鳩を売る者たち
ヨハネによる福音書2章13〜22節
 1945(昭和20)年の敗戦から七〇年目の日本の夏です。1950(昭和25)年6月25日朝鮮半島の38度線が突破され、ソウルに北朝鮮の人民軍が突入して以来、三年間に亘る米ソ両陣営の代理戦争は悲惨を極める大戦争になったのです。今なおその後遺症の中で朝鮮半島は分裂したままなのです。私の小学校から中学校時代です。戦後の新生教育第一回生である私ども、戦場で散って行った父の顔を知らない母子家庭の子が多い、そのうえ戦後のどさくさと共産党の人気の高まり、キリスト教の再興などが入り乱れて、あれもこれもありのチャンポンの現場で必死になって大人になろうとして生き延びてきた世代です。ですからある意味では早熟にならざるをえなかったのです。
 実は今日ご紹介したい映画があります。
 それは、2013年1月15日に脳梗塞で亡くなった大島渚の監督昇格の第一作の「愛と希望の街」、1959(昭和34)年、松竹、モノクロです。じつはこの題名は松竹が決めた題名ですが、才気煥発二七歳の大島渚は自分が書いたシナリオ「鳩を売る少年」に執着していたのです。
 あれ、今日の説教題は「鳩を売る者たち」だ。この映画もユダヤ教神殿が舞台なのかなと思った方もいらっしゃるでしょう。表面的には無関係です。が、鳩を売る者の存在と両替と商売と人間の交流の背景にある社会構造には通じるものがあるのです。
 背景は敗戦後まだ間もない昭和二五、六年頃の経済復興期の川崎、駅前の雑踏。
 貧しい母子家庭の少年正夫は、ややうつむきの暗い目をした少年で、籠に入れた鳩を売っている。そこを通りかかった成長企業の重役の娘の京子は、その鳩が気に入って、「いくら」と聞いた。「七百円」。 差し出された千円札を握って、正夫は近くの商店で両替してもらって三百円のおつりを渡す。「いいのよ。貰っといて」。 正夫は、潔癖な少年だったので七百円だけもらった。京子は正夫の潔癖さに好意と友情を抱いた。
 ところが、その鳩は伝書鳩だった。伝書鳩は帰巣本能(自分の巣に帰る本能)によって、必ず正夫のところに戻って来る。だから鳩を売って家族を助けているのだった。その事実を知った時、京子は、混乱し、そして日本の現実を前にして、めまいを覚えた。好意と友情は崩れてしまった。
 京子は、兄の勇次に、「この鳩を撃って」と命令のように哀願した。勇次の猟銃は、空に向かって放たれた鳩をぶち抜いた。鳩は墜ちて行った。鳩は正夫と京子の希望であり友情の印でもあった。同時に二人の関係を引き裂く現実の印でもあった。
 大島渚は、経済復興期の日本の現実の構造を青春初期の二人に突き付けた。正夫の立ち尽くした後ろ姿は何を語っているのだろう。
 大島渚は、翌年1960年の第一次安保闘争を「日本の夜と霧」という映画にしたが、学ランの右翼少年山口二矢(おとや)の単独犯罪、社会党書記長浅沼稲次郎刺殺テロ(10月20日)が起こって、この映画は四日で蔵入りとなった。松竹をおん出た大島は、その後、キリシタンの蜂起を描いた1962に「天草四郎時貞」を発表します。1637年に島原城に籠城したキリシタン農民、漁民たちの徳川絶対政権に立ち向かった叛乱を描いた重く苦しい映画でした。絶対勝ち目のない戦いになぜ彼らは挑んだのか。死を超える永遠なるものを信じた切支丹たちの壮絶な氾濫と敗北が独特な美学で描かれた特異な作品でした。
 そして、日本社会を底辺からの視点で揶揄った「日本春歌考」など反権力と権力への抵抗をむきだしにして自分の作品を送り出して行った。その後「愛のコリーダ」でカンヌ映画祭グランプリを獲得、続いて「戦場のメリークリスマス」で世界の期待に応えた。
 このくらいでテキストに戻ります。
 聖書の「鳩を売る者たち」と映画の「鳩を売る少年」を繋ぐものがもうお分かりでしょう。
 「カナの婚礼」で水瓶の水を葡萄酒に変えて、聖餐式と復活の喜びを最初の奇跡として描き出したヨハネによる福音書二章冒頭の象徴的場面は、続く「神殿から商人を追い出す」場面では、彼らに対するむき出しの憎悪を露わにして、ここできわめてストレートに、信仰というものを語っているのです。
 これは、ユダヤ教国家の首都エルサレムの神殿が舞台ですが、16節、「鳩を売る者たちに言われた。『このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。』」 と。イエスさまは、自分が父なる神から地上へと遣わされた息子であること、父と子と聖霊の三位一体である神の慈しみの中で生きよというメッセージを伝えるためにいらっしゃったことを後の11章で明らかに宣言するのです。
 賛美と礼拝の場(神殿)が、宗教的政治的支配層によって、貧しい人々を搾取する商売に摩り替えられている欺瞞(ごまかし)に対するイエスさまの怒髪天を突く怒りの爆発の場面です。
 救世主であるイエス・キリストの福音は、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」 に尽きるのです。
 栄華の題名「愛と希望の街」とは、裏腹の現実のまっただ中に立ち尽くす「鳩を売る少年」と、京子・勇次らのブルジョワジー<富裕階層>との厳然とした断裂図の中をそれぞれがどう歩んで行ったのかは、大島渚監督自身が歩んだ道がひとつの可能性です。
 「鳩を売る少年」の目は、あの時代、雑踏の底辺で納豆売りをしていた私の同級生の目と同じです。
 それなら、森田、お前はどう生きて来たのか、と問われれば、「今、牧師として歩んでいます。」 としか答えようがありません。
 18節、「ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。」 19節、「『この神殿を壊してみよ。三日で立て直してみせる。』」 これはエルサレム神殿の崩壊(紀元70年)が意識されています。その後、およそ二千年間イスラエル民族は亡国の運命を生き抜いてきたのです。
 しかし、父の家である神殿を実感していたイエスにとって、21節、「神殿とは、御自分の体のことだったのである。」 こういう大胆な比喩がイエスさまの凄い発想なのです。凡人の私どもは、比喩は所詮比喩でしかないと考えがちですが、イエスさまの言葉をもっと全身で受け取る訓練が必要なのです。が、訓練だけでは真実は見えない。聖霊のお助けをいただく時、初めて、比喩が比喩でなくなり、見えなかった現実がほんとうの現実として私どもに宿ってくださるのです。そしてそのほんとうの現実が孕んでいる真実が見えてくる。信仰の秘儀はこうして一つ一つ私どもに訪れてくださるのです。
 この出来事の不思議さを表現した部分が、22節です。イエスさまが死んで三日後に復活されて、弟子たちに会われるまで復活を信じられなかった弟子たちは、22節、「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。」 この場合の聖書とは旧約聖書を指しています。新約はまだ編集刊行されていなかったのです。
 さて、この鳩を売る少年は、その後鳩売りを止めたでしょうか。少年はイエスに出会えたでしょうか。映画は、何も示唆することもなく終わりました。
 ではイエスさまに出会った私どもは、このテキストから何を読み取れたでしょうか。そして世俗とどう戦っているでしょうか。
 イエスさまの言葉を食べさせていただくとは、命懸けで生きるということです。聖研祈祷会に出ることもその生き方のひとつ、デモに出ることもありうるでしょう。一人一人に与えられた賜物を十分に活かして、信仰を表現していこうではありませんか。信仰を表現することは、歌うこと、読むこと、作る事、さまざまなのです。
 できれば喜びながら楽しみながら持続する道を歩もうではありませんか。
 さあ、行動する信仰者として今日出発しましょう。
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