イスラエルの誇り
ナホム書2章1〜3節
 1961年後半、同志社大学二回生の私は、京都御所の東側にある日本キリスト教団洛陽教会に福音系の教会から転籍しました。直子さんもここの会員だったのです。
 牧師の名前は、常田二郎。この人は、1912年3月17日米国生まれです。同志社大、南カリフォルニア大卒、旭川の教会時代から三浦綾子さんと親しかった。晩年は芦屋の教会で奉仕されました。そして神戸・淡路阪神大震災に出っくわしました。神戸市の高層ビルのベッドの中で早朝に体験したのです。「てっきり終末が来たのだと思った」そうです。助かった。
 2011年私どもが土師教会に赴任した時、九九歳の常田牧師が手紙をくださって、「ついに牧師夫妻として出発なさったのですね。おめでとう、けれども自分たちを振り返ってあなたたちの出発を思う時、牧師夫妻の尽きることのない御苦労を思って涙がこぼれて泣いてしまいました」。 
 2012年百歳を迎えた先生に会うため神戸ポートピアの高層マンションへ出かけました。この時、常田牧師は、戦後まもなく米国人の好意に支えられ留学の機会を与えられた経験を話してくださいました。
 一般日本人が海外渡航を禁じられていた時代です。期待で胸いっぱい、ようやっと米国で入国手続きをした時、驚いたことに国籍欄が空白だった、のです。負けたといっても自分は日本人であり、日本人としての誇りは失っていないと確信していたからです。なんと国籍欄は空白のままで、その代わりに、人種モンゴリアンと記入してあったのです。そうだ、日本は負け、徹底的に負けた、敗戦。国家はない。世界から日本という国家は剥奪されたまんまなのだと痛感したそうです。自分が生まれた地は紛れもなく米国、しかし自分は紛れもなく日本人、が、祖国はもはや喪失されたままなのだという事実を否応なく、その惨めさを思い知らされたのです。人種モンゴリアン、名前ジロー ツネタというローマ字で表記された人間。
 みなさんはサンフランシスコ講和条約を覚えていますか。1951年9月8日、朝鮮戦争が終わった翌年でした。日本の首相・吉田茂が調印したのです。敗戦から5年間、日本は国連軍の統治下にあった。亡国だったのです。この苛酷な歴史の事実をきちんと教えられなかった、ぼんやりと曖昧にしか記憶していないところに日本人の弱点がある。だからいまなお戦争責任が曖昧なのです。あの凄まじい無残な亡国、敗戦の意味を問わないまま脇道を通り過ぎて来たままなのです。
 今日あえてナホム書を取り上げた理由がお分かりでしょう。一四五九頁のナホム書の冒頭をご覧ください。「ニネベについての託宣。エルコシュの人ナホムの幻を記した書」とあります。エルコシュと言う場所はまったく分かりません。ナホムという名前も旧約にたった一度ここにだけしか登場しません。おそらくヨシヤ王に仕えていた預言者の一人であった。彼は、強大なアッシリア帝国のニネベさえ陥落すると預言したのです。首都ニネベが、新バビロニア帝国とメディア帝国との連合軍によって占領されて、決定的な打撃を受けることを預言して、その歓びをユダヤ人に伝えたのがナホム書というたった3章の預言書なのです。
 では、それまでの歴史をもう一度おさらいします。アッシリア帝国は、ティグラト・ピレセルV世(前745〜722年)が建設に乗り出して、西のシリア、パレスチナからさらにエジプトにまで軍隊を送ったのは前739年のことです。そしてご承知のように北イスラエル王国は滅ぼされて、アッシリアの一部とされ、さらに前701年、ユダ王国のヒゼキヤはアッシリアからの使者センナケリブに降伏を申し出て、ようやっと独立を維持できた。が、その後80年あまりアッシリアの統治下に置かれたのです。
 帝国は必ず滅亡する、これが歴史の事実です。このあたりも最近の説教で共に学んできました。そのアッシリアの滅亡が目前です。
 では、テキストに戻りましょう。
 ただし、このナホム書を読んでいますと、ちょっと危ないなあと思うのです。とくに3章を読んでいると、アッシリアに対する嘲笑(あざ笑い)や侮蔑が丸出しになってきて、ユダヤ民族主義的感情に酔っぱらっている。短いですからあとでゆっくり読んでみて確かめてください。
 しかし、冒頭の1節は、どこかで見た、読んだ覚えがおありでしょう。
 2章1節、「見よ、良い知らせを伝え/平和を告げる者の足は山の上を行く。/ユダよ、お前の祭を祝い、誓願を果たせ。」
 「そうです。イザヤ書52章7節です。旧約1148頁。
 「いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。/彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となられた、と/シオンに向かって呼ばわる」
 イザヤもナホムも「良い知らせ」と言っている。旧約の意味は、神による人間(あるいは民族)の解放である。「山の上を行く」「山々を行き巡り」は、山から山へと狼煙(烽火)をあげて吉凶を伝えた信号送りの名残りであろう。そして私ども現在のキリスト者は、ただちに福音伝道と受け取るのである。新約のローマの信徒への手紙10章15節(288頁)パウロ、「遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。『良い知らせを伝える足は、なんと美しいことか』と書いてあるとおりです」と断言しています。旧新約聖書の一貫性は、いつも言っていることです。
 テキストの戻りましょう。
 2章1節、後半、「二度と、よこしまな者が/お前の土地を侵すことはない。/彼らはすべて滅ぼされた。」 2節、「襲いかかる敵がお前に向かって上ってくる。/砦を守り、道を見張れ。/腰の帯を締め、力を尽くせ。」 3節。「主はヤコブの誇りを回復される/イスラエルの誇りも同じように。」
 ここでも現代の私たちは、イエス・キリストとの関わりの中で解釈し直さなければならない。ヤコブの誇りもイスラエルの誇りも意味は同じであり、イエスさまに招かれたキリスト者共同体のことであります。
 つまり狭い意味でのユダヤ民族国家の復活を指しているのではない。そうではなくイエスさまを主とするキリスト信仰が与えられたキリスト者を指しているのです。その目で続く3章を読んでいけばユダヤ民族主義的勝利万歳主義では、主との関係性を生きる共同体とは違うなとお分かりになるはずです。
 そして新約以降を見ていてもローマ帝国は滅亡しました。東ローマ帝国も神聖ローマ帝国もオスマントルコもソビエトも崩壊しました。
 歴史全体の主、普遍的な支配者は、世界を創造され、人間を創造された三位一体の神さまなのであります。
 話を最初に戻しましょう。私どもの青年期を導いてくださった常田二郎牧師は、米国留学を通じて良き民主主義的アメリカを学んで帰国されました。人間を見るときの幅の広さ、寛大さ、他者への奉仕などたくさん教えられました。私個人もまた、高校時代の北欧系アメリカ人宣教師との出会いを通して、大学時代にはアメリカ人教授一家と教育寮での生活を通してたくさんの出会いを経験してきました。感謝しています。
 一方では、あのサンフランシスコ講和条約の締結と同時に、日米安全保障条約が締結された事実を忘れることができません。あの時から、日本はアメリカの世界戦略体制下に組み込まれて、1960年の第一次安保闘争となり、いまなお沖縄の米軍基地問題を筆頭にして苦しい日本の現実があるのです。
 が、歴史のほんとうの支配者は、三位一体の主であります。「復讐は我にあり」と断言する神のもとで、私どもにできることを精一杯取り組んで行こうではありませんか。
 最後になりました。伝道師としての遅い遅い出発をした私どもを見て祝福と同時に涙をこぼして泣かれた常田二郎牧師の事実が、どれほど私どもを励ましてくださったことでしょう。主に生かされ、主にあって復活を信じて生きる、この喜びこそ新しいイスラエル、私どもキリスト者の道なのです。
 祈りましょう。
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