星を見た
マタイによる福音書1章18節以下
ルカによる福音書2章1節以下
 12月24日クリスマスイヴ、と言えば、光輝く星に導かれて訪れた博士たちが浮かんできます。あの星がなかったら訪れてくることはできなかった。
 いつの時代にも星は、たくさんの物語を生んできました。
 みなさんは、仏教の密教系寺院、あるいは修験道の星祭をご存知ですか。天井や内陣の壁に北斗七星などが描かれていて、自分の人生を占う儀式が行われます。日光東照宮にある仏教寺院が有名ですが、大阪府北部の能勢妙見山も有名です。もっと一般化したものは天の川を結ぶ七夕祭りです。中国、台湾、韓国、ベトナム、日本などで行われていますが、牽牛星(牛飼い)と織女星(織姫)のラヴロマンスです。これらは星が守護神などの神々です。いわゆる星辰(天体と星)に対する信仰です。ギリシア、ローマ神話においても星座信仰が広く行きわたっています。
 が、旧新約聖書の世界においては、星は信仰の対象ではありません。星は、あくまでも神さまの栄光を表わすために神さまがお造りになった被造物なのです。あるいは万軍の主である神の軍勢なのです。
 あの輝く星は、イエスさまの誕生を知らせ、私どもを導く光なのです。占星術(星占い)博士たちも羊飼いたちも、あの星に導かれてベツレヘムへと辿り着いて、イエスさまのお誕生を祝ったのです。
 今、イエスさまの誕生日です。
 世界中の教会がイエスさまの誕生を祝しているのです。なぜならイエスさまの光に導かれ照らされて、私どもは暗い、迷いやすい人生の途上にあっても、希望と祈りに支えられるのであり、その希望と祈りもイエスさまに教えられ与えていただいているのであります。
 星に導かれてやってきた星占いの博士たちは、夜の旅を重ねて来たと思われます。それはとても危険な旅であったはずです。月の砂漠をはるばると旅のラクダは行きました、と歌うのは、本格的な砂漠を知らない日本人が考えた世界です。じつは、砂漠の夜は猛獣が出没する。盗賊もいます。にもかかわらず博士たちは旅を重ねました。神さまのメッセンジャーであるあの大きな星に守られたた旅路だったのです。
 ベツレヘム郊外の夜、羊飼いたちは、羊たちを守るために野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていたのです。その羊飼いたちに主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。が、急いで出掛けて行ったのです。
 なぜか、メシアが到来したからです。学者も野宿の羊飼いたちも駆け付けたその場所は馬小屋だった。にもかかわらず、彼らは礼拝した。そして確信したのです。メシアがついにやって来た。われわれは救われると歓喜したのです。
 あれから二千年が経ちました。今宵イエスさまがお生まれになりました。そのお顔をみるのが怖いほど私どもは、今震えております。二千年間私どもは何をしてきたのでしょう。二千年間、心から主に仕え、隣人に奉仕してきたでしょうか。あなたのみ前に出て行く資格もない私どもですが、主は今目の前で眠っておられるのです。
 ありがとうございます。私どもは立ち上がります。あなたの輝く星に導かれ照らされて、
歩んでまいります。
 ハレルヤ。

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