心配して捜して
ルカによる福音書2章41〜52節
 梅雨入りしてから蒸し蒸しして自分の大切な体なのにちょっと不快に感じたりしています。が、道路に顔を突き出したアパカンサスの水色が梅雨間の空の下で通りがかりの人をほっとゆるやかな気分にさせてくれます。
 明日は、夏至。一年で一番昼時間が長い日です。この頃、暮れなずむ万代のスーパーの溝の流れの周辺を、蝙蝠が超音波に導かれて不思議な幾何学的航跡を描きながら飛び交わっています。
 こんな夕暮れが好きです。今両足が突っぱっていて不自由なおかげで、散歩ならぬゆっくりしたリハビリでふらついております。蝙蝠に怪しまれて不審者として警察に通報されないかとちょっと心配しております。
 私はルカのフアンなので説教のテキストとしては何度も使わせていただいているのですが、ルカを嫌っている著名な日本の某神学者がいまして、ことごとく嫌味を言って批判しています。今日の箇所などは、堕落しているユダヤ教の神殿を父の家などと言うはずはないではないか。ここはルカのでっち上げた創作だと言ってのけるのです。
 私は悪意をもって批判する人が嫌いですから、無視して、ひたすら作者の意図がどこにあり、メッセージの神髄を受け取ろうとして受信装置を操作します。みなさんは、今日のテキストからどのようにメッセージを引き出すのでしょうか。
 104頁下段の「神殿での少年イエス」は、たしかに他の福音書には出て来ない場面です。ですからいっそうルカの思いを汲み取るべく受信レンズを焦点に合わせて絞らなければなりません。今日は子どもとの合同礼拝ですが、じつは子どもだけにぴったりという聖書箇所はどこにもありません。ですからCSの教師がどんなに苦労していることか、と、いつも考えてしまうのです。とにかく、子どもであれ、大人(何歳以上という規定もありませんが)であれ、神さまの御言葉は心の奥深くに入って行く人と入っていかない人があるだけの話しです。私どもキリスト者でも時と場所によって聖書の言葉が漫然と通り過ぎてしまうこともあります。聖霊の助けによらなければ、聞くことさえ困難なのが凡人の常なのです。強い求道心だけでも足りない。向こう側からやってくる聖霊に支えられて初めて牧師の説教も信徒の求道も実るのです。
 さて、二千年前の当時、過越祭の参加は13歳から義務付けられていました。つまり大人として公認されたのです。四二節、「イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った」とあります。あれ、12歳なのに、イエスさまは特別で早熟だったのかなあ、と思う人があるでしょう。早熟だったのではありません。来年から始まる正式な参加のための予行演習、リハーサルだったのです。つまり嬰児から12歳までが子どもであり、13歳からが正式な社会的宗教的な成人なのです。まだ学校教育制度がなかった時代です。家族ごと、あるいは集落ごとに群れを作って宮詣をした。その行帰りの安全は群れ全体の共同見張り、つまり共同責任だったのです。ですから43節のように、「少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気がつかなかった。」 のです。現代の核家族の家族旅行とは全く形態が違っていたのです。集落ぐるみの宮詣の集団の旅なのです。
 45節、我が子イエスが「見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した」。 「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り」云々です。四八節、「両親はイエスを見て驚き、母が言った。『なぜこんなことをしてくれたのです。ご覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。』 45節も48節の「さがす」という漢字は捜索願いの「捜す」です。ナザレとエルサレムの片道だけで三日も掛る。きっと両親は野獣に襲われたのではないか、人さらいに連れ去られたのではないかなどと胸騒ぎで必死になって捜しまわったにちがいありません。ところが12歳の少年イエスは冷淡にも、こう答えたのです。49節、「どうしてわたしを捜したのですか。私が自分の父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか。」 と。父ヨセフも母マリアも予想だにしなかった答えでした。この子は親を忘れてしまったのではないか。この子は頭がおかしいのではないか。親にも分からない難かしいことを喋っている、どうしたら元に戻せるだろうか、と。50節、「しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。」 51節、「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮しになった。」 49節のイエスの謎の答えと、この51節、「両親に仕えてお暮しになった」とはどうつながるのでしょうか。ルカは何も書いていません。ここが偉人伝や小説と違うところです。イエスさまは、その後、30歳前後に公生涯の伝道の前線に飛び出すまでどんな青春を送られたのでしょうか。
 聖書は、52節、「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」 とそっけないのです。けれども「神と両親に愛された」とは書かれていません。なお父ヨセフのその後はまったく触れられていません。要するに青年期のイエスさまの心の葛藤は空白のままなのです。この空白の時代に伝道への意志は固まったのであり、天の父の息子としての運命と覚悟もはっきりと意識化されていったのです。青春のイエスさまについては、私どもは想像で思い描くしかないでしょう。ただし、そこで見失ってならないのは、その青春期に痛感したであろう深い苦悩と厳しい孤独です。
 ただし、大切なのは、伝道開始以後の公の生涯(そらく三年間)を歩まれたイエスさまの行動と言葉なのです。
 さて、今日のテキストの箇所からは、神の子イエスさまの賢さと自覚の深さに圧倒されて終わるだけですが、イエスさまご自身は、私ども凡人の子ども時代をどう捕らえていたのでしょうか。好材料があります。
 同じくルカ福音書18章15から17節、144頁下段です。小見出しは「子供を祝福する」です。16節、「イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。。』 17節、『はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』 と。ルカ福音書だけが15節、「乳飲み子までも連れてきた」と書いてあることに注目しましょう。
 その前に良寛和尚さんと死の直前受洗してカトリックになった詩人中原中也にちょっと触れてみます。
 越後(新潟県)の出雲埼の良寛さんの和歌が有名です。
 この里に手毬つきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずとも良し
 説明は要らないでしょう。こんな大人に今からでも遅くない、なりたいですね。
 一方の中也の詩の一節、
 
   汚れちまった悲しみに
   今日も小雪の降りかかる

 自分の中の罪の自覚、それを浄化してくれそうな真っ白な雪、しかし小雪なのだ、と。
 良寛と中也に共通しているものは子供のような純真さです。否二人とも純真そのものなのです。およそこの世的な打算や利益の取引とは関係がない。
 もっと突っ込んで言えば、乳飲み子が代表するように父母(ちちはは)への絶対の信頼なのです。
 人生のいろいろな悩みの海を潜り抜けてきたイエスさまを根底的に支えたもの、それはこの世の父母を超えた天の父への絶対信頼です。
 一方の乳飲み子たちは、この世の父母(ちちはは)への絶対信頼です。この子らはその信頼ゆえに神の国にすとんと入れるのです。やがて汚れちまった悲しみに陥っても、イエスさまに出直すことができれば、その悲しみは愛という喜びへと導かれて、その信頼は、この世的な打算や利益を克服して絶対的な信頼へと高められていくのです。マルコによる福音書の十章の十六節では、イエスさまは、「そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」 となっています。幼児祝福式の起源物語です。この場合でも幼児たちの絶対信頼が前提なのです。
 私どもは、何度でも立ち直れるのです。立ち帰れ、そうすればあなたたちの群れの中に私も立ち帰ると明言なさった主を受け入れ信じて前進することが、私どもの本来の姿なのです。この世的な打算や利益を越えて、いつでもどこでも臨在なさっておられる神さまのために全力で奉仕する生活は今日から可能なのです。祈ります。
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