共に来てくださるなら
士師記 4章1〜9節
 さいたま市に生まれた私は、幼子の戦時中から戦後の小学校低学年時代まで、祖父母の家で祖父母に育ててもらいました。祖母は耳学問で育ったので、いろいろなことを独自な人生訓を絡めて幼い幼稚園生の孫に教えてくれました。例えば、古今集に収められた小野小町の歌、「花の色は移りにけりないたづらにわが身世に経る眺めせしまに」は、「女の色香は褪せやすいのじゃ」と言って、自分の女としての美貌の盛りが短かかった嘆きを自分の人生に重ねて孫に訴えていたのです。孫の私は、桜の花と人生の儚さを重ねることを人生の初めに叩き込まれてしまったのです。そして、中学時代に国語の女先生に、「女の色香は褪せやすい」という意味だと激しく主張してまだ未婚のうら若き女先生をうろたえさせてしまいました。ある時、祖母と一緒に風呂に入っていた夕方、背中まで垂れている自慢の黒髪を洗いながら、「どうじゃカラスの濡れ羽のように美しいじゃろ」と言うのです。女の黒髪の怪しい美しさを孫は直観したのでした。 
 その祖母が九十歳を超えてから亡くなりました。祖母が孫に伝えようとした人生の喜怒哀楽があらためて滝のように写し出されて、今なお明治生まれの女性の悲しみと、もう一つ西方極楽浄土を願って、「なんまいだぶなんまいだぶ」と称えつつ合掌する祖母の姿が甦ってくるのです。
 祖母や父母から影響を受けたものと言えば信心だと思います。孫はキリスト者になりました。与えられた聖霊に助けられて、一日一生の晩年を今生きています。
 そんな私が牧師となったことを祖母も父母も喜んでいると信じています。使徒信条にある「かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん」を、未信者であった死者たちの救いの可能性であると私は確信しているのです。
 関西という神道、仏教的世界が色濃い風土にいて私は、いっそう強く死者たちの救いについて考えずにはいられない。救いは、生者の信仰を通して死者にも及ぶ、と。
 今述べたことは日頃の私が考えていることです。
 こういうことを考えるのは、キリスト者になったからこそいっそう強く考えるようになった。何故なら、キリスト教信仰とは激しく強いものであり、徹底的に信仰についての思索の点検を要求してくるのです。
 今日のテキストは、神の前での決断とは何かを強調してくる場面です。「デボラとバラク」という小見出しです。 
 日本の歴史にはなくてイスラエルの歴史にあるものはなーんだと訊かれたら、その一つが正典的預言者です。預言者にも前八世紀のアモス以降の記述的預言(聖書に記録されている古典的預言者)と初期預言者がありますが、預言者としての本質は同じです。両者とも、神に召されて神の言葉を伝える使命を果たす。その言葉は、ヤーウエとイスラエルとの、神との契約関係を正しく生きているかどうかがその視点の基準なのです。もし与えられた十戒以下の契約を破れば、預言者は神の使者として神の民を容赦なく裁く。日本史にはこういう神の使者はいなかった。あえて挙げれば日蓮や内村鑑三のような人物でしょう。
 私どもの頭に上って来るのは、モーセ、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ホセア、ゼカリアなど。そして最後に預言の完成者であるイエス・キリストです。
 じつはもう一つ、女預言者の系譜があるのです。モーセの妹のミリアム、士師デボラ、フルダ、新約ルカ伝のアンナなど。
 今日取り上げたのは、士師デボラ(蜜蜂という意味)です。士師記は、聖書に馴染みのない方は、変な言葉だなと思うでしょう。これは中国語訳聖書からもらった題名なのです。士師とは、その部族単位の支配者であり、裁き人を意味しています。世襲ではありません。士師にして預言者というデボラの活躍を記録しているのが士師記四章と五章です。イスラエルとは、もともと部族連合の総称(全体の呼び名)です。
 デボラは女預言者で、勇士バラク(稲妻という意味)と共に北部の諸民族を動員して、カナンの王シセラの大群と戦って打ち破ったのです。その戦勝記念の詩が五章であります。この第5章は、ヘブライ詩として歴史的、文化的、宗教的にも興味深い貴重な作品であります。
 そもそもイスラエルのカナンへの移住は、神の導きによる戦勝の連続であったのか、それとも平和共存であったのでしょうか。それらは、宗教的にはひたすらな唯一神ヤーウエへの信仰の歴史であったのでしょうか。その辺りの様子を、旧約はもう少し複雑な歴史の彩りによって描き出しています。
 4章1、2節、「イスラエルの人々はまたも主の目に悪とされることを行い、主はハツウオルで王位についていたカナンの王ヤビンの手に、彼らを売り渡された。ヤビンの将軍はシセラであって、」 3節、「ヤビンは鉄の戦車九百両を有し、20年にわたってイスラエルの人々を、力ずくで押さえつけたからである。」 部族連合のイスラエルは、主への背信(信仰的裏切り)、悔い改め、立ち返りまたまた背信の繰り返しを重ねていたのです。
 そして六節以下、女預言者のデボラは勇士バラクを呼び寄せて神の言葉を伝えました。7節で、ヤーウエは、「わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車、軍勢をお前に対してキション川に集結させる。わたしは彼をお前の手に渡す」と断言され、戦いに挑めと命じられたのです。聖書の後ろの地図の「3 カナンへの定住」をご覧ください。北部のキネレト湖(ガリラヤ湖)の上にヤビンが王位についていたハツオルがあります。ガリラヤ湖の東にはタボル山(588b)が、その麓にイズレエル平野があります。そして地中海のそばにカルメル山があります。タボル山を水源とするキション川(この地図では何故か省略されていますが、「5 南北王国時代)には記されています」がやがて東北のカルメル山の北側まで斜めに流れているのです。全長三七qです。この平野のキション川のほとりが今回の戦場の舞台なのです。
 しかも、圧倒的な戦力を誇るヤビンの軍勢でしたが、平野の冬の雨季(雨の季節)を利用して主は作戦を練り、右腕を伸ばして戦いの先頭に立って撃破すると宣言されたのです。雨季に乗ずればキション川は氾濫して平野は泥沼になる。軍勢は泥沼にはまって戦力を失ってしまうのです。
 にもかかわらず勇士バラク(稲妻)は、デボラ(蜜蜂)に向かってこう口応えしたのです。「あなたが共に来てくださるなら、行きます。もし来てくださらないなら、わたしは行きません。」 と。主の命令と約束に対してバラクは躊躇した。怯んだ。勝利を約束されても苦戦は目に見えている。その勝利がいつなのか明確にされていないと思って躊躇したのです。
 デボラはバラクのその不決断と怯んだ態度を見て即座に答えました。「わたしも行きます。ただし今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売りわたされるからです。」 
 このとき、バラクは命を惜しんだというよりは、デボラが伝えた主の命令をほんのわずか疑ったのではないでしょうか。もしかしたら主は先頭に立ってくださらないのではないか。まさかとは思うのだが、もしかしたら、と。まさに人間の弱さです。預言者の言葉を正しくまっすぐに受け取れない弱さはそのまま主の言葉に従えない弱さなのです。
 デボラは怒りを抑えていますが、真実を語ったのです。バラクは結局栄誉を与えられなかったことはこの物語の後半を読めば分かります。しかし、戦いは、盾も槍の数さえ遙かに劣っていたイスラエルに大勝利をもたらしたのです。そして五章は全編デボラの勝利の歌です。奮い立ったイスラエルの先頭に立ったのはヤーウエであり、388頁、5章6節によれば、「もろもろの星は天から戦いに加わ」った。ヤーウエへの全き信頼によって勝利はもたらされたのです。主の御心が歴史を貫いて成就されるのです。
 これは、他人事ではありません。現代の私どもも同じなのです。信仰とはまだ見えないことを信じて受け入れることです。復活も然り。
 ということは、今も主は、戦場に出て行け、伝道せよと命じられているのです。土師教会がいまの規模のまま、地域に開かれた教会としてどうあるべきかと問われているのです。
 新年度の「信徒の友」の一月号で、東神大のジャンセン先生は外国人宣教師として提案しています。一つ、教会の受付で名前や住所まで記入してもらうやりかたは、はたして開かれた教会と言えるのか。一つ、靴を脱いで礼拝堂に入ることがほんとうに歓迎することなのか。なぜ土足では駄目なのか。一つ、日曜日の午前中が必ず礼拝時間であるとして固執することがほんとうに神さまへの賛美だと断定できるのか、福音と社会は切り離せないのではないか、など。しっかり考えるべきことが提案されています。ぜひ読んでください。
 士師であり、預言者であるデボラの行動から、この小さな教会が学ぶべきことがたくさんあります。デボラのように主の言葉を信頼してすべてを主に委ねて行動していきましょう。結果はすぐに得られなくても必ず勝利が与えられるのです。
 クリスマスが人間全体のためにあることを忘れてれてはなりません。土師の地に根を張っていくために、さあ、立ち上がりましょう。

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