幼子とその父と母
マタイによる福音書 2章13〜23節
 最初のクリスマスはどこであったか。言うまでもなくイスラエルのベツレヘムです。エルサレムの南へ8`下った海抜775bの丘の上の町です。が、現在ベツレヘムはガザ地区と同じく、パレスチナ自治区です。イスラエルの中の非イスラエル地区です。しかもダビデ王の出身地であり、その子孫であるイエスさまのお生まれになった地でありますが、イスラエルの行政が及ばない。
 現在イスラエルは、政教一致、つまりユダヤ教によって立つほぼ宗教国家なのです。イスラエルは、キリスト教の発祥地ではあるが、キリスト教的国家ではない。こんなことを一つ取り上げても、世界の現実は複雑で難しいなあと思うのです。
 今、イスラム国がアメーバのように領土を広げながら非道と残酷と暴力とを急激に拡大しています。だいたい領土を固定していない国家というものは近代以降ありません。
 それではイスラム国とは何かと言うことになります。答えは明確です。世界第一次大戦の後、米英を中心にする国際連盟が中近東のアラブ諸国のイスラム勢力を分断するために、極めて人工的にほぼ経度緯度に沿って国境線を引いてしまったことに一つの大きな原因があります。奪われたイスラム文明圏を奪い返すというとてつもない願望が燃え盛っているのです。十字軍以来の巨大文明圏の衝突という見方もあります。皆さんは、中・高等学校時代に、旧ソビエトや中近東諸国の国境線が縦横ほぼまっすぐに引かれていること、そして日本の国境線はどうしてないのだろうと不思議に思いませんでしたか。
 イスラムもキリスト教も共に旧約聖書が経典の一つです。「復讐は我にあり」という神の言葉をどのように理解しているのでしょうか。そして日本は、この問題にどのように関わるべきなのでしょうか。
 今日は、日本キリスト教団の多くの教会のクリスマスです。救世主イエス・キリストの誕生祭です。しかし12月25日が誕生日であるという歴史的根拠はない。オーソドックス(ギリシア正教)では、クリスマスは、毎年1月8日頃です。
 ところで世界最古のキリスト教国はエチオピアですが、あの国のコプト派キリスト教のクリスマスも時日は違っていると聞いています。要するに冬至祭とキリストの誕生が合体した。太陽の死と再生、人間の生と死を支配しているキリスト生誕祭は、重なっている。
 さて、福音書の中でイエスさまの誕生が描写されているのは、マタイとルカ福音書のみです。多くの偉人伝は、必ず生誕から始まるのですが、イエスさまは、むしろ伝道開始から十字架の死と復活が中心です。
 イエスさまの誕生をめぐっては、父ヨセフと母マリアの苦悩がまっさきに書かれています。
 マタイ福音書の第一章の小見出しは、「イエス・キリストの系図」とあって、アブラハムからイエスさままでの系図がえんえんと書かれているのですが、最後のヨセフとマリアとイエスさまとの関係はお互いにとても複雑です。
 しかし、なぜこの系譜図が冒頭を飾っているのでしょうか。そこに神さまが意図する聖霊の働きがあって、ヨセフとマリアの深い頷きのドラマがあるからです。二千年前のイスラエルにあって、婚約中のマリアが身ごもった事実を知ったヨセフは、1章19節、「正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」のです。律法道徳の厳しいユダヤにあって、ヨセフはマリアをかくまおうとしてあれこれ懊悩しました。その時、20節、「主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。』 24節、「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ」、 25節、「男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。」 夢は、古代人にとっては、もう一つのリアルな現実なのです。日本の古代でも同じであり、法隆寺の夢違え観音が知られています。「眠りから覚める」の意味は、起き上がる、すなわち復活するという深い意味があるのです。
 一方のマリアも苦しみます。ルカによる福音書によれば、こちらも天使の告知があり、「恐れることはない。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。」 マリアは答えています。「どうしてそのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 真面目な当然な答えだった。が、天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。」 天使の言葉をなんども胸の奥で繰り返したあと、マリアは答えたのです。「お言葉どおり、この身になりますように。」 マリアの個人的な想像力を超えたこの超越的な出来事に思いをめぐらした結果、すべてを神さまにお任せして、お言葉通り実現しますようにと祈った。わが身体に起きている不思議な出来事と共に生きようと決心して、受け入れにくい現実を受け入れたマリアなのです。
 その結果、ヨセフとマリアは、人口調査のため、父祖の地ベツレヘムへと向かいました。
 きらきらと輝く星が降る夜 旅篭ならぬ馬小屋の飼葉桶の中にイエスさまは訪れてくださったのです。もっとも貧しい庶民の現場で膝間付いて礼拝したのは、星に導かれてやってきた東の異国の占星術の学者たちだった。
 かれらは黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。この没薬は防腐剤としてミイラの語源でもあります、鎮痛剤であり、防腐剤でもある没薬は、十字架のイエスさまに葡萄酒に混じえて飲ませようとして使われ、ご遺体の防腐剤としても使われたのです。メシア待望の機運が高まっていた当時のユダヤで民衆たちが待ち望んでいたメシアは、ローマ帝国の支配からイスラエルを解放してくれる武力革命家だったのです。そのメシアがベツレヘムに生まれると聞いたヘロデ王は、自分の近い将来に強い不安を抱いた。支配者として必然の心の揺れだった。ただちに嬰児(みどりご)虐殺の出陣となった。自分が直接手を下すのでなければ大量虐殺はできるのです。ナチスのアウシュビッツ、広島、長崎の原爆投下を思い出してください。ヘロデは嬰児一人一人の顔を知らなかったし、見たいとも思わなかった。一人一人の顔を知らなければ、殺人はなんらの罪意識を持たずにすむのです。東西を問わず、歴史は夥しい殺人、戦争を繰り返し、このクリスマス直前にもパキスタンのペシャワールでも小、中、高校生140人余りの虐殺が行われたばかりです。
 「主の天使が夢に現れて言った。『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい』。
 目を覚まして、しっかりと事態を捕らえて起き上がったヨセフは、「夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。」 と書かれています。エジプトの「そこ」とはどこであるのか、今も分かりません。そもそも虐殺そのものが伝承であったから、文献的な証拠がない。だからと言って作り話だと断定する根拠もまたない。
 じつは、こういう虐殺は歴史上しばしば起こっている。エジプトには、このヨセフとマリアと幼子イエスさまの伝承がいっぱい残っているのです。ナイル川のほとりの地名まで書き残されています。エジプトで亡命していた聖家族の美しいお話が残っているのです。今もエジプトでは、内閣の閣僚にキリスト者はいるのです。エジプトのコプト派のキリスト教について私どもはもっと耳を澄まして情報を手に入れるべきでしょう。出エジプトの立て役者モーセもある意味で、キリストの先駆け、予型の一つなのであります。
 さて、ルカによる福音書によればナザレの町で育った少年イエスさまは、12歳の時にエルサレムの神殿に上って、学者たちと問答を展開してその賢さが人々を驚かしたと書かれています。その少年イエスさまは、十二年前の夜のベツレヘムでの嬰児虐殺事件について知っていたでしょうか。もちろんです。いつ知ったか。私は、10歳から11歳までの間だと思います。あの夜の脱出、エジプトでの暮らしの意味を、その背景にあるイスラエルの苦難の歴史を教えられた時の衝撃と自分の使命をイエスさまは、おそらく聖霊の導きによって自覚させられたのです。12歳の神殿詣はイエスさまの自立であった、3日後一緒に帰って来なかったイエスさまを見つけた時、母マリアは、「なぜこんなことをしてくれたのです。」 イエスさまは答えられたのです。「『どうして私を捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らかったのですか。』 しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。」
 これで十分でしょう。12歳のイエスさまは、自分がお生まれになった時に献げられたおめでたい没薬が同時に自分の死への準備でもあったこと、自分の代わりに殺されていった夥しい嬰児たちの死を決して忘れないことへの向き合い方を自覚していたのです。 
 じつに、イエスさまの誕生を祝うということは、私どもが今日のクリスマスをどう捕らえて、どう過ごすのかと問われていることなのです。救い主が二千年前の今日お生まれになって、十字架上で死んで復活されて私どもに永遠の命を与えてくださったので今日も生かされている事実を受け入れることがクリスマスの意味なのです。
 たまたま土師教会につながって神の家族を生きている方は、この喜びの重大さを噛み締める今日を感謝しましょう。
 信徒も信徒でない方も、
 みんなでメリークリスマス

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