叫ぶ者の声
マルコによる福音書 1章1〜8節
 待降節第二聖日礼拝を迎えています。一人一人の人生の中でイエスさまの誕生日は、格別な思い出と結びついていることでしょう。
 今年は、どのような思いでイヴとクリスマスを迎えるでしょうか。個人的クリスマスカードはもう送りましたか。牧師館にはもう三通届いています。
 さて、先日磯野良嗣長老が、佐治良三初代土師教会牧師の『病床への福音』(ともしび社、1950年初版の14版、80円)を持って来てくださいました。ともしび社は、堺市北長尾町二丁八六ですから、おそらく現在の堺キリスト教書店ではないかと思います。
 言うまでもありませんが、土師教会の創立は、1929年(昭和4)12月24日です。戦前の軍国主義日本へと大きく傾いていく暗雲立ち込める時代でした。その後の歩みは皆さんがご存知でしょう。そして、今年のイヴは、創立八五周年です。
 佐治良三は、この年に東京神学社(現・東京神学大学)に入学しています。1932年(昭和7)、土師伝道所の初代主任者となり、1939〜1942年まで、中国大陸に応召と滞在、再応召)します。その間に元・華北神学院教授、再応召で戦傷して、隻脚(片足)となる。この華北神学院が現在のどこなのか、ご存知のかたは教えてください。
 戦後は、日本農村伝道神学校の教授、いずみ教会牧師として被差別部落解放運動に集中しました。著書も何冊かあります。
 『病床への福音』は、病者への慰めの書ですが、その中心的メッセージは、「神は人間の王親」であり、神に背いて生きている的外れの罪人としての自分を認めて、神に絶対服従することを通してほんとうの平安が与えられる。その結果、病気も癒されるという信仰療法を諄々と説いています、まだ敗戦を引き摺っていた日本の中で病んでいる多くの人々が、勇気付けられ希望も与えられた一冊です。
 土師教会創立から85年、当時を知っている現住陪餐会員は、おそらく小林梅子姉以外、誰もいないのですが、土師教会の信仰の灯は消えることなく灯り続けています。
 今、土師教会は大きな分岐点に立たされています。小林松尾お婆ちゃん以来の信仰をどう理解して受け継いで行くのか、という重い緊急の課題を背負っています。と言うことは、私どもの子どもや孫の世代に福音をどう伝えて継承させたのか、あるいは何故継承させられなかったのかを、あらためてじっくり顧みること。そして現代の福音継承をどう展開していくのかを本気になって構想しなければなりません。
 85年間、土師教会は何を築いてきたのか、何を築けなかったのか、見抜くことが肝心です。
 私どもが生きている現場、暮らしの座は土師であり、堺市なのですが、信仰者としての困難もたくさん抱えています。
 信仰の視点に立てば、相変わらずキリスト教徒は圧倒的な少数者であり、この暮らしの現場は砂漠であり、荒れ野なのです。教会のシンボルである十字架がどこにあるのか分からない。道路側の立て看板以外、教会を知ってモラル手掛かりがありません。つまり教会そのものの存在が知られていない。ここから見直していくべきです。
 さて、今日のテキストは、小見出し「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」の箇所です。
 そもそも旧新約聖書の舞台は、いちめんお荒れ野だといってもいいようです。アブラハムが出発したユーフラテスからイスラエルまで、その後のエジプトでの暮らしと出エジプト、シナイ半島の荒野の四〇年間、その後の王国建設、バビロニア捕囚、帰還、イエスさまの時代、原始キリスト教の時代、舞台はいつもいちめんの砂漠と荒れ野なのです。
 ことに日本に於いては、今なお荒れ野の中での苦闘しているキリスト教ではないでしょうか。にも拘わらず、荒れ野という単語に実感がない。荒れ果てた自然と人気のない荒涼とした物寂しい光景というイメージが思い浮かばない。豊かな海と緑と山に囲まれた列島のなkで暮らしてきた私どもは、「草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」という聖書的世界は、なかなか馴染めない。しかし、キリスト教信仰とはこういう厳しさによって鍛えられるものなのです。
 じつは荒れ野にも花は咲き、動物は暮らしています。ましてやエジプトを脱出したユダヤ民族は神に導かれ、40年間に亘って生き延び、荒れ野で鍛えられたのです。このシナイ半島での40年間があって初めて旧約世界の沖は満ちて、新約世界が成立した。荒れ野の中から福音の花が咲いた歴史をわすれてはなりません。
 マルコによる福音書1章1節は、真正面から福音書の本質を宣言しています。「神の子イエス・キリストの福音の初め。」 とあります。最近の日本のアニメには、ギリシア語である「エウアンゲリオン」という単語あるいはこれをもじった丹後目立ったりします。しかし、この福音という単語は、ルカとヨハネには一度も登場しません。
 マルコの関心は、すべてキリスト論に集中する。その頂点が十字架の処刑の場面なのです。イエスさまがついに息を引き取られた時、その処刑の現場で見届けていた異邦人の百人隊長が、96頁、15章39節、「『本当に、この人は神の子であった』と言った」のです。百人隊長はおそらくイエスさまの噂は知っていたでしょう。あるいはイエスさまの説教を聴いたことがあったかも知れない。なかったかも知れない。聖書には何も書かれていない。はっきり記録されているのは、隊長の素朴で実直な信仰告白だけなのです。弟子が全員逃げてしまった現場でなされたこの告白こそマルコ鬼神の告白とぴったり重なって、二千年間世界中の人々の心を揺り動かしてきた。神の国宣言と共に始まったイエスさまの伝道活動は、最終的にイエスさまがキリストであり、神の子であることの証しまでつながっているのです。
 では、その結論の先取りである序曲を紐解いてみましょう。
 2節、「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし/あんたの道を準備させよう。」3節、「荒れ野で叫ぶ者の声がする。/『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」と。
 この引用は、イザヤ書であると書かれていますが、正確ではありません。事実は、3節の部分だけがイザヤ書40章3節の引用ですが、2節の引用部分は、マラキ書3章1節です。表現もマルコは微妙に変えてありますが、今は気にしなくていいでしょう。要するに遣わされた預言者とはエリヤではなくてヨハネであることを引き出すための引用なのです。ですから服装や食べ物までエリヤと重なっている。「荒れ野で叫ぶ」です。不毛の地と思われているその現場で叫んでいる。荒れ野はじつは福音を育む舞台なのです。福音は、不毛と思われた荒れ野でこそ意味を深めるのです。
 4節、「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた」。 ユダヤ全土から民衆がやってきて、ヨハネから洗礼を受けた。洗礼はもともと神道の禊と同じです。不浄を清めるのです。
 が、キリスト教はこの地点に留まらない。罪の赦しを得るためにある。じつは、悔い改めるにしてもその罪を赦してくださる神さまがその場に確かに臨在なさっていなければ成立しない。つまり聖霊が留まり、さらに体の中に宿ってくださらなければ、晴れて救われたことにはならない。
 そのことをヨハネは十分に理解していたのです。なぜ民衆はヨハネを信用したのか。六節がそその理由を語っています。服装と食べ物です。旧約で鍛えられたユダヤ人は、優れた預言者たちを知っている。6節、「ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。」 らくだの毛衣と言われても日本人の私どもにはぴんと来ませんが、らくだは現在のイスラエルでも貴重な家畜であり、その毛で作った衣服はエリヤのイメージでありでもあった。いなごは、戦後の食糧難の時代、幼い私はすぐ上の兄と一緒にいなごを捕にしばしば出掛けました。つまり粗食であり、救いの時の準備なのです。こうしてエリヤの再来としてヨハネはが歓迎されたのです。
 にも拘わらずヨハネは、7節で、「わたしより優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。」 8節、「わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」 と言ったのです。イエスさまは、その後ヨハネから洗礼を受けられたのであり、10節、その時、「天が裂けて、”霊”が鳩のように御自分に降って来るのを御覧になった。」のです。12節、「それから”霊“はイエスを荒れ野に送り出した」のです。
 同じく荒れ野の中にいる土師教会の私どもも今悪魔の誘惑と戦っているのです。荒れ野の叫ぶ声を聞きながら、地上の富の誘惑に打ち勝って、常に神さまを見上げて賛美の中でクリスマスを迎えましょう。
説教一覧へ