結構なことだ
ヤコブの手紙2章14〜19節
 10月15日水曜日、聖研祈祷会の後、奈良県生駒市のアトリエに出掛けました。
 翌朝、十六日木曜日、妻と共通の友人、池田さん(一昨年のクリスマスにご夫婦で出席してくださいました)、 彼女が生駒山上で昼食をと誘ってくれました。車に乗せてもらうと奈良県の生駒市と大阪府の東大阪市との境界線上にある、暗いと書いて「くらがり」と読ませる暗峠に向かっていた。私は初めてです。
 奈良時代からの古道ですが、勾配37lという残酷な国道(酷道)308号線です。奈良から大阪に抜ける最短距離、また大阪と伊勢大社を結ぶ古道として有名です。現在は近鉄の枚岡から歩いて登るしか辿り着く方法がありません。もっともごく最近生駒市のコミュニテーバスが走り出したそうです。たしか今井泰幸兄が走り抜けた峠です。江戸時代に郡山藩が石畳を敷いた。芭蕉が1694年(元禄七年)9月9日(旧暦、重陽の節句)にこの暗峠を越えました。五一歳、死の一か月前、「菊の香やくらがり登る節句かな」。 そして大阪に下って10月2日逝去。「旅に病んで夢は枯野をかけまわる」。
 週日とはいえ、結構人と車が多く、自転車で峠越えに挑む人も見受けられました。到底私の足ではここまで来られないなと思いました。昔の人は健脚だった。昼なお暗いと言われた暗街道はまるで江戸時代にタイムスリップしたようでした。
 さて、その峠の茶屋でドリアンカレーを食べ、甘く熟した柿を食べてから、茶屋の山田さんご夫妻に、「この人の職業は何でしょう、日曜日が忙しい、絶対当たらない」と池田さんが持ち掛けました。茶屋の女将さん(八〇歳前)は、妻と無精ひげの私の顔を見比べ、やがて、「牧師さん?」とずばり言い当てた。池田さんも私もびっくりしました。すると、その茶屋の真ん前がお住まいである三佐子(旧姓、田中)さんが話し始めたのです。「私はね、教会学校に通っていたの。」  池田さんも知らなかった問わず語りです。
 「父が戦死、母も亡くなった。そして親戚をあっちこっちの後、大阪の十三の聖公会の博愛社という施設に引き取られた。戦後闇市と浮浪児狩りの時代だった。そして洗礼も受けたの。だからからかしら、もしかしたら牧師さん、と思ったの」
 暗峠の茶屋の女将さんがクリスチャンだなんて、思わぬ出会いにさらにびっくりしました。その施設は、若き磯野良嗣長老と英子姉が働いて結婚を誓ったその現場ではないでしょうか。
 女将さんは私どもの訪問を喜んでくださいました。クリスマスの劇が懐かしいと言います。今年のクリスマスには行ってみたいと言いましたが、クリスマス礼拝は12月19日日曜日。茶屋は、28日まで営業します。ほんとうに残念。せめてチラシなど送ることにしました。
 さて今日は、ヤコブの手紙2章です。
 イエスさまが十字架刑で処刑されてから、ユダヤ教から分離したキリスト派グループは異端視され、ユダヤ教の支配層からは目の敵にされ、さらにローマ帝国からはやっかいな新興反体制勢力として迫害された。にも拘わらずイエスこそ救世主(キリスト)だと主張して止まないこの一派は、多くの貧民層から支持されました。「貧しい者は幸いである」という非常識な言葉は、衝撃的な言葉であり、驚きと感動をもって迎えられた。いっそう募る弾圧の下で逆に信徒が増えていく。神の前に一人一人みな覚えられている。みな例外なく平等であるという教えは、人類史上初めての平等思想だったのです。まさに革命であった。その救いにあずかった信徒は、貴族、市民、奴隷、男、女、赤ん坊から老人までの混成部隊であった。主は、この混成部隊を愛の共同体、教会「エクレシア」と命名したのです。主の体とも言うのです。なんという喜びでしょうか。
 とはいえ、この現場は、説教を聞く場所の座席さえトラブル発生の元であった。現実は教会でさえ、依然として徹底した身分社会、女性差別、人権意識ゼロの場でもあったのです。だから2章4節、「あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか」と厳しく諌めているのです。二千年前のイスラエルはエルサレムが落城、国家を失い、離散しているイスラエルでした。
 しかし、イエスさまの神の国の中では、異邦人をも含んで教会が、新しいイスラエルなのです。じつは神の国と現実の二重性の中に、二千年後の現在の教会もあるのですが、奴隷制を受け継いでいる国は、イスラム国以外にはありません。人権を無視する国家もありません。じつにイエスさまの言葉は二千年間実行されてきたのです。
 今日の箇所は、小見出し「行いを欠く信仰は死んだもの」です。主イエスさまに信仰を与えられた私どもは、「御言葉を行う人になりなさい」とすでに1章22節で命令されています。冒頭の十四節、「わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。」 15節、「もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物、その日の食べ物にも事欠いているとき、」 16節、「あなたがたのだれかが、彼らに、『安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい』と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。「安心いて行きなさい」こここは明らかに礼拝の終わりの祝祷に対する皮肉です。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」
 ヤコブの手紙の著者は、イエスさまの兄弟のヤコブだと言われていますが、これはあきらかに間違っています。失礼ではありますが、イエスさまの家族はナザレ村の大工であり、棺や身の回りの家具を作って暮らしを支えていたのであり、どうやら父ヨセフは早く亡くなっていて、とてもギリシア語で文章が書ける教養はなかった。これは、後のエルサレムキリスト教の代表者になったイエスさまの兄弟ヤコブの権威を借りて、ヤコブの書であるとして書いた無名のヤコブさんが書いたに違いない。そしてしだいに組織化され整ってきた原始キリスト教団を引き締めるために書かれたのです。その本当の執筆目的は、パウロの信仰義認の誤解を補うことだったのです。ご承知のようにパウロはただ信仰のみによって人は救われ義とされるのであって、行いによってではない。行いが完璧な人はない。一人もいない、と主張したのです。これが神さまからの一方的な恵みに支えられ、信仰よってのみ義とされるという信仰義認説です。ただし、気を付けなければならないのは、行いはどうでもよいと言っているのではない。パウロの言う行いとは、旧約以来の律法規定を守ることです。十戒第一条の「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」を始め、数え切れないほどの律法があります。
 一方のヤコブの言う行いは、もっと幅広く、キリスト者にふさわしい信仰の表現としての行いのことです。周囲に頻発している迫害の中で、キリスト者がどういう行いをするかを見張っている人々や支配層の目に囲まれて、私どもがどう行動するのかが問われているのです。その具体例が、先ほど読んだ14から17節です。じつは御言葉を行うことがどんなに難しいことであるか、自分の肉体を通して信仰を表現することがどんなことであるのかがお分かりになるでしょう。
 現在の日本の中でキリスト者である私どもにできる、イエスさまがお喜びになられることは何でしょうか。表現であり伝道である行い、それは職場で隣近所で家庭でつまりどこにいても、「私はクリスチャン(キリスト者)です」と力強く宣言することです。口先だけのリップサービスでは通らないでしょう。自分を無理して押し出すことではない。あるがままの自分をみなさんの目に晒すこと、これが伝道です。私のまわりのキリスト者の友人たちは退職後、クリスチャンであることを隠したまま社会人として過ごしてしまったことを後悔しています。葬式をするまで父が夫がクリスチャンだったことを知らなかった家族が表れて混乱したという笑えない事実も最近ありました。圧倒的多数派の仏教、神道、天理教、創価学会に囲まれていますが、私どもはキリスト者として生きる喜びが与えられているのですから、恥じらうことは禁物、喜びの表現がにじみ出ていれば十分なのです。
 そう宣言するための鍵が19節です。「あなたは『神は唯一だ』と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じておののいています。」 
 ここはとても興味深い聖句です。「神は唯一だ」ということは、「ほかに神があってはならない」という承認です。同時に旧約時代からイスラエルの民がつねに神に背をむけて裏切ってきた歴史が浮かび上がって来ます。とすると悪霊どもは立派な認識力があるということです。だからおののくのです。ぼんやりクリスチャンよりもはるかに正確に神を捕らえています。
 では。もう一度暗峠の茶屋に話しを戻しましょう。山田三佐子さんに金曜日電話しました。「教会のみなさんによろしく」とのことでした。三佐子さんは、ずっとしまっておいた大切なものを表現してくださったのです。暗峠に行く機会があったらぜひ山田ご夫妻に会って挨拶をしてみてください。
 クリスチャンであることを宣言すること、これはいつどこでもできる信仰の行いであり、イエスさまが一緒に喜んでくださる私どもの表現なのです。三佐子さんはそれを意識することなく実行してくださったのです。土師教会の教友としてお迎えしたいくらいです。
 祈りましょう。

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