苦しみを受ける
ペテロの手紙1 4章12〜19節
 「今礼拝が持たれているこの場所は、土師教会と申します。」 と改めて私が口に出しますと、ちょっとおかしいですね。どうしてでしょうか。ここに集っている私どもは、ここがキリスト教の土師教会であることを承知している、さらにここの現住陪餐会員であるか、もしくは求道者なので、改めて牧師から言われると違和感を覚えます。当たり前ではないか、あなたは何が言いたのか、と責められるかも知れません。
 ところが、土師町の住民であっても、ここがキリスト教の教会であると知らない人が、まま いらっしゃいます。深井にある結婚式場兼フランス料理レストランの方が、教会が何たるかを知らなくても教会として有名であり、人生たった一度の結婚式ならあの教会で挙式したいという人が多いようです。自動車で入れる、カッコイイ式場、美味しい料理と披露宴、あそこしかない。たった一度足を運ぶのならあの教会、名前なんだったけなあ、名前など覚えなくてもいい、どこからでも見えるのだから、ってな繁盛ぶりです。フランスの何々教会との連携などとも書いてあります。
 この土師町のゆるやかな坂道ならどこからでも見える。あの教会に行けば、神父さんからご馳走してもらえるとかいう話も漏れ聞いたりしています。
 それに比べて、土師教会ってどこですか?って土師の道を歩いていても聞かれたためしがありません。頑張って街道筋に立て看板立ましたが、立ち止まって見てくれる人はまさに例外です。おかげさまで小さな十字架も無事です。
 教会が作ったこの絵葉書、いいですね。私の就任式に来てくださった親戚が「きれいだわ。こんど教会に行こうかしら」と言ってくれました。が、山科からは、ちと遠過ぎます。
 先週ある電話が入りました。土師町に住んでいるが、土師教会の場所を知らないというのです。愕然としました。
 そう言えばこの私でさえ、土師教会の正式な入口がどこか知らなかった。
 今日の礼拝、みなさんはどこから玄関に来たでしょうか。車のない人も例外を除いて、みんな駐車場から木香薔薇の下を通って来るのです。
 目印になる十字架がほしいと思いませんか。木香薔薇を生かしたおしゃれなデザインの正門と十字架を組み合わせた教会堂を建てるのが将来に繋げていく確実な第一歩ではないのか。いかがでしょうか。
 来月の24日、創立85周年を迎えますが、85、あるいは90周年記念誌を出そうという声が上がってきません。
 このままだと高齢者の老人ホーム教会になってしまいます。次世代への橋渡しを本気で考えないと土師教会はどんどん体力を失ってしまうでしょう。さあ、力を振り絞って元気を出しましょう。
 さて、今日のテキストのテーマは、「苦しみを受ける」です。原始キリスト教の実態がどんなものであったのかは、いろいろな研究が進んでいますが、決定的なものではありません。が、衝撃的な発見もあって、おおまかな枠組みとその歴史は解明されています。
 今まで何度も確認してきましたが、イエスさまもユダヤ教徒としてユダヤ教のラビ(教師)として聖堂(シナゴーグ)で説教なさっていたのです。ただし、神を冒涜する異端者としてユダヤ教の支配層からにらまれ、ローマ帝国側からもにらまれて、ついに政治犯死刑囚として十字架に磔にされて葬られました。そのイエスこそメシア(救世主)だと告白するイエス教一派が生まれて異端視された。このイエス野郎グループに対する蔑称(蔑みの呼び名)が、「キリスト者」だった。
 12節をご覧ください。「しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。」 とあります。キリスト者という蔑称は、もう二か所、一つは使徒言行録11章26節、236頁上段に登場します。「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」
 とあります。もう一か所、同じく使徒言行録26章28節、267頁上段、「アグリッパはパウロに言った。「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」 ここではアグリッパ王の心の揺らぎが現れています。だから席から立ちあがって終わりにしたのです。この使徒言行録からはっきり見えてくることは、「キリスト者」という呼び方(呼称)は、外側からの呼称だということです。「隠れキリシタン」の場合と同じです。つまり、明らかに危険人物の群れとして官憲に意識されていたのです。
 ところが、今日の肝心なテキストでは、明らかに内側からの呼称なのです。危険視されて蔑視されている「キリスト者」という名称に込められた蔑みを押し返しひっくり返して、その小見出しは、「キリスト者として苦しみを受ける」です。フランシスコ会の見出しは、「苦難を喜ぶ」です。こちらのほうがペテロが言いたいことをきっぱり言い切っています。
 さて、この手紙の書き手は、使徒ペテロの権威を借りた別人だというのが現代神学の常識です。ガリラヤ湖の漁師ペテロがこんなにこなれたギリシア語を書けたはずがない。64年頃に逆さ十字架で処刑されていったと言われるペテロは、ローマ帝国の皇帝の意志による国家規模の迫害を経験していなかったことなど考えると偽文書だと思われます。だからと言ってこの手紙の価値評価が揺らぐことはありません。第一章一節に出てくるポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地は、現代のトルコであり、ペテロの存命中には、ローマ帝国の公然たる迫害はまだ始まっていなかった。しかし、例外的少数派のキリスト者の群れを取り巻いていた異教世界の中でも、キリスト者は、ローマの官憲からは危険人物であったからこそイエスさまは処刑されていったのです。そのイエス派が危険視されたのは最もであり、少なくともユダは、ユダヤ独立愛国戦線の一員であったに違いありません。
 その原始キリスト教団と現在の日本のキリスト教団が置かれている状況は全く同じだとは言えませんが、似ていなくもない。私どもは、神道、仏教、新興宗教や天皇制に包囲されていて、目に見える形での迫害はありませんが、見えない真綿で首を絞めつけられているのではないでしょうか。「私は毎日曜日教会へ通っています。」 あるいは、「私は、キリスト者、クリスチャンです」と素直に楽しく表明して暮らしていますか。クリスチャンとしての顔には覆いを掛けて、匿名化して暮らしているのではないでしょうか。これでは伝道にはならない。
 13節、「むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。」 と言われるとき、「キリストの苦しみ」とはあの十字架の苦しみであるのは分かっているのですが、具体的にはどういうことを指しているのでしょうか。
 15節、「あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい。」 と言われるとき、これはこの世での一般道徳を指しているのです。しかし、一般道徳は道徳として守らなければいけません。が、一般道徳と宗教とはがっしり結ばれているのであり、その関係をちゃんと掴んでいないと大やけどするでしょう。あの主の十字架の左右に立てられた二つの十字架上の二人は、この一般道徳を犯した死刑囚だった。が、イエスさまのそれは、私どもの罪の贖いだった。私たちがキリスト者であるということは火のような試練、すなわち主の十字架の苦しみにあずかり、生きることなのです。出エジプトを思い出しましょう。葦の海が真っ二つに裂けて渡った海、あれは洗礼を受けて再生する儀式だった。ノアの洪水も洗礼だった。
 こうして新しく生きた私どもは、聖霊に支えられていることを確信している。だから主に生きるすべてをお委ねしているのです。
 ここまで到って初めて、16節、「キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。むしろ、キリストの名で呼ばれることで、神をあがめなさい。」 が心に刻み込まれてくるのです。
 この頃は夕暮れが近づくと土師の曲がりくねった旧農道を散歩する習慣が身に付いています。
 昨日の夕暮れ時、土師町を歩いていて、突然誰かに招かれているのを感じて、急いで公民館の横を抜け、十字路の信号機の真下まで走って行きました。そこに立っていたのは、間違いなく、イエスさまでした。一瞬の出来事でした。辺りはすでに夕闇に包まれていました。すると暗闇の向こう側からイエスさまの宣教命令がはっきり聞こえてきました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」 (「マタイによる福音書」28章20節」た。あの時、「キリスト者」という呼び名がほんとうに私のものになった。
 そして今こそキリストと共に苦しむことが喜びであることを全身で分かるのです。主のために残された人生を精一杯生きて行こうと思うのです。主に委ねた人生の喜びを、一人でも多くの人に伝えて行きましょう。
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