献げ物
マラキ書 3章8〜12節
 私の知人に高橋渉二という沖縄県南城市にアトリエを持って活動している詩人であり木版画家がいます。那覇市の東南の海辺です。訪ねたこともお会いしたこともありません。が、作品を通しておつきあいしています。高橋渉二の渉は、サンズイの点点点、旁りは歩く、二は一、二の二です。高橋渉二さんは、1950年2月3日、札幌市生まれです。20歳で第一詩集『春の裸像』を出版しました。いつ沖縄に行ったのか。どこの教育機関で文学や美術を勉強したのか、私は何も知りません。
 高橋兄弟がある同人雑誌に連載していた「聖書にあらわれた動物」というエッセイに触れたとき、深い関心を抱いて兄弟のファンになりました。蛇やカラスについて文化史的、宗教学的、生物学的に深く執念深く書き綴っていたのです。この人いったいどんな人だろうと興味を抱いたのですが、電話もファックスもないのでますます引きつけられました。高橋渉二はバプテスト教会の信徒であり、とくに旧約に詳しい。
 金曜日に高橋兄弟から本が届きました。これです。教科書版で、詩集『死海』とあります。二〇〇四年の末から翌年の一月にかけてイスラエルを旅しています。この詩集が生まれた背景にイスラエル体験があるわけですが、ツアーであったのか、個人的な徒歩旅行だったのか、マイカーであったのかは何も分かりません。旅行記ではないのです。
 詩集の表紙を開いたら、和紙(もしかしたら砂糖黍の繊維から作った和紙かも)の栞に、「献げ物」と書いてあります。今日の説教題と同じだったのでびっくりしました。おそらく旧約(創世記、民数記、申命記)からの影響でしょう。
 自分が汗水流して得たものの十分の一を献げることになっている律法規則の実行なのだと思います。が、それが詩集だったので驚いたのです。十分の一=献金だと決めてかかっている私の聖書理解の偏りを猛省することになった次第です。
 今日のテキストにも献金とは書かれていない。八節、「十分の一の献げ物と献納物」なのです。これはどういう意味か。紀元前七世紀のユダヤでユダの民がみな貨幣経済のシステムの中にいたでしょうか。貧しい民、寡婦、寄留民はいったいどうやって日々のたつきを支えていたのでしょうか。
 この部分は、文語体では、「十分の一および献物(ささげもの)に於いてなり」です。口語訳は、「十分の一と、ささげ物」です。
フランシスコ会訳は、「十分の一税」と書いてあります。どこを見ても「献金」とは書いていない。では現代の私どもはいったどこから「献金」という単語を引っ張り出してきたのでしょう。去年のクリスマス祝会に来てくださった方は、教会が初めてでした。社会的には立派な教育者として勤め上げた方です。その方が会の途中で、「食事をいただき、いろいろ楽しませていただいていますが、会費とか参加費とかはどうなっているのですか。このままお暇するのはどうも。」 とおっしゃるのです。献金という言葉は出てきません。お賽銭、カンパでもなし、何と言ったら。どうなったと思いますか。
 私どもには、オーム返しのように出てくる「献金」という単語ですが、一般の人は、「献金」と言われると、自分の利得のために差し出す金銭と考えます。ですから政治献金といういまわしい言葉さえ思い浮かべてしまうこともある。
 神社お寺のお賽銭は、祈願が叶った時のお礼またはこれからする祈願が叶いますようと祈る時に献げるお金のことです。
 おそらく日本のキリスト教は、お賽銭と区別するために献金という単語をあえて選んだのだろうと推測します。その結果、税金と同じような感覚で献金を捕らえるようになり、キリスト教専門用語と化して、一般の人には馴染みのない言葉になってしまったのではないでしょうか。
 教会って、どこかに本部があって、そこから援助が来るんでしょう、と言う人が多いので説明に苦労することがたびたびです。教会に行けば、いくばくかのお恵みを掴ませてくれるだろうと期待して来る訪問者もいるのです。
 さて、テキストに戻りましょう。
 バビロン捕囚からやっと解放されて帰還したユダヤ人を待っていたものは、当然のことながら楽園ではなかった。経済的な混乱、復興はかんばしくは進まない。その上政治的な路線対立、教団内部の矛盾などが大きくなっていく。この時、「わたしの使者」という名のマラキが登場したのです。十二小預言者の最後を飾る預言者マラキもまた何者であるかは分からない。
 マラキ書の特色はすぐれて論争的な文体なのですが、神が自分の民を厳しく攻め立てているのです。復興に集中すべき祖国再建の危機的状況であるにも関わらず、倫理的にも堕落し続けている現状を猛烈に批判している。だから小見出しが、「悔い改めの勧告」なのです。
 6節、「まことに、主であるわたしは変わることがない。」 と断言しています。ということは、宗教的義務を怠る者たちを罰するがほろぼすことはないという約束なのです。と言うことは、「あなたたちヤコブの子ら」は、神に背いていながら背いていることを自覚できないことが最大の罪だと弾劾しているのです。その最大の根拠が、「十分の一」なのです。
 かれらを取り巻いている環境は厳しいものがあり、日照りの旱魃、凶作そして蝗が食い荒らしてやって来た飢饉などである。この物質的窮乏に曝されて、宗教的義務を守り続けることは、困難の極みになって行った。ついには、神殿に献げる羊や子牛なども傷ついたものなどが混じっている。神殿に仕えるレビ人たちも追い詰められて、倉庫の中身もがらがらなのだ。だからと言って、物質的苦境に追いやられれば、献げ物も少なくなり、品質を落としてもいいのかという詰問(問い詰め)である。献げ物は自分にとって価値あるものを神に感謝して差し出されるはずの物なのです。
 つまり厳しい状況であればあるほど、人は強い信仰によって、生きる希望の根拠にしっかりと立たねばならない。それは唯一なる神への信従を貫くことである。8節、「あなたたちはわたしを偽っていながら/どのように偽っていますか、と言う。/それは、十分の一の献げ物と/献納物に於いてである。」 
 明治以来、献金と訳さなかった、訳せなかった理由は、人間の歴史は全員が貨幣経済から始まったわけではないからです。そうではなくて、神さまが与えてくださるものを感謝していただき、それを生かして作り上げたものの中から、最低限十分の一をお返しするのが献げ物や献納物という表現で現されているのです。つまり献げ物とは信仰表現であって、献げ物=お金でないことが分かるのであり、高橋兄弟は詩集をもって献げ物としたのです。
 つまり私どもが全身全霊を込めて感謝してお返ししているのか否かを主は厳しく問い詰めていらっしゃる。それが、「立ち帰れ」という言葉になって迫ってきているのです。
 10節、「十分の一の献げものを総て蔵に運び/わたしの家に食物があるようにせよ。」 
そうすれば、「わたしはあなたたちのために/天の窓を開き/祝福を限りなく注ぐであろう」と約束してくださったのです。
 これが、今日のテーマです。
 さてマラキ書には、隠されたもう一つの大切な編集旧約編集史上のテーマがあります。なぜこの書が旧約の最後尾を飾ったのかという問いです。
 それはこの書の最後尾「主の日」1501頁、19節以下です。イザヤ書以来よげんされて来たメシアの到来、黙示に対して、マラキ書は、明確に、そのメシア像を指し示しているのです。20節の「義の太陽が昇る。/その翼には癒す力がある」。
 さらに23節以下、「見よ、わたしは/大いなる恐るべき主の日が来る前に/預言者エリヤをあなたたちに遣わす。/彼は父の心を
子に/子の心を父に向けさせる。」 みなさんは、ここを読んでどう受け取りますか。
 キリスト教が成立したあと、たいへんな労苦をして旧約と新約をつなぐ編集をしながら、マラキ書を最後に持って来て、イエスさまのご誕生へとつないだ編集者たちの信仰告白をここに読み取れることと思います。
 1502頁に続く、新約福音書のイエス・キリストの系図が、壮大な創世記以来の神の物語であることが理解できるでしょう。
 まことに創造者である神は誉むべきかな。
 献げ物という言葉は、信仰告白の表現であるということを、はっきりとお分かりになっていただけたことと思います。
 牧師・森田進にとっては、説教準備そのものが献げ物の一つであります。ならばみなさん、お一人一人にとってほんとうの献げ物とは何でしょうか。
 祈ります。
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