命ある者
イザヤ書38章16〜21節
 今日は何の日でしょうか。言うまでもなく憲法記念日です。聖霊待降節のさ中でもあります。
 先週の前島宗甫牧師による聖日礼拝は、私の七四歳の誕生日でもありました。この教会では年齢的に言うとまだまだ先輩がいらっしゃいますので、まだまだ頑張らねばと思ってしまいがちですが、自分の気持ちを正直に言えば、よくもここまで来られたなあ、です。八年前に禁酒禁煙の決意をしなかったらと思うと、ぞっとします。そして六五歳からの神学校生活は、私の目に見える人生の大転換でした。が、内面的にはそれまでの人生で秘かに願っていたことの実行へと踏みだしただけのことでもあったのです。そのために神さまの前での健康な体造りに励んだのでした。
 が、先先月3月18日の早朝、突発的な激痛に襲われ、何をどうしたらよいのかまったく分からず、あれよあれよと言う間もなく、雨の中の救急車に横になっていたのです。堺市立病院の先生の懇意の先生が徳洲会岸和田病院にいらしゃるというので市立病院から私は転送されたのでした。またしてもの検査、その結果明朝八時半からの大手術となったのです。全身麻酔には麻薬が入っていたので私は全く何も覚えていません。手術が終わっても、翌朝まで目が覚めなかった。 
 退院の二日前に医師から手術の緊急性、意味、経過の説明を受けて、写真まで見せられて、現代医学の技術に圧倒させられ、驚嘆しました。一時は心拍停止状態でした。つまり部分的には死の領域に踏み込んで行っていたことになります。受難節(レント)の最終段階で、恐れ多くもイエスさまの十字架刑のご受難のほんの一部を味わわせていただいたということになります。
 けれども、肝心な時の記憶がまったくなかった。それが結果としては私を恐怖と苦痛から救ってくれたわけです。
 こうしてもう一度この世に戻していただいたという事実は打ち消すことができません。すなわち、「あなたにはまだすべきことがある」と言われているのです。本日の招詞マタイによる福音書の28章18〜20節が神さまの命令と励ましなのです。新約60頁上段の終わりです。開いてみてください。
 では、もう一度皆さんと一緒に読んでみましょう。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
 これは弟子たちへの命令ですが、二千年後の高校生であった私への、そして現在の教会員である皆さん一人一人への命令でもあるでしょう。なぜなら、ルターの言うように万民司祭だからです。いざという時には、教会員ひとりひとりが牧師なのです。そういう皆さん一人一人の熱いお祈りに支えられて、戻って来られたことを心に刻んで感謝しております。
 さて、神々の峰と呼ばれるエベレスト登山へのネパールのベースキャンプへ行きたいなあというお茶で盛り上がったのは、ちょうど一週間前のことでした。その直後にネパール大地震が襲って来ようとは、しかもベースキャンプでも死者が出るとは、誰も思いもしまかった。
 さらに28日のニュース発表、安倍政権とアメリカ政権との安保条約の実質的大改悪への大変更方針(ガイドライン)の発表に我が身が震え出さなかった人はいないでしょう。原発も自衛隊も米国占領下から始まった米国指導の政策だったことが最近になってようやく明るみに出された。
 私は教会学校に先週顔を見せてくれた6名の子どもを咄嗟に思い浮かべました。私どもの孫たち子どもたちを戦場に送ってはならない。木下恵介の意志である彼の命そのものである名作映画「二十四の瞳」の大石先生と子供たちの悲劇を再体験させてはならないと強く思った。それほど危険なガイドラインが実行されようとしている現実を食い止めなくてはならない。なんのための憲法記念日でしょうか。日本が世界に誇る戦争放棄を主張しているこの憲法にしっかり立たなくてはなりません。いろいろな事情を背景にしてついに纏められ公布された第九条を持つ日本国憲法は神さまから頂いた恵みなのです。次のノーベル平和賞は、日本国憲法でありたいと切実に願っています。

 さて、今日の聖書箇所は、皆さんには馴染なので、詳しい説明は不要でしょう。ヒゼキヤ王は圧倒的なアッシリア帝国の武力の前に立たされて追い詰められていました。唯一なる神は侮辱され、籠城状態の中で決断を迫られていた。しかし、ヒゼキヤは唯一なる神にすがりつきました。二千数百年後の現在まで残るエルサレムの地下水道も造りました。あのまっ暗な水道に膝まで浸かりながら平和の重さを噛み締めたのは土師教会に赴任する一年前、すなわち五年前のレントの終わりでした。
 イザヤ書38章によれば、1121頁、国家の運命の瀬戸際にヒゼキヤ王は、死の病にかかったというのです。2節、「ヒゼキヤは顔を壁に向けて」祈った。3節 『主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください。』 こう言って、ヒゼキヤは涙を流して大いに泣いた。」 ヒゼキヤ王は国難を乗り越えるため主のために、数々の宗教改革を実行し続けて来たのです。それだけに死の病に襲われたヒゼキヤ王の切羽詰まった号泣が聞こえて来そうです。
 どうなったか。すると主は神殿の階段日時計を戻してヒゼキヤ王を救ったのです。この時のヒゼキヤ王の感謝の歌はイザヤ書にしか登場しません。ここが今日のテキストなのです。1122頁の下段です。
 16節をご覧ください。旧約時代には復活信仰はなかった。文字通り死は人生の終わり、絶望しかなかったのです。それから逃れる道は、ただ一つ、膨大な律法規定を守ることだけだったのです。
 この時のヒゼキヤの悲嘆と絶望から彼を救った主の方法が日時計の影を戻すという奇跡だった。17節をご覧ください。
 
   見よ、わたしの受けた苦痛は
   平和のためにほかならない。
   あなたはわたしの魂に思いを寄せ
   滅びの穴に陥らないようにしてくださった。
   あなたはわたしの罪をすべて
   あなたのうしろに投げ捨ててくださった。

 これが旧約の贖いの奇跡だったのです。贖われ救い出された感動の底から込み上げてきたヒゼキヤの言葉が19節であります。

   命ある者、命ある者のみが
   今日の、わたしのようにあなたに感謝し
   父は子にあなたのまことを知らせるのです。

 20節、

   主よ、あなたはわたしを救ってくださった。
   わたしたちは命のある限り主の神殿で
   わたしの音楽を共に奏でるでしょう。

 この後、ヒゼキヤ王は干しいちじくを幹部につけると病から回復したのです。
 なお付け加えれば、イザヤ書37章の最終部分では、主のみ使いが現れ、エルサレムを包囲していた圧倒的なアッシリヤのセンナケリブの陣営で18万5千人が朝死体となった。そして包囲は解かれ軍は引き上げて行ったと明記されています。
 実を言いますと、これは歴史的事実とは異なっています。センナケリブはその後もしばらく健在だったのです。先さきほど申し上げましたようにヒゼキヤ王の感謝の歌もイザヤ書にしか登場していません。
 みなさんはこの事実をどう解釈されますか。
大国の脅威にさらされて苦悩し続けたイスラエルの歴史は、旧約聖書があちこちで克明に語っている通りです。やがてユダ王国は滅亡して、ローマ帝国に支配され、およそ二千年間さ迷えるユダヤ人となり、第二次大戦後イスラエルの再建が国連の議決で採決されて成立されたことはご存知の通りです。イスラエルの再建が、同時にパレスチナとの戦争開始になったのです。
 ヒゼキヤ王時代に時間を戻しましょう。アッシリヤ帝国に降伏するしかないような状況の中で、ユダヤ民族主義が欝勃と湧き起って来たのです。ヒゼキヤの宗教改革もその流れの中に位置づけて評価していいでしょう。その流れの中で、センナケリブ陣営の膨大な死体の出現を考えることは可能だろうと思います。さらにヒゼキヤ王の死の病からの回復感謝の歌の出現も考えられるのです。ユダヤ民族が危機に面して、どのように危機を克服して来たのかという民族伝承として伝えられて来たのです。蒙古襲来のときに吹いた神風信仰が第二次大戦時まで信じられた事実を想起すればある程度納得されることでしょう。
 私自身は、ヒゼキヤの感謝の歌には、旧約の行き止まりの死を超えようとする復活信仰の芽生えを予感するのです。17節の「わたしの罪をすべて/あなたは後ろに投げ捨ててくださった」というこの部分こそイエス・キリストの贖いではないでしょうか。そういうまったく新しい確信に満ちた命ある者の信仰告白の魁として今日ご紹介したかったのです。
 ヒゼキヤの感謝の歌は、死から甦えらせていただいた私自身の信仰告白でもあるのです。
 土師教会の木香薔薇の満開の季節は、母の日礼拝から聖霊降誕日(ペンテコステ)へと続く新緑の日々であります。主を見上げ賛美する五月を日本と世界の平和のために奉げましょう。祈ります。

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