夢のまた夢

 こんな辞世を残せただけ秀吉はかすかな美的救いの露を味わえたという解説が可能なのかも知れません。
 しかし、私どもキリスト者は人生について根本的に秀吉とは相入れない。
 すなわち私どもキリスト者は、富と神に仕えることはできない、しないのです。自分たちの人生全体を神さまに委ねて生きているのです。そこで得られる安らぎと復活の確信によって、「人生の半ばで消え失せる」という恐怖をすでに越えているのです。
 この信仰を生き抜いた何人もの人がいます。野口英世は、黄熱病の研究のためアフリカのガーナに渡り、ついには黄熱病に感染して首都のアクラで亡くなりました。
 ドイツ生まれのアルベルト・シュヴァイツアーは、ガボン共和国で現地の人々のための医療活動に献身しました。
 ベルギー生まれのダミアン神父はハワイのモロイカ島のハンセン病患者のお世話をし続けてとうとう自分も感染して亡くなりました。  
 インドで亡くなったマザーテレサ、そして瀬戸内海の愛生園でハンセン病者のために尽くした神谷美恵子など、みなさん神に従う人生を生き抜いたのです。
 結論です。私どもは、希望という信仰だけで十分なのです。聖日礼拝は、つねに祝福されているのです。
説教一覧へ